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迷走と躊躇

 

 燕はシャルルを殺したらその後どうするつもりだったのか……。
  また別の友達を探すつもりだったのか、それとも自分も死ぬつもりだったのか、アリスロッサには分からない。
  燕はともかく憎しみに全身を支配されているように見えた。
  シャルルのことを考えたとき、今は友と過ごした楽しい気持ちよりも憎しみそのものが湧いてきているようだ。

 これくらいしてやってもいい。
  これくらいしても許されるはずだ。

 誰にでも心当たりのある感情である。
  殺されたアリスロッサですら、怒りで普段より気が大きくなった。
  他人の過去を覗くことが越権行為だとしても、自分は殺されたのだからこれくらいしてもいいだろうと思ったのだ。
  怒りは怖れを消し去り、やさしい気持ちも消し去る。

 アリスロッサはバティステッラを殺し損ねたあとの燕の後ろをつけていった。
  燕はシャルルがフランカを住まわせるために借りている家を突き止めているようだった。
  手に書いた住所を見ながら、標識を確かめながら、確信のある足取りでゆっくりと確実にフランカの家へと近づいている。
  ドヴァーラの北にある、西ほど富裕層の多くない、それでもいくぶんか南方面よりは静かな住宅街の中にある一軒家がフランカの家だ。
  今フランカはデパートメントで化粧品のアドバイザーをやりながらここで暮らしている。そこまでは調べがついていた。
  燕はフランカの家の表札に「ベリーニ」と書いてあるのを見て、燕は間違いなくここはフランカ=ベリーニの家だということを確信したようだ。
  ここで待ちぶせするのはあまりに目立つ。そう考えたようで、燕は一度踵を返した。
  再び人混みに混じってフランカの勤め先のあるデパートメントのほうへ行こうとした、その時だった。
「伏せろ! 狙われてる奴がいるぞ!」
  誰かがそう叫んだ。燕は即座に身をかがめる。
  背後で誰かが弾にあたったようで、悲鳴を上げている。
「警備隊と救急車に電話を!」
  燕は撃たれた人に構うことなく、銃弾の飛んできた方向へと走りだした。
  だいたいあそこのあたりから飛んできた……とアタリをつけた三階建てくらいの建物に登る。
  誰かがいるわけではなかった。
「シャルルが使ってる弾の匂いだ」
  弾の匂いにさほど差があるわけではないが、それは燕の相棒だったシャルルが愛用していた銃から香る匂いとよく似ているような気がしたようで、燕はこれはシャルルの仕業だと思ったようだ。
  ただの決めつけにすぎないそれは、今回はジャストヒットだった。
  ロビーノたちから連絡を受けたシャルルは、真っ先にフランカの身の安全を確保した。
  そしてフランカを安全と思しきところに匿うと、迷わず燕を殺しに向かったのだ。
  階段を降りてる最中、下階から警備隊の制服を着た男たちが登ってきた。
「すみません。身分証明を」
  警備員の一人がそう言うのを聞くやいなや、燕は警備員を突き飛ばして逃げた。
  警備員はそのまま階段を転げ落ち、アリスロッサも肉体がなくなったことを忘れて思わず警備員を避けた。もう一人の警備員が負傷した警備員を抱き起こしている間に、燕はまんまと逃げおおせた。
  アリスロッサが燕に追いついたとき、燕は公園で卵につけた丸太パンを焼いて塩をふったマガトーストを食べていた。
  ガツガツとマガトーストを食べきり、紙袋をポイ捨てしながら、燕は呟く。
「リチェ人は東洋人のハーフだってたくさんいるのに、なんで俺のこと好きになってくれる奴いなかったんだろう。俺が何か悪いことをしたのか?」
  悪いこと、と呟き、燕の焦点は停止していた。
「俺が悪かったとしても、俺だけが悪いわけじゃないよ」
  燕はそう結論づけた。
  アリスロッサはその気持ちがわからないわけではなかった。
  だけどリチェ人だけが悪いわけでもないのだから、なんとも複雑な事情だった。

