咲良漂が女の子だったという設定の夢を見た。休日にデートして、自宅で食事を作ってもらって、膝の上に漂を乗せて、そのあとは省略。
ベッドから起き上がった森下は二十五歳になってまで思春期まっしぐらすぎる夢に軽く自己嫌悪する。いくら女顔の彼とはいえ、学生時代から比べればそれなりに男っぽくもなってきたのだ。いい加減この夢から解放してほしいと思う。
(だいたい躰の相性いいっていったら咲良より宮月さんでしょ? どうしてそっちの夢は見ないわけ?)
そういえば宮月草那の夢はあまり見ない上に、淫夢に至ってはまったく見たことがないことを思い出す。
足元に布団が強いてあり、タオルケットに抱きつく形で漂が寝ているのを見つけて、昨日こいつが終電逃して泊まっていったことを思い出した。
漂の服は部屋の隅に畳んであり、かわりに森下のパジャマを着ている。身長六センチ差くらいではそんなに大きすぎることも小さすぎることもないのだろうけれども、寝苦しかったのか白い腹が見えている。
「咲良、腹チラしてるよ?」
呼びかけても起きる様子ではない。きっと疲れきっているのだろうと思って起こすのはやめにして、いつものように一階にシャワーを浴びにいく。
シャワージェルで体を洗って、シャンプーをしてからタオルで水分をふき取り、姉がいらないと言っても送りつけてくる化粧水と乳液を減らしてから新しい服を着た。
二階の自室に戻ると漂はまだ寝ていた。時計を見ると八時半……漂としては遅すぎるくらいだ。
森下は漂の寝ている布団に腰をおろすと、彼の頬をつついた。きゅっと眉を寄せて無意識に嫌がる彼の顔に、毎度ながらよからぬ気持ちになる。
「咲良ぁー、起きないとキスするよ?」
冗談まぎれにそう言って、顔を間近に近づけたときだった。顔が近くなったところで漂が目を覚まし、思わず体を捻る。
ゴン。と音がして、ふたりの額はぶつかった。
「痛った!」
「っ〜……」
ふたりして額を抱え込んで丸くなる。
「お前が変な冗談言うのが悪いんだよ」
朝食の卵焼きとトーストをつくった漂が皿を手前に出しながらそう言った。
「毎度あの言葉に反応して起きるじゃん。普通の目覚ましより強烈」
森下も負けてはいない。いい加減漂との腐れ縁は今年で八年目だ。お互いに遠慮するような関係でもない。
トーストに苺ジャムをたっぷりとかけながらかぶりつく漂と、卵焼きを崩してトーストの上に乗っけて食べる森下。お互いの食べ方が邪道という突っ込みもなしだ。
「洗剤とかトイレットペーパー買いに行かなきゃそろそろ切れるよ」
「お前、どれだけ洗剤とかトイレットペーパー使っているんだよ。不経済な」
この前買ってきたばかりだろう、と漂が顔をしかめるが、そんなことを言われても仕方がない。
車を出して、近くのモールまで買い物に行く。カートを押していっしょに買い物をしていると、妙な視線を感じた。
「なんでみんなさっきからこっち見るんだ?」
漂が不思議そうに呟く。
「兄弟に見えないからじゃあない?」
「当たり前だろ。何に見えるっていうんだよ」
「恋人同士とか」
「アホらし」
漂が馬鹿馬鹿しさにブレーキをかける。高校生の頃の漂だったら顔から湯気を出して必死で否定したのだろうけれども、さすがに大人になってからそこまではない。
森下の家に帰ったら、漂に箒を渡された。庭先を掃いてこいと言われて外を掃除する。漂は家の中の掃除だ。
二時間くらいかけてしっかり掃除したあと、休憩タイムで先ほど買ってきたケーキとお茶をいっしょに食べた。
「ケーキ食べるとさ、宮月さん思い出すよね」
先にそう言ったのは森下だ。漂は
「あいつは一階の店のケーキ好きだったよな」
と今日行ったモールのケーキ屋の話をした。
「僕たち、宮月さんがいなくなってもケーキ食べてるよね」
「別に宮月にあわせてケーキ食べていたわけじゃあないし」
モンブランの底をフォークで削り取りながら漂がそう言う。きっちり最後まで食べきるのは漂らしいと思った。
「なんだか食べたら眠くなったな」
ネットサーフをしていた森下の後ろで、漂がそう言った。
「寝てていいよ。夕飯つくったら起こしてあげるから」
「じゃあそうさせてもらう」
余程疲れているんだなあと思った。ここ最近の漂はいっしょにいても眠っているときが多い。自分の前で寝顔を晒されると、無防備なのか信頼されているのかわからなくなる。
まあ男同士なので、無防備も信頼も本来ならばあったものではないのだが、たまに気の迷いが生じる森下としては複雑な気分だ。
夕飯のカレーの材料を刻んで、鍋でぐつぐつ煮てルーを突っ込む。あと一時間も弱火で煮込めば美味しくできあがるだろうと思って、火を小さくすると森下は自分の部屋に戻った。
漂は部屋の真ん中でタオルケットに抱きついて寝ている。寝相はいいほうだと思うけれども、何かに抱きつく癖があるみたいだった。
森下は彼の寝顔を見た。ぼさぼさの猫毛とベビーフェイスは相変わらずである。その髪の毛を梳いて、じっと見つめた。桜色の唇がやわらかそうだと思った。
吸い寄せられるようにその唇に近づく。
「咲良、おきてよ」
小声でそう呟いた。起きないと本当にキスしてしまいそうだ。いつものように起きて殴ってくれとまで思った。
だけど疲れきった彼は目を覚まさず、とうとう唇が触れる瞬間まで彼が目覚めることはなかった。
男とキスしたことはなかったが、案外唇とはやわらかいものだ。女のそれとまったく違いがないのだな、と感じる。
そして唇を離して、自分の中に湧いた背徳めいた感情に蓋をするように、そっと漂から離れた。
朝見た夢が頭の中をちらつく。彼が違う性別だったら、こんなにも苦しい思いをせずにすんだのに。
「咲良ぁー、起きないとキスするぞ」
大声でそう言った。漂はスイッチが入ったように目覚める。
「てんめぇ! 気持ち悪いんだよっ」
「あはは」
森下は笑った。
「そんなに気持ち悪い?」
思わずそう聞き返す。漂は「当たり前だろ」と言った。
(やっぱり気持ち悪いか)
自分の感情は気持ち悪いに分類されるのだと思って、心の端のほうに追いやるとカレーを食べにいった。
(了)
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