世話の焼ける友人
健康診断の日が僕は嫌いだ。 ただでさえ厳しい咲良が僕に一番きつく健康について語る日だから。 だけど医者が知り合いにいるのに、しかも割合近くで仕事をしているのに、避けて別の病院に行くと今後の付き合いがぎこちなくなるんじゃあないかって、それが怖くて結局今年も同じ大学病院に検診に出かける僕だった。 こんなことならば、最初から別の病院にかかっておけば、そうすれば僕が健康診断の結果をなおざりにしているとしても咲良はそう突っ込めなかったはずなのに、今はあいつ僕の主治医気取りじゃあないか。いや、主治医ですけど、でも僕はそんな不健康な体じゃあないから! 「メタボになってる?」 「逆だよ。皮下脂肪低下で死ぬぞ、お前」 体脂肪率9%の文字を見せて咲良は僕にそう言った。なんだよ、咲良だってそれくらいだろう? むしろお前のほうが痩せてそうなのに。 「あとカルシウム不足」 「カルシウム、ちゃんと取ってるよ」 「サプリメントからだろうが、サプラーめ。サプリばかりで栄養とれると思うなよ?」 サプリメントが主食の人間のことをサプラーと言うのは一般的な言葉なのか、それとも咲良の造語なのかはわからない。 「とりあえず、カロリーとカルシウムを取れ」 「カロリーだって取ってるのに」 「コーラからだろ?」 「うん」 「コカコーラには骨を溶かす成分が入っている。おまけに糖分も多めときたもんだから、そのうちお前の骨はくしゃみするだけでぽきぽきになるんだよ」 僕はぼんやりとくしゃみをした瞬間にぽきっとなる自分の体を考えた。あまり実感はしづらい。 「わかった。カルシウムのサプリを……」 言いかけて、睨まれて黙る。健康について語るときの咲良はちょっと怖い。 「牛乳飲みます」 「小魚もな」 「はい」 「あとそれ以外にもご飯ちゃんと食べな。何だったら今日の分作ってやるからさ。面倒なだけなんでしょ?」 いつぐらいからだっただろうか。おそらく戸浪が司法試験の勉強を始めてほとんど僕の家に来なくなった頃からだろう。咲良はたまに僕の家に料理を作りに来てくれる。 ちなみに戸浪は司法試験に受かったけれども、今は毎日仕事に忙殺しているみたいだから家には来ない。そして目の前にいるこいつだって、本当は忙殺されているはずなのだ。 「いやむしろあなたの過労が心配ですので、僕のほうこそ咲良のご飯を作らせてくださいとお願いしたいところです」 思わず丁寧語になる僕。本当お願いだから無理しないでください、咲良漂さん。 「うるさい問答無用サプラーがご飯作りますなんて言って、期待してないし、いいから黙って食え」 「料理下手だと思っているでしょ? 料理下手だと思っているでしょ? 僕の目分量親子丼の味もしらないくせに」 「なんとなく察しがついた」 「さようですか」 僕は拗ねたように黙り込む。咲良はその様子に気づかず、そのまま 「仕事、今日早めに切り上げるから。僕の家に来なよ」 と言った。そういえば僕の家にこいつが来ることはあっても、こいつの家に僕が行くことって滅多にないんだよね。 「仕事、何時上がり?」 「八時」 「……それまで僕にご飯食べるなっての?」 「どうせ普段だってサプリしか食べないんだろ? ちょっとくらい待ってろよ」 「暴君」 僕は言い捨てるとそのまま診察室を出ようとした。 「森下、」 咲良が僕の名前を呼ぶ。 「親子丼の材料買って、僕の家の冷蔵庫に詰めといて」 「えー」 「八時じゃ近所のスーパー閉まってるんだよ」 お前こそ普段どうやって食事をしているんだ? と聞きたくなる。 咲良にそう頼まれて暇な僕がサボる理由も見つからないので、仕方無く僕は親子丼の材料を買う。鶏肉…もも肉とささみと手羽と、どれを買うべきなんだろう。毎回てきとうに作っているからよくわからない。 てきとうにささみを放り込んで、昆布つゆ、玉子、酒、砂糖……と買い物をしていく。