ふたりの


 季節はあっという間に巡る。冬休みに入り、高校生最後のクリスマスがきた。裁判部のメンバーとクリスマスを祝ってもよかったのだが、森下はあえて"彼女"を選んだ。
  彼女というのは、恋人という意味の彼女ではなく、この場合は代名詞としての彼女を指す。三人称単数、"私たち"でもなければ"彼ら"でもなく、ひとりのみを指す言葉だ。草那を指す言葉でこれ以上にぴったりの言葉はないと思う。彼女はどこにいても、染まることなく"ひとり"だ。漂といる場合を除いては。
「ローストチキンと蟹グラタンはいれた、シャンパンとシャンメリどっちにする?」
「未成年らしくシャンメリにしましょうよ」
  草那と森下はいっしょにスーパーの中を歩いて買い物をした。
  去年までは三人で祝っていたクリスマスも、今年はふたりきりだ。否、漂がいないということは草那と森下、ひとりとひとりがいっしょにいるだけのお祝いなのかもしれない。
「ケーキどうする? ワンホール? それともカットしてあるやつ?」
「私、食べてみたいケーキの店があるの。そこで買っていい?」
「どうぞ」
  草那はケーキが好きだ。いっしょにデートしているときに、東京界隈の色んなケーキ屋さんを教えてくれた。森下はケーキが嫌いではないが、ここまで好きではない。草那のケーキ通には恐れ入る。

 草那はケーキ屋でクリスマスらしくブッシュドノエルを買った。木の形をしたケーキといえば誰でもわかるだろう。
  帰り道に草那はイギリスではブッシュドノエル、地域によってはクグロフ、イタリアではパネトーネとクリスマスケーキも様々あることを教えてくれた。
  草那の家につくと、簡単なお祝いの準備が始まる。森下は買ってきたものを並べ、草那はこの日ばかりはちょっとだけ頑張って手料理を作る。
  そうしてふたりだけで、ささやかにクリスマスを祝った。
  ケーキを食べながら夜が更けるまで馬鹿馬鹿しい話に華を咲かせる、それだけの日。だいたいはこの場に居もしないくせに、話題の主賓は漂である。

 喋り疲れて眠りこけた草那をベッドに寝かせ、森下は彼女の額を撫でた。
  今年も普通にこの日を迎えることができたのが嬉しい。草那が「私は殺されるために生きている」と言った日から、森下は少しだけ彼女の心配をしていた。いつか彼女が死に急ぐのではないかと。
  とりあえずそれはずっと先のことのように思えて、それがとても森下を安心させた。
「おやすみ、宮月さん」
  草那の額に口付けて、森下は鞄を手にとる。
「森下くーん、プレゼントちょうだい」
  帰ろうとした瞬間、彼女がそう言ったので、プレゼントをまだ渡していなかったことを思い出して(といっても、草那からのプレゼントはなかったが)テーブルの上に黒い小箱を置いた。
「つけてくれても、外してくれてもいいから」
  森下は笑ってそう言うと、手を振って部屋をあとにした。遠くで玄関の開いて閉じる音が聞こえる。
  草那はため息をついた。森下は最近少しぎこちない気がする。もちろんそれを隠すくらいの器用さを彼は持ち合わせているのだが、女の勘というのは男のそれを遥かに凌駕する超直感なのだ。
  漂がいないというだけで、少しだけぎこちなくなるふたり。漂がいるというだけで、自然になれるふたり。本当にお前の存在は偉大だと思いながら、ベッドから起き上がる。
  テーブルの上には黒い箱がひとつ。ラッピングを解いて中身を確かめると、案の定指輪だった。
「つけてくれても外してくれてもいいから、ねえ……」
  わざとらしく十号だ。このサイズの指輪がおさまるのは薬指。草那は少しのため息と、おかしさからの含み笑いをして、それを左の薬指にはめた。
  おそらくはスワロフスキーだとおぼしきカットダイヤがはまったそれが、蛍光灯の光できらきらと輝く。
「『ずっと左手につけておいて』って言ってくれればいいのに」
  そうすればずっとつけておくのに。他の男の前でも外さずつけておくのに。だけど望んでも彼はそう言ってはくれないだろう。
  "彼"は無意識のうちにいつ縁が切れても大丈夫なように振舞っている。それは草那が森下を見つけた高校二年の春から一切変わっておらず、彼は今に至るまで女に孤独という領域を明け渡さないのだ。
  漂がいるときだけ、草那と森下は"彼ら"もしくは"僕たち"になれる。
素直に生きるのは簡単なようで難しい。集団に紛れるのも簡単なようで難しい。媒介がないだけで、森下と草那は水と油のように自分たちの存在を孤立させてしまうのだ。
「漂くん、今も勉強しているのかな……」
  この指輪を漂に見せたらなんと言うだろう。「ヤッツンはどうした」と言うだろうか。結局、矢島も今年の冬は受験で大忙しだ。
  いつまでも、ずっとこのままというわけにはいかない。

(了)


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