今考えるととても恥ずかしいようなこそばゆいような思い出。
男の子が「俺は海賊だ!」と言うように、女の子が「私はお母さんよ!」と言うように、ジミーにも嘘と本当がわからない頃があった。
ジミーが夢見た内容は悪魔でもいい悪魔はいるはずだという内容だった。
父と母は大声で笑った。姉のアメリーも「馬鹿ねぇ」と目を細めた。ジミーは彼らに馬鹿にされたのだと思った。
父は「いずれわかる」と言った。いずれわかるとはなんだ、いずれわかるのはお前たちのほうだ。
悪魔に生まれたからといって悪意に染まる必要なんてない。
神が悪魔としての仕事を遣わしたからといって、それを鵜呑みにする必要はない。
まったくもって青い頃のジミーはナンセンスだったと今のジミーならばわかる。
わかるが、その頃の彼にその青さを説明することは難しかった。
青いジミーは自分が選択することができると思っていた。望んで勝ち取った未来に誇りをもっていた。
今がそれとは違うとは言わないが、悪に対しての考え方があの頃とはまったく変わったのだ。
悪とは、対立するものではない。
こんなことさえわからない人間がかなりいる。
悪なんて、存在しない。
正しいようで違う。悪は存在している。
サタンは神の計画か? 否か。
答えは難しい。サタンが神に背くのは計画ではなかった。彼は望んでそれを選んだ。
神はサタンを愛していたか、もちろん。
大いなる神は今でも我が子の謀反を見守っているのか。
もちろん。
大いなる神の子が今もなお悪に染まっているのは何故だろう。
人間が正しいことを行おうとして失敗するのは何故だろう。
その答えは人間が悪意について理解する工程を経るように、ジミーの中でも行われた。
悪に打ち勝つことはできるか。もちろん。
悪に負けたものは敗者か。誰もが敗者だ。
悪は存在しないのか。悪は存在しないと思わせることこそが悪だ。
美しい感情と感性の花の下にこそ蛇が蜷局を巻く。この言葉の真意は――
聖者には聖者の落とし穴があり、ヨギにはヨギの落とし穴がある。
もちろん悪魔には悪魔の落とし穴があり、天使には天使の落とし穴がある。
話を戻すとしよう。
ジミーが自ら悪を享受することに抗った青い頃、すべては敵だった。
わかってほしいとも思わなかったが、わかりたくもなかった。
「ジミー落ち着こうぜ」と言う友達の角に腹が立ち、「ジミーご飯よ」という母の食事を拒絶した。
「お前もいずれ気づくよ。腐り落ちる心さえ我々の慈悲だということに」
父の言葉はジミーを低きからあざ笑ってるようで一番腹がたった。高みに登ろうとしている者を何もせずに笑っているようにさえ感じた。
「何が慈悲だというのでしょう? 腐った心に慈悲があるとは思えません。腐った林檎に腹をすかせた子供を救えますか?」
ジミーの問いに父は「ならば腐り落ちる林檎を見て来なさい」と言った。
まったくナンセンスだと感じながらジミーは林檎を見に地上まで上がった。
たわわに生った林檎の中にはすでに熟しすぎたものがあった。
農夫はそれを食べられるものは籠へ、食べられないものは地面へと捨てた。
ジミーはそれを拾い上げて口に運んだ。饐えた味のする林檎はもう食べられるものではなかった。
やはり食べられないではないか。そう思って床に林檎を捨てた。
蟻が林檎に集った。隣では蟻と蟻が共食いしあってた。
蟻ほど知能の少ない者でも争うというのに、知能のある人間が争うのは当然だ。
蟻ほど知能の少ない者でも食べるというのに、知能ある人間が食わずにいられるわけがない。
それに進化の理由をつけようがつけまいが、まったく爛れている。
「腐る林檎を見てきたかね?」
父にそう聞かれて、つまらないものを見たとジミーは答えた。
「腐る林檎に敬意を払えない者は林檎の花にも林檎の木にも熟れた林檎にも敬意を払ってないよ」
この頃、父とジミーは対立しているような気がしていた。
父の言葉の一つ一つがジミーを否定している気がして、頭ごなしに馬鹿にされているような気さえした。
違う、違う、ちがう、ちがう……。
なんともいえない孤独感の中で、何故こんなときに信じていた正しさは自分を救ってくれないのかと自己憐憫さえあった。
自分が悪魔だからか? それともこれが父の言うような大いなる計画だからだろうか。
とても孤独だった。ないまぜにした感情が襲ってきた。
父や悪魔も呪ったが、正しさも純粋さも呪った。
誰も自分のこの気持ちに寄り添ってくれないことをそういう形で心で罵倒した。
