墓地

 おたがい
  手を伸ばしあって
  泣き出すものです
  尽きぬ吐息を洩らすものです

 でも ぼくらは泣かなかった
  〈ああ〉とか〈おお〉とかいう吐息を洩らさなかった
  涙と吐息
  それは 後になって やってきた

ハイネ「愛しあったふたりが別れるときは」

***
  墓地というところは苦手だった。寺の印象が強いからかもしれない、なんとなく陰気臭いイメージがある。もちろんお祭りのような墓参りをする地方もあるらしいので、そういうところのお墓は明るい雰囲気なのだろうけれども。
  その日、共同墓地のほうから歩いてくるルラを見たとき、森下は最初、彼は誰かの墓参りをしてきたのだと思った。
「ルラのお友達?」
「は? 君と僕は友達だろう。違ったの? ル・シャ」
「いや、そうじゃあなくて……墓参り」
  共同墓地のほうを顎でしゃくって、森下は言う。
「ああ、たしかに墓地に行ってきたよ」
「うん。あ、言いたくないならいいよ、プライベートだし」
「いや別に言ったってどうでもいいことなのだけれどもね。シェル・アミ、君は死に場所を探したことはないか?」
「死に場所?」
  森下は眉を顰めて怪訝な表情をした。
「白血病の次は自殺願望?」
「まさか。将来死んだときにどこに埋まりたいか、どういうふうになりたいか考えたことないのかと、そう聞いているだけだよ」
「日本でお経をあげるなら曹洞宗か臨済宗かみたいなもの?」
「残念ながら東洋の思想にはそんなに詳しくないよ。君の宗派も知らない」
「僕も知らないよ」
  そんなことはどうでもいい。どうせ死んでしまったらそのあとどうなるかなんて、自分には関係のないことだ。
「死んだら、天国があると思う? 転生すると思う?」
「その質問について僕にするならば、きっと僕は沈黙しなきゃあならないだろう」
「どうして? 単にキリスト教的か仏教的かって聞いているだけなのに」
「言っただろう、沈黙しなきゃあいけないって。語り尽くせるものじゃあない、過剰に言葉を尽くしても、それは愚かに響くだけなんだ。僕は天国があるか輪廻転生があるかなんていうのは、知識として知っていても智慧として知っているわけではない。そんな世界は見てきたわけでもないし、たぶんそのうちある日、ああそうか……と思う日はくるかもしれないよ。だけど、その瞬間まで、僕はその感性をとっておきたいんだ。とっておきの宝石のように」
  ルラは歌うように、目を細めてそう呟いた。ルラの目は赤い、赤茶色い。暖炉で消えかかった火のように弱々しく、最後の火の粉を吹いている瞬間のように情熱的な色をしていると森下は思う。
「理想の墓地を探していたんだよ。いつか眠る日のために、生きているうちに探したくて」
「随分と急いでるね。死ぬ予定でもあるの?」
「みんな生きるためにここに来たっていうけど、ぼくにはどうも、死ぬためにここに来たんじゃないかって思うよ」
  森下は沈黙した。たまにルラの言っていることはわからなくなる。ただなんとなく、昔付き合ったことのある女の子が「恐竜の骨はオパールになって見つかることがあるんだって。私もオパールになりたいな」と言っていたのを思い出した。オパールのように脆い子だったなというのもついでに。
「リルケは最後の輪を完成させたのかな……」
  ルラはそう呟いた。
  森下はいよいよわけがわからなかったが、なんとなくその輪を完成させることにすごく重要な、それでいてどうでもいいような、そんなごちゃまぜの、ルラにしてはめずらしくごちゃまぜの感情があるように感じた。
「数百年後には土葬したものも火葬したものも真水になっているんだって」
  森下はルラの感じている快楽も絶望も、もういっぱいいっぱいだという気持ちもなんとなくわかる。だけどそれは少しわかる程度で、ルラほどではない。はぐらかすように会話を続けた。
「僕は水になりたい。数百年後は骨ですらない、真水な自分を想像すると、すべてのものが数百年後にはそうなっていることを考えると、ほとんどのことは許せそうだ」
「僕の墓には薔薇を埋めたい。綺麗な薔薇の下に自分が存在しない、その残酷さが好きだ」
  ルラが続けてそう言った。森下は幽かに笑った。彼の死ぬために生まれてきたと言った気持ちが、少しだけわかったような気がして。そこに彼は存在しないのだ。天国なり、地獄なり、輪廻転生なり、どうだか答えはわからないが墓の下にルラはいない。なのに友人も家族もその墓を自分の代わりのようにお参りするのだ。なんと空虚だろう、ルラほど博識ではないが、森下にだって少しはわかる。それはとても、寂しいことだ。
「君が死んだときに僕は泣くと思う?」
「お別れがきたときに君は泣かないと思う。きっとあとになって、僕を思い出して泣いてくれると信じているけれどもね」
  そう、きっと泣かないだろう。いってらっしゃいとエールを送るように、微笑んで見送るだろう。死ぬために生まれてきた友のために。そしてあとになって、涙はやってくるのだと思った。
  ふと思った。自分が死んだときにルラは泣くのだろうか。
  あとになって自分を思い出して泣いてくれるならいいのに。
  そんなことを考えながら墓地を後にした。ルラは森下と別の方向に歩き出した。
  たまたま会っただけだ。約束したわけじゃあない。
  きっとルラとはたまたま出会っただけなのだ。たまたま同じ宇宙の辺境にある地球に生まれて、たまたま何億年とある地球の歴史の同じ時間を生きて、たまたま二百近くある国のイタリアで出会って、たまたま、友達になっただけだ。同じ道を歩んでいても、そのうちまた違う道を歩き出す。ふたりとも。次に会うことがあるかどうかもわからず。
「泣くのかな……」
  森下は小さく呟いた。きっと自分は泣かないだろう。きっとルラも、泣かないだろう。

(了)