「ニュースをお伝えします。
北ドヴァーラにて正午ごろ、流れ弾にあたった一般人が救急車で搬送されました。
被害者の命に別状はないとのことです。
警備隊は現在逃亡中の東洋人の男を指名手配中。
髪の長さは肩ほどで、青白い顔をしています。モンタージュはこちらになります」
  ホテルで銃を磨きながら、シャルルは幸運なことに自分の顔はバレてないことをテレビで知った。
  そして人混みの中ではきちんと確認しそこねた、燕の髪型が変わったことをこんな偶然によって知ることができた。
「珈琲入ったわよ。シャルル」
  フランカが隣からコーヒーを差し出してくる。
  シャルルはコーヒーを一口飲んだ。フランカはシャルルの隣に座った。
「この人が私を殺そうとしている人?」
「ああ」
「悪い奴なのね」
  フランカの言葉にシャルルは少しだけ沈黙した。
  アリスロッサはシャルルがどう答えるのか、じっと見つめた。
「……見てのとおり運の悪い奴だ」
「喧嘩して嫌いになったんでしょう? なんでかばうの?」
「かばってない」
「本当に?」
  アリスロッサの目から見ても、シャルルがまだ燕に同情的なのはよくわかるくらいだ。フランカは疑い深いというよりも、やや不思議そうな目でシャルルを見つめていた。
  シャルルの表情は無表情を装っているが、唇や目のアタリがひくついたり、震えていた。
  何か燕と昔話したことを思い出したのかもしれない。
「仲直りできないかって考えてたでしょう?」
  フランカがアリスロッサのかわりにストレートに質問した。
「いや……ああ、あいつ本当に、本当に、運が悪い奴だったな。ツキが落ちに落ちまくったのだけは覚えてる」
  シャルルは誤魔化すようにフランカにそう言って、コーヒーをもう一口飲んだ。
「このまま放置しておけば、きっと捕まって俺の手を汚さずに済むなあってちょっと考えてた」
「それでいいの?」
「そっちのほうが楽だな」
「最後に何も話さなくていいの?」
「何話すんだよ? あいつ思い込み強いから聞く耳持たないって」
  シャルルの眉間には苦悩を隠しているかのようなシワが寄っていた。

 アリスロッサを殺した一週間後には燕がシャルルに殺されかけた。
  古の魔女アルテミシアも世界は、やったことは自分にそのまま返ってくるのだと言っていた。
  シャルルは燕のことを社会的に抹消する気があった。
  心では同情する部分もあったが、フランカを守るために。
  シャルルは弾を銃に詰めて、ニュースで今も流れている通り魔のモンタージュを確認する。
  そちらのほうに銃口を一度上げかけて、そっと下ろすのがアリスロッサからは見えた。
  珍しく躊躇している。
  シャルルはそっとテレビを消した。
  シャルルはターゲットを確認するチャンスを自ら棒に振るような行為を自ら選択するくらい動揺していた。
  シャルルは知っているのだ。
  燕には、こうすれば良かったという模範解答などなかったことも、また燕が話しの通じない、思い込みの強い、行動力のある困った人だということも。
  スペインから来たシャルルにもベストアンサーなんてなかった。
「私の命と友情どっちが大切なのよ」
  フランカの視線を感じて、シャルルはため息をつく。
「フランカをとるのは当たり前だ。あいつがどうなったって自業自得…………………………だ」
「言いながら後悔してる〜」
  フランカはシャルルの頬をつつく。
  邪険にされながらフランカはシャルルに抱きついた。
「そう言ってくれると思ってた。ありがとうシャルル」
  これはやっぱり燕を取りますとは言いがたい空気である。
  アリスロッサはそれでもシャルルは燕を取るべきではないだろうと思った。
  燕といっしょにいる行為は、すなわちシャルルの寿命を縮める行為だからだ。