sinoda_porker


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Bella dolciastra, vino dolciastro.

 ベルタマラスケータ、トリノホテルに某日来られたし。
  この招待状は当然他の人にも配られたものだろうということが予想された。
  招待状に書いてある集合場所は六階VIPルーム。カジノルームのすぐ上にあるフロアのようだった。
  宿は大事を考えて別のところに偽名でとった。
  篠田は蝶ネクタイを締めて、久しぶりのスーツに袖を通す。
  篠田は今年十六歳だ。まだほんのひよっこだ。もちろんマフィアとしての権力よりも庇護下に置かれているというほうが正確なのだ。
  粋がるように仕立ててもらったスーツに袖を通す気なんて、本当はなかった。
  できれば大人になるまでマフィアとしての仕事なんてしたくない。
  鏡の中のスーツを着た自分は、やはり歳不相応に大人びて見えた。
  鏡に向かって「あなたは誰?」と言いたくなるくらいだ。
  答えなど返ってくるわけもないのだけれど。

 

 VIPルームのエレベーターが開いた。
緊張と警戒を解かないまま、そのホールにいる人間を見渡す。
髭面の中年と、オールバックの黒髪の男。それにゴシックロリータの格好をしたベリーショートヘアーの少女と、その隣に何人か刺してそうな男。
篠田はどの人間も話しかけられそうな雰囲気ではなかったので、少し離れたところで壁に背凭れた。
程なくしてドレス姿の長い黒髪の女、そのあとに中華の格好をした黒髪の男たち、最後に騒がしい男の子といっしょに銀髪のオールバックの男が入ってきた。
もうこれ以上人が増えないであろうということは、時間を見てもよくわかった。この脅迫状で時間ギリギリに遅刻のリスクを犯す者などいないだろう。
「あ、俺以外にも子供がいる! おーい」
子供というのが自分のことを言っているのだと気づいたのは、最後のうるさい少年がこっちに手を振ったからだ。
彼はばたばたと大きな足音で近づいてきた。
「俺、ヒューゴだよ。あんたアジア人?」
「リチェ在住の日本人だよ」
名乗るべきかは考えた。懐かれても困るし、慣れ合うことも難しい環境だ。
ヒューゴは篠田が名乗らないことなど意に返さず、目をぱっと輝かせた。
「日本人! こけし知ってる。あんた、こけしだ!」
「せめて日本人形くらい言ってよ」
前髪を数日前に自分で切ったのは失敗だった。ヒューゴはこちらをまじまじと見て、こう質問してきた。
「あんた、忍者なの?」
今までマフィアの親戚なのかと聞かれることはあっても忍者かと聞かれたことはなかった。
篠田は呆れ半分に首を振って否定する。
「みんな日本人は忍者じゃないって言うけれど忍者なんだよ」
何を忍ぶというのだろう。耐え忍ぶ者という意味では当たってるかもしれないが。
沈黙していたホールにヒューゴと篠田の声だけが響く。あまり注目を浴びたくないし、こいつと話したくもないなと思っていたところでもう一人話しかけてきた。
「わあ。私だけ? 女の子」
青と緑のきらきら光るドレスをひらめかせ、東洋人の女が微笑む。
「私は玉麗よ。よろしく」
「僕は篠田だよ」
「あ。俺のときは名乗らなかったくせに!」
思わず名乗ってしまったことを反省するよりもヒューゴのうざったい発言が耳につく。
「あそこにも女の子いるよ! すごく可愛い」
ロリータ少女を指さしてヒューゴはそう言った。隣の男がこちらを目障りそうに見た。
玉麗も「まあ、隣の男はチンピラね」と言ってその男を指さした。
こいつらはよくこれで、スパイやマフィアの養成国と言われるこの国で生きてこれたなと感心する。このうかつさで足を掬われないほうがおかしい。
「たしかに人相の悪い人も何人かいるみたいだけれど、みんな何かを人質にとられたんでしょ。そういう意味じゃみんな仲間だ」
刺々しい空気を少し抑えようと思い、そう言うと玉麗とヒューゴがこちらを見て「和の国から来たんだね」と感心したように言ったが、和ませる意図なんてない。攻撃体制を解除しただけだ。

