セレス家は代々シルヴンディア魔王家の薬師を務める一族だった。
一族に生まれた者は小さい頃から薬草を食み、自らの体液を薬にするという宿命を背負っている。その体液は希釈されていれば人を助けるが、長く生きたセレス家の血を飲もうものならば、体積の大きい竜ですら廃人になると言われていた。
セレス家にニタが生まれたのは今から21年前。300年も400年も生きると言われる魔族としては、まだまだ赤子のような存在である。しかしその少女は幼き頃から聡い娘だった。だから父親のサンドラは彼女をシルヴンディア家の教授の元へと預けたのである。
いつしか魔王家を支える立派な幹部へと成長するようにとの、願いを篭めて。
「ああ、馬鹿らしい」
ニタは呟いた。
紅月魔族特有の赤い目と青白い肌、そして白金の髪。色素が抜け落ちたとしか思えない真っ白な娘は、さらに白いドレスと白いケープを身に纏い、髪に小さな真珠のビィズを散らしていた。
魔族には美しい者がたくさんいる。しかしセレス家はその中でも雪の結晶のような儚い美をもった女性がたくさん生まれてくる。ニタもそのひとりだった。
「何が馬鹿らしいのだね? ニタくん」
齢150歳を今年で迎える、自分の恩師である教授がくすくすと苦笑いをしながら言った。
「だって……人間界に赴けなんて言われると思っていませんでした」
「非常に名誉ある仕事だと思わないかね? 外交官だなんて」
齢21にして王家の官僚を、末端とはいえ任されるのだ。本来ならば名誉ある任務だと思わなければいけない。しかし魔界に生活する紅月魔族は人間界で生きる者たちを蛮族と見ている。そんな蛮人たちのいる世界へ外交官とはいえ、赴かねばならぬのだ。ニタは腹が立っていた。
「全然嬉しくありません。あっちは虹の気配も薄いし、太陽が照ってて夜があるんですよ? 白夜育ちの私には日差しが強すぎます」
「お前は少しくらい肌をこんがりと焼いたほうがいいんだ」
「無駄ですよ。私が肌を焼いたところで赤くなっておしまいです」
ギルティ教授はまたくすくすと笑うだけだった。ギルティは老人の姿をしている。好きな姿のまま、年齢を止めることのできる魔族にとって、そのまましわしわの老人になるまで年齢をとめなかったというのは珍しい例だ。
「しかしお前がいなくなると、この研究室はまた私ひとりになるね」
ギルティはニタの肩に手をかけ、ケープをはずすと言った。
「少しだけ寂しいよ」
首と肩の接合部に軽く口付けを落とされ、ぶるっと肌が震えた。
「私も、寂しいです。教授」
「お前ともうしばらく会えなくなると考えるとね」
しわしわの手が丹念にニタの躰を辿ったかと思うと、ギルティはニタの唇に口付けた。
この老人の、一見不器用そうな手が繊細に自分を愛するのが好きだった。あっちは150歳でこちらは20を少し超えたばかり。ただの弟子に本気になってくれるわけもないと分かっていたが、それでも自分はこの男に惚れていたのだ。
「お別れだね」
お別れだね、と言われた。待っていると言ってくれなかった。
「お前の外交の任が終わるのは今から50年後だ。その頃には私のことなんてさっぱり忘れているよ」
「そんなこと、ありません」
「忘れるよ。人間界にはきっと素敵なものがたくさんあるに違いない。保守的なシルヴンディア魔王領に新しいものをもたらすのがお前の仕事だ。心して懸かりなさい」
人間界に行くことよりも、ギルティにお別れだと言われたことのほうが悲しかった。
老人に抱いていた仄かな恋心は、心の中で流した涙とともに、白露のように消え去ったのだ。
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