(19)身に潜む感情

 突然だけど告白しようと思う。実は私はネガティブだ。
  そんなの知っていると言われそうな気がする。むしろネガティブにならない人間なんてどこにもいないだろうという意見もあると思う。
  だけど私の主張としてはこうだ。赤ちゃんが生れたときからネガティブなはずはない。ネガティブは先天性ではなく後天性だと思うのだ。
  だから私は生れたあとにネガティブ病に冒されたんだと思っている。

 後天性のものであれば、治せるんじゃあないかって気がする。
  いつかは赤ちゃんの頃みたいに、愛されるために生れてきたというまっさらな心に戻れるんじゃあないかって気がするのだ。

 私は根暗は嫌いだとは思わない。根明になろうとも思わない。
  だけど自分のネガティブさを見ていると辟易するので、つとめて思考は前向きになるようにしている。
  前向きにするために後ろ向きになることもある。ずんずんと後ろ向きに突き進めば、いずれ壁が見つかって前を向きなおさなければ進めなくなるからだ。

 私の身体にはいっぱいの感情が詰め込まれている。
  ネガティブ以外にもいっぱい感じてきたことがある。それが全部細胞に刻まれていると思う。
  ビールで熟成された牛のように、私の身体も自分の感情で熟成しきった中年にいずれなるだろう。牛と違って美味しいかどうかはもちろんわからない。たぶん不味いと思う。

 何も知らなかった赤ちゃんの頃の純粋な感情と
  酸いも甘いも熟知した中年以降の感情と
  どっちのほうがいいのかはいまだにわからない。
  ただわかることは、もうちょっと根本的なところでポジティブになれないのかしらということ。
  私は横断歩道を渡る小学生のように、前向きと後ろ向きを交互に繰り返している。だから周囲のことがよく見えていないのだ。全体を見渡したいのであれば左右も確認するようにと自分自身に言いたい。