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01

 

 ロッチア・ブーケはドヴァーラからかなり南にある、コンスタンツァ州で一番大きな街だ。
  といっても、その規模は首都ドヴァーラや、経済特区アジーロなんかとは比べ物にならないくらい小さい。
  道は広々としているし、ビルとビルで空が切り取られているなんてSF的風景が広がっているわけでもない。
  田舎にしては発展している。その程度の街の規模だ。
  にもかかわらず、ロッチア・ブーケのことをコンスタンツァ州の田舎者たちは都会だと思っている。それくらい、のどかな風景が続いているのがコンスタンツァ州だ。
  リチェルカヴェーラ国の食物生産率のほぼ99%はこのコンスタンツァ州で作られてリチェルカヴェーラ国の隅々まで運ばれる。
  重要な食べ物の裏にはやはりマフィアの姿がある。
  このど田舎の食べ物を支配しているのはカヴァリーノファミリーだ。
  カヴァリーノファミリーは農民からショバ代のピッツォと交渉の手数料をもらっている。
  その代わり、農民たちが生活に困らないよう、リチェルカヴェーラ国の国民の胃袋をいつでも握っているのだと各地に対して睨みを効かせている。
  そのため、リチェルカヴェーラ国は食物生産率が国民を養って余りあるほどあるのだが、カヴァリーノファミリーを怒らせればその地域の食べ物は翌日からスーパーに並ばないだろうとも言われている。

 今回サシャが殺すように言われたのはそのカヴァリーノファミリーの部下だった。
  内容を見た限りではそのマフィアが農民や誰かに恨まれているようには見えなかったので、何か利益がらみでの暗殺依頼なのだろう。
  依頼人のほとんどは自分勝手だ。少なくともサシャの受けた依頼のほとんどが、これは殺される相手が悪いと思うようなケースではなかった。
  どうしても殺してやりたい奴を殺し屋に依頼するケースなんてそんなにないのだ。
  だいたいは殺される必要のない人が殺されるのだ。
  サシャに良心の呵責がまったくないわけではなかったが、それ以上に世の中大事なのはお金だと信じていた。
  お金を馬鹿にしたら貧乏になる。お金を愛せばお金持ちになる。
  サシャはお金を心から愛していたので、誰かの私利私欲の犠牲になる人は可哀想だと思ったが、自分が殺していることそのものに罪の意識はなかった。
  自分で殺すこともできない人たちの罪の意識まで肩代わりする必要なんてない。はっきりそう割り切っていた。

 ロッチアブーケの街を歩きながら、情報屋のゾーエからもらった情報を思い出す。
  殺すマフィアの顔はもうインプット済みだ。
  カヴァリーノ本社から自宅に帰る時に通る道と、時間も。
  時計を見た。4時だ。だいたいこれくらいの時間に、ノースキャロライナ通りから西にある自宅へつながる道を抜ける。
  情報によるとロッチア・ブーケの海岸に向けてはこの道以外は遠回りをしないと抜けられないようだ。
  よってこの道は大変混雑する。非常に殺すのに良い条件だ。
  なるべく足がつくのは嫌だから下調べはしたくない。
  通りがけに見つけて殺してしまいたいが、見つからなかったら別の機会を伺うために滞在せずに帰るつもりだった。
  サシャは件の通りからまっすぐ前に見えるカヴァリーノ本社を見上げた。
  あそこからターゲットがやってくる。
  大きなビルだ。ドヴァーラには飽きるほど乱立しているが、ここにある大きなビルはカヴァリーノ本社とあといくつかしかない。
「おかしいな。待ち合わせのカフェってどこだよ?」
  そんなものはないが、誰かと待ち合わせしている風を装いながら双眼鏡を覗く。
「あ、いたいた! おーい、こっちこっち!」
  サシャはあらぬ方向に手を振り、人混みを見渡せるところへ移動した。
「遅れてごめーん、今駅についたばかりで……あれ。見失った?」
  きょろきょろと周りを見渡し、双眼鏡を覗く。
  猿芝居だが、演技力を問われるようなものでもない。
「気のせいだったのかな。居たと思ったのに……」
  用心深くターゲットの姿を探す。遠くから歩いてくる、品のいいスーツを着た男を見つけた。
  あいつだ。おしゃれなネクタイだな。血で汚れるのは勿体無いと思ったが、そっちに笑顔を作る。
「どっちに向かって歩いてんだよ。俺こっちに居るっての!」
  手を振る。ターゲットより奥に友人がいるようなフリをして。
「そこで待ってろ。俺がそっちに行くからさ」
  そう言って双眼鏡を下ろして、一気にそっちへ人混みをかきわけて進んでいく。
  ターゲットはサシャに道を譲ろうとした。紳士的な男だった。
  サシャは右手に隠し持っていたメスを持つ手に力をこめて、道を譲ってくれたターゲットの腹にずぶりと刺した。
  そしてそのまま、死んだか死んでないかは確かめずに人混みを掻き分けて道の向こうへと抜けきった。
  後ろで悲鳴が聞こえ、サシャは後ろを振り返った。
「何かあったの?」
  通行人の誰かが近くでそう呟いた。
「もしこんな狭い通りで銃撃戦なんてあったらたまんないな」
  サシャはぼそっと呟く。隣にいた男が顔色を変えて、一目散に逃げようとした。同じく逃げようとする流れに乗って、サシャはその通りから一気に離れる。

