手品


 目の前の男が、両手を前に突き出した。
「種も仕掛けもありません」
「……手品?」
「いや、手品はできないけれども」
  あたしは森下くんが何をしようとしているのかわからなかった。彼は私の右手を両手でぎゅっと握って、笑う。
「熱伝導って知ってる? 僕の体温が君に伝わって、君の体温が僕に伝わる。そうなるとどうなるでしょう?」
「えっと……」
  思わずすぐに答えられなかった。中学時代に習ったはずなのに。
「同じ温度になるんだって」
「それがどうかしたの?」
「宮月さんの手は寒さで真っ白。僕の手は代謝いいからあったかいでしょ? ちょっと暑いんだよね。宮月さんの手がつめたくて気持ちがいい」
  だから握っていていい? と聞いてくる森下くんに嫌だとは言えず、結局手を握ったまま空を見上げた。ここはチェーン展開したオープンカフェ。暖房であたたまった空気が嫌いな彼に合わせて外で珈琲を飲んだら手がいつのまにか冷えていたのだろう。
  彼の手元にはコーラ。カフェに来たときくらい珈琲を飲めばいいのに、コーラが特に好きなわけでもないのに、それでもコーラを頼むのは彼が代謝がよすぎて躰が火照っているから。
「まだあったかい?」
「え?」
「手」
「ううん、」
「僕の手ももう冷たくない」
  手を離そうとした森下くんの手を逆の手で包んだ。
「じゃあ今度はこっちの手をあっためて」
「こっちよりは温度下がるけどいい?」
  手を包んで、彼はにっこり笑う。
  彼にとっての立ち位置はどういうものなのだろう。たぶんあたしと森下くんの関係に名前をつけるとしたら、友達。それ以上の関係にはたぶんならないと思う。
「あったまった?」
「さっきよりは冷たい」
「そりゃそうだよ。こっちの体温がさっきより下がってるんだから」
  森下くんはコーラを最後まで啜って、そして暗くなったから家に送って行くと言ってくれた。

 彼は奥手なわけでは、ないと思う。ただし矢島くんや漂くんといっしょで、あたしに手を出さない。
  リップサービスは過剰なくらいしてくれるのに、キスひとつしてこない。
  いつも三人で会うわけではない。漂くんとふたりで行動することもあれば、森下くんとだけ会うこともある。今日は森下くんとだけ会った。
  家に帰る途中、逆の方向に行くとホテルがある道がある。
  その道のど真ん中で止まり、あたしは森下くんに初めて誘いをかけてみた。彼は少し驚いたような顔をしたけれども、時計を確認して平気な時間だったようで、あっさり乗ってくれた。
  特にテクニックがどうこうというわけではないのだけれども、彼の指はとても繊細な動きをする。自分本位に進めることもなければ、相手をいたわりすぎてぎこちないわけでもない。気軽に他愛もない会話をしながら、やさしくキスをして、そして愛のある言葉をいっぱいくれる。
  そのすべてが「騙し」だったとしても、あたしは騙されることを喜んだだろう。
  彼の嘘はばかばかしいのもいっぱいあるけれども、聞いていて楽しくなる嘘が多いから。

「種も仕掛けもありません」
  普段と同じように森下くんがあたしの前に右手をかざしたとき、彼が馬鹿なことを言い出すのはわかっていた。
  彼が手を裏表に返すと、次に出てきたときには手のひらの上に大きなおもちゃの雪の結晶が乗っていた。
「クリスマスが近かったから売っていたんだよね」
  森下くんはその雪の結晶を「はい、」とあたしに渡して言った。
「ちょっと早いけど、宮月さんには最初にクリスマスプレゼント渡しておこうと思って」
「これがプレゼント?」
  なんとなく森下くんならばアクセサリーの類をくれそうな気がしていたから、プレゼントは嬉しいけれども意外だった。
「昔ね、ネットで雪の結晶をプロポーズのとき渡す話を見たんだよね。それが秀逸でさ、世界一大きな雪の結晶を見つけたときにプロポーズするの」
  森下くんはにっこり笑ってこう言った。
「僕もそのおもちゃの雪の結晶くらい大きな結晶見つけたら、宮月さんにプロポーズしてもいい?」
  あたしは思わず息を呑んだ。その笑顔に騙されそうになった。手のひらほどもあるサイズの結晶なんて見つかるはずがない。そんなこと分かりきっているはずなのに、わかっていて言っているのだ。
「雪の結晶を探すなら早めに探しなさいよ? あたしが結婚しちゃわないうちに」
  あたしは減らず口を叩いて笑った。思わず騙されたくなるようなやさしい嘘。あたしはきっと面と向かって「愛している、結婚してくれ」とか言われたら冷めるタイプの人間なのだ。
  それを見越して、彼はいつでもあたしを上手に騙す。騙されるのを期待してしまうなんて、あんたはなんて巧みな手品師だろう。
  種も仕掛けもないと言いながら、本当は色々あるのだろう。そう思いながら騙されてしまう。心から。

(了)


手品