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03

 

03

 ディーノが忘れた書類をとりに車の中まで戻っている間、クラウディオは窓から何時の間にか上っていた月を見上げた。
  月の綺麗な晩だった。
  クラウディオは窓硝子ごしに見える満月をぼんやりながめる。
  月から見た昨日と今日の何が違うというのだろう。
  コンラードが死んでからとその前と、人間が生まれる前とその前と、月から見たらどう違うというのだろう。
「クリアファイルから落ちてやがった」
「おかえり、ディーノ」
  背後でディーノとセルジオのやりとりが聞こえる。
  クラウディオは月を見上げていた。
「お前のご主人様はなんで月なんて見上げてるんだ?」
「目を休めてるんだろ。おそらく」
  セルジオとディーノのやりとりは正直耳にあまり入らなかった。
  ああ、そういうことか。
  月を眺めたときに瞬時に降ってきた、インスピレーションがえらくしっくりときてしまい、これは月の魔女の啓示だと思ってしまった。
「魔女アルテミシアが俺に微笑んだ気がした」
「おいおい。月の魔女様に何入れ知恵されたんだ?」
  セルジオの声が若干笑いを含んだような気がした。そんなセンチメンタルな男だったか? というニュアンスで。
「俺はドン・バドエルのことはよく知らないが、たまによくしてくれた、コンラードのことは兄貴だと思っているんだ。悲しかったし、彼が死んだことはきっと何かの間違いだと思っていた」
  今きたインスピレーションを口にしても咎められるメンバーではないと思い、振り返り、口早に言った。
「死んでくれたのは好都合だ」
  もともとクラウディオのSPであるセルジオのほうが怪訝な顔をした。コンラードの親友のディーノは少し口元が笑っているような気さえした。
「誤解なく言っておく。俺は本当にコンラードを殺してない。コンラードを殺してまで何かをするつもりはなかった。だが、これはチャンスだろう。またとない、チャンスだ。俺がずっと諦めようと思ってた計画を実行に移すことができる」
「計画? そんなこと聞いたことないぞ」
  セルジオが首をかしげる。ディーノはにやつくのを我慢しているような表情だ。
「バドエルファミリーはこのままじゃ没落して、縮小を余儀なくされるか、派閥が小さくなり分裂分派する。武器の密輸と麻薬だけじゃ滅びるのは時間の問題だ。食物類と経済はカヴァリーノファミリーに、貿易と流通は蛇蝎社に、賭博と売春はサバティーニに押さえられていて今更何ができるとぼやきながらな」
「だから、計画ってなんだよ? バドエルファミリーはどうせ俺たちの代か次の代で総崩れだろ?」
  セルジオが当たり前だ、何ができるとつぶやく。
「ドヴァーラは国際空港と唯一線路が繋がってる要の場所だ。それだけじゃない、コンスタンツァ、アジーロ、ベルタマラスケータ……どこに移動するにせよこのドヴァーラを通過する洗礼を受ける。バドエルファミリーが麻薬と武器を売る、一番犯罪者の跋扈する街が中心地だ」
「だから? リチェ国なんてどこだってそんなもんだろ。田舎のほうが人気がなくて援護射撃の期待ができない」
「リチェ国民にとってはどこも一緒だが、海外からの商業マンは安全を買いたいはずだ」
  セルジオの質問にクラウディオは簡潔に答えた。
「各国の大使館があるのもドヴァーラだ。各国の重役はビアトリーチェ・サントアーリオ区まで移動するのにドヴァーラを経由するし、大使館で寝泊まりするゲストもいるだろう。安全は売り物になる」
「なるほど。マフィアが率先して治安維持に協力すればたしかに少し綺麗な街になるかもな。で、そこらへんのチンピラたちはどうする?」
  セルジオはあいつらはマフィアの言うことなんて聞くか? と首を傾げる。
「みんな子供時代に何かあるからああなる」
「ああそうだな。だから?」
「教育を受けてなかったりな。職業が盗みしかない場合もある。仕事さえあればと思っている奴も多いはずだ。あともうひとつ、俺が切り札になる商品だと思うものは、医療だ。安全と医薬品の類と医療機関を牛耳れば、しばらくバドエルファミリーの維持は問題なくなるだろう。仕事を探している犯罪者に資格をとらせるを繰り返せば、大きな病院をいくつか建てるだけの費用でそれは可能だ」
  可能なのか? という表情でセルジオはずっと見ている。土台無理な可能性だけの空論のように聞こえたようだ。
「麻薬を売る仕事から、安全と医薬品を売る仕事に切り替えるっての、俺は面白いと思うぞ」
  ディーノはにんまり笑って、馬鹿にせずに賛同してくれた。
「クラウディオ、コンラードから聞いたとおりだ。コンラードはいつも弟のお前を褒めていた。思い切りがいいことを言っている、って。コンラードはそれが生き残る手段としてはベストなのかもしれないって言ってたな」
「コンラードがそんなこと言ってたのか」
「ああ。コンラードはクラウディオの話を聞くたびに、『そうすりゃバドエル再興も夢じゃないね』って俺に話してたよ。あいつは元々、バドエルファミリーは自分の代で潰えることを覚悟していたからな。それでも伝統とともに心中する気だったみたいだが……それでもクラウディオの案は現代のマフィアっぽくてアリかもなっていつも言ってた」
  故人となった血のつながらない兄が、自分のことを褒めていたということを聞いてクラウディオは少しさびしくもあり、嬉しくもあった。
「俺もアリだと思う。ボスになってから忙しくなりそうだけどな。俺はご老人どもの言うことを聞くだけの大学院生よりも、お前といっしょに仕事したいよ。クラウディオ」
「そう言ってくれるのはありがたいな。ディーノ」
  セルジオはどうだろう? と自分の唯一の部下を振り返ると、セルジオは仕方ないとばかりに肩をすくめてる。
「俺はあんたの部下だよ。好きに使ってくれ、クラウディオ」