 サシャは公園を一人で歩きながら、ここまで逃げたなら大丈夫だろうと速度を落としゆっくり歩き出した。
「Pronto? ああ、はぐれちゃったな。あの通りなんかあったみたいだからあとで別のところで落ち合おう。ロッチアブーケって田舎だと思ってたけれど案外危ないんだな。あ、すみません。馬鹿になんてしてないって。びっくりした拍子につい……うん、あとで会おう」
  携帯に向かってひとりごとをぶつぶつ言って、電話を切ったフリをする。
  公園を歩いていると、警備員が見回りをしている。
  マフィアとはいえ、人が殺されれば警戒態勢が敷かれるのは当然だ。
  警備員はこちらをちらちらと見ているような気がした。
  猿芝居が過ぎただろうか。
  リチェルカヴェーラ国民は外部からのスパイを恐れるあまり、よそ者に対して特に目が厳しい。
  サシャは自分が見られていることに気づいているぞと不本意そうな顔をした。
  よそ者ですが、あなたが思ってるようなやましいことは何もしていませんという顔だ。
  警備員はこちらをじろりと見た。お前、見ない顔だな。という表情で。
「失礼ですが……」
  警備員がこちらに歩いてきてそう声をかけた。
  メスはもう持ってないし、旅行かばんも持っている。依頼主の書類はおいてきた。胡散臭くても何も証拠はないはずだ。
「はい、なんでしょう」
  毅然として身分証明書を見せて、友達に会いに来たと言ってしまおうと決めた。友達のところまで連れていけとは言われないはずだ。

