back

02

 

 

 アリスロッサはそこまでサシャの記憶をたどると、一度サシャの過去の情報からアクセスを切り離した。
  リノやアウグストは間違いなく「何かの意図」があってサシャを庇ったように見えたからだ。
  サシャを庇う理由が彼らにはなかった。
  ということは、彼らの中に何か思い当たる理由があるのだ。
  過去から戻ってきたアリスロッサは、自分の霊が今どこに現れたのかを確認した。
  いつも情報の海を泳ぐ時のように現実に戻ってきたつもりだ。
  事実、アリスロッサはいつものようにノートパソコンの前に戻ってきた。彼女の部屋には出て行った時と同じように自分の死体とロビーノが今も佇んでいるわけではなかった。
  かわりに鑑識の人間が自分の死体があったところにテープを張っている。
  アリスロッサは自分の死体がどこに運ばれたのかには興味がなかった。
  そのうち自分の本名も身元もバレて、ミステリアスな女性というわけではなくなる。
  ただの変身願望のある、嘘つき女が何かのミスで殺されたと処理されるか、もし鼻の効く捜査官がいるならばロビーノのことを嗅ぎ当てるかもしれない。
  ロビーノが捕まることは望んでいないが、アリスロッサは殺されたのだ。少しばかりあの何でも屋がピンチになることくらい、どうでもよかった。
  ロビーノは調子に乗ってるから少しこれに凝りて自分から危険なお友達と付き合う癖をやめればいい。
  ロビーノは自分でなんとかするだろう。
  なんとかできなかったら捕まるかもしれないが、今のアリスロッサにはどうしようもない。
  アリスロッサは普段ロビーノと自分しか知らない場所に出入りしている見知らぬ男たちを無視して隠れ家の外に出た。
  こんな時まで玄関から出て、階段を降りていくのだから習慣とは恐ろしいものだ。死んだことを忘れてるわけではないが、どうも死んだという感覚が馴染んでいないのを自分でひしひしと感じる。
  さて、これから先どうするべきか。
  雑踏を歩く人間は誰ひとりアリスロッサの姿など見えていない。
  アリスロッサの身体を通過していく肉体のある人々を無視してアリスロッサもずんずん歩く。
「サシャが殺したわけじゃなさそうだった」
  歩きながら、感想をぽつりと呟く。
  もちろん殺した男の顔をアリスロッサは覚えているし、その男のことが心当たりがないわけではない。
  まったく知らない顔だったが、おそらくロビーノの知っている奴だろうと思ったし、よく聞くサシャという名前の男を最初に調べただけだった。
  まったく違う顔の作りだった。
  サシャはややガリア系の血が入っている。殺した男とは違う人種の顔立ちだ。
  ロビーノからよく聞く名前を思い出そうと思った。
  よく聞くのはシャルルとサシャ、そしてあいつ。
  あいつが怪しいなと思いながら、まったくあいつだけでは情報にアクセスしようがなかったので、シャルルの情報にアクセスしてみようと思った。
  シャルルは名前からしてヨーロッパ人だろうし、アリスロッサを殺したあいつとは顔立ちも違うだろう。
  だけどあいつの名前を知るのはサシャ、シャルル、あとはロビーノの情報を読むしかない。
  ロビーノは最後に回そうと思った。
  おおかたロビーノの記憶にアクセスすれば容疑者の名前はわかると予想は立っていたし、この際だから原因そのものから洗い出そうと思っていたのだ。
  犯人の顔はアリスロッサ自身が覚えているのだから、名前や殺されるまでの経緯、そいつがどうなるかに至っては過去を見ていれば自然とわかるだろう。

 アリスロッサにとって、殺されてしまったあとの自分の身体に未練はなかった。もう自分の所有物ではないのだから。
  彼女を突き動かしたのは好奇心だった。
  長く情報と縁のあったアリスロッサはこれは知る価値のある情報だと確信していた。

 色々考えながら歩いている間に、彼女は公園に出てきた。
  市場の雑踏を振り返り、ここなら気が散らないことを確認する。
  アリスロッサは目を閉じて神経を研ぎ澄ました。
  ノートパソコンを持ってくることはできなかったが、いつものように目の前にノートパソコンがあるのをイメージした。
  そこからどんな情報にだってアクセスできるのだと意識して、情報に検索をかけだした。
  シャルル。
  そんな名前の男はごまんといる。
  ロビーノと仲のいい男、殺し屋、変な奴によく親しげに話しかけられる、人相がいいとは言えない男。
  アリスロッサのアクセスできる情報は膨大だ。
  サシャの情報を探す時と同じように、該当するシャルルを見つけるのには少しばかり集中力が必要だった。
  そしてようやく、シャルル=デ・ラ・ロサという男が正解だろうと確信を持った。
  その男の記憶に向かって潜り込もうとした――。

 シャルルの記憶の海に潜ると、すごい抵抗力を感じた。
  この男はまず人に対していい感情を抱いていない。
  嫌いな奴のほうが多いのだということを肌で感じた。
  構わず記憶の壁を突破するために深く深く潜っていくと、いくつもの出て行けという感情にぶつかる。
  アリスロッサは死んでいるのだから、これ以上どうなっても知るものかとシャルルの魂の警告を無視して、そのまま奥へと突き進んだ。
  やがて海のようなゼリーのような空間を抜けて、記憶の間に出た。
  シャルルの記憶の間はサシャの記憶の間のように本棚の続く廊下ではなかった。
  シャルルの空間は迷路のように階段がたくさんある大広間のようなところだった。階段を登っているかと思ったら下っているし、あっちへ行ったと思ったら違うところに出ている。
  そして空間には青い炎を灯したろうそくが浮いていた。
  そのろうそく一つ一つに、シャルルの感情や記憶が、浮いては消え、浮いては消えとゆらめいていた。
  アリスロッサはその冷たいようで温かく、火傷しそうな色をしているのに、触れると傷つけるつもりのない繊細な炎のゆらぎを注意深く目で追いながら、気になる情報はないか階段を上がったり下がったりした。
  シャルルの記憶の中で面白そうなものをいくつか発見し、目星をつけてから一つ目にアクセスすることにした。