今朝の朝食、納豆。
昨日の朝食、納豆。
その前の朝食、以下略。
「いい加減納豆以外のものが食べたい」
僕の家には咲良が置いていった納豆しかない。万能食品だかららしいけれど、だからって納豆ばかり食べていたって栄養偏るだろ?
ああ、咲良、早く帰って来い。そして僕にねばねばしていない食べ物を作ればいい。
インターホンが鳴ったので扉を開けると、咲良がビニール袋を片手に上がってきた。
「大人しくしていたか?」
「そりゃこっちの台詞だよ」
大人になってからどうなのかは知らないけれども、無茶をするのが多いのと言ったら僕よりも咲良のはずだ。
咲良はテーブルの上に牛乳、食パン、と出していったので、これは今日は納豆じゃあないのかな? と期待した。ところが最後にやっぱり納豆が出てきた。
「また納豆……」
「栄養あるからな」
咲良はパンにバターを塗ると納豆を上に盛り付けてオーブンに入れた。
「ちょ……オーブンが納豆くさくなる!」
「どうせ使ってないんだろ? いいじゃあないか」
ぶすぶすと中から香ばしい納豆の香りがしはじめて、僕の目の前に納豆トーストが出てきた。
咲良は笑顔で「じゃ、ちゃんと食べろよ」と言って帰ろうとする。
「まてまてまて! なんだっていつも納豆なんだよ!? 咲良、君は作ろうと思えばなんだって作れるでしょ!? いい加減納豆飽きたんだけれども」
咲良はコートをひるがえして、僕を見るとにっこりと毒気のない笑みをつくって「それはお前のためを考えてだよ」と言って去っていった。
「くそ、一体何が僕のためを思ってだよ……」
僕は部屋に戻ってぶつくさと呟きながら納豆トーストにかぶりつく。僕に自炊しろってことか? それともこの納豆が本当にためになると咲良は思っているのだろうか。
「わからない……」
わかるのは納豆はもういらないということだけだ。
数日後、咲良はまたやってきた。
「咲良、納豆はもういらな……」
「え?」
僕が拒否するのも構わず、咲良は冷蔵庫の中に納豆を仕舞う。
「お前が飽きないように、わさび納豆とひきわり納豆も買ってきたぞ」
「うわーい、って喜ぶと思ったのか馬鹿。もう咲良なんて嫌いだよ! 納豆ばっか食べさせるんだものっ」
「なんだよそれ?」
「家来るな。家に納豆菌が増える」
咲良はちょっと困ったような顔をして
「お前がちゃんと自炊するならな」
と言った。
「自炊なんて面倒だし」
「じゃあせめて納豆を……」
「納豆食べたくない」
「我侭言うなよ。僕だって安月給の身なんだから安くて栄養のあるものって言ったら……」
「だから、来るな! ここに納豆持って来るな」
僕は思わず語調が荒くなった。咲良の背中を押して家の外に追い出すと、鍵を閉める。
「おい、森下!」
「納豆ばかりの毎日なんてうんざりだ!」
扉の向こうから抗議の声が聞こえるから、仕方無く靴だけベランダから放り出したら、咲良は心底舌打ちして靴を履くと帰っていった。
リビングに戻るとそこには納豆。これも外に放り出すべきか悩んだけれども、床に散らばしたからといって咲良が持ち帰るわけもないし、仕方無く冷蔵庫に仕舞った。
冷蔵庫の中の納豆が減ってきた。
僕が「納豆ばかりの毎日なんてうんざりだ!」と言った日から咲良はやってこない。
あの御節介焼きがこれくらいで僕の面倒を見なくなるなんて考えてもいなかったけれども、あいつ今頃何やっているんだろう。
僕は春物のコートを着て大学病院を目指した。大学病院の前まで来て、結局僕は何をするつもりで来たのだろうとふと立ち止まる。
「たまには遊びにきてよ?」それとも「たまには遊びにきたよ?」どっちも迷惑な話だろう、そう思って踵を返した。
