写真は好きじゃあないの。彼女はそう言っていた。
  写真写りが悪いからという理由だろうか、と軽く考えていた。彼女は普段写真のことにはふれなかったし、普通に笑う、普通に楽しい少女だった。
  よく桜並木の下を自転車を押しながら、いっしょに歩いた。彼女は昨日のドラマがどんなに面白かったのか話していた。ドラマに興味のないわたしは、そんなことはどうでもよかった。彼女はよく笑う子だった。きれいな笑顔の持ち主だった。

 彼女が、「妻」になったのはそれから10年もあとのことである。
  よくそれまで、付き合ったものだと自分でも感心する。それくらい、いつの間にか妻は日常の一部になっていた。
  妻は結婚式のとき、地味婚にしようと言い出した。
「写真をとりたくないから」
  彼女はそう言った。わたしは結婚の記念が残らないのはさみしいなと彼女に言った。しばらく説得したのち、彼女は仕方がないと諦めて、「そうね。少しさみしいわね」と結婚式に応じてくれた。

 月日は流れて、子供が生まれ、妻が「母」になりわたしが「父」になった頃だった。
「子供の写真まで撮るななんて言わないよな?」
「言わないわよ」
  わたしは生まれたばかりの娘の写真を何枚もとり、ついでにカメラを彼女にも向けた。彼女はにっこり笑った。

 だけど現像した写真に写っていた彼女は、無理に笑っているように感じた。

 しばらくした夏のある日。
  彼女は「ねえ、結婚式の写真と、この前撮った写真はどこにいったのかしら?」と聞いてきた。
  わたしは何か嫌な予感がしながら、ある場所を教えた。
  妻はそれをもって、庭におりていく。不思議に思ってついていくと、庭には彼女が実家からもってきたとおぼしきアルバムが積み上げてあり、それの一番上に、彼女は二枚の写真をおいた。
  そして、無造作にそれに火をつけた。
「何をしている!?」
  そう駆け寄って言った。
「燃やしてるのよ」
  彼女はあっさりそう言った。
「だって、気持ち悪いじゃない」
  理由は教えてくれなかった。彼女はそう言ったきり、ぼうっと写真が燃えるのを見ていた。
  自分の存在を抹消するように、火が写真を黒く蝕んでいくのを眺めていた。
  わたしは何も言えないまま、彼女の横顔を見ていた。

 しばらくして、彼女は娘を幼稚園に送ると言ったまま、帰ってこないで失踪した。
  娘は幼稚園でずっと妻を待っており、連絡がきて、妻のかわりに私が迎えにいった。
  なんて母親だ。娘ひとり残して消えるなんて。私は非常に憤ったのを覚えている。

 さらにしばらくして、彼女は水死体で見つかった。
  時間が経っていたために顔がふやけていた。
  葬式でたてる遺影は彼女が写真を燃やしてしまったがめに一枚もなく、わたしは仕方がないのでそこに彼女が好きだった花を飾った。
 
  何が不満だったのだろう。娘か、わたしか、彼女の両親か、人生にか……
  理由を考えてみたが、自殺に思い至る理由など彼女は一切見せはしなかった。ただ彼女はときおりちょっと感受性が強いような気がする……そういう気がしただけだった。
  葬儀を終えたあと、ふいに彼女の顔が浮かんだ。あの写真の山を燃やした日の、妻の横顔だった。
「だって、気持ち悪いじゃない」
  その意味はいまだに全然わからない。何があってそう感じたのか彼女は説明しないまま逝ってしまった。

 結局、わたしは遺品をひとつも残さず処分した。
「ママは心の中にいるから大丈夫だよね?」
  よくわかっていない娘にそう言って、娘はこくりと頷いた。

 娘は美しい、よく笑う少女に育った。初めて妻と会ったときのように、きれいな笑顔で笑う子になった。
  だけど娘もやはり、写真が嫌いだった。燃やしこそしないが、彼女は写真に写りたがらなかった。
  理由を聞くと娘は笑ってこう言った。
「だって、私じゃあないみたいなんだもの」

 娘はよく笑う子だった。小さい頃撮った写真は、全部可愛い笑顔を浮かべている。
「みんな楽しくもないのに笑ってて、きもちわるいじゃない」
  そう娘は言って、楽しくもなさげに笑った。笑顔を作るのだけは、とても上手な子だった。

 わたしはその日から誰の写真も撮らなくなった。気持ち悪いとは思っていなかったが、気持ちのいいものだと思えなくなってしまった。
  ただ娘の顔と、妻の顔が、遺影のようなモノクロ写真で自分の脳裏に鮮明に焼き付いていた。
  彼女たちは綺麗な笑顔で笑っていた。あまりにもつまらなさそうに、それが人が自分を傷つけない得策なのだとばかりに、無理に笑っていた。

(了)

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