(29)不思議の国のアリス

 不機嫌な女の子、というイメージだと不思議な国のアリスのぶっさいくな顔を思い出す。
  ルイス・キャロルがブス専だったのかはわからないけれども、アリスはともかくすごくぶすっとした顔をしていると思う。うちの妹のちいさい頃の写真を見ても「わたし、満たされてないの」みたいな不機嫌さが前面に出た顔をしている。

 若い頃は不機嫌は子供の美学なのかもしれないと思っていた。
  子供らしく、はつらつと振舞うなんてのはぶりっこの子供がやることだ。だから私たちは不機嫌に振舞うというのが子供の格好いい生き方だと思っているのかもしれないと、本気で考えていたのだ。
  そう考えれば子供は無邪気で明るいものだと思っている大人たちは、子供の真の姿から目をそむけて、自分のあってほしい子供像を追いかけているのかもしれないとも思う。
  しかしそう考える一方で、子供たちもどこかで大人のことを馬鹿にすることで自分のプライドを維持しているのかもしれない。満足したら負けだと思っているのであれば、それは子供の考える「自分のなりたい姿」を追いかけているとは言えないだろうか。

 私の生活はとてもめぐまれている。だけど私はこんなに満たされていない。
  そう考えている子供がどれくらいいるのかは知らない。
  もしかしたら私は恵まれてもいないし、だから満たされていないと思っている子供もいるかもしれない。

 私自身がそうだった気がする。
  かけっこをして楽しむクラスメイトを見て、ただ走るだけの何が楽しいの? と思っていた。
  そして私の母親も幼稚園時代スキップする園児たちを見て似たようなことを思ったらしい。
  実際に楽しくないのだから、楽しくないことを楽しくないと言ってもいいはずである。別に無邪気に振舞う自分が可愛いとは思わない。
  だけど不機嫌を格好いいと勘違いしていた頃のビデオとかを見ると、あまりに不機嫌すぎてそれが格好悪く見えてくるから不思議だ。

 お前は小学生なのにリップサービスもできんのか! と思わず思ったものだけれども、今に至るまでリップサービスの得意な人間ではない。それどころか始終不機嫌な人間のままだ。
  少女はみだりに笑わないものだと思っていたけれども、何故そう思っていたのかはわからない。だけど今にいたるまで、子供は笑っているべきだとも思わない。

 何故そんなに不機嫌な顔をしているの? とアリスに聞くときっとこう答えるだろう。
「だって、楽しくないんですもの」
  楽しくないなら笑えないよな、アリスよ。
  この先アリスが楽しいこと面白いことをたくさん見つけて笑えるようになってほしいものだ。