「医者、ですか」
「そうですよ。きちんとロスタアリスタ国立大学を卒業しています。知ってのとおり国トップの大学の医学部です」
「はあ」
  興味ないと生返事が返ってくるが、サシャはなんで自分がこんな扱いを受けるんだとばかりに憤慨するフリをした。
「それで、ロッチア・ブーケにはどんな用事で?」
「私を疑ってるならまず弁護士を呼んでください。あなたに私を詰問する権利がないと言わせます」
「そうですか。向こうの通りでメスが凶器の犯行があったとしても?」
「メスが凶器だから医者が犯人ですか!? じゃあ包丁が凶器だったらコックが犯人ですか。鉛筆が凶器だったら学生が犯人ですか!?」
  警備員は答えずこちらを無言で睨む。
「仮に私が容疑者ならあなたに医者であるなんて言うと思いますか。メスが凶器に使われてるなんて知るわけがない。あんたこそ名乗るべきだ。もしくはどこに所属しているのか名乗れ。あんたの上司は誰だ!?」
「仕事で職務質問したんです。失礼だと言うのであれば私の詰め所まできてください。上司を紹介します」
  激高するフリをすれば引っ込むかとおもいきや、案外タフな相手だった。これはマズい。指紋を念のためとか言われたら非常にマズい。
「私の事務所を訴えてくれて構いません。署まできてください」
  男が手首を握った。ここまできたら猿芝居続行だ。
  サシャは手を振り払う。
「あんたの会社はどこだ?」
「こちらです」
  指紋さえとらせなければまったく問題はない。
  そしてサシャが殺したという証拠がなければ、指紋をとる権利もない。
  堂々としていればいい。相手の言い分に合わせる必要なんてない。
  そう思って歩き出そうとした時、コートを引っ張られて後ろを振り返った。
  可愛い男の子が、こちらをじっと見ている。
「悪いことしたの?」
  男の子は不安げにそう聞いてきた。無碍に振り払うことはない。
「何もしてないよ」
「行っちゃやだ。また戻ってくる?」
  子供は不安げな表情を作った。警備員が「その子は?」と聞いてくるも、サシャだって知らない。
「この人、お医者さんだよ」
  子供はそう言った。
「僕のお医者さんだよ」
  これはチャンスだろうか。それとも知らないと振り払ったほうが賢明なのだろうか。嘘を重ねるにはリスクがある。
「僕、お母さんはどこなのかな?」
  警備員が穏やかな口調でそう聞いた。
  子供はその質問に答えず、サシャの後ろに隠れる。
「怖くないよ。出ておいで」
「僕のお医者さん連れていかないで」
  これは、どういう風の吹き回しかしらないが、この男の子を利用する手はない。
「わかりましたか? 医者なんですよ。さっき身分証明も見せたし、必要なら医院に電話してくれれば同僚が証明してくれます」
「でもあなた、さっき観光でロッチア・ブーケに来た、友人と会うためにって言ってたのに、この子とどう関係があるんですか?」
  こじれた。やっぱりまずいやり方をしたようだ。
「なんで連れてくの? 僕のお医者さんなのに」
  子供は咎めるような声で警備員に食ってかかった。
「僕はどこから来たの?」
「質問に答えてよ。僕のお医者さんをどうして連れてくの?」
「この人は坊やのお医者さんじゃないでしょ」
「僕のお医者さんだよ。昨日パパが電話してた。僕は頭が病気だからお医者さんがいるんだって。僕の病気を治せるお医者さんが今日くるよって言ってたんだ。僕が死んだらあんたのせいだ」
  チャンスなのだろうか。それともこじれるケースなのだろうか。
「ともかくこの人は違うと思うよ。なんならお父さんのところに連れていってほしいな。きっとそれですべてわかるから」
  とても最悪なこじれかたをしている気がする。子供はムキになっているし、サシャは今更違うとも言えず、仕方なく子供が案内するほうへ向かった。
  大きな屋敷の前でインターホンを押し、警備員が事情を話すと柵が自動的に開いた。
  屋敷の中に入ると、そこで父親と思しき男が出迎えてくれた。
「どうも。アウグスト=ベリーニと申します。その子の父親です」
  男の顔は子供とあまり似ていなかったが、嘘をついている感じではなかった。
「この男の事情聴取の最中にこの子が割り込んできて、僕の医者だと言いはるんです。そんな事実があるのかどうか、あなたにお確かめしたくて」
  ベリーニ氏はこちらをちらりと見た。
  もうバレる時は一瞬なのだから、ふてぶてしく不機嫌な顔を決め込んでいた。運良くこの男が勘違いするなんてことはないだろうが、自分から後ろめたい顔をする必要はない。
「ええ。医者を雇うことにしましたが……」
  ベリーニ氏は言葉を濁した。
「彼ではない、そうですよね?」
  警備員は念を押すようにそう言った。
「思ったより若い先生だったみたいです。腕のよい医者だと聞いてたので、てっきり歳を召した方を想像してました」
  ベリーニ氏はすぐにそう言った。警備員は顔をしかめる。
「この人をかばうと殺人幇助罪に問われるかもしれないですよ?」
「いったいこの人が何をしたという容疑がかかってるのか知りませんが、私の雇った人に何か問題があるのですか? 何があったのでしょうか。彼は今日、この家に来ると言ってませんでしたか? もし違うのだとしたら他人ですが……たぶんこの人で間違いないと思います。ご本人が違うと言うのでしたら私の勘違いになりますが」
  サシャは警備員のほうを「ほら!」とばかりに睨みつけた。
  警備員は謝罪することもなく、疑いの目でこちらを睨みながら、自分の勘は正しいのにと言いたげな顔で帰っていった。
  アウグストはこちらを見た。
「こちらに来る早々、嫌なところを見せてしまいましたね。先生の名前はなんでしたっけ? メモをとるのを忘れてしまって」
「サシャ=ハルトマンと申します。よろしく」
「よろしくお願いします」
  あまりにすんなり行き過ぎではないだろうか。すっかり信じきっているというよりは、何か作為的なものを感じる。
「ところで、主治医は本当に私でよろしいのですか? ご年配の医者期待していたのでは?」
「ああ、それならいいのです」
  アウグストはにっこり笑い、答え合わせとばかりに話しだした。
「あなたはこの子のお友達になれそうですから。こちらに来る予定の医者をお断りします」
「私、先ほど容疑をかけられてたんですけれど、よろしいのですか?」
「あなたはすぐにご友人にディナーのキャンセルの電話をかけてくれるのであれば、私はあなたの言葉をそのまま信じます。あなたが医者であるのは嘘で、実は人殺しだと言うのであれば話は別になりますが……」
「医者ですよ。友達には今電話をかけます。きっと驚くと思いますが、ちょうど仕事も切れ目ですし」
  そう言ってアドレス帳を検索しながら、サシャは面倒なことになりそうだと思った。
  数ヶ月だけ医者として仕事をこちらでして、ドヴァーラに戻るということを相棒のバティステッラに説明しなければならない。
  同時に今友人の誘いを断ってるというポーズもとらなくてはならない。

