03
ついに裁判の時間がやってきた。法廷に入る前に海馬が森下の肩を叩いた。
「あんた、さっき空乃に呼び出されたっきり戻ってこなかったけれども、法廷のほうは大丈夫なんでしょうね?」
「さあ、やるだけのことをやるだけだよ」
「そうね。アタシたちふたりで頑張れば……」
「いや、海馬は空乃のほうに回ってくれないか?」
「空乃が裁判に出るの!? モエモエトークで出るのか!?」
「裁判には出ないけれどもモエモエトークだな。お前はそれのゲストだ」
「何ぃ!?」
「じゃ、がんばってくれよ。それでこの裁判は決まるようなものだ」
海馬と別れて法廷に入ると被告席には既に陸の姿があった。
「ねえ森下、八月朔日先輩はまだ来ないの?」
「今日は怪我してこれないんだとさ」
「なんですって!? ちょっとどういうこと? 詳しく教えなさいよ」
「誰かに背中を押されて階段から落ちたそうだよ。足の向きがおかしいとか言っていたけれども声は元気だったし、まあ大丈夫じゃあないかな?」
「八月朔日先輩が大丈夫だとして私は大丈夫じゃあないでしょう!? つい昨日裁判部に入ったあんたに何ができるっていうの?」
「えーと……まあ、精いっぱい頑張るんで」
「精いっぱい頑張るだけなの!?」
「だってそれ以外何を言えってんだよ。頑張ったって負けるときは負けるのはオセロも法廷もいっしょだろ?」
森下は肩を竦めた。
と、聖が法廷の中に入ってきた。黒い長髪を頭の上のほうに結い上げ、普段の制服姿ではなく、チャコールグレーのスーツ姿である。足元も上履きではなく、ややヒールの高い靴である。カツンカツンと音を立てながら森下のほうまで歩いてくると
「八月朔日さんはいちおう命に別状はないので」
「そんなことわかっているよ。で、テープのほうなんだけれど……」
「ああ、それならここに」
真っ二つに割れたテープをビニール袋の中に入れた状態で聖が見せた。マジックで証拠物件と書いてある。
「あとこれを、透さんに渡しておくように言われました」
「まだ何か有力な手がかりがあるんですか!?」
「鏡です。きっと凄い髪型で法廷に入っているんじゃあないかと、そればかり気にしていました」
「そんな髪型してないよ!」
言いながら森下は聖の手から折りたたみの鏡を毟り取った。鏡を開くとそこにはマジックで『頑張れ』と書いてあった。彼なりの勇気付けだったらしい。
森下はため息をついた。鏡のすみのほうを見ながら走りすぎて乱れた髪を少し直した。
「陸ちゃん、頑張ってね。私応援しているから!」
聖と話していたときに陸は他の女子と話していた。栗色のウルフカットの少女で端正な顔というよりも可愛らしいイメージだ。
「陸ちゃんファイトー、ファイトファイトファイトー、おう!」
「ファイトしなきゃいけないのは陸じゃあなくて僕なんだけれど……」
「もちろん、えーと……森、森……」
陸が小さく杏稀に「森下」と教えたのが聞こえた。杏稀は顔をぱっと明るくして、
「森永くんも頑張って」
「ああ、うん。頑張るよ」
陸の友人であるこの杏稀という少女、おそらくは陸と同じクラス、つまり自分と同じクラスなんだろうとは思いつつ、自分の名前を間違えたその少女の名札には木下杏稀と書かれていた。森から林が抜けただけである。
それにしても八月朔日の言っていた「事件の裏に美女あり」という言葉が気になる。とりあえず美人だと思える範囲の女は全部疑ってかかるべきかもしれない。この杏稀も含めて。
聖が裁判長の席に腰掛けると木槌を一回カン、と鳴らした。
「それではこれより開廷します。皆さん持ち場についてください」
森下の向かいには松山と河野と戸浪が並んで座っている。松山が立ち上がって「検事側、準備完了です」と言った。森下は何を言えばいいのかわからなかったので「弁護側も準備完了です」と真似して言ってみた。横から陸が「あんたが完了しているのは髪型のセットだけじゃあない」と呻くように言ったのは聞かなかったことにした。
聖は慣れたように次にうつる。
「では冒頭弁論をお願いします」
「は、はい。一年七組の陸さやか、東校舎で終わったテストの答えを、ひっく、西校舎で放送に暗号化して流し、ひっ、集団カンニングを行っていたとのことを捕まえられたカンニングした生徒たちから聞きまヒッた」
「松山さんは水を飲みながらゆっくり話していただいてけっこうです。では弁護側、何かありますか?」
「こちらは陸さやかの完全無罪を主張します」
森下の発言に取材に来ていた放送部がざわめく。
「聞いたかよ? 完全無罪だってさ」
「あの一年生初めて見る顔だよな?」
「いよいよ来たか、天才新人」
実際自分が天才新人なのかなどはわからなかったが、ざわめく周囲にそう言われるとなんとなく気恥ずかしい。
「勝手に盛り上がられているわね、森下」
「完全有罪にするか?」
「やめてちょうだいよ!」
そんなやり取りまでカシャカシャとカメラに収められるものだからプレッシャーとは違う何かが襲ってくる。
聖はそんな様子にも慣れたようで、続けて森下に言った。
「では弁護人の主張を聞いてみましょう」
「はい。そもそもカンニングが行われたと言いますが、実際に行われたカンニングの問題はいったいどこから盗み出したものなのでしょうか?」
「待った、盗み出した、とはどういう意味ですか?」
すぐに立ち上がったのは河野である。森下は聞き返した。
「陸の答案用紙が盗まれて公開されたとは考えられないでしょうか?」
「実際に放送は陸さやかの声と共に流れています。これは誰かが流したというより本人が流したとしか思えません」
「しかし放送の録音をしたのはこのテストの前です。そのとき空乃は陸は机を叩いたりしていないと証言しています」
「ふっ、それについては調べがついています。証拠物件Aを提示します」
そして先程の八月朔日のテープが提示された。河野は続ける。
「これに書かれている日付はたしかにテストの二日前です。しかし陸さんはこのテープを材料に、もう一本これに机を叩く音を録音して流したんです。空乃さんは知らないはずです」
「異議あり。今のは言いがかりです」
「はたして言いがかりと言い切れるでしょうか?」
「だって証明しようがないじゃあないですか」
森下がしれっと言ってのけたが河野は余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)である。
「ところがそれができるんです。裁判長、放送部をお願いします」
「許可します」
放送部の部員のひとりが出てきて証拠のテープを検分した。
「大丈夫です。これを流すことはできます」
「ではお願いします」
――空乃のモエモエトークショーの時間ですぅ
真っ二つに割れたテープの中身だけを取り出して、機械にセットすると流れはじめた空乃と陸の放送を聞きながら森下はくらくらした。
「嘘だろ……反則だよ、この学校」
「ご覧のとおり、これには机を叩く音は入っていません」
「そのようですね」
聖も頷いた。森下は隣を向いて
「陸、今の間違いない?」
「うん。たしかに私たちが撮ったやつ」
「弁護人、何か言うことはありますか?」
「まずそのテープの出所はどこですか?」
「焼却炉です。八月朔日先輩が見つけてきたのを森下先輩経由で検事側が手に入れました」
「では実際に西校舎で流されたテープのほうは今ここにありますか?」
「ありません。陸さんが処分したと思われます」
「異議あり! 裁判長、今のも言いがかりです。検事側は勝手な憶測でものを言っているにすぎません。現に今、流された放送に机を叩く音は入っていない、これは陸の無実を証明している証拠です」
カン、と木槌を鳴らすと聖は淡々と言った。
「今気になることがひとつあります。仮に被告が無実だとして、これがなんらかの陰謀だったとしましょう……見つかって困るのは本物のテープのほうであって、偽物のテープがなぜ証拠にあがってきていないんでしょうか? なぜ犯人は焼却炉なんてベタなところに本物のテープを隠したのか……それについて何かありますか? 弁護人」
「うっ……そ、それは、ですね……」
森下はすぐには答えられなかった。長考に長考を重ねて、広報部が息を呑む。
「わ、わかりません」
「わからないことはわからないとさっさと認めてくださいね」
「だって見つかっちゃったものは仕方がないだろう、ねえさん!」
「裁判長です。公私混同しないでください」
聖が焦ったように言ったが、傍聴席のほうで広報部が「天才新人はシスコン」とかしゃべりながらメモをとっている。陸が隣から森下に囁いた。
「森下、気をつけて。あいつらゴシップ書くの大好きなの。私もさんざん足が短いことをネタにされたわ」
「陸の足は短いじゃあないか」
思わず本当のことを言ったら足元でスリッパを踏まれた。
「違うのよ。ハードルで新記録出したときに、足が短いから同情した先生が私のハードルだけ低くしたって書きやがったのよ!」
「それは色々と屈辱的だったね」
雑談が増えた法廷に木槌の音が鳴り響く。
「……で、検事側、何か言うことは?」
「あ、あの……裁判長、ひっく、私からひとつ、ひっく」
「松山さん、どうぞ」
しゃっくり持ちの松山が立ち上がると説明を始めた。
「裁判長の言ったとおり、ひっく、これが嵌められたことだとするならば本物のテープが見つかることのほうが不自然です。もし陸さんが陰謀によって嵌められたのだとするのならば、犯人はどのような方法で陸さんの答案を盗み出したのか、ひっく、それを証明してください」
「そうよそうよ! まあ一発で証明するなんて無理でしょうからー、ありったけぶつけてきてみなさい。こちらはじわじわ行くから」
「先輩、新人潰しはよしましょうよ」
隣から猫背の戸浪がバットを持ち出してきそうな勢いの河野に向かって呟いた。しかし止める気はなさそうである。
しかしこれはひょっとしたらチャンスかもしれない。空乃とその仮説について話しては、ある。しかし彼女を信用していいものだろうか。いや、信じるしかないのだ。
「ではまず……」
森下はポケットから空乃に渡されたメモを取り出した。
・キャッツアイ作戦
・楽勝プラン
・T字型交差点の急展開恋愛のよ・か・ん?
・美人秘書の陰謀 マリーン
・悪代カーンの陰謀 シャリーン
・スナイパー伝説 ライフル射撃部によるカンニング
・コックリさんにお願い! オカルト同好会による年末行事
・陸の分身さんにお願い! オカルト同好会による武者修行
・陸に催眠術 心理学部により深層心理が…
まったくわけがわからない。真ん中のあたりなんて文章が長いからわかるようなものの、具体性も何もかもが皆無である。
「陸の答案を盗み出した説からいきましょうか。あくまで仮説なので、真当にうけてほしくないんですが…」
「真当に受けてもらわないと困るんじゃあないの? 森下」
陸からもツッコミが入る。
「だって、キャッツアイ作戦とかなんだよ?」
「キャッツアイ?」と鸚鵡返しに陸が聞いてきた。その声が向こうには駄々漏れだったらしく、河野の目がきらりと光る。
「弁護側はキャッツアイ作戦を主張したいらしいですが、やっぱりキャッツアイなだけに三人いるんでしょうかね?」
「いや、今のは聞かなかったことにしてください。要は職員室から盗みだしたと」
「本館の職員室は完全封鎖されていました」
ぼそっと戸浪が呟く。
「ではテストが終わって、職員室に行くまでの廊下で盗まれたとか……」
「盗まれた? 先生が持っているというのに? どのようにしてそれを盗み出すというのですか?」
「た、例えばですけれど。当身をして、気絶させて……から……ごめんなさい、今のなかったことにしてください」
「ありえそうですね。過去に何件かそういうことがあります」
聖の発言そのものが信じられなかった。先生に当身をして答案を盗むなんてことが過去に何件もあったというその事実が。
「僕としてはそれは認めたくないので」
「よかったー、私はてっきり廊下の曲がり角でどーんとぶつかって答案用紙を回収とかそういうオチがこなくてよかったです」
松山が心底ほっとしたようにそう言った。
この「T字型交差点の急展開恋愛のよ・か・ん?」とはそれを指していたのだろうか。だとすれば危うく触れるところだった。
しかし、下にいけばいくほどよくわからない作戦名が並んでいるこれをどう説明しようか。
「とりあえず美人秘書の陰謀 マリーンとかいうのからいってみましょうか…」
取材陣がざわめく。
「マリーンってことはシャリーンもくるぞ」
「なんだ? そんなにマリーンとシャリーンは有名なのか?」
「知らないのか? スパイ部の二人組だよ」
「ああ、あの電波か」
スパイ部というのがおそろしく気になったが、森下はあえて触れず内容の説明に入った。
「まず、教師に、言い寄る。そこらへん泣き落とし色落としジャーマンスープレックス、なんでもいいんですが……『先生、お・し・え・て』とまあ、そんな感じです」
「そこらへんを詳しくお願いします」
「ともかく言い寄るんですよ!」
意地悪な河野の言い分に森下がムキになって反論する。
「で、シャリーンのほうは?」
「シャリーンとかマリーンとかよくわかんないんですが、悪代カーンの陰謀のほうは『先生の大好きなやまぶき色のお菓子でございます』とまあ、そんな感じの……」
「うちの先生たちはやまぶき色のお菓子はいっぱいもらっているのでそれくらいでは動きません。それに陸さんの英語の問題を作った先生は女ですので色気も通用しません」
「うう……」
恥をしのんで言ったことなのにあっさりと一蹴されてしまった。
河野が高笑いをしながらバットを振るような素振りの真似をして
「またいっぽーん、ほらほら弁護人、どんどん次の作戦出してごらんなさいよ。ボールが止まって見えるわよ!」
「先輩、いい加減ソフトボールから離れてください。話をするときソフトボールで例えるのやめてください」
「いいでしょう? 裁判長〜」
「許可します」
戸浪が河野の隣でため息をついたのが見えた。どうやらこの河野という先輩、すべてをハーゲンダッツかソフトボールに例えてしまうようだ。
森下は気づいた。先ほどからこの「T字型交差点の急展開恋愛のよ・か・ん?」と「美人秘書の陰謀 マリーン」の間にある空欄が謎だったが、これは盗まれた関係と部活が関与していると思われるパターンでわけてあるのだ。
「うちの部活はたくさんあるようなので……ライフル射撃部が陸の答案を……ライフルで」
「撃ったんですか?」
「いえ、見たとか。あの望遠鏡の部分で」
「ふむ……これについてはどう検事側は考えますか?」
聖が聞くと松山が頭を捻って呟いた。
「ありえないことはありえないですねぇ…」
「ありえないことは、あれ?」
日本語が何かおかしい。検事側は河野の指示により円陣を組んで何か相談をしている。暫くして「検事側ー、ファイッ!」と大声で叫んだ河野が顔を上げた。
「ライフル射撃部を召喚してください。実際にどの距離まで読めるか実践してもらいましょう」
「ややや、そこまでしなくても! そんなの無理ですから」
「なぜです? 疑われしは罰せられるべきです」
「そんなことに貴重な時間を使わないでくださいよ!」
「くだらないと思うならば貴重な時間にそんなことを持ち出さないでくださいよ。こちらとしては何故試さなかったのかとあとでクレームがくるんですよ」
「そうだったのか…」
戸浪の発言に森下は悪いことをしたと思った。これはかく乱作戦ではあったにしろ、無駄な時間をかけて迷惑をかけてしまった。