そもそも、咲良は僕のこと面倒見ないと倒れるとか、どんどん自堕落な生活しそうとか思っているみたいだけど、あっちの生活だって相当きついはずなのに、なぜ僕のところにやってくるのだろう。
「僕と会いたいから?」
なんてね。
僕はどうなんだろう。あいつに会いたいのかな。会うとなんだかほっとするけれども。
「何してんだ、こんなとこで」
聞きなれた声に顔をあげる。
咲良がいた。白衣姿って何度見てもピンとこない。こいつ医者だったんだな……って改めて思った。
僕は口元に柔和な笑みを浮かべて、言ってみた。
「さてどうして僕はここにいるでしょう? その1…看護婦さんに会いにいきた、その2…体調を崩した、その3…咲良に会いにきた」
「その1とその2、どっちかでも当てはまったらとりあえず一発殴っていいか?」
咲良が呆れたように呟く。僕はなんだかおかしくなって笑った。咲良がちょっと不機嫌そうな顔をする。 それもいつものこと。
「じゃあ自動的にその3でOK?」
僕は咲良のほうに歩いていって、ずい、と顔を近づけた。
なんだか僕よりやつれて見えるんだけれども、こいつこそしっかり食べているのかな? とかちょっと気になった。
「咲良……昼休みいつから? たまには納豆のお礼に、とーっても美味しいところにつれていってやろうと思って」
「消去法かよ」
咲良はまたまた呆れたように呟く。そのあと僕の言葉に少しだけ目をまたたかせて、言った。
「おいしいところって何だよ。ホントにいいとこ知ってんのかよ、このサプラーめ」
「適度な値段で美味しいイタリアン、新鮮なネタで有名な寿司、どっちがいい?」
調子にのって視線を絡めてみたけれども、動じそうもないから顔ごと視線をそらした。
「だって納豆飽きたんだもん。どこか食べにいこーよ」
「……あー。じゃあ、暇だったらその辺で待ってて。時間出来たら行くから。やっすいほうね。てか、本当にちゃんと食べてんのか。納豆だけ食べて他おろそかにしたりしてないだろーな」
「待つの? 10秒? 20秒? せんせー何秒待たせる気ですか?」
咲良の質問はてきとうに別の質問にすり替えてみる。
なんでこいつ相手だとこんなに僕は子供っぽくなるのだろう。甘えているのかなあ、戸浪や章彦さん相手に甘えているように。
「わかった。寿司のほうね」
やっすいほうと聞いて、僕はそう答えた。いったい幾らのイタリアンを奢るつもりだと思っていたんだ? なんとなく思考を読み取って僕はにやつく。
「秒かよ。つうか、待てないなら帰れよ……」
何かに苛ついたように咲良は踵を返すと、振り返りざまに言った。
「もう行くからな。戻ったときにいなくなってたら承知しねえぞ」
「待ってるよ」
僕はにっこり笑ってそう言った。
お前は待っていないとどこか行っちゃう奴だろ。なんだか自分の知らないうちに医者なんて立派なご身分になりやがって。そのうちアフリカに人を救いに行くとか言い始めそうだし。
咲良を見送ったあとに空を見上げて煙草を口に咥えた。
あっちはどんどんいい子になるな。僕はどんどん悪い子になっているというのに。
「学生時代には戻れないもんだよね……」
あいつといつまでいっしょにいられるのかが、不安な僕は、少し感傷的になっているのかもしれない。
あいつの仕事が終わるまでの半刻程度の間、僕の足元は吸殻だらけ。
帰ってきたあいつが咎めるような目で見てきたので携帯灰皿に拾い上げ、そして笑いかける。
待っていた僕を安心したように見ている咲良と、
今も咲良が付き合ってくれることに安心している僕。
「いこうか」
納豆巻きは勘弁だよ? 咲良。
(了)
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