05

◆◇◆◇
「やっぱりお前に議席は用意できない」
  ルーベルトは僕にそう言った。やっぱりな、という気持ちと、どうしようもなく怒りに近い気持ちが入り混じる。
「ああそうですか。じゃあこの商談はなかったことにしましょう」
  僕はパイプの残りカスを灰皿に捨てると、そのまま彼の執務室を後にした。
  廊下には調度品や美術品の数々が並んでいる。こんなものが欲しいと思うのは貴族だけだ。僕が欲しいものは権力だ。
  大きな玄関を出ると、新雪の中で雪だるまを作っていたヴィリーと彼の彼女と目が合った。
「あ、コルサコフさん。こんにちは!」
  女の子が元気にこちらに挨拶してくる。ヴィリーがこちらに眉をひそめた。
「ただの商談に来ただけですよ。何そんな怖い顔しているんですか」
  こちらの顔を見るだけで眉をひそめるのはやめてほしい。
  ヴィリーは女の子の肩に腕を回すと、ぐっと引っ張って自分の後ろに隠した。傷付くんだよなあ、こういう行動をされると。僕はヴィリーによく思われていないことだけはよくわかった。
「じゃ、お兄さんによろしく言っておいてください」
  そう言って去ろうとした瞬間、後ろから女の子が「またねー」と声をかけてくれた。
  あの子は僕に対してそんなに嫌な印象がないのだろうか。
  この国、プレトリウスで僕は嫌われに嫌われている。別に僕が戦争を始めたわけではないのに、武器を売っているというだけで嫌われている。金持ちというだけで嫌われている。
「人を殺した金で飯を食っている」
  なんて言われるのは朝飯前。人によってはマフィアを牛耳っているのも僕だと思っている。
  僕はただの武器商だ。ただどうやったら殺傷能力の高い武器が作れるか研究するだけのオタクだというのに、どうしてここまで嫌われなきゃいけないのかがわからない。僕のお陰で戦争に勝てたも同然なのに、なぜ憎まれるのかもわからない。
  馬車に乗って自宅に帰る途中、窓に向かって雪球が飛んできた。近所の子供は僕のことが大嫌いだ。
  だけど何度も言うけれど、僕はただの武器商であって、犯罪者じゃあないのに、どうしてこんなに嫌われるのかがわからない。
「こらー、コルサコフの馬車に雪ぶつけちゃ駄目だぞ!」
  窓の外で知り合いの声がした。
「止めてください」
  僕は御者にそう言うと、馬車を降りた。降りたと同時に雪球攻撃の洗礼を受けた。
「うわー! コルサコフが出てきたぞ。逃げろこんちくしょー」
  子供たちが蜘蛛の子を散らすように散り散りに逃げていく。残されたのはジミー=ビアズリーだけだ。
「あいつらには厳しく言ってるんだけどねえ。親たちがあんたのこと敬わないから」
  ジミーは灰色の髪の毛をがりがりと掻きながら呟いた。小柄で喧嘩もあまり強くない、なんのために保安官の特別捜査官なのかわからないのがジミーだった。
「ジミー、今日の事件は何かありましたか?」
「今日どころかここ最近事件らしきものは何も起きてねえよ。だから暇人たちが憎まれっ子を作っていじめるんだろ?」
  憎まれっ子とはおそらく僕のことだろう。ジミーは霜焼けしそうな手のひらを息であたためている。僕は自分の身につけていたカシミヤの手袋を外すと、それをジミーの手に落とした。
「これあんたのだろ? いらないよ」
「手袋を捨てただけです。欲しいならば勝手に拾いなさい」
「へいへい」
  ジミーは手袋に指を通すと、それで頬を叩いて「あったかいや」と笑った。
「イリヤは優しいよな。お前みたいな奴のこと、どうしてみんな嫌うんだろう」
「死の商人というのはインパクトが強いのでしょう。特に多くの大切な人を失ったあとの国にとっては」
「三年前の戦争か……たしかに酷かったもんなあ」
  ジミーは薄紫色の目を細めて呟いた。こいつは二十八歳、こいつの本職の場合、本来ならば戦場に行っていたのだろう。
  つまり、ジミーが女でなかったならば、だ。彼女は男装しているが、列記とした女性なのだ。仕事で嘗められると困るからこういう格好をしているのだと話してくれたことがある。
  つまり、彼女が女性だということを知っている人はあまりいない。
「お仕事はまだ続くんですか?」
「もうすぐ夕食の時間だけど? なんか奢ってくれんの、金持ちくん」
「ただのヴルストとグヤーシュだけの食事でよければ奢りますよ」
「肉だけ? ザワークラウトつけろよ」
「勝手に食べればいいでしょう。ゼンメルとチーズもありますよ」
「さすが金持ちの食事は違うわ。俺、普段ゼンメルとチーズとザワークラウトだけだよ」
  馬車の中に勝手に乗り込むジミーの後ろから僕も馬車に乗る。
ジミーは数少ない、僕に冷たくない人のひとりだった。

 目が覚めたとき、隣に誰かが寝ていることに気づいて僕はぎょっとした。昨日は娼婦を買っていない、ジミーと食事をしていたはずだ。ということは、だ。隣に寝ているのは当然……。
  僕は近くにあったスタンドに灯りをつけた。オレンジ色の明かりに照らされたのは灰色の髪……間違いなく、彼女のものだった。
「ん、」
  ジミーは寝返りをうつと、その裸身を起こした。それなりに筋肉のついた、しなやかな体だ。
「おはよう、イリヤ」
  まだ陽は昇っていないようだったけれどもジミーはおはようと言った。僕は自分と彼女が関係を持ったことにいまだ信じられずに目をぱちくりとさせていた。
  ジミーは床に散らばっていた服を勝手に身につけると、特別捜査官の勲章をポケットに仕舞いながらこっちを振り返った。
「じゃ、俺そろそろ仕事に行ってくるから」
「ちょ、ちょっと待ってください。ジミー」
  僕は思わずジミーを呼び止める。彼女はこちらを面倒くさそうに振り返る。
「僕たち、どうしてこんな関係になったんですか?」
「酔ってて覚えてない」
  ジミーはあっさりそう言った。呆然としている僕の肩を元気に叩いて大声で励ます。
「まあ一夜の過ちくらい許せよ。別に男と寝たわけじゃあないんだし」
「それ、あなたがいいますか? あなたいいんですか? 僕はこの国で一番嫌われている男ですよ? 娼婦だって僕を見ると愛想笑いより先に眉をしかめるというのにっ」
「うわー自虐的!」
  ジミーはけらけらと笑って、目を細めた。
「俺はけっこうあんたのこと好きだけど?」
  呆気にとられている僕に手をあげて、ジミーは「じゃ、そゆことで」と言って去っていった。
  わけがわからない。