天国にいる老害から暇にまかせて電話が入った。
「もしもし? 俺だけど」
「老害。いい加減に着信拒否しますよ」
こちとら仕事の契約がとれるかどうかの重要なシーンなのだ。老害の無駄話などに付き合っている暇などない。
「老害。用事は端的にお願いします」
「えー。メフィストフェレスさん冷たくない? 俺、寂しくて電話かけたのに」
「知りませんよ。お前のせいでわたくしが可愛い間抜けキャラですよ。どうしてくれる」
電話の向こうでゲーテがけらけらと笑う耳障りな声が聞こえた。
「萌えキャラだろ?」
「死ね」
「死んでるし」
「老害もう切りますよ」
「ぶどう酒飲みたくてさ。地獄のほうが葡萄よく腐るんだよね」
「地獄落ちてください。老害」
いきなり魔法陣から出てきた悪魔が携帯で話しだしたものだから、目の前のうさぎ耳の獣人は目をぱちくりとしている。
「あ、あと俺LINE始めたから!!」
「至極どうでもいいです」
もうキリがないとゲーテからの電話を一方的に切った。
「死にやがれ老害。お前は美しいと言って死にやがれ」
「言われたいですねー。時よ止まれ、お前はあまりに美しいとか」
目の前のうさぎの獣人は間延びした口調でそう言ってきた。名著ファウストに書かれているメフィストフェレスはメフィストフェレスじゃありませんとメフィストフェレスは声高に言いたい。
「それで契約内容はなんなんです?」
携帯を胸元に仕舞って、メフィストフェレスはそう質問した。
このうさぎは内容をまとめる要領が悪そうだ。
「ええと、私、今血で魔法陣書いたんですよ。すごいですよね!」
うさぎの獣人は地面をばんばんと叩いてそう言った。
まるでバニーガールみたいな格好をさせられたうさぎがお尻を突き出すみたいな格好で床を叩く姿は扇情的というよりもなんだか卑猥なものを彷彿とさせたが、そのウサギの足には足枷がはめられており、ここは暗い地下のようなところだった。
糞尿の匂いがして、かび臭さも漂い、まるで飼育小屋のようだと感じた。
うさぎの獣人は汚い魔法陣を爪を割って描いたようで、どや顔でこちらを見ている。熱意のある瞳で見つめられた。
「存じてますよ。だからわたくしが現れたんでしょ」
「すごいですよね! 本物のメッフィーなんですか?」
メッフィーってなんだ。メフィストフェレスだ。魔界で様付けしない悪魔のほうが少ないのだぞと感じたが、爵位の関係のないところで声高にどれだけ有名な悪魔か言ったところでそれは無意味なところだ。
「ミッフィーみたいに口を縫われたいんですか?」
「ぴゃ!?」
うさぎは変な声をあげて怯えたような視線でこちらを見てきた。まだいじめてないのになんだというのだ。
「ええと、奴隷から解放してください」
「対価は?」
「ぴゃ!?」
タダだとでも思うのだろうか。うさぎはもう一度声をあげた。
「ぴゃ、ぴゃ、ぴゃあ〜?」
わけのわからない脱力する声をあげて、うさぎ――仮の名前をミッフィーとしておこう。ミッフィーは泣きだした。泣けば泣くほど、涙のかわりにコインがぽろぽろと地面にこぼれ落ちた。
「ぴゃ〜で許してもらえると思ってるんですか? ミッフィー」
「メッフィーひどいです。私なんて泣くしか取り柄がないのに」
わあ! っとミッフィーが泣くものだから、まるでそこらじゅうがカジノのスロットで大当たりしたかのような金貨の洪水だ。
「泣くと涙のかわりにコインがごろごろ出てくるうさぎですか。あいにく人間の金貨には興味がありませんので」
しかしミッフィーは泣き止まない。
(帰りたい……)
めんどくささが先行しだして、メフィストフェレスはこのうさぎを解放さえすればいいのだと考えた。ついでにうちの小間使いの一匹にでもしておけばいいだろう。
「ああ、いいことを思いつきました。奴隷から開放する代わりにわたくしの身の回りの世話をしてください。奴隷よりはいいでしょう?」
ミッフィーは顔をがば! と上げると、丁寧に額づいた状態でじりじり近づいてきた。この様子にはメフィストフェレスのほうが異常なものを感じる。
「奴隷から腰巾着になるんですね! 大丈夫です、靴を舐めるのは得意ですから」
「ミッフィー、雑巾くらい貸しますよ?」
「連れてってください!」
ミッフィーは両手をメフィストフェレスに差し出した。
じゃらりと重たい鎖が音を立てた。
メフィストフェレスはその鎖を腐らせ、足首の足枷を蛇にかえて逃した。
ミッフィーはうさぎのように、いやうさぎの獣人なのだが、ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜んだ。
「メフィストフェレスは命の恩人です!」
そのうさぎの獣人の名前はミクリーヌ=ハニーブロッサムという名前だった。
「ミッフィー、出かけますよ。懐中時計とハンカチーフを」
ミクリーヌが急いで走ってきて、金色の上品な細工の懐中時計とハンカチを差し出した。
「メフィストさん、懐中時計磨いておきましたよ。割れるまで」
