青い空を白いかもめが横切った。
ジミーは人工的に作られた青空の青さ、太陽の眩しさに目を細める。
夢を構築して作った太陽は本物の太陽よりもずっと眩しく、めまいのするような陽炎を白い石の上につくっていた。
ここは海の見える丘にある小さなテラスつきのレストラン。
ただし人は誰もいなかった。シェフ一人とて姿はない。
「さて、時間だよ。シャルアンティレーゼをお迎えしよう」
ジミーの呟きとともに、彼の顔に傘で影ができた。
見上げると彼女のドレスと同じ色の日傘を差した、魔女シャルアンティレーゼがこちらを見下ろしている。
「白昼夢のレストランへようこそ、シャルアンティレーゼ」
「素敵な景色ね。どこから借りてきたのかしら?」
「どこかの絵師が描いた景色だよ。すごく綺麗だと思ったんだ。君に見せたいと思って」
「あら、素敵。それで今日の舞台設定は絵の中になったのね」
シャルアンティレーゼは画家の描いた白いチェアに腰掛けると、そこにあった夢のマシマロを手にとった。
ココアにマシマロを浮かべて、するっとそれを啜る彼女を見ていると、ジミーは絵画のようなのはシャルアンティレーゼのほうだと思ってしまう。
どうしてここまで彼女に惚れ込んだのかわからないが、しいて言うのであれば彼女の聡い雰囲気と、それをさとらせぬ細やかさが好きになった。ということだろうか。
「シャル……」
シャルアンティレーゼがこちらを振り向いて首をかしげる。
何も言う言葉が思いつかず、思わずじっとシャルアンティレーゼの目を見つめてしまった。
彼女は目だけで微笑む。たぶんジミーが惚れていることにこの女性は気づいている。
ジミーの足元を黒い猫がすり抜けて、シャルアンティレーゼに擦り寄った。ごろごろと媚びる猫を抱き上げて、シャルアンティレーゼが膝の上に乗せる。
「ねえ、ジミー。不思議なことだと思わない? あなたと私が会ったときはもう私たち、歳を数えるのをやめた頃だったわ。あれからどれくらいの間、こうしてたまにお茶をしたかもわからないのに、あなたはまったく私に飽きないわね」
「飽きる理由があるのかな。たしかに真新しい話題はないけれども」
「私は今もずっと魔法屋を続けているし、あなたはずっとこんな調子だわ。珍しいと思ったの、人の領域を踏み荒らすあなたが私をデリケートに扱う意味は何かしら? そんなに脆い女に見えたのかしらね」
「惚れてるから」
ジミーの言葉にシャルアンティレーゼは鈴を転がしたような声で笑った。
「私、ジミーはもっと早くに飽きると思ったわ」
「わたしもそう思ってた」
「ジミーはおかしな人ね。私が恋を忘れてしまったことなんてわかっているでしょう」
ジミーは目を細めた。ココアの味に笑顔を作る彼女が、こちらに同じように笑顔を作る。
ジミーよりココアが劣ることもないが、ココアよりジミーが勝ることもない。そんな微笑みで。
「あなたは退屈じゃあないのか、シャルアンティレーゼ」
「その問いには、あなたは寂しそうねと答えておくわ。ジミー」
「満ち足りることは素晴らしいと思うが、退屈そうだと感じるよ。わたしは」
「私は寂しさを何かで埋める行為も尊いことを知っているわ。あなたが飢えることも渇くことも楽しんでいることを知っている。私は満たされることを楽しんでいる、それじゃあダメなのかしら?」
「君が満ちていると言う限り、わたしがあなたの中に入る隙間などないと知っていてか?」
「ええ、そのとおりよ。寂しさを楽しむのは飽きてしまったの」
「寂しい人だな、シャルアンティレーゼ」
「私は寂しい人よ。あなたはそういう意味では寂しくはないけれど、寂しがり屋だわ」
黒猫はシャルアンティレーゼの膝を飛び降りて、白い階段を駆け下りていく。
人工的な潮騒の音と海の匂いがした。
シャルアンティレーゼはそれを目一杯吸い込んで、目を閉じて楽しんでいるようだった。
「素晴らしいわね」
「素晴らしいね」
ジミーはシャルアンティレーゼの素晴らしいと感じているものの半分くらいしか素晴らしいと思っていなかったが、復唱した。
「ココアも、マシマロも、猫も、海の音も、香りも、太陽も、空も、風も、夢も、世界も、みんな素晴らしいわね」
「用意した甲斐があった」
「あなたの作る夢も幻想もとても美味だわ。でもとても食べた直後にお腹がすくし、喉が渇くし、今すぐ続きで満たしたくなるわね」
「欲してほしいからね」
「ココアを飲めばもっと渇く、マシマロを食べればもっとお腹がすく、呼吸をするたびにもっと酸素を。これがあなたの住んでいる世界なのね」
「そのとおりだよ。君も昔はこの世界を楽しんでいただろう?」
「そうだったわね。あなたと会うたびに思い出すの、私は動物だということを忘れてはならないと」
「今も動物だよ。交われば子供が生まれるかも?」
「夢喰いと魔女の子? ふふふ、それはなしよ。少なくとも今はまだないと思っている」
シャルアンティレーゼはココアを飲み干すと、立ち上がって日傘を手に取った。
「次に来るときは、私がお菓子を持ってくるわ」
「君の持ってくるお菓子はひとつ食べるともういらないと感じる幸せな味がするから嫌いだよ」
「あらあら。寂しいお菓子が好きなのね、ジャンクフードばかりじゃこころが着膨れするわよ。ジミー、もったいないもったいないと感情を食べるのはよくないと思うの」
ジミーはその言葉には答えを言わなかった。
シャルアンティレーゼが優雅にお辞儀をして、夢の世界をあとにするまでじっと見送った。
上を見ると、青空が眩しかった。
下を見ると、そこにはさっきの黒猫がいた。
シャルアンティレーゼから見れば青空と黒猫の境界もジミーと青空の差分もないのだろう。
惜しみなく愛する太陽の恵みのように。
それじゃあ許せないと感じたのは自分の我侭だとはわかっている。
それでもあの青空と黒猫の魂が同じ御霊分けであるように、自分の汚れた魂もどこかでシャルアンティレーゼと繋がっていると思いたかった。
(了)
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