「はい。ハルトマン医院です」
「ステラちゃん? 実はね」
「いつ帰ってくるの? 今日はあなたの好きな煮込みハンバーグって決めてたのに」
「実はね、今ロッチア・ブーケについたところなんだけど、とあるお宅にいてね」
「あら。帰ってこれない用事ができたのね」
「さっきさー、あんたが殺したんだろって警備員に食ってかかられてさー」
「それ当たりなの? はずれなの?」
「言いがかりもいいところだよね。私が医者だってことを言ってもあの警備員信じてくれないの。そこに男の子がいきなり来て、このお医者さん僕のって言い出してね」
「それ作り話?」
「ううん。作り話じゃないの。本当。それで男の子の家まで警備員さんがついてきてさ」
「そこでバレなかったの?」
「男の子のお父様がたいそう私を気に入ってくれたみたいで、私のことを主治医だって言ってくれたわけよ」
「それ、そのお父さんに迷惑かけたらだめよ? サシャ」
「もちろん。つまり今日の、あなたの美味しい煮込みハンバーグはキャンセルになるんだけど、ごめーん」
「まあ。素晴らしいわ。私ハンバーグ二つ食べちゃおうかな」
「え」
「これだからそんな危険なお仕事金になるからって続けるのはどうかって言ったのに。ちょっとそこで反省してきなさい。私はサシャが数年帰ってこなくたって寂しくないから」
「え」
「はーい、次の人! 私仕事あるから、またね」
  電話をがちゃんと切る音がした。
  サシャは携帯電話をポケットに仕舞い、アウグストに苦笑いをする。
「とてもお世話になったそのご家族によろしくだそうです。彼女はハンバーグを二つ食べれることを喜んでました」
「ははは。今夜シェフにハンバーグを用意させますよ。そんなにがっかりしないでください」
  馬鹿を言え。帰りたいんだと思いながら、自分のミスを全面的にカバーしてくれたアウグストに悪いことも言えない。バティステッラが言うように、数年こちらで過ごして容疑を晴らすのが無難な選択だろう。
  サシャは男の子を見下ろした。男の子はこちらをじっと見ていた。
「君のお医者さんのサシャだよ。ええと……」
「僕、リノ。よろしく、サシャ!」
「よろしく。今夜はハンバーグだってさ。よかったね」
「わーい!」
  サシャは素直に喜ぶリノに違和感があった。
  だけどこの時はリノのことを子供だと思って甘く見ていた。