08
結果、フランカは粘り勝ちした。
シャルルに根性がなかったわけではない。運悪く不動産屋を出た直後にフランカに鉢合わせしたのだ。
私に殺し方を教えてくれないなら、農薬の瓶をそこの水飲み場に落としてくると脅されたシャルルは、フランカが本気でやると思った。
本気でその結果がどうなるのか予想できないほどの浅はかな子なのだとわかっていた。
ダイニングテーブルに毒物知識の本、それとバニラエッセンスの瓶を転がした。
転がった小瓶はフランカの手前まで転がっていき、彼女の手の中で動きを止める。
「バニラエッセンス?」
「それを俺にばれないように、俺の珈琲に垂らせるようになってから殺しにいかないと、間違いなくバレるぞ」
「わかった。テストね!」
フランカの嬉しそうな声に、本当にリスクだと感じていないのだということを再確認した。
「お前がつかまると俺も危ないからな」
やるなら、絶対ばれないやり方をしてほしいものだ。
そんなことは無理に決っているが、せめて自分に罪がかからないように細工はしたい。
「殺したいのは誰だ?」
「お母さん」
フランカはバニラエッセンスの瓶を大事そうに手の中に収めて、苦しそうな表情で訴えてきた。
「私の弟はね、愛人の子なの。ママはパパと別れる気がなかった。だからリノは私たちといっしょに暮らしていて、血縁上の父親とは離れて暮らしているの。なのに、ママったらまた浮気しているのよ。許せない」
まくしたてるように自分を正義なのだと説明するフランカに、シャルルは妙に冷めた気持ちだった。
「それだけ?」
「もう可哀想な弟や妹は欲しくないの。パパが悲しむ顔も見たくないの」
「浮気したママを許したパパは、ママを愛してるんじゃないのか?」
「シャルルに何がわかるってのよ!?」
「可哀想なのは殺されそうなママだろ」
シャルルは呆れたように、もう一度言った。
「許せないならお前は浮気しなきゃいいだろ。やっぱりバニラエッセンス返せ」
フランカはバニラエッセンスをあっさり返した。
「止める気?」
「勝手にすればいい。その本はやる」
シャルルはフランカが殺すのを諦めると思っていた。
フランカはシャルルにもらった本の知識で、母親を毒殺した。
シャルルの誤算はそれだけではなかった。
フランカは、弟のリノに毒を混ぜてるところを目撃されたのだ。しかも中途半端な劇物を選んだせいで、母親が壮絶な絶命をしたこと。
さらなる誤算は、リノが誰にもフランカのことをばらさなかったこと。
フランカは秘密を一人で抱えられるほど強い子ではなかった。
シャルルの元と訪ねて、一部始終を告白した。
二十歳の彼には無知な中学生の貧困な想像力がこれほどまでとは想像がつかなかった。
わあわあ泣き出すフランカをシャルルはそっと抱きとめた。
シャルルの記憶で強烈に残っていたものは、抱きしめた華奢な15歳の少女の背中だった。
15歳の少女を戻れない道へと進ませたことに、シャルルは責任を感じている。
だが、アリスロッサには、シャルルが傷ついたように見えた。
一人でいる時のシャルルより、ずっとずっと傷ついているような背中だったからだ。
アリスロッサにはシャルルが冷たいのか、優しいのかわからない。