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03

 

 

 サシャとリノが出会う一ヶ月前程、
  シャルルは愛する女性と知り合うことになる。

 シャルルは、大切な人を作るつもりがなかった。
  大切な人なんて、作ろうとしてできるものではないが、ともかくそんな関係はしがらみにしかならないとシャルルは思っていた。
  シャルルはそこまで愛してしまったならきっと自分は何をおいてもその人を見捨てることができないことがわかっていた。
  見捨てられるなら大切なわけではないし、見捨てられないならばきっと自分の立場が不利になる。
  そんな関係は自分の身を危険にするだろうとシャルルは知っていた。
  だからシャルルは大切な人は要らないと決めていた。

 アリスロッサはシャルルがバーのスツールに座っているのをじっと後ろから見つめた。
  シャルルは人気のないバーでそこのマスターとじっと向き合っていた。
「ご注文は?」
「水」
「水ですね」
  マスターは少し呆れたような口調でシャルルに水を差し出した。
  シャルルは黙って水を受け取り、口をつける。
「仕事は上々ですか」
「ああ。今終えてきたばかりだ」
「それはお疲れ様です。ああ、頼まれていた燻製肉が見つかりましたよ」
「そうか。どこにある?」
「奥にあります。いらっしゃいますか?」
  アリスロッサはこの不自然なやりとりをじっと見守り、シャルルがマスターに奥の部屋に通されるのに合わせて扉の向こうに入った。
  マスターは棚の上からトランクを取り出し、それを机の上に置く。
  音は重量感があった。マスターはシャルルに重たいトランクをぐっとシャルルに押して渡す。
  シャルルはそのトランクケースの中身を確認せずに持って帰ろうとした。
「中身を騙したと思われたくない。確かめてくれ」
「めんどくせえな。どうせ数えきれないんだ、いちゃもんなんてつけられるか」
  シャルルはそう言うと外に出た。
  誰もいないと思っていた酒場には酔っ払った客が一人きていた。
「ジョルノは居ないのか! おい、お前誰だよ?」
  シャルルは無表情だ。答える理由があるのかとばかりに。
「お客様ですよ。サンチョさん」
  すぐに後ろからマスターが出てきて、そう言う。
「そいつの持ってるトランクケースなんだよ? 金か? 金だな」
「いったい何の映画ですか。燻製肉のセットですよ」
「なんでトランクケースに燻製が入ってるんだよ?」
  胡散臭いのはそのとおりだが、ここで絡みすぎるとこの酔っぱらい、そのまま殺されるのではないだろうか。
  アリスロッサはそんなこと気にならなかったが、シャルルがどういう行動に出るのかは気になった。
  シャルルは無言でトランクケースをカウンターの端に置く。
  静かに開くと、中には燻製肉がぎっしり並んでいた。
「ここの燻製肉美味いからな」
  シャルルはぼそっと呟く。男が触る前にトランクケースの蓋を閉じると、「また注文にくる」と言い外に出た。

 シャルルは寄り道せずに隠れ家に戻った。
  燻製肉をどかして、奥の隠しスペースにある金を取り出す。
  数えるのは面倒くさかったし、いちゃもんをつける気持ちもなかったが、偽金でないことだけは確認した。
  少し多いことに気づいた。
  ジョルノは情報屋だから色を乗せてくれるわけがないのだが、約束よりも札束が一つ多いのは何故なのだろう。
  燻製肉をどかしていると、メッセージカードを見つける。
「いつも我がバールの商品を買っていただき、お世話になっています。
今回は燻製肉と少しばかりのサービスを追加させていただきました。
おまけでついているそれは、いつもご贔屓いただいてる肉屋のほうから
ほんの少しお礼がしたいとのことです。
びっくりされたかもしれませんが、お代を余計にとることはありませんので、どうぞご賞味ください」
  まるで燻製肉といっしょについてきたソーセージのパックのことかと思うような文章だが、実際は金のことだということは明白だった。
  札束一つ分のサービスなんてあるわけがない。
  つまりこれは汚れた金なのだろう。依頼主が始末に困って押し付けられたのだ。
「ふざけた真似しやがって」
  金に罪はないし、きれいな金にこだわりなんてなかったが、どの金が汚れた金なのかわからないと足のつかない安全な金もわからない。
「貯金だな。貯金崩して、こっち貯金だな」
  諦めたようにシャルルは呟き、燻製肉を冷蔵庫に投げ込んだ。

 

 

 シャルルの両親は生まれてすぐのシャルルを親戚のデ・ラ・ロサ家に預けて失踪してしまった。
  ちょっとのつもりで預かったデ・ラ・ロサ家には当然子供がいた。
  デ・ラ・ロサ家は三人の実子を育てるだけでも精一杯だったのに、親戚の子供を無理やり引き取らされた形になった。
  大家族の末っ子、もらわれっ子として育てられたシャルルはおとなしい幼少期を過ごした。
  小学生の終わり、デ・ラ・ロサ氏は務めていた会社から解雇された。
  デ・ラ・ロサ氏はまじめな人だった。理由は会社の一方的な都合だったが、訴える費用もなかったので、デ・ラ・ロサ氏は新しい職を探すことになった。
  デ・ラ・ロサ氏は新しい会社をすぐ見つけることができた。
  だけどその本社はリチェルカヴェーラ国にあって、デ・ラ・ロサ家はスペインから移住を余儀なくされた。
  もちろん、シャルルにスペインに残る選択肢などなかった。

 シャルルは頭は悪くなかったが、中学当初の成績はさんざんなものだった。
  スペインの隣にあるイタリア語の文法と似ているのに、ところどころ単語の意味そのものが違うリチェルカヴェーラ語は、シャルルを混乱させるのに十分な難解さだった。
  加えて、中学校では隣国の言語であるイタリア語や、一般的教養である英語やフランス語も入ってくる。
  シャルルは参考書を買ってもらいたかったが、デ・ラ・ロサ夫妻は常に実子のおさがりをシャルルに使わせた。
  やぶけてページがなかったり、アンダーラインが意味もなく引いてあったり、らくがきして見えないその参考書を我慢強く使い、中学最後の年には悪くない成績を収めた。
  シャルルは最初成績が悪いから馬鹿にされていた。
  成績がよくなってからはよくわからない理由でけなされた。
  傷つかないわけではなかったが、成績のいい学校に行けばそんな偏見はなくなるだろうとどこかでタカをくくっていた。中学だけの付き合いなのだと。
  シャルルの担任はいい成績のシャルルに対して正当な評価をしていたし、シャルルは同級生は嫌いだったが、教師にはある程度信頼を置いていた。
  進路を決める段になり、担任教師はこう言った。
「この子はとても頭がいい。そして我慢強く、努力家でもある。よい教育を受けられる環境が必要です。彼は間違いなく優秀な生徒だ」
  デ・ラ・ロサ氏は大変喜んだ。
「だけどうちにはお金がないんです」
  デ・ラ・ロサ氏は困ったとばかりにそう言った。
  困った風を装ってはいたが、デ・ラ・ロサ氏はシャルルにお金を極力使いたくないのだというのがアリスロッサにもよくわかるくらいだ。
  見え透いたケチ臭い根性に、教師は苛ついた。
「あなたは子供の一生をなんだと思ってるんです?」
  咎めるような口調でそう言った。
「あなたはただの教師でしょ。親が金を出すんだ、この子はうちの予算に合うところに行かせるつもりだ」
  教師はシャルルに奨学金をもらって良い高校に進むように言った。
  シャルルはそれを辞退した。
  良い教育を受けるには奨学金だけで足りなくなるのは見えていた。そしてその機会に学校をやめるように言われるであろうことも。
  子供三人、養子一人を育てるのは大変だということは事実だが、確実に実子とシャルルの間には温度差があった。
  デ・ラ・ロサ家はシャルルを邪険にもしなかったが、特に大事にもしなかった。
  シャルルは大人しく一番お金のかからない高校に進んだ。

 高校は頭の悪い学校でシャルルを退屈させた。
  金もないから余計時間を持て余した。
  実子の長男はその頃就職していた。新しいパソコンを買うついでに、古いパソコンをシャルルに譲ってくれた。
  長男は明らかにシャルルのヒエラルキーが低いことを気にしていた。
「おさがりで悪いな。でも、パソコンがあると色々便利だから」
  長男はおさがりをよくくれた。
  他の姉弟はいらないものをくれたが、長男は使用感のないものをわざと飽きたと言ってはシャルルにくれた。
  長男は両親のシャルルの扱いに不満を感じていたし、粗末に扱わなければ気が済まない親を軽蔑していた。
  それでも逆らうほどの経済力はなかった。
  出来ることといえば、シャルルのために買ったものを、飽きたと言ってシャルルにあげることだけだった。
  アリスロッサはシャルルがこの長男のそんな思いに気づいていないことを鈍いと感じた。
「いつも俺のほしがってるもをあんたすぐ飽きるんだな」
  シャルルはパソコンをもらったときもそう言った。
「新しいものをあげると怒られるから」
  シャルルの不平に耐えかねて、ぼそっと呟いた長男の答えに、シャルルは目を見開いた。
  長男はしばらくして、金が貯まったらしくどこかへ引っ越してしまった。
  シャルルは謝る機会を逃したことを悔やんだ。

