(06)親戚、血族

 私の親戚や血族は、頭がよければ弁護士や教育者になり、そうでなければクリエイターになるのがほとんどだ。
  書道の先生、踊りの先生、盲学校の先生、先生の種類も色々ある。
  高校生のとき、親戚のおばさんからプレゼントが送られてきたのでうきうき気分で開けたら、そこには赤いテキストが入っていた。

「花南ちゃんへ。花南ちゃんは頭のいい子だと思っています。間違いを楽しめる子だと思っています。この問題はケンブリッヂ大学の英語のテストと同じくらい難しいけれども、是非解いてみて、間違いを楽しんでください。    おばさんより」

 おばさんは私が英語が苦手なのを知らなかったらしく、ミッション系の大学の問題集を送ってきたのだ。
  書かれている問題は全部よくわからない英語。解こうにも、読解からして既に躓いた。
  律儀にやってみようと思った私も私だが、プレゼントに問題集というあたりが、いかにも勉強が大好きなおばさんらしいと思った。

 クリエイター系の親戚もこれまたびっくりする。
  パリでデザインの仕事をしているか何かで、フランス人の女性と国際結婚した。
  うちの両親もその結婚披露宴に参加してきたが、パリのデザイナーだらけの会場で、司会は全部フランス語。みんなが笑っているシーンで我が家は置いていかれる。
  母親が「服のセンスがいいって褒められたわ」と嬉しそうに語っていたが、パリのデザイナーたちが本当に褒めたのかどうか、そもそも母はどうやってフランス語を理解したのか(少しは理解できるらしいが)わからず、「へえ、そう」としか言いようがなかった。

 どっちに転んでも、すごい人はすごい。
  だけどその一方で、悪い意味で常識のない人たちもたくさんいる。
  親戚のお話を聞いていると、すごいなーと感じるときとこわいなーと感じるときがある。
  自分の母親のところに泊まりに帰って、毒を盛られずに帰ってくることを考える親戚のおじさんもいるくらいだ。

 親戚のほとんどは九州に住んでいるため、私はほとんど会ったことがない。
  探せばきっといい人も、普通の人もいるのだろう。だけど聞く話はどれもびっくりレベルなため、あまりお近づきになりたくないと考えてしまう、失礼な私だった。