2.She's the sweetest drug.-彼女は甘美な毒- sideミコト

 君のために詩を書こうとした。
  何も浮かばなかった。
  詩のかわりに浮かんだのは恥ずかしさだった。
  長く生きれば生きるほど、君に近づける気がしていた。
  長く生きれば生きるほど、君から遠くなっていく自分がいた。

 君になりたくて。
  君にあいたくて。

 

「ださっ……」
  仕事中に思いついた詩篇のメモをとり、ジミーは毒づくように呟く。
「昔に比べてどんどん言葉選びが平易になっていくよなあ」
  誰にも見られないように紙をくしゃくしゃと丸めた。ただしくしゃくしゃに丸めただけであとで広げられるように机の落ちないところにその丸めた紙を置く。ゆっくりあとで推敲しようと思って。

 魔界が恐ろしいと思うこと。
  これだけ人間界の人口が増えたのに、そいつら全員を誘惑するだけの仕事量をわずかな悪魔でこなさなくてはいけないこと。
  魔界がさらに恐ろしいと感じること。
  天使ですら最近は高速処理のための効率を考えるようになったというのに、いまだにパソコンすら導入されていないこと。
  暴食のベルゼバブはパソコンが好きではないようだ。いくら魔界の時間軸が人間界と違うとはいえ、大量の仕事をこなすまで魔界に缶詰されているのはたまらない。
  シャルアンティレーゼに会いたい。
  もしパソコンがここにあるのなら、この悪夢を見せる必要がある人間たち一人一人のことなど考えずに一気にctrl+A、右クリックでグロ夢と書きたい。
  そして愛しい彼女のところにプラムのパイを持って出かけたい。
「ジミー様」
  姉のアメリーの執事にあたる悪魔、ラーイの声がしたから振り返る。
  案の定たくさんの資料を籠に入れてもってきていた。
「こちらの資料にも目を通してください」
「こんなに紙使って魔界のエコはどうなってる?」
「エコロジーな悪魔なんているわけないでしょうに。もちろん職場環境を保証するような悪魔がいるとも思えませんが」
「ベルゼさんの管轄の職場は食べかすが落ちまくってるし、アスモさんところは仕事しやがりくださいエロ上司どもだし、マモさんところは『金で地球は買える』って貼ってあるし、サタン社長のところは怒鳴られるがデフォでさすが憤怒の上司って感じだし、なんつーか部下を大切にしやがりくださいって言いたい」
  悪魔が悪のセールスが大好きでなかったとしたらこんな職場離れているに決まっている。
「ラーイ、休憩してシャルアンティレーゼのところに行きたい」
「魔女シャルアンティレーゼならば午後にナイマンズガーデンの中でお待ちしているとのことです。さあ、午後まで時間を止めておきますから、きちんとお仕事していってください」
  ここにある書類全部を万年筆で書いていたら腱鞘炎になってしまう。
  そういう視線をラーイに送ってみる。
  ラーイはまったく気にしていないとばかりにすました顔をして、
「書類に目を通してもらったあとは、魔女カルロッタの訪問もあります。そのあとは悪魔と契約したいと言っている中学生を脅すお仕事もあります」
「そんなの末端にやらせてしまえ。低級霊でもできる仕事だ」
「いつからベルフェゴールさんの部下になったんです? 怠け癖をつけないでください」
  ひどいや。怠け癖じゃなくて、本当に休みたいのに。
  ジミーは勤勉な悪魔執事のラーイがアメリーの元に帰るのを見送り、悪夢の書類に目を通しだした。
  最近は悪夢の種類が増えすぎている。一人一人にこんな細かく悪夢のバリエーションをつけなくたってよさそうなものだ。シンプルかつ愕然とする悪夢を何度も見せてやったほうが精神的ダメージはでかそうなものなのに。
  配下の悪魔が考えた悪夢に使えるアイデアか使えないアイデアかという判断を下し、終わった書類は箱の中に押しこむ。
  あとはリストに決定事項を書き込むだけだ。
  この書物にはあらゆる人間に起きるべくして起こる悪夢が書き込まれている。ジミーは夢魔のリストに手をかけて、ふと手を止めた。
  結界が発動していることに気づいたのだ。普段ならばかけてある術を解呪するのに別の魔力が必要なのだが、リストからは微弱な魔力しか感じない。
「不法侵入者が悪魔の領事館にいたのか?」
  この書類はたしか昨日までは領事館にあったはずだ。
  今日ジミーの手元にあるということは、天界と魔界の境界領域にある領事館にあるとき誰かが盗み見したというのが正しいだろう。
  ジミーはぱらぱらとページをめくった。
  索引で「ラビリンスの悪夢」という項目を探し、そこに誰が書き込まれているか確認しようとした。
  あそこのミノタウロスはただ今発情期だったはず。
  つまり、見たのが天使だったら間違いなく犯される。見たのが女の子だったとしても間違いなく犯される。男だったら八つ裂きにされる。
  夢の中で死ぬということは、現実の体にもかなりでかいダメージがいくはずだ。悪魔の計画外のことで人間が死んでしまっては、魔界に供給される負のエネルギーが不足してしまう。
「環=クラスタリンク」
  見たことのある名前だったので思わず呟いてしまった。
  たしか図書館で案内役をやