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盛り下がる話題

 

05

「夢で篠田くんとコロラヴィの街を歩いてたんですよ」
  勉強の合間の、今日の世間話でまた夢の話題が出てきて篠田はちょっとがっかりしているように見えた。
  特に変わり映えもしない日常で、ナオミはどんな話題を作ればいいのかよくわからない。
「そしたら巨大な隕石が飛んできて、私も篠田くんも吹っ飛ぶ夢を見ました」
「それ、ギャグなの?」
  気を使ってくれたのかそれでも篠田は質問を返してくる。
「まさか。二人とも死にましたよ」
  それに対するナオミの返事はまったく空気が読めてない。
  自分でもよくわかっているのだが、嘘をついても仕方がない。
「隕石の大きさは?」
  さらに篠田は質問してきた。
  ナオミは夢の中の隕石の大きさを思い出そうとした。
  だけど隕石が見えたときは二人とも吹っ飛んでたので大きさがよくわからない。
「たぶん、この部屋くらいの大きさありました」
「コロラヴィが死の街になって、そのあとの展開はケルベロスに視点が移りそうだね。よかったね、ナオミだけでなく、みんな死んでるよ」
「どうしよう、コロラヴィの人たちが死んじゃった」
「夢だけど、どうせならドヴァーラに落とせばよかったのに」
  ふとナオミはもうひとりの視線に気づいてそちらを見る。
  教育係を仰せつかったチェザーレ=ペトラルカがつまらなさそうな、呆れたような表情でこちらを見ている。
「どうかしましたか? ペトラルカさん」
「お前ら若いんだから、そんなネガティブな話題以外で盛り上がれば?」
「え。ネガティブ?」
「今コロラヴィが死の街になったぞ。隕石で篠田とナオミが吹っ飛ぶだけですんだはずの話が膨らみに膨らんで」
「あ、すみません」
  思わず謝ったナオミを見てペトラルカはぼんやりと口を半開きにしている。
  余程話題が面白くなかったのだろう。ナオミは話題作りが苦手だ。
「ところでここまで盛り下げておいてなんだけど」
「え。面白かったですよ? 篠田くんの話」
「いや面白くないよ。ペトラルカがつまらない顔してるし、僕もどうかと思った」
「そうですか。すみません」
  篠田にまで駄目だしをされてしまった。
  素敵な話術の本でも買って勉強するべきだろうか。篠田の貸してくれた交渉術の本には魅力的な話題については書かれていなかったし、どこでその本は手に入るのだろう。
  途方に暮れてうつむいてしまう。
  勉強するノートに視線を落とすと、自分の文字までもが無個性に見えてきて、いやになる。
「ナオミくん」
  ペトラルカの声に顔を上げる。
  教育係は心配するような表情で、顔面ピアスだらけの顔をしかめてこう言った。
「つまらない話題を心配しなくてもいい。盛り下げるのが得意な奴はこのファミリーにはたくさんいる」
「いきなり大勢に駄目だししたね、ペトラルカ」
「篠田黙っとれ。ナオミ、そんな心配するより俺はお前が心配になってきたぞ。今までどうやって生活してきたか知らないが、お前好きなものとかないのか? 欲しいものとか、やってみたいこととか、今までやってたこととか」
  ペトラルカの言葉にナオミは沈黙してしまう。
  不足が十分以上にいきなりなったというのに、これ以上何を望めというのだろうか。それとも自分がつまらないから面白くなれという遠回しな苦情なのだろうか。
「もう一度言うぞ。ナオミから生活臭がまったくしないのが気になるんだ。
  ええとなんだ……昔なんかの映画で、王子様が花嫁候補に『君の好きなものは?』と聞くわけだよ。
  すると花嫁は『王子の好きなものが私の好きなものです』
  王子は『好きな食べものくらいあるでしょ』って聞く。すると花嫁候補は『王子の好物が私の好物です』って答えるわけね。
  これすっごくつまらない女だろ。王子はその花嫁候補とは結婚しなかった」
  自分に盛大な駄目だしがされたのだと思ってしゅんとしていると、続きがあった。
「でもその花嫁はそれが正しいと教えられて育ったわけだな。青でも赤と言え、みたいに。しかたのないことだ。
  ナオミ、今まで考えたらだめだったならば、今からそういうことを探すといいと思うぞ」
  ペトラルカはそこまで言うと、学校の教科書に視線を落とした。
「篠田、お前通信高校って言ってたくせにやたら難しい勉強してるな」
「でしょ。僕もそう思った」
「辞めて正解だったんじゃない?」
「もう未練もないけど、今の台詞は撤回してよ」
「撤回するわ。わりぃ」
  篠田とペトラルカの会話はバックコーラスにしか聞こえない。
  自分の欲しいものがわからない。自分の好きなこともよくわからない。やりたいこともぼんやりとしかわからない。
  何もかも自由に手に入るようになったらやりたいことがなにかあったはずなのに、まったくわからない。
「まず、手に職つけて、それからなにか役にたつことが出来るようになりたいです。身近な人たちに恩返しできるように」
「それは必要なことであって、欲望じゃないだろ」
  ペトラルカは即座にそう答えた。
「誰かが望むことをやる前に、自分の望みを見つけることだ」
  ナオミは自分の望みを考えた。
  あまりない。今困ってないのだから、正直自分の欲にはあまり興味がない。
  必要なことを除いた望み……というのもよくわからない。
  篠田もこちらを見ている。
「ナオミ、欲しいものとかないの?」
  篠田にそう言われて、さっと浮かんだのが篠田と仲良くなりたい、篠田と仲良くなる方法が知りたいだったが、そんなこと本人に言うのもどうかと思って沈黙していると、ペトラルカに「ゆっくり考えろ」と言われた。
「私……物には興味がなくて、あと技術とかも必要なだけあればいいかなって気がしていて……。唯一欲しいものは」
  愛が欲しい。
  どう言えばいいのかわからず言葉を飲み込んでいると、ペトラルカは「欲しいものは?」ともう一度聞いてきた。
「寂しくなければいいです」
  やっと出てきた言葉が情けないと自分でも感じた。
  ペトラルカがそっとナオミの肩に腕を回して、笑った。
「俺はしばらく教育係だ。その正面に座ってる篠田もしばらくナオミといっしょにお勉強するだろうよ。幸いここにはションベン臭いガキは二人しかいない。お前たちはしばらくずっとセットだろう。俺もそうだろうな。心配するな」
「つまらない」
  つまらないと言ったのは篠田だ。
「つまらないよ、ナオミ。さっきのペトラルカの言ってた花嫁候補の話みたいだ。 ナオミ、今すぐなにか欲望を見つけてよ。僕は君と会話を続けるのも限界だ。
  我慢してやってるみたいに聞こえたら悪いけれど、君の興味を早く見つけてくれないと僕が話題が続かないから早く見つけてよ」
「しっ……、あこれは違います」
「し? なんだよ、言いなよ」
「篠田くんと仲良くなりたい、は自分のことじゃないからノーカウントなんですよね。忘れてください」
  篠田が沈黙した。
「じゃあ一方的に僕の興味についてこれから話すけどそれでもいい?」
「はい」
「わかった。君の興味は僕、僕の興味について話せば問題なしだね」
「はい」
  二度、はきはきと「Si(はい)」と答えたのを見て、ペトラルカが複雑そうな顔をした。
「篠田、この生まれて初めて見た奴を親と信じたような女の子にいたずらしたら承知しないぞ」
「何もまだするつもりないよ。失礼だな」
  ペトラルカはそういうつもりでこの話題をふったわけではないのにという表情をしている。
  だけど今のところ、興味なんて他にないのだから仕方がない。
「僕は権力に興味があるんだ」
  篠田のトークのスタートはとても正直だった。
「権力があれば偉くなれるわけじゃないけど、いろいろ可能だからね。そのために必要なスキルと人脈にも興味がある」
「権力を手に入れたらしたいことがあるんですか?」
「今のところまだ考えてないけれど、権力が手に入る頃にはやらなきゃいけないことが山積みだろうし暇はないだろうね」
  ペトラルカが隣から「ナオミ、篠田は考えなおせ」と言った。
「さっきコロラヴィにはこいつしか若いのがいないって言ったけれど、紹介するから他の奴にしておけ。ちょっと年はいってるけど二十代の年上は好きか?」
「ちょっと。いったい何の話? 僕の興味にまで駄目だししたら許さないよ」
  ペトラルカと篠田が話している話題がちょっとおもしろくて、ナオミは口元をほころばせた。
  すぐに篠田がふりかえり「何笑ってるの」と言った。
「なんだかちょっとおもしろくて」
  ペトラルカと篠田は顔を見合わせると、ナオミを見て「どこが?」と同時に聞き返してきた。
  ナオミは何が面白かったのかよくわからないが、面白くなって笑ってしまった。
「どうしよう。ついにナオミが狂ったみたいだ」
「笑うと可愛いよくらい言えよ。篠田」
  そのちぐはぐな会話がナオミには面白かった。
  言ったところで何がと言われて終わりなのはわかっていたが、平和な日々を感じさせる一瞬だった。