「うわあ余計なお世話ですね」
割れるまで磨いてどうするのだ。
「メフィストさん、ハンカチにアップリケつけときました」
ハンカチのほうには汚い緑色の生物が縫いつけてあったのでミクリーヌに投げつけ返した。
「あなたにさしあげます」
「プレゼントですか!?」
「あなたのおかげでシルクのハンカチが台無しになったので」
「メッフィーさんがミクリーヌめにハンカチをくださいました!」
まるでどこかの召使妖精のように大歓喜しながら、ミクリーヌがハンカチに頬ずりをする。メフィストフェレスはこちらにだらしなく口を開いている緑色の生物を指さして、このアップリケはなんだろうという意味で、
「これ、カエルですか?」
と聞いた。
「うさぎです」
「緑色のうさぎなんですね。色葬うさぎ」
ミクリーヌにはこれがうさぎに見えるようだ。
「あなた10にも1にもなれないですよね」
種まきをする人間にも、収穫する人間にもなれない。数字の意味もきっとわかっていない。
「特別な存在ということでしょうか!?」
「あなたが思うんならそうなんでしょうあなたの中ではですが」
断じてそんな意味じゃあないと思いながら、人々は10に帰依する世界のことを思い出す。そして色の消えた夢のことも。
「10ってどういう意味ですか?」
「世界は7の倍数でできているという法則を知っていますか? 十進法は7を意識しないために生まれたと言われてます」
「あー」
ミクリーヌのこの反応はわかる。何もわかってないという反応だ。
わかってないということがわかり、メフィストフェレスは面倒になってきた。
「わかってないならいいですよ」
「あ! 私1ですよ。この目から金貨が出てくるの、ペンタクルの1ってジンクスなんです。タロットの世界の次に裕福なカードなんですよ」
「はっ」
思わず鼻で笑い飛ばした。あんな地下で腐った人参を食べているうさぎが裕福だとでも? という意味を含めて。
「金貨の価値はあなたにとっては?」
「にんじんをもらえる理由です」
金貨ほどの価値もないものがすべてのうさぎだ。
初めて屋敷に連れ帰ったとき人参をキッチンのすみっこでかじっている姿を見たときには巨大なネズミがいるのかと思ったくらいだ。
「なんで毎回生野菜のままかじるんです? 固いでしょう。それとも歯がほっとくと伸びるんですか?」
「なんか煮るのもいためるのもめんどくさいってにんじん生でほうられて……」
「ミッフィー、ミッフィー、つっこみませんよ」
このうさぎ、絶対に人参以上に価値のあるものについてよくわかっていない。
メフィストフェレスの金時計がどのくらい精緻な作りをしているかもわからなければ、ハンカチがどんなにしっとりとしているかもわかっていない。
自分の涙のかわりに落ちる金貨の意味もよくわかっていないのだろう。
その時携帯が鳴ったので、反射的にとってしまったことをメフィストフェレスは後悔する。
「メッフィーに彼女が! おじいちゃん嬉しい! ひ孫が楽しみ!」
名乗ることもなくいきなり第一声がそれだった。ふるふると震える唇で、
「でたな老害」とメフィストフェレスは呟いた。
「ろうがいさーん、いつもメッフィーさんがお世話になっています!」
携帯電話に向かって大声でそう言って見えもしないのにお辞儀をするミクリーヌに、どこかでこういう東洋系の民族がいたよなあと思いながら、携帯を遠ざけた。
「おじいさんゲーテって言うんだよ。老害ってのはこいつのツンデレさ☆」
携帯から大声でゲーテの声が聞こえる。
誰がツンデレだ、誰もツンデレなんてしていない。
ミクリーヌは耳の遠いおばあちゃんのような大声で携帯に向かって、
「ゲーテ=老害さんですね! 老害さんよろしくお願いします」
と元気よくお辞儀をした。
しばらく老害ゲーテが沈黙するのがわかった。
このときばかりは老害ざまあみろと思ったが、老害はすぐに反撃にでてきた。
「メッフィーは昔からいい子でねぇ。なぁんでもいうこと聞いてくれるんだよ! 橋まで作ってくれてねぇ」
やめろ、黒歴史だ。それはお前の創作だろうと言おうとしたら、真に受けたどこかのうさぎ獣人が
「橋ですか! すごい! みんな大助かりですね!なんていい人なんでしょう」
と目をきらきらとさせる。
「悪魔ですけど」
そんなことしませんよと視線を投げる。ついでに携帯はゴミ箱へと投げ捨てた。
「いい悪魔でしたね」
「いい悪魔ってなんですか。いい悪魔って」
「わかりました。すごくいい悪魔って意味でいいいいいいいいいいいいいいいい悪魔ですね」
まるでいーっだをしている子供か猛禽類のように「いい」を繰り返したミクリーヌに、もう突っ込む体力なんてなかった。
「ミッフィーて色々斜め上ですよね」
天国のおじいちゃん、聞いていますか。
老害から解放されまして、馬鹿な従者を拾いました。
老害とのラウンドワンを経て、今、史上最強のドMうさぎとラウンドツーが始まろうとしている。
TOP |