カルシウムとカロリーと言われたから、コーラと牛乳も買ってみた。 ちょっと重くなった荷物を持って咲良のアパートに行くと、今時そんなのでよく泥棒に入られないね、と言いたくなるような隠し場所にある彼の家の鍵を使って部屋の中に入る。 一戸建ての僕の家に比べて、咲良の家は狭い。DKと寝るための部屋があるだけの一人部屋。たぶんあいつは、ここに寝に帰ってきているようなもので、だからこれだけ殺風景な部屋でも平気なのだろう。 冷蔵庫に買ってきたものを仕舞うと、僕はベッドに腰掛けて携帯を確認した。六時。まだあいつが帰ってくるまでに随分時間がある。 咲良が帰ってくる時間にあわせて親子丼でもつくっておけば喜んでくれるかな、それとも「塩分濃度が〜」とかあいつのことだから言い出すかもしれない。 「あふ…」と欠伸を噛み殺す。咲良の寝不足は仕事のせいだとしても、僕の寝不足ははっきり言ってネットサーフのしすぎだな。 それにしても暇だ、ここにはNEWSもなければ、経済新聞もない。パソコンを勝手につけたくらいじゃあ怒られないだろうけれども、僕のいかがわしいサーチ先を履歴に残すだけで怒られそうな気がする。履歴を全部消すのは面倒、だからパソコンもつけられない。 結局僕はごろんとベッドに横になると惰眠を貪ることにした。 目が覚めたとき、部屋の中は暗かった。醤油の匂いで起きた僕は、目が覚めたと同時にがばっと飛び起きた。 「うわ、今何時!?」 「八時半」 咲良の声がキッチンから聞こえる。面目丸つぶれ。七時半くらいから作り始めようと思っていたのに。 「何慌ててるんだよ? 疲れているなら寝ていていいんだぞ」 「…………」 僕に軽く睨まれて、咲良はちょっと「どうしたんだよ?」と首をかしげた。 「なんでもないよ」 なんだってこいつはこんな優等生なのだろう。同じくらい頭よくたって、社会に貢献する方向としてはベクトルがS極N極な僕たち。朝の九時から三時までパソコンの前にかじりつけばその日の仕事はおしまいな僕はそこから先は全部遊びやおまけで、それで疲れているからって同情の余地なしだろ? それを知らないからこんなに親切なのか? それともこいつは天然でこんななのだろうか。 「咲良って天然だよね」 「お前に言われたら終わりだと思う」 僕のどこが天然だっていうのだろう。そういえば兄貴分の章彦さんにも「お前は天然だよな」と言われたことがある。どこが天然なのか聞いたら、ボケていることに気づけないことがまず天然なのだそうだ。 「出来たよ」 親子丼を盛り付けた丼がふたつ出てきた。僕はコーラを注ごうとしたけど、咲良が先に緑茶を注ぐ。 「お前、ありえないだろ! 親子丼をコーラって!」 「何が?」 「とりあえず座れ!」 また怒られて、とりあえず腰掛ける。両手を合わせて、いただきますを言った。 「……あ、普通にうまいし」 「伊達に一人暮らししてない」 「僕だって一人暮らしだよ?」 「自炊しろ」 「面倒」 「じゃあ食え」 塩分控えめなのにどうしてこんなに美味しいんだろう。栄養学とかいうのをしっかり勉強したから? しばらく黙々とご飯を口の中に掻きこんだ。食後に緑茶を飲んで、煙草を一服していると、咲良はそんなの気にせず自分のペースでシャワーを浴びて布団にもぐってしまった。 からすの行水、そしてのびた並の入眠の早さ。相当疲れが溜まっているんだろうな、と思った。 部屋の電気を暗くしたまま、キッチンのほうの僅かな明かりで咲良の寝顔を見る。昔は女みたいな顔していたこいつも、二十五にもなれば随分男っぽい顔になってきたかな? って気もしなくもない。 髪の毛に気を使って、眉でも整えれば今でも十分男っぽさを感じさせない容姿なんだろうけれどもね。 そのまま家に帰ってもよかったけれども、なんとなくこのまま寝てしまおうかなと思ってベッドに寄りかかったまま目を閉じた。 夜中、だろうか。カリカリとペンを動かす音が耳障りで目を覚ます。 