(23)創作衝動

 私は創作意欲が湧かないとき、ミューズに見放されたと言っている。
  ミューズはギリシアの芸術の女神。自分の作品が芸術だなんてとうてい思えないけれども、クリエイティブというのはあの神様が司ってるんじゃあないかって気がする。
  私にとって創作するということは、呼吸するにも等しいものだ。
  モノをつくるということでしか自分であり続けることができない気さえする。
  実際は気のせいなのだろう。モノカキをしなくても生きていられる人の例はたくさん知っている。
  だけど私は、創作しなければ心が死んでしまうのだ。大海原を自由に泳がなければ死んでしまうマグロといっしょである。
  だから始終創作することを考えている。そうして書けないときは不安になる。
「このまま書けなかったらどうしよう」
  と私が言うと、父親は「お前は書くのが仕事じゃないから大丈夫だ」と言う。
  でも実際は、書くのが仕事である。というか、仕事になった。作家というほど大層なものではないけれども書くことでしかお金が稼げない人間である。
  だから創作衝動がなくなるのは死活問題だ。
  ものを書く力、インスピレーションになるものを常に探している。
  インプットするのが1でアウトプットするのが10くらい差が開いている。

 でも、それくらいアウトプットに情熱がないと、書くことは仕事にできない気がするし、「まだまだ書きたいよ」とペンを握りながら寝るくらいの覚悟で、やっとちょこっとお金になる程度だ。
  創作するのは楽しい。
  香りで表現するのも、絵で表現するのも、お菓子作りもアクセサリ作りも、もちろん文章を書くという行為も。
  結局、モノを書かなくなったとしても何かしらの創作はしているのだろう。
  私が創作するのはモノをつくる一族に生れたときから決まっていたのだと思う。
  本能にも等しい情熱で、祈りにも等しい習慣なのだ。