「大阪旅行へ行こう」といきなり森下が言い始めた。ちょっと待て、バイトもしていない僕らにお前みたいに簡単に金を出せると思うなよ? と思っていると続きがあった。
なんでも知り合いのお兄さんから株主優待の宿泊券を人数分貰っているとかで、交通費さえ出せば可能らしい。
「金なんてないならば青春18切符だってあるわけだしさ、なんとかならない?」
そんな感じで森下に押し切られるように旅行は始まった。
さすがに鈍行を乗り継いで行くのは疲れるので新幹線を利用することになったけれども、あっちでの旅費は全部森下負担だ。こいつも金持ちってわけでもないのだろうに、どこからこんな金が出てくるんだろうと思いながら、宮月といっしょに駅弁を選ぶ森下を見た。
「咲良、鶏そぼろでいい?」
「やっすいのでいい」
「じゃあ鶏そぼろ三つで」
弁当を渡されて割り箸をふたつに割りながら、食べている間も森下を睨みつけていたのであいつは不思議そうに首を傾げた。
大阪の割と便利のいいところにあったそのホテルは、とても大きくて綺麗だった。当然だ、株主優待があるクラスのホテルだものな。
フロントでキーをふたつ貰ってから、森下はそのひとつを僕に渡した。そして「隣合う部屋にしてもらったから」と言って宮月の手を引いて部屋に入って行こうとする。そこで僕はふと気づき、思い切り大声で言った。
「って、待てぇ! なんでお前がそっちの部屋に入って行くんだよ!?」
「は? 宮月さんと咲良が同じ部屋なの?」
「ちっげぇ! 僕とお前がそっちの部屋で宮月がシングルが常識だろっ」
僕は森下からもうひとつのキーを毟り取って交換した。
部屋に入ったとき、森下が恨み言を言うのではないかと思っていたけれども、彼は特に気にしていない様子で灰皿を探して、一服を始める。その段階になってさっきのやりとりはこいつが僕を揶揄うために仕掛けた冗談だったということに気づいて僕は顔から湯気が出るかと思った。
「最初からツインのほうに僕と入る気だったんだろ、お前」
「え? まさかー。咲良、そんなに僕といっしょがいいわけ?」
「ちげぇよ。巫山戯んな」
ため息をついてから、ベッドに横になった。実はそんなに疲れていないから動きたいのだが、森下はインドア派だから部屋の中にいたいみたいだった。
窓から大阪の景色を見下ろしつつ、一言あいつが言う。
「東京とかわらないじゃん」
み……みもふたもない言葉だ。
はるばる大阪まで旅行してきて、東京の景色と変わらないとばっさり言い捨てるのか。だったら空気のいい田舎にでも行けばいいのに、それはきっと電波が届かないところだとか言い始めるに違いないんだ。
さっき森下の荷物を見たけれども、小さなノートパソコンがいっしょに持ってきてあった。どこまで電子といっしょでないと気がすまないのだろう。
「東京と変わらないって言うんならそれでもいいけれど、折角遠くまで来たんだから大阪の観光でもしないか?」
「ふたりで行ってきていいよ」
森下は手をひらり、と振る。
「お前、いきなり別行動する気か?」
「ここの宿泊券くれた章彦さんにお礼言っておかなくちゃいけないからね。そっちのほうに寄ってからにするよ」
意外なところで常識的なことを言った森下に「待っていようか?」と言ったが、その時間がもったいないと妙なところで吝嗇根性を出してあいつは僕と宮月だけ先に観光するように言った。
「森下、ひとつ聞きたいことがあるんだけど」
「何?」
「お前金持ちなわけ? 家、仕送りだけで生活しているんだろ? 旅行する金なんてよくあったな」
「そりゃあるよ」
「もしかして食費削ってたりしないだろうな?」
「失礼なこと言うね。削ってない」
「そうか……」
ならいいんだが、と言いかけたときにとんでもない言葉を聞いた。
「ちゃんと三食腹いっぱいサプリメント飲んでいるから心配しなくていいよ」
……。なんだって?
