愛している人がいる。(だけどこの気持ちはとても暴力的だ)
  大切にしている人がいる。(だけど愛しているのとは違う)

 一人は姫君、もう一人は愛しき君。
  それでもジミーは二人のことを愛しているのだろうと思った。
  歓迎はされないかもしれないが、自分なりに愛しているのだろうと。

「夜喰いさん、あなたの愛してる人って人間なの?」
  アシータの質問はいつかは来るものだと思っていた。
  赤い部屋、白いベッド、そこに転がる小さな姫君アシータ。
  彼女の金髪があまりにもぼさぼさなものだから、ジミーは近くからブラシを取り出し、ベッドサイドにアシータを座らせて髪を梳いた。
  アシータはそれに抵抗する様子もなく、おとなしく髪の毛を梳かれていた。
「人間だったよ」
  唐突にぽつりと呟くと、アシータの背中がこわばるのがわかった。
「俺が老いを食べて、彼女は老いなくなった。そうするしかなかったんだ」
「悲しい事情があるのね?」
「あまり悲観はしていないけれどもね」
  ブラシで髪の毛を梳くジミーを見上げるアシータに微笑みかける。
  天蓋付きのベッドのせいで、アシータの表情は少し暗く見えた。
「どうしてその人を花嫁にしないの? あなたは貴族なんでしょう? 正妻と側室がいたっておかしくないわ」
「男爵なら別だがね……俺には家督もなければ、味方がいるわけでもない。親には愛されてはいるが、申し訳ない事情ばかりでね。この上悪魔が白魔術を使う魔女を娶るなんてことはできないだろう」
「その人も魔女なのね?」
「君も魔女だったね」
  アシータは紫色の目を何度かしばたたかせた。
  そしてジミーをもう一度見つめる。利発そうな目に咎められているような気がした。
「あなたが悪いのよ、夜喰いさん。愛しているって言いながら、別のレディを探すなんて失礼しちゃうわ。その女性だって、夜喰いに愛してるなら、愛してる態度で臨んでほしかったに違いないわ」
  まったくもってそのとおりだと思ったので、ジミーはすぐに言葉が見つからなかった。
  何故、魔界を捨ててシャルアンティレーゼだけ欲しいと言わなかったのか。
  シャルアンティレーゼが望んでないからか、それとも自分が悪魔以外になりえないことを知っているからか。
  いずれにせよ、保身が恋の感情を上まった事実は認めねばなるまい。
「そのとおりだね」
「何でも開き直れば許されるものでもないのよ、夜喰いさん」
「まったくもって、そのとおり」
  髪の毛を綺麗に梳き終わったので、アシータの髪に指を絡めた。
  癖のついた髪の毛は柔らかかった。
  その髪の毛を一房つかみ、ジミーは唇を寄せた。
「思い通りにいかないことだらけなのは、思うとおりに行動しなかったからだ」
「そのとおりよ」
「愛しているのは彼女だよ。だけど愛してくれる人を裏切る行為がどれくらい酷なものかも知ってしまった」
「言い訳だわ」
「言い訳でもかまわないんだ。何百年も思い続けてきたし、これからも彼女のことは好きだと思う。だけどその気持に執着し続けるわけにはいかないんだ。何もかも要らないと思ったところで、どうにもならないものだらけなんだよ」
「それで、私に『妥協』したの?」
  アシータの眼はこちらを咎めるつもりはなさそうだった。
  ただ素直に、それであなたはいいのか? そう問うてる気がした。
  妥協したのかと聞かれたらそうだとしか答えようがなく、唇が無味乾燥したような錯覚があった。
「君がもし誰かに愛されたとするよ? その男は君のことを愛してもいるが、滅茶苦茶にしたくなるときもあるとしよう。好きすぎて距離のとりかたがわからないから、臆病になるときと暴力的になるときがあるとしよう。そんな男は愛することはできても、幸せにはできないと思わないか? 奪い尽くし、惜しみなく尽くし、そして最後に残るのは執着だけだよ。君じゃなきゃいやだ、君じゃなきゃいやだ、そんな気持ちだけなんだ」
「その人じゃなきゃ嫌なのね?」
「そうだよ」
「でも私に妥協したいのね?」
「そうだよ」
「馬鹿な悪魔ね。夜喰い、あなたは人間の男とまったく変わらない」
  彼女の周りにいるであろう小等部の少年たちといっしょだと言われたようで、ジミーは滑稽な自分の姿に少しだけ笑いがこみあげた。
「その人にしちゃいなさいよ。私は別の男を見つけるわ」
  アシータの正しく幼い主張に、いつから自分はこんなに踏ん切りがつかなくなったのだろうと考えた。
  たぶんシャルアンティレーゼに会った頃からだ。
  ジミーの中に正しさ以外の感情が生まれたのはあの頃からだ。
  自分を業の深い悪魔だということを自覚せざるを得なくなったのはあの頃からだ。
「アシータも恋をしてみればいい。俺と結婚するよりずっと悲しい感情を色々覚えるだろう」
  綺麗な感情だけでは恋はできない。
  愛に比べて恋はずっと薄汚れた感情だ。
  薄汚れていて、それでいてすごく輝かしく情熱的な感情だ。

 恋をしたことのない少女は、こちらを見つめて
「当然じゃない」
  と口にした。そう、彼女はいずれ誰かに恋をするだろう。
  恋をしたらこの関係も終わるだろう。彼女はジミーを拒むはずだ。
  シャルアンティレーゼじゃなきゃ嫌だという気持ちと、もうシャルアンティレーゼのことで苦しむのは嫌だという気持ちの狭間で、大抵いつも右往左往している。
  そして最後はシャルアンティレーゼじゃなきゃ嫌だに傾いている。
  叶いもしないのに、馬鹿だと感じる。
  望んだところで無意味なのに、払拭できない自分を愚図だと感じる。

 夢魔は最後に、利発な少女の髪の毛に赤と白の縞のリボンを結んだ。
  少女はたまに思い出したように「ねえ、夜喰いさん……」と口にする。
  茶番劇だとしか思えない少女と戯れる夜は幾度となく来た。
  彼女はだんだん賢くなり、自分はだんだん馬鹿になっている。

 

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