自分の中で心が腐るのをじっと見ていた。ああ、やっぱりこんなものか。所詮そんなものか。そう感じた。
腐リ落ちる心だけが自分に寄り添ってくれた。
お前を理解しない周りが悪い。お前に寄り添わないあいつらは非道だ。お前を救わない神を信じなくてもよい。
その時、父の「腐り落ちる心さえ慈悲だ」と言った言葉がふっと湧いた。
うなだれているジミーのところへ姉のアメリーが訪れた。
彼女は細い手でジミーの手を握った。
「ねえ、ジミー。あなたの感じていることを教えてほしいの」
姉だけは寄り添ってくれると、この時感じなかったと言ったら嘘になる。
ジミーは自分の正しいと信じていたことから、孤独感、罵倒したくなった気持ちまで全て話した。
アメリーは真剣にそれを聞いていた。そしてこう言った。
「一生懸命になるって言葉も腐心と言うわよね? 一生懸命になると心が腐るという意味はわかる?」
「熟すということでしょうか?」
「そうね。腐ったものはたしかに食べられないわ。でも腐ってない肉や腐ってない穀物は大地に吸収されないのよ。わかる?」
姉とジミーの会話はちぐはぐだったように感じる。
姉の言おうとしていることを理解しようとしたが、それは外国語のように聞こえた。
姉の伝えようとしている心を感じようとしたが、それは遠くの汽笛のように感じた。
しまいには一方的に説得を試みた姉が早く帰ってほしいと感じて、姉を追い払うためにてきとうな返事をしてしまった。
まったくもって自分が冷たくなってしまったと感じ、一生懸命の姉にさえ申し訳ない気持ちになった。
自分の中で心も感情もどんどん腐っていくのを感じた。意志さえそれに振り回されることに。
わかっていても止められないと感じたときに、自分の心の中の自己憐憫が笑顔を作った気がした。
「自分の中にこんな気持ちはないと思っていただろう? ジミー」
胸中の自己憐憫はジミーにそう語りかけてきた。
ああ、まったくだ! そんな気持ちは存在しないと思っていたから父や母、姉を侮辱できたのだ。
しかしどうだろう。いざ、侮辱していた彼らのほうが立派じゃあないか。
自分は何ひとつ成し得なかった。彼らは自分たちの仕事をしている。
彼らが正しかったのか。いいや違う、自分は正しかった。まだそう信じたかった。
自分が間違っていることにだんだん気づいていた。だけど間違っていたと言うことに恥ずかしささえ感じた。
どこまでも自分の中で腐っていく気持ちと向き合わざる得なかった。
その気持ちと向きあえば向き合うほどすべてがうまくいかなくなりだした。
「弱音を吐きたい」
――よし、聞こう。
「泣きたい」
――よし、泣こう。
「恥ずかしい」
――そういうものだ。
「死んでしまいたい」
――よし、死のう。
心の中の自己憐憫はどんな言葉にも肯定的に答えてくれた。
それが間違ったものであれ、正しいものであれ、ジミーは正しいと呟き続けた。
理性ではそれが間違ってるか、間違ってないかなどわかるのだ。
だけどわかりたくもなかった。
低きに、暗きに深く深くもぐった心はやがて深淵へとたどり着く。
そしてジミーはもういいと感じた。
ここまで腐ったのだ。恥ずかしささえ消えてしまった。
どんな形でもいいから這い上がろうと思った。このまま何もできない子供でいたくない。
今まで付き合ってくれた自己憐憫にお礼を言おうとしたら、それは姿を消していた。
そのかわり目の前に階段がある気がした。それを一歩一歩登った。
自分の今までの罵倒や感情が途中にすべてあった。それはかつて甘美なものだった。
ジミーは上へ上へとそれらを無視して上がっていった。
ジミーが自己憐憫から回復したとき、彼はどれだけ多くの感情が自分を肯定してくれていたのか、どれだけ多くの悪魔が味方してくれていたのかがわかった。
そしていずれそこから這い上がるとき、悪魔たちは紳士的に引き下がったことも感じた。
大いなる計画の一部とはこういうことか。
神が自分を見捨てたわけじゃあない。神が悪魔を裁いたわけではない。
階段の先にあるのは神の慈悲だということに気づいた。
それは自分の慈悲より大きく、父の慈悲よりさらに大きい。
父を始めとする悪魔がその慈悲の下層の仕事を請けていることも理解した。
すべて自分の暗闇が教えてくれたことだった。
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