「今なんて言った?」
「だから、三食食べてるって」
「サプリメントは食べるといわず飲むって言うんだよ。お前サプラーだったのか!?」
「サプラー?」
その言葉を知らないと森下が首を傾げる。
「サプリメントしか飲まない奴のことだよ! くそ、痩せてると思ったら不精しやがって」
「咲良だって痩せているのにー」
「僕は姉さんの美味しいご飯を腹いっぱい食べてるからいいの! てめぇ食事をおろそかにする人間は七つのお米の神様にたたられるんだぞ!」
「怖いな。お米の神様」
「ふたりで何コントしているのー?」
先に荷物を置いて暇になった宮月が部屋の扉を開けて中に入ってきた。
「宮月、こいつに何か――」
「宮月さーん、咲良連れて食い倒れの旅に行ってきて。僕ちょっとここのタダ券くれた兄さんにお礼言ってから合流するから」
「わかった!」
「あ、こら、宮月っ」
僕の腕をがっしりと抱きかかえて引っ張って行く宮月に引きずられながら僕は部屋から引きずりだされた。
◆◇◆◇
宮月さんと咲良を食い倒れの旅に出発させてから、僕はひとりでタクシーに乗ってトラストスタッフに向かった。
受付で「黒埼とはどのような関係ですか?」と聞かれたので、思わず「弟です」と言いそうになったが、ここでその嘘はマズイかな? と思って「父の知り合いです」と無難な嘘をついて案内してもらった。
秘書の人は僕の顔を見たと同時に苦笑いしてから章彦さんにすぐに会わせてくれた。
お礼だけ言って帰るつもりだったのに、外は雨が降っていたから章彦さんが送ってくれることになった。それがついていないことの始まりだった。
雨は車に乗ってほどなくして止んだ。章彦さんの運転は上手い。僕は助手席で外をぼんやりと眺めていた。と、そのとき。
いきなり車が左に寄って停車した。その横を無理やり猛スピードで突き進む車が横切る。
「なんて危ない……」
章彦さんが腹を立てたようにそう呟いた。だけど僕の視線はそっちの車よりも、歩道の女性に向いていた。
「水溜りの水、かかったみたい」
僕が言った言葉に章彦さんはやれやれと肩を落として車から降りた。窓からその様子を見ていると、どうやら知り合いのようだったので僕も車を降りてみる。
「こんにちは、はじめまして」
その人はとても明るい印象の女性で、春らしい装いをしていた。
「はじめまして。今、泥水引っ掛けられたお詫びに何してもらおうかって話をしていたのよ」
「その罪は重いですよね」
僕は彼女の気さくな言葉に、あまり怒ってなさそうだな、と思って便乗してみた。
「おまえまで調子に乗るな」
と章彦さんは僕を軽く叱ってから「青井さんと待ち合わせなんですよね。そちらまでお送りしますから」と言った。
え? もしかして……この展開は、彼女はデートの約束があった? それはこの泥水かけた格好のまま行かせるわけにはいかないだろう。
「ところで、照子さんはこれからデートなんですよね。なのにその格好じゃやっぱりまずいんじゃないかなぁ。……そうだ。僕が泊まってるホテルでシャワーを使ってもらって、洋服も綺麗にしましょう」
「え?」
「サイズいくつですか? シャワー浴びている間に他の服を新調してきます」
「それはいくらなんでも悪いわよ。ちょっと水がかかっただけなのに」
「水は水でも泥水でしょ? 服にシミのついた格好でデートなんてダメですよ」
「奥様に泥をはねたままで行かせたら、俺、青井さんに顔向けできません」
章彦さんもいっしょになってそう言ってくれた。どうやらその青井さんという人にお世話になっているというのは本当のようだ。
僕たちはホテルの前に照子さんを置いて、キーを渡すとそのまま百貨店のブティックに向かった。
「青井さんってどんな人なの?」
「クールで格好いい人」
「へえ。じゃあ色も寒色が好きだったりするのかなあ」
「そこまでは知らないけれども」
「春めいていてフォーマルでもいけて、デートにもぴしっと決まる格好かぁ」
「……あるのか? そんな格好」
今日はちょっと肌寒い。肩を出したドレスはまだちょっと寒いだろうと考えてスーツということになった。
