(18)排除すべきもの

「日常から無駄なものを排除していくと最後はどうなるんだろう?」
「無駄でないものが残る。君自身が残ることを祈るよ」

 過去のエッセイを漁ったら、自分の好きな本にこういう言葉が載っていたらしい。
  もうどの本だったか忘れたあたり、この本も無駄なもののうちに含まれているのだと思う。
  私の人生から無駄だったものをはぶいたらシンプルになるのかなって考えた。無駄だったものは多かったようで、少ない気がする。
  無駄なようでも何かしら自分の心の栄養分になっているのだ。負の感情であれ、正の感情であれ、私を構成する一部となっている。

 私ひとりですらそうなのだから、世の中にあふれている「無駄」というのは、本当に無駄なのかと考えてしまう。
  世の中にはたしかに無駄なものが多い。だけど私たちが「必要」と判断しているものの中にも、多くの無駄な要素があると思う。無駄かもしれないけど必要と判断されたものと、無駄なだけと判断されたものの差はいったいどこにあるんだろう。

「重要なもののほうが価値があると思うのは人間の傲りである」
  という格言があるらしい。
  一見無駄だと思うものに価値が見出されるから、今の時代はエコとかに目を向け始めたのだろう。

 排除すべきものはなんだろうと今一度考える。
  もしかしたら、「こんなことをしても無駄だ」と思う気持ちが一番いらないかもしれない。
  なんでも自分のためになるんだと思えたらどんなにいいことか。