 高校を卒業するまでの間に、長男がくれたもので手に入る娯楽も知識もあった。だけどどんなにガリ勉になったところで未来が開けるわけではないことは学習済みだった。
  シャルルはぼんやりとパソコンを眺めていた。
  たまに「退屈」とか「死ね」とか書いてみることもあった。面白くもなんともなく、つまらない気持ちが倍になったのを感じた。
  シャルルは中学生の頃ほどやる気も情熱もないまま、高校を卒業して、両親が望んだとおり、実子たちより給料の少ない職場を選んだ。
  ようやく、一人暮らしを始めた。開放された気分だった。
  彼が独り立ちした時に持っていたのはダンボール一つに収まる量だけだった。いや、二つだった。
  大きな荷物は長男がくれたパソコンと、着替えなどが入ったダンボールだけだ。
  そのパソコンもシャルルが働き出してしばらく使ってないうちに、メンテナンスが悪かったのか電源が入らなくなった。
  シャルルはアジーロの工場地帯にある小さな工場で仕事をしていた。
  あまり金にはならなかったし、退屈だった。出世するチャンスもなさそうだった。
  だけどシャルルはだから殺し屋になったわけではない。
  シャルルはよく働いた。やけっぱちになることはなかった。

 

 シャルルが初めて人を殺した時、周りに誰もいなかった。
  パンの入った紙袋を大事そうに抱えていたら、それを金だと思ったらしく、強盗に絡まれた。
  銃を突きつけられたシャルルは、彼の言うとおりに人気のないところまでゆっくり移動した。
  中身がパンだと知ったらきっと殺される。
  シャルルは人気のないところまでいって、男の言うとおり、ゆっくり自分の足元に重たい札束を置くような演技で食パンを置いた。
  強盗はシャルルに去るように言った。
  シャルルはこの男は殺す気など最初からなかった、脅しなのだと知って安心したと同時に、この男がパンだと知る前に動かないとどういう行動に出るかわからないと思った。
  ダッシュで逃げれば撃たれる前に逃げられるだろうか。きっと背後から撃たれる。
  シャルルはしゃがんだまま、頭の中で生き残る方法をあらん限り考えた。
「実は」
「あ?」
「金はまだあるんだ」
  シャルルはそう言った。男が後ろで興奮してるのが空気で伝わってくる。
「その金だけじゃなく?」
「ああ。これは……リーダーに持っていくように言われたんだ。俺のリーダーは金を持ってる。これを持ってきたところに案内するから、俺のことを見逃してくれ」
「その金置いて去れって言ったはずだけど? 何、そのサービス」
「あんたに金をやるよ。誓って誰にもあんたのことを話さない。でも、これは金じゃないんだ。もっとびっくりするものだ。あんたもこの中身を見れば、きっと話が本当だってわかる」
「開けろよ」
「だが、あんた俺の共犯者になるぞ」
「開けろ!」
  男はシャルルに銃をつきつけた。
  シャルルは言葉をつなぎながら、チャンスを慎重に探った。
  シャルルはふう、と息を吐く。
  じりじりと、跪いてる足を男の足元に近づけながらゆっくりと紙袋を開く。
(この暗さなら、確認できないはずだ)
  シャルルはこの中身がパンだとバレないことを祈った。
  食パンは暗闇の中で、黒い四角い物体にしか見えなかった。
「なんだ、ブラックボックスか?」
  男が顔をかがめた瞬間、バランスの悪くなった足を思い切り蹴り飛ばした。
  前のめりになった男は、びっくりしたようにシャルルめがけて身体をひねり、銃を撃とうとした。
  照準はシャルルに間違いなく向いていたし、失敗したとシャルルも息を呑んだ。
  銃は火を吹かなかった。理由はわからなかったが、シャルルは驚いてる男の胴体を踏みつけ、銃を奪った。
  男を踏みつけたまま、銃を確認する。安全弁を外してないなんてミスではなかったし、だったら何故死ななかったのかわからなかった。
  シャルルは銃を男に向けて、試しに撃った。むなしい音だけ聞こえて、弾は出なかった。
  凝りずにもう一度撃った。男が悲鳴をあげることなく死んだ。
  パンは血に染まったので食べられる感じではなかった。
  シャルルは男が死んだ結果を見て、弾がいくつか足りてないことを知った。
  これはこの男の所有物じゃないのか。
  でなかったら男が弾が足りないなんてことを知らないわけがない。
「こいつのものでないものを俺がもらったとしたら、足がつかないな」
  シャルルは護身用とばかりに、銃を持ち帰ることにした。