スーツの店に入るのは初めてだったけれども、僕は女性モノの服を買ったりするのは案外慣れている。章彦さんは女性コーナーにいることが少し落ち着かないみたいにそわそわしているけれども、構わず服を選んだ。
ひとつのスーツが目にとまる。浅葱色…と言えばいいのだろうか、とても明るいライトブルーのパンタロンスーツがあった。
「これとかどうだろう」
「格好いいスーツだな」
「照子さんは身長があるし、あの人運動しているでしょう? 体型綺麗。きっと似合うよ」
「お前……体型見ただけで運動しているとかわかるのか?」
「章彦さんとは違うところが育ったんだよね」
僕は減らず口を叩きながら、スーツのサイズを確認して、それをレジのほうに持って行った。
「すみません、これを」
財布を取り出そうとした横で章彦さんがクレジットカードを取り出す。
「透の財布を痛めるわけにはいかない」
まあ、章彦さんのほうがお金を持っているのは確かだろう。僕はお言葉に甘えることにした。
甘えるついでに近くにあったスカーフを掴むとそれもいっしょにレジに出した。
「これもあったほうがいいよ」
「お前……人の金になった途端に」
「靴の色と相性がいいんだもの」
「靴ぅ!? お前あの短時間に照子さんの靴まで確認してたのか」
「確認するよ。お洒落は靴からって常識だもの」
呆れたような感心したような章彦さんが支払いを済ませたあと、その荷物を持ってホテルに戻った。
「……って」
ホテルの自室、すっかり気絶している咲良と、困った表情の照子さんを見て、僕は一瞬何があったのかと思った。
「ええとね、着替えている最中に、彼が帰ってきちゃって……それでその、透くんが私を連れ込んだって思ったみたいでね」
人妻だぞ。どこまで僕の守備範囲が広いと思っているんだ、咲良の奴。
「それで説明しようとしたんだけど、すったもんだしているうちにバスタオルがとれちゃって、そしたら彼が失神しちゃったの」
「はあ」
素っ裸を見たって気絶する人なんて今時いるんだ、と思ってびっくりしながら照子さんに着替えを渡した。
咲良がベッドで伸びているからバスルームで着替えてもらって、照子さんにもう一度、重ね重ねの無礼をお詫びしてからお別れをした。
咲良は照子さんが帰ったしばらくした頃に目が覚めた。
「うー……ん」
「あ、起きた。おはよーう」
宮月さんが隣から声をかける。咲良は僕に気づいてがばっと飛び起きると胸倉に掴みかかってきた。
「お前、僕もいる部屋に女の人連れ込むってどういうことだよ!?」
「誤解誤解。ちょっと服汚しちゃったお詫びにシャワー浴びてもらってて、その間に服買いに行ってただけだから」
僕がへらへら笑いながらそう言うと、咲良は「本当だろうな?」と僕を睨んできた。
「漂くんは照子さんの裸見たんだよね?」
隣から宮月さんがそう言ったから、咲良の顔が茹蛸のように赤くなる。
「あ、茹蛸」
「さすが大阪だね。茹蛸」
「うるせぇ!」
真っ赤になっている咲良をひとしきり笑ったあと、僕の食事はルームサービスを頼むということで、他ふたりはその間トランプをして遊んでいた。
どうでもいいけれども宮月さんとばば抜きをするのは楽しい。あの綺麗な顔ですごい顔芸をするので、見ている僕が思わず笑っちゃうのだ。
◆◇◆◇
漂くんと森下くんと三人でトランプゲームをしばらくしたあとは、森下くんがメールチェックを始めたからあたしは部屋に戻ることにした。
ひとりだけシングルなんてつまらない。森下くんでも漂くんでもいいから同じ部屋ならばよかったのに、と思いながらベッドに腰掛ける。
ひとりだからだろうか、なんだか違和感を感じる。
だけど違和感というのは、ひとりでいるというのにひとりでいるような気がしない、ということだ。
ふと、ベッドの下で何かが動く気配を感じて、あたしはベッドの下を覗きこんだ。
誰かの目とかち合った。
「きゃー!」
叫んで隣に逃げようとした瞬間、足首を掴まれて転んだ。ベッドから這い出してきた男の手にはナイフ。それを首に突きつけられて黙るように言われた。
こいつ、誰? 痴漢にしては手を出してこないみたいだけれども。もしかしてホテル荒し?