「というか裁判部シビアだな。僕やっていけるのかな……」
「何弱気なこと言っているのよ! ちゃきちゃき次の案出してよね!?」
隣の陸は自分が何も発言できないのが歯がゆいらしく、体を揺すっている。
「じゃあ次の――」
「ちょっと待った! 検事側から言わせてもらいます。弁護側が何を言わんとしているかわかります。すなわち部活絡みということ。たしかにうちの部活は特殊なものばかりです。はっきり言っていらないような部活が多いです。部活が多い、すなわち混乱も多い。部活同士の暗黙の了解、それはお互いに迷惑をかけない、それがチームワーク!」
「何が言いたいのかはっきりしてください」
「すみません裁判長。チームワークの乱れは学校の乱れ、裁判部の仕事が増えちゃいますよ!」
「そんなの今に始まったことではありません。この学校は乱れています。それを調停するのが裁判部の役目です」
河野と聖のやり取りに広報部が必死にシャッターをきる。
「それで弁護側、部活が関わっているとの読みは本当ですか?」
「はい。部活以外に何の可能性が考えられるでしょう?」
「そらーカンニングって言ったらテストがあるときに行われるものでしょう」
「テスト中にカンニングするとするならばどんなカンニング方法があると検事側は考えますか?」
「カンニングなんてしたことないからわかんないわよ! 例えば鏡を使うっていうのはどこかで聞いたことがあるわね。天井に鏡を貼っておいて見るわけよ、それ以外にも以外にも……松ちゃんなんだっけ? 何があるんだっけ!?」
「えぇー、んーと、んーと…そうだ、消しゴムおとしたのを拾うふりしてカンニングするのを応用して、窓を全開にして突風が吹き荒れて中の答案用紙と問題用紙が宙に舞って大混乱! その間にカンニング!」
「いける! それいける! 事故に見えるし、いけるよそれ」
「全然いけてませんよ」
戸浪が冷静にツッコミをいれているがふたりは盛り上がって聞いてはいない。
しかし、今まで馬鹿らしい案の数々をあげてきたのにはワケがある。次にあげる作戦をより現実味のあるものと見せかけるためである。森下は言った。
「カンニングで使われた内容はカンニングによって用意されたということは考えられませんか?」
「どういうことですか?」
聖が聞き返してくる。
「陸は僕のクラスで、席はあいうえお順で回収しません。席順はZ〜Aの順番で横に並べられて移動教室で行われます」
「それがどうかしたんですか?」
「最初に陸の試験を斜め後ろの席から誰かがカンニングする、その状態だと犯人は陸の答えを丸々知っていることになります。その状態であらかじめ撮られたテープに音を録音すればそれで陸が首謀者であるように装うことは可能。つまり真犯人は集団カンニングをしたその他多勢の中にいるはず! 弁護側は東校舎の中に陸と同じ回答をしている生徒がいないか調べていただくことを要求します!」
「待った!」
そこで声をあげたのは被告席の陸だった。やおらいきなり立ち上がると机を叩く。
「森下あんた、本当に301位ね」
「僕の順位は関係ない」
「普通に考えてみなさいよ、試験官がいるのに堂々とカンニングなんてできる? ちらちら見ることなんてさ、第一至近距離でもないのに答えが見えるってそいつの視力いくつなのよ? 馬鹿らしいわ、あんたさっきからずっと馬鹿らしい。ほら、検事側もなんか言ってやりなさいよ! こんなの無理だってさ」
びしっと陸に指差されて検事側が呆気にとられている。森下が静かに応えた。
「それなら話が早いじゃあないか。視力がよくて、至近距離にいて、陸と似た回答をした奴を探せばいいんだろう? ただカンニングしただけじゃあばれるかもしれないから二〜三問は外してあるかもしれないけれどもいるんじゃあないかな?」
「私は英語得意なのよ! 私の答えが正答率高いってのに二〜三問違うだけの生徒なんて頭いい奴だったらみんなそうに決まっているでしょう!?」
「でも視力がよくて至近距離にいてって、それだけの条件を加えれば人は絞られてくるだろう? それにもっと絞られてくること、言ってあげようか?」
森下は目を細めてから陸を見るとにやりと笑った。
「陸の放送が流れることを知っていた人……木下杏稀」
パン、
乾いた音と共に陸のビンタがしたたかに森下の頬を叩いた。
頬が仄かに赤みを帯びてひりひりする。伏せ目がちな目をそのまま杏稀に流した。
「木下が英語の点数がよくて喜んでいたのを覚えている。木下はたしか、英語駄目だったよな?」
「えっと……あの、うわーんごめんなさい!」
ガタンと傍聴席に座っていた杏稀が立ち上がる。
「わわわわ私、陸ちゃんのテストカンニングしました。集団カンニングの犯人です! ごめんなさい。わーん!」
法廷内が騒然となる。陸が慌てて止めた。
「ちょっと、杏稀、なんてこというのよ! 落ち着いて、落ち着いて考えればあんたが犯人じゃあないってことくらい……」
「果たしてそれはどうだろうね」
「森下は黙っておきなさいよ!」
「だってだって、陸ちゃんの放送のこと言いふらしたの私だし、陸ちゃんと点数同じだし、席も近いし、私視力2.0あるのー!」
わっと泣き出す杏稀に森下は直感的に杏稀でないことはわかったが、今の状態で止めることはできなかった。
たしかに陸の言うとおり、杏稀はそういうところに頭が回らない。だが、陸の無罪を勝ち取るためにはこの形で終わらせる他はない。森下は言いかけた。
「弁護側は木下杏稀を告発――」
その瞬間であった。
ぷつん、と張り詰めた糸が切れるような音がした。途端、世界がどろどろと姿を変えていく。また試験のときと同じだ。床がない。
「木下杏稀を告発するのですか?」
聖の声が遠くから聞こえてくる。姉の声とは思えないほど低く濁った声が何度も木霊した。
「弁護人?」
呼びかけられてもどう反応すればいいのかわからない。
誰もいない、この空間には誰もいない。自分ひとりだけが溶け残った残りかすのようになまぬるい液態の海にたゆたっているようだ。わなわなと全身が震え、呼吸がどんどんと浅くなっていく。
と、その瞬間世界を引き裂くような大声と共に陸の顔がアップで映った。
「森下! 杏稀を犯人にしたら許さないんだから! 許さないんだからね!」
がくがくと揺らされながら次第と足元がはっきりしてきた。いや、揺らされすぎて椅子から転がり落ちていた。
「あ、あれ……陸?」
まだ意識が混濁する中で自分を床に転がした女を見上げる。あおりの角度から陸がびしっと森下を指差して言った。
「森下、あんた私の弁護人でしょ? 私が許さないって言ったら許されないんだから別のアプローチを今すぐ考えなさい」
まったく無茶苦茶な要求だ。無実は勝ち取ってほしい、しかし杏稀は犯人にしてはいけない。真犯人はわからない。
正しい答えなんて何一つ用意されていない法廷で森下は急におかしくなってきて笑ってしまった。
「……ついに301位が発狂したわ」
「僕の順位は関係ないから」
笑いながら立ち上がると椅子に腰掛ける。それから陸を隣の席に座らせると笑顔で聞いた。
「さてと、陸……本当のことを言ってもらおうか?」
「何のことよ?」
「僕は陸の弁護人だから本当のことを話してもらう権利があるよね? さてと、陸を証言台に立たせたいと思います」
「ちょっと森下!?」
慌てたように反論しようとする陸に森下はにっこりと笑った。
「何、本当のことをしゃべれば案外物事はうまくいったりするもんなんだよ? ここは僕を信じてもらおうか。僕も陸が本当のことをしゃべってくれるって、信じているから」
その有無を言わせぬ笑顔にやりこめられて陸が言いかけていたことを呑みこむ。しぶしぶ証言台へと座ると、生徒手帳をばん、と台の上に置いて言った。
「真実を述べることを生徒手帳に誓います」