 十字の鐘が鳴った。
奥の部屋から一人のディーラーの格好をした女が現れ、その後ろから仮面をつけた二人の女が歩いてくる。
「こんばんは。本ゲームのレフェリーを任された虎子(フーズー)だよ。よろしくね」
ふざけるなと言う者もいなかったが、よろしくと応じる者もいなかった。
「第一回戦を始めるよ。第一回戦はギャンブルで勝利した人にそれだけお金が振り込まれる」
「ルールは?」
オールバックの男が質問する。
「ポーカー。知らない人はいないよね?」
「そうじゃない。ゲームと言うからには、ポーカー以外にも規則があるんだろう?」
「ああ、それなら参加用のバッヂを偽らない、ゲーム中争わない、ゲーム中誰かを殺さないというルールさえ守ってくれれば何をしてくれてもいいよ。もちろん、ここは魔女の島だから……魔女の血を引く者は異能を使ってくれてもかまわない」
魔女の島を強調したところを見ると、そういうアクシデントを望んでいるようにさえ聞こえた。
リチェルカヴェーラ国にはかつて五人の魔女がいて、それが現在の州の名前になっている。
魔女の血を引く者は不思議な能力が使える場合が多い。もっとも、今は血が薄まりすぎてそんな能力を誰もが持っているわけではないわけだが。
篠田は拳を握りしめた。篠田の中にも魔女の血は流れているようで、生まれつき怪力だったり、動体視力がよかったりする。
ポーカーで使えそうなのはせいぜいが動体視力のほうだが、それもどれくらい有効なものかはわからなかった。
「じゃあ、クジを引いてもらおうかな」
虎子に促されて、全員がクジを引いた。
赤いこよりはAグループ、青いこよりはBグループ。ところが篠田のこよりは黄色かった。
「あら、私も黄色よ。よろしくね」
玉麗がこちらに微笑む。頭の良くなさそうな女が相手でほとほと助かったと感じた。

「私たちはあまりみたいね。二人だけで勝負みたい」
一時間後から開始だと言われ、閉じ込められた密室で彼女はワインを見つけて歓喜の声をあげる。
「このワインすごく好きなの。ねえ、篠田。いっしょに飲みましょうよ」
「僕、未成年だよ」
「女だけ酔わせる気? 付き合って。ねえねえ」
「嫌だ」
「ほら、美味しいわよ?」
差し出されたワインを邪険に払おうとした。その瞬間、玉麗のドレスにワインが派手にかかった。
「ごめん」
「ひどい。私のドレス、高かったのに!」
「悪かった。弁償させるから」
「そんなの関係ないわ。ひどい、めちゃくちゃよ。せっかくおめかししてきたのに」
さめざめと泣き出す玉麗にハンカチを渡すと、ハンカチの白が赤く染まった。よほど派手にかけてしまったようだ。
「ねえ、篠田くん。私、そんな気にいらないことをしたのかしら」
玉麗は嗚咽を漏らしながらそう言う。
心底そんなことはどうでもいいと感じたが、このままだとゲームさえやり始めそうな雰囲気ではなかった。
「あと五分になります」
まだ泣き続けるつもりか。ディーラーが入ってきても派手に泣いている玉麗は、どう考えても嘘泣きだ。
だけど自分が酷い男に映るのはかまわないが、このままゲームがスタートしないのはナオミの命に関わると思った。
「玉麗、あのワインを飲んだらいいの?」
ぴたりと泣き止んだ玉麗が満面の笑顔で「わかればいいのよ」と言った。たまにすごくイラつく女に当たるが、これはどういうめぐり合わせなのだろう。
玉麗は新しいグラスにワインを二つ注ぐと、篠田に渡してきた。
乾杯。と言ってお互いワインを飲み干す。
「スタートから五分経ちました」
ディーラーに催促され、やっとの思いでデッキについた。
篠田は配られたトランプを見て、その中からどうやって3カードを作るか考えた。
たいてい3カードになれば勝てるとファウストは言っていたし、おそらくカジノで勝負になるであろうと予想し、カジノの勝ち方のセオリーはおさらいしてきた。
何枚も捨てるのは得策じゃなかったはずだ。捨てるなら一枚か、よくて二枚。捨てて配られたカードで2ペアができた。
「レイズ」
玉麗がそう言った。こちらもレイズしようとしたところで異変に気づく。
声が出ない。
「レイズしないの?」
玉麗がにんまりと笑ってそう聞いてくる。
さっきのワインに何か混入していたのは確かだ。しかし同じものを飲んだのに、何故彼女にはそれが効かないのか。もちろん混ぜ物をしている様子はなかったはずだ。
「コール」
篠田の前のコインが玉麗のほうへ持っていかれる。
次の勝負も、次の勝負も、レイズできずに自動的に上がった形になり、玉麗の勝利となった。
「ふふふ。よほど運がないのね」
玉麗は上機嫌だ。お前が何かしたというのにつゆともそんなことを口にしない。

 

「勝負終わりです。持ち金のほとんどを篠田葵は失いましたが、残金をそれぞれポイントカードに記録してきてください」
仮面をつけたディーラーの女にカードを手渡されるのを半ばむしりとるみたいな形で篠田は立ち上がった。
各ルームから戻ってきたメンバーは入り口で虎子に金額を打ち込んでもらっていた。
「100ペルノイ。うわあ、ダントツのビリだね」
余計な一言を虎子に言われるが、文句を言うための口もない。
「しのだー! 俺、ほぼ引き分けだったよ」
ヒューゴにそう言われても結果を言うことも、玉麗のことを注意することもできない。
「ん? どうしたの? 悔しかった?」
本当に鈍いヒューゴに口以外で伝えようと思ったが、生憎そこには紙がなかった。
篠田は周りを見渡す。ヒューゴ以外いなくなった廊下に、花瓶が一つ。
それを静かにひっくり返した。
「わ、何をやって……」
ひっくりかえした水で、床のタイルに指で文字を書く。
ユーリーにきをつけろ。