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子供は悪魔のふりをした天使

 

 

 子供を懐かせる手段は単純だ。しかし人によってそれは至難の業だ。
  愛してくれる人に子供はすぐ心を開く。
  そして下心のある人はどんなに優しくしてくれても嫌い。
  そんな簡単な方程式にサシャはやっと気づいた。
  それからは早かった。

 アウグストはサシャに仕事部屋兼寝る部屋として一部屋貸してくれていた。
  サシャの仕事といえば、リノの健康管理だけなのだが、その実体の良い、リノのベビーシッター役のようなものだ。
  リノはアウグストが用意した子供部屋が気に入らないようで、よくサシャの部屋に遊びにきた。
  そしてサシャの買った本に手をのばそうとする。
  卑猥な本こそ買っていなかったものの、中には子供が見るのに相応しくないノンフィクションもあったため、サシャは理由をつけてはリノから取り上げていた。
「これはおじさんの本だから読んじゃだめ」
  と言えば、リノは不服そうな顔こそすれ、逆らうことはなかった。
  リノはほとんどのサシャの本に手を伸ばし、ほとんどの本を禁止された。
  つまらないと眉をひそめて、サシャの部屋をあとにしたとき、サシャはバツの悪いような、ほっとしたような気持ちになった。

 その日、サシャは昼寝から目を覚ました。
  寝返りを打つと、ベッドにより掛かるアッシュグレイの小さな頭を見つけた。
  リノはサシャが起きたことに気づかないくらい、何かを一生懸命読んでいた。
「何を読んでるの?」
  そう聞いた声に咎めの気持ちが入っていなかったと言ったら嘘になる。
  サシャは自分の本をリノが盗み読みしていると思ったのだ。
  リノはサシャを見上げると、ベッドの上に読んでいた本を開いて見せた。
「おねえちゃんの教科書だよ」
  リノはそう言った。行方不明になった中学生の姉の教科書のようだ。
「退屈じゃない?」
  こんなものが子供に理解できるのだろうか? そう思ってサシャはリノに聞いた。
「絵本より面白いよ。因数分解とか、パズルみたい」
「ふうん。わかるんだね」
  驚いた。この子はもとより頭がいいと思っていたが、もしかしたら中学生の内容がこの年齢で理解できるのかもしれない。
「ノートに解いてみる?」
  サシャはこの年齢で知育することでどんな影響が出るか知っていたが、興味のものを奪うことがどんなことに繋がるかも知っていた。
  少しだけやらせてみよう。自分の買った大学ノートの一冊をリノに渡した。
  リノは初めて握ったボールペンに少し興奮しているように見えた。
「ボールペンだ! ノートも大人の使ってるやつだ」
  クレヨンしか普段握らせてもらってないリノは、覚束ない手つきでボールペンを握っていた。それでも拙い動きで、確実に中学生レベルの因数分解を解いていた。
  リノには中学生レベルのこの問題が理解できるし、解く方法もわかっている。
「あれ、これどうやって解くの?」
「ああ、それはたすき掛けにするんだよ」
「難しい。わかんない」
「そうねえ。リノには早いかな」
「因数分解っていつ教えてもらえるの?」
「あと10年後くらいかな」
「15歳なんておじいちゃんだよ」
「お兄さんはおじいちゃん以上の年齢なんだけどな」
  サシャは苦笑いする。リノはサシャの顔を見上げて、強請った。
「サシャ、数学教えて」
「うーん、負の数は知ってる?」
「うん」
「虚数は?」
「知らない」
「じゃあお外で運動したあとに、虚数教えてあげよう」

 リノの珍言は色々あった。
  アリスロッサの中でも印象的なものは次のようなものだ。

「お父さんが僕を捨てていって、パパが拾ってくれた。だからパパは大好き!」
  嘘である。。
「お姉ちゃんは僕が生まれたからパパが傷ついたって言ってた。お姉ちゃんが生まれたときはママも傷ついたのかな?」
  皮肉もいいところだ。
「女の人を僕は見ている。僕が見てることを知って、女の人たちは悪いことをする」
  本当のことだ。
  母は浮気をおもちゃを買い与えることで黙らせ、
  姉は毒殺をお菓子で黙認させた。
「僕は体が弱いまま死ぬのかな? 死んだらサシャの子供に今度はなりたい」
  どこで覚えたのだろう。このあざとい殺し文句は。
  確実に言えることは、リノはサシャに心を開きだした。
  リノは今まで秘密にしていたこと、誰にも言えなかったことを少しずつサシャに教えてくれるようになった。
  サシャの部屋に始終いりびたり、次第と執事にエンツォよりサシャに勉強を教えてもらいたがった。
  子供に懐かれて嫌だと思うほどサシャも子供嫌いではなかった。
  あまりにサシャがリノのことを可愛がるものだから、アリスロッサはサシャがいつリノによからぬちょっかいを出すのか心配なくらいだった。