ベッドを見ると裳抜けの殻、デスクを見ると残業している咲良の姿。こいつ、どれだけ仕事ジャンキーならば気が済むのだろう。 「咲良ぁー僕より仕事が大切とはいい度胸だね」 夜中の小言開始である。今回は僕からだけれども。 「なんだそれ?」 「夜くらい寝ようよってことだよ」 「仕事があるし」 「小人さんに親子丼やっとけば朝までには片付いてるよ」 「小人って誰だよ。いねぇよそんなの」 「咲良はファンタジーとか信じないの?」 「信じたからって目の前の仕事はなくなんないの」 「後回しでもなんとかなるじゃん」 「早く終わらせたいんだよ」 「無理しすぎだってば」 「そっちは無理しなさすぎだ」 「うん、無理しても楽しくないでしょ?」 「仕事にだらしないのは嫌いなの」 あれ、僕もしかして苛々している? 最後に煙草吸ったのいつだっけ、なんて考えながら立ち上がり、机を覗き込んだ。 「それカルテじゃないでしょ? 診断書でもないし」 「論文。学会に提出するやつ」 「へえ……」 僕は一番上の紙をおもむろに取り上げた。咲良の字としてはありえないほど汚い。 「こら返せよ」 「B細胞がD細胞に見える」 「かえせ!」 「ねよーよ。絶対この字寝不足できたないんだし」 何か言いたげな咲良だったけれども、僕が絶対に寝かせようとしていることに気づいて沈黙する。 「……くそ、わかったよ」 「うん、わかったらねよーねー」 「ってえ!?」 僕が腰のあたりから咲良を抱きかかえて強制的に横に転がしたら、咲良の奴すごく慌てている。 「こら、抱きつくなって!」 「こうしないと、咲良、寝てくんないし」 「だからって!」 何意識してるんだ? 咲良の奴。それとも僕が意識しなさすぎなんだろうか。抱きしめたまま咲良の頭をなでなでとして、言ってやる。 「まったく仕方のない奴だねー、咲良は。自己管理できなくて」 「おまえ飯くいにきてそれ言うか?」 咲良が呆れたようにため息をついた。 「咲良、細いね。背骨が胸に当たるんだけど」 「お前の胸もごつごつしていて気持ち悪い」 「まあ男だし? ぷにぷにしているほうが気持ち悪いと思うけれども」 見た目でも細いのは分かっていたけれども、実際に触ってみると腰の骨も背骨も肩の骨も全部飛び出している。こいつこそカロリー不足じゃあないか。 「ほらほら寝たまえ。羊がいっぴーき、羊がにひーき」 「羊かよ」 「宮月さんでもいいけど?」 「宮月がたくさん!?」 「宮月さんがたくさん……うん、それってなんかもう天国だよねえ」 「……退いて。今ので一気に目が覚めたっつの!」 うっとりしたように呟いた僕に咲良が血の気が引いたように叫んだ。僕は意地悪たっぷりに耳元で囁く。 「咲良ー。もう大人なんだからさ、ホント純だねえ」 「うっせえよ! お前やっぱ汚れすぎだろ!」 あはは、と笑って頭を掻き回してやった。ぼさぼさの頭からシャンプーの匂いがする。 「咲良、しばらくここに食べにくるから」 「はあ?」 「毎日食べさせてね」 「お前、自炊しろ!」 「やだ。咲良のご飯が美味しいからそっちがいい」 とりあえずこいつを太らせなければいけないよね。せめて僕と同じかそれ以上には太ってもらわないと。 皮下脂肪低下で死ぬのはこいつのほうだよ。毎日たっぷり食べさせて、たっぷり寝させて、そしてそのうち髪を切らせて、眉も抜いちゃおうかな。 「お前、今なんかよからぬ計画立てているだろ?」 咲良が何か察したようにそう言った。 「なんのことー?」 なんのことだろうね。君のことをこんなに気にしている僕によからぬことだなんて。 「とりあえず寝ようね、咲良。おやすみー」 「はいはい。おやすみ」 咲良は仕方無いとため息をついて、目を閉じたようだった。しばらくして寝息が聞こえはじめる。 世話がやけるのはどっちだろうね。本当ほうっておくと死ぬんじゃあないかって気がするのは、お前のほうなんだけれども。 |
世話の焼ける友人