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決定打はいつだって一線を超えたとき

 

 アリスロッサは殺されたことに大変憤慨している。
  だけど燕にとって誰かを殺すこと、それが誰であるかなど大した差ではなかった。

 大事なのは彼が淋しいということ。
  寂しくて淋しくて仕方がないということ。

 大事なのは彼が傷ついたということ。
  傷つきすぎて痛みなどわからないということ。

 アリスロッサは燕の記憶を読んだときに自分の恋人が燕に向かってぶつけていた言葉を思い出した。
「おい、シャルル、あんなメイクの失敗した奴と付き合うのやめろよ。お前正気か?」
「シャルル、燕はお前が話を聞いてくれるから都合がいいんだって。あいつにとっちゃ話を聞いてくれる同情的な奴なら、シャルルじゃなくたっていいんだ」
「あいつムカつく。俺のことオカマだって言いやがった。自分の顔見ろっての、あんなべったり紫色のアイシャドウ塗っておいて」
  以下略。ロビーノはともかく燕に対しての態度はアリスロッサの前のその態度とは真反対と言っていいほどひどかった。
  シャルルが「ロビーノはともかく燕が気に入らないんだな」と呆れたのもわかるような気がする。
  燕はたしかにおかしな挙動がたくさんあった。
  それがロビーノの社交的な美学にいちいち反対だということも、アリスロッサにはよくわかっている。
  たしかに燕と彼らはウマが合わなかった。
  ロビーノは特に燕を冷たくあしらった。
  ロビーノは自分の気持ちにとても正直な男だった。
  社交的に接するときは接するが、一切優しさを使うべきでないと思った相手に対してこういう態度だったことは今に始まったことではない。
  アリスロッサを殺した――悪いのは燕だ。
  だけどその原因はたぶん、ロビーノたちにある。
「ロビーノ、死んだ私が言うのもなんだけど、取り返しのつかないミスってあるのよ? 魔女の言い伝えでもやったことは必ず自分に返ってくるってあるでしょう?」
  アリスロッサは怒るのもバカバカしくなって、記憶の中のロビーノにそう言った。
  それでも、燕に近づくべきでないというロビーノの動物的な勘は正しかったようにも感じる。
  その証拠に――

◆◇◆◇
「くそぅ、むしゃくしゃする」
  夕日に染まったドヴァーラの公園を歩きながら、燕は歯をくいしばっていた。
  シャルルは燕とロビーノが仲良くなることを半ば諦めていた。
  ロビーノにリップサービスさせるのも、燕にロビーノはいいやつなのだと説明することも限界があると諦め始めていた。
  もう友達のところには連れて行くまい。
  燕は燕の気の合う仲間を、作ったほうがいいだろう。
「こういう時は、ぱあーっと気晴らしに好きなことでもしてきたらどうだ? 楽しいうちに忘れられることもある」
  このあと酒でも飲んで、愚痴でも聞いて、日を置いて燕は別の友達がいいんじゃないだろうかと言ってみればいいだけだ。
  シャルルは軽い気持ちでそう言った。
「いいこと言うねえ」
  燕は目を糸目にして笑った。
  これは碌なことを考えていないぞと思っていると、やはり獲物を定めるように公園の隅々を見渡しはじめた。
「そうだ。あの隅っこにいる女の子を殺そう。そうすればきっと気が晴れ……」
  ひとりごとのようにそう言って、燕は懐から暗器を取り出そうとした。
  シャルルはどの女の子だ? と視線をそちらに向ける。
  年端もいかない迷子の女の子だとわかった瞬間、そちらにふらふら近づいていこうとする燕の肩をつかんだ。
「まだ子供だぞ。何考えてる」
「子供だってリチェ国民だろ。関係ないって」
  そこまで言って、燕はしまったという表情をして笑った。
「あ、シャルルはリチェ人だとしても特別だからな。殺したりしねーって」
  何が、シャルルは特別だ。
  そんな特別になれたからといって嬉しいわけがない。
「あのなあ、燕。お前が移民で苦労したのは知ってるがあの子はお前を苦しめたクラスメイトじゃないし、お前がリチェ人だからって殺すのはクラスメイトがお前にした仕打ちとなんら変わらないだろ?」
  肩をつかんだまま、シャルルはたしなめるようにそう言った。
  いや、たしなめるようにというには少しばかり、イラついていた。
「あんたまでそんなこと言うわけ?」
  燕はシャルルのイラつきを敏感に覚り、不快さを露わにした。
「俺はリチェ人だろうが外国人だろうが関係ないが、子供か大人かくらいの分別はあるぞ。抵抗できないようなチビに手を出すのはやめろ」
  燕はシャルルのつかんでいた肩の手を乱暴に払い除け、やや神経過敏に大声で怒鳴った。
「命令すんなよ! 俺はやりたいようにやる!」
  その大声に驚き、その女の子は人混みの多いほうへと走って逃げた。
  それを見届ける前に、シャルルの不機嫌さもピークを迎えた。
「そうか……じゃあここでお別れだ。俺はお前のそういうところは許せない」
  燕の神経過敏さはさらに電圧を上げた。
「あんた、そう言って俺のことをコントロールしようとしているんだろ!」
  言ってるがいい。シャルルはもう燕に付き合うつもりはない。
  誤解したければするがいいと思いながら、燕に背中を向ける。
「なんだよ! あんたしか俺の友達いないのにっ」
「知るか。追いかけてきても無駄だからな」
  だんだん燕が遠くになっていった。 シャルルは燕が追いかけてこないのを確認すると、ロビーノの言葉を思い出した。
「『あいつは同情的なら誰でもいい。シャルルじゃなくたっていいんだ』だっけ?」
  そうかも。と胸中呟く。
  そうかもしれないが、もうどうでもよかった。

◆◇◆◇

 ――と、その証拠に、燕はシャルルが別れる理由には頓着せずに、自分が裏切られたのだと固く信じきっていた。
  燕はまだ殺してもいないことでシャルルが怒り心頭になった理由がわからなかった。わからず動揺し、そして結論は
  ロビーノが何か吹き込んだのだろうというものだった。

 完全に被害妄想だった。
  サシャはおろか、ロビーノの説得さえ、シャルルは今の今まで耳を傾けたことはなかったからだ。
  燕はサシャとロビーノを絶対に不幸にしてやると誓った。
  アリスロッサすら最悪に不幸な気分になる。
「そして私が殺されたわけか。完璧に巻き添え食らったわけね。特にロビーノの巻き添え」
  自分が理路整然とした理由で殺されたならここまで不毛さを感じなかった。
  もしくは燕がアリスロッサを殺したことで幸せになれるなら、ここまで不幸な気分にもならなかった。
  悲しいことは、燕が、淋しくなれば自分と同じところまでロビーノが堕ちてくるだろうという短絡的な思考をしていることと、これで燕が幸せになる道などないことと、ロビーノが不幸せな気持ちを押し殺して犯人を探していることと、おまけのように自分が死んだこと。

 燕はトレードマークの長髪を切り捨てた。
  美容師の「とてもお似合いですよ」という言葉に喜ぶこともなく、外に出てくる。
  おかっぱヘアーの燕を、アリスロッサは失恋した女性のようだなと感じた。
  おそらく似たようなものだ。