「お前は顔を見ていない、いいな?」
そんなこと言われたって、もろ確認しちゃったわよ。でもこのまま逃げてくれるって言うならそれはそれでいいや、と思った矢先だった。
「宮月、今なんか声がしたけど……」
扉が開いて、漂くんと森下くんが顔を出した。
「あっ、てめえ!?」
「う、うごくな、動いたらこの女刺すぞ!?」
なんとも三流役者の常套句だこと、と思わずにはいられない。思わずあたしは「この人口が臭いの」と漂くんに不平を垂れてしまった。
「宮月さん、お願いだからその人をあおらないで」
「黙れ! 殺されたいのか」
「おじ……お兄さん落ち着いてください。彼女を刺すとこの隣の凶暴な少年があなたに何をするかわかりません」
「凶暴って僕かよ」
森下くんの言葉に漂くんがため息をついた。
「お、俺に手を出したらこの女だってただじゃ済まないぞ!?」
「……人生終わる覚悟、あります?」
「わ、若造の癖に生意気な……!」
漂くんの据わった目にひるんだ泥棒を見て、これはけっこう気の小さな人間かもしれないと思った。
森下くんは落ち着いた口調で彼を説得するように言った。
「落ち着いて聞いてくださいね。お兄さん、まずこの少年はとても凶暴です。彼女の髪の毛一本傷がつこうものなら、まず歯が折れます、脳にダメージがいくほど蹴られます、肋を骨折します、内臓が破裂します。それでも彼女を傷つけますか?」
いくら漂くんでもそこまでするはずがないわけだけれども、その言葉にさらに犯人がひるむ。
「お、お前ら立場わかってんのか!? 優位にあんのはお前らじゃねえ、俺だぞ!?」
「今の、冗談だと思います? あなただって、自分の身、かわいいでしょ? 彼女を解放すれば、見逃してあげますよ?」
これは自棄になった漂くんの言葉。ひるみにひるみまくった泥棒が躊躇した瞬間、あたしは思いっきり泥棒の鳩尾にエルボーをしてやった。
「あんたらやっておしまい!」
あたしが逃げたと同時に漂くんが近づいてあっさり頭に一発踵落としをすると、泥棒はその場に伸びちゃった。
「ああん、こわかったよー」
「僕は宮月さんの『あんたらやっておしまい!』が一番怖かった」
意外なところでいつも肝の小さい森下くんが余計なところに突っ込みをいれる。
「だって本当に怖かったんだもの」
「それにしちゃ冷静だったよな。森下、通報頼む」
漂くんが泥棒を担いで部屋を出て行こうとした。
「あれ、咲良はどこ行くの?」
「ホテルの人に渡してくる」
「一緒に行こうよー。見張りも兼ねてさ?」
「いや、宮月は休んでろって」
「咲良、こういうときは一緒の方がいいだろー?」
結局、森下くんが携帯で通報したあとに三人でホテルの人に泥棒を引き渡した。
どうやって高校生三人でナイフを持った犯人に立ち向かったのかと聞かれたとき、ふたりはこともあろうかあたしを指差して「彼女が冷静だったから、興奮が冷めました」とか言ったのよ。信じられる?
まあ、途中色々ごたごたはあったけれども、二日目の観光は三人いっしょにできて、けっこう楽しかった。新幹線で帰るときは森下くんも漂くんも寝ちゃってて、あたしひとりだけ起きていたけれどもふたりの寝顔がね、あまりにも無防備でなんだか顔がにやけちゃった。
また機会があったら三人で旅行できるといいな、なんて思った三つ巴旅行でした。
(了)
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