05
森下は、携帯のメールを順々に確認していた。現在付き合っている女性の数が何人なのかいまいち把握していない。
たぶん六人くらいだとは思うけれども、年上もいれば年下もいるし、同じ学校もあれば他校生もいる。付き合うにすら所属しない、たった一度だけ関係を持った女性を入れれば何人になるかわからない。別に六つ股をかけている罪悪感はない。もともと自分は浮気性な男だし、だから付き合う相手も遊びなれている女の子がほとんどだ。
だからまったく遊びなれてない子とどう付き合えばいいのかがよくわからないのだ。
メール受信箱の女性からのメールを確認しながら、その中に混じって陸の名前がないことに気づいた。
以前は一日に数回はばかばかしいメールが届いて、それに自分は一言「寸胴」と返す日々が続いた。ばかばかしいようで、それが「元気?」「元気だよ」と同じような意味合いだったことに気づく。
メールがこないのは陸が元気がないからなのだろうか。自分からメールをしないのは、陸に後ろめたいからなのだろうか。
何が後ろめたいというのだろうか。何も嘘なんてついていやしない。ただ隠していることが多いだけで。
森下は、新規を開いて一言陸に送った。「元気?」と。
三十分後くらいに陸から返信はあった。「ぜんぜん」と。
たぶん元気のない原因は、自分にあるのだと思いながら、森下はそれを伏せてこうメールした。
――何か食事奢る。高校前待ち合わせね。
OKの返信は待たずにコートを着る。携帯を革鞄に仕舞って、財布をポケットに仕舞った。
住んでいる地域の離れている陸とオフで会うことは珍しい。終電近い時間に電車に乗って、高校の前に出た。
どちらかといえば陸のほうが高校の近くに住んでいるため、彼女は先に着いていた。
「遅い。おなかすいた」
陸がつんとしたまま、そう言った。
「何が食べたい?」
「この時間開いているところってどこがある?」
「居酒屋?」
「飲酒は許さない」
「じゃあファミレス」
学生なのだ。特に贅沢な場所で食べる必要もなかろう。
夜中に入ったファミレスで陸はパスタを食べ、森下はクラブハウスサンドを食べた。
「クラブハウスサンドってさ、昔はカニが入ってたのかな?」
「さあ。クラブハウスでよく出てたからじゃあないの?」
「真相はわからないけど、食べにくいよね。美味しいけど」
「森下って口小さいから食べにくいだけじゃあないの?」
「そう?」
他愛もない話をしていて、なぜ元気がないのか全然聞き出せないまま、夜中になっていった。
「終電、逃したかなあ」
「学校泊まってく? 部室開いてるでしょ」
森下がそう言って、勘定をすますと高校のほうへと歩いていった。
「ねぇ、森下」
「何」
森下は陸が歩くペースにあわせて歩幅を落としている。陸は少しだけペースをあげて歩幅を大きくしている。
少しばかり早足モードになりながら、陸は言った。
「どうしてさ、今日奢ってくれたの?」
「陸がお腹空いてそうだったから」
「私元気ないって書いたけどお腹すいたとは書いてない」
「君は胃の中のもの消化するのはやいから、そろそろお腹空いてるころだろうと思ったんだよ」
森下の隣を歩く陸が自分を大食いだと言いたいのかと顔をしかめた。別にそう言いたいわけではない。
「元気ないんだろ?」
「うん」
「理由聞いてもいい?」
「よく理由がわからないから困ってるのよ」
「たぶん、陸はさ、戸浪が僕と仲いいこと知って妬いてるんだよ」
「何それ。うぬぼれんな、ばか」
「君さー、戸浪のこと好きなんだろ。あいつ千早さん一筋だから無理無理」
「ちがうわよ!」
「だって戸浪のこといつも気にして避けてるじゃないか。僕はわかるよーそういう乙女心」
「あんた、ほんっとうに鈍いわね」
その瞬間、隣にいた森下と視線が合った。森下はいつものきれいな笑顔で「僕は鈍くなんかないよ」と言って笑った。
知っている。鈍くないから、ふたりして、意識しあって、そして何も言えずに、そしてどうでもいいことだけ言い合って、だけど気持ちだけは、馬鹿みたいな言い合いからだって伝わるのだ。
「陸、君さ、夜のイチョウって見たことある?」
「え?」
「すごくきれいなんだよ。東雲高校の並木道」
森下はにこにこ笑いながらそう言った。
「森下、」
陸は立ち止まり、森下も半歩向こうで立ち止まる。
「私さ、井上の記事見てなんだかショックで……そのなんでショックだったのかよくわからないけれども、それでね、なんだかあんた避けてて、悪かったわね」
「うん、気にしてないよ」
「また馬鹿みたいなメールしていい?」
「返信は『寸胴』でいいなら」
「たまには違う返信しなさいよ」
「月がとてもきれいですね……とか」
「何それ」
「夏目漱石勉強しなよ」
森下が笑いながら先を歩いていく。陸はなんのことだかさっぱりわかっていない。
I LOVE YOUを翻訳せよと言われたとき、夏目漱石は「月がとてもきれいですね」と訳したそうだ。
真夜中だった。陸は息を呑んだ。
暗闇の中にライトアップされた黄金色のイチョウと、あかあかと煌く名月を見て。
「月ってのはね、お月見よりあとの、冬が一番きれいなんだよ。月冴ゆるって言うくらいね」
森下がそう呟いて、ライトアップされた道を歩いていく。黄金色の道で振り返り、腹黒男が笑った。
「泊まるでしょ? 行こうよ」
どうせ、学校にふたりきりで泊まったってなんにも進行しないふたりだけれども、それでも時間は止まらない。
(了)