08
◆◇◆◇
湿気の多い日だった。きっと雨が降っているのだろう、ギーはケーキを待ちながらそう思った。
アランは夜になって、小さなチーズケーキをふたつ持って現れた。
「いったいいくつになったんですか?」
蝋燭を一本チーズケーキに刺しながら聞くと、「三十五歳になる」とアランは言った。
「美味しそうなケーキですね」
蝋燭に火をつけて、バースデーソングを歌ってお祝いをした。普段にやにやとしか笑わないアランが、珍しく照れくさそうに笑った。
「お誕生日おめでとうございます」
ギーがそう言って、拍手をする。
アランが蝋燭の火を吹き消そうとしたときだった、後方でドアが乱暴に蹴り開けられた。
「動くな!」
サムが銃を構えて飛び込んできた。
アランは素早く手に持っていたケーキナイフをサムに向かって投げつけた。
サムがそれを避けた瞬間、サムにタックルを喰らわせてギーを置くと外に飛び出した。サムがそれを追いかけて部屋を飛び出す。
「止まれ!」
サムが照準を定めて発砲した。一撃目はよけたが、二弾目は足をかすめた。
足を引きずりながら逃げるアランをさらに狙おうとしたら、後ろで大きな爆発音が聞こえた。
サムが反射的に振り返ると、今までいたログハウスが燃えている。
「あはははは、仲間が焼け死ぬぞ」
あの家の中に遠隔操作できる、何かの仕掛けがあったようだ。
サムは舌打ちしてからログハウスに戻る。
「おい、大丈夫か!?」
火の広がりが早い。ギーの首輪を外そうとするが、錠がかかっているようでなかなか外せない。仕方がないので、鎖のほうを銃で壊して脱出した。
ログハウスがめらめらと燃えていくのを見ながら、アランの気配が近くにないのを知ってサムは舌打ちした。
たった一週間なのか、それとも一週間もふたりきりだったのか、わからない。
ただギーにとって、アランと過ごした一週間は恐怖の思い出として強く残った。
よく夢であの部屋でふたりきりだったことを見るようになった。
アランはあのあとも逮捕されていない。
元々狡猾なアランは、ギーの渡したプロファイリングの知識を最大限生かして、これからも捕まらずに逃げおおせるのだと思った。
数ヶ月経ったある日、匿名希望の相手から警察署宛に大きな包みが届いた。
警戒しながら包装紙を引きはがすと、そのキャンバスには美しい青年の絵が描かれていた。メッセージカードに「happy birthday」と書かれている。
誰が言わずとも、その絵画のモデルがギーだということは明かだった。
ギーはその絵を見た瞬間、恐怖と嫌悪に引き攣った顔をして「捨ててください」と検察に言ったが、重要な遺留品だからと捨てるのは拒否された。
「捕まらないって、自慢しているんだよ」
チェスターが悔しそうに呟いた。また性懲りもなく自分の前に姿を現したりするんじゃあないだろうか。
言い知れぬ恐怖を感じながら、首に触れた。首輪の感触は今もギーの首を夜な夜な絞めつける。早く捕まってほしいものだと思った。
言い忘れていたが、事件の数日後、ギーはレインマンの元にお礼に行った。彼の大好きなマシマロを箱いっぱいに作って持って行ったらたいそう喜んでくれた。
「そうそう、僕も君に渡すものがありますよ?」
レインマンはそう言うと、宝石箱の中から鈍色の指輪を取り出した。
「チェスターくんに返し忘れていました」
「ああ、これ、母の形見なんです」
「ええ。大変強い守護があるみたいですね」
レインマンはにっこりと笑った。
「あなたが見つかったラベンダー畑のログハウスですけれども、あれが目印で見つかったようなものです。ラベンダーの語源って知っていますか?」
まったく知らなかったので首を左右に振ると、レインマンは「鉛色ですよ」と言った。
「鈍色の花……それがあなたを守ってくれたんです」
だからその指輪は大切にするように、とレインマンは言った。
ギーはその指輪を見下ろした。
葬儀のときに渡された、母の大好きだったアンティークの指輪は、煤けてさらに鈍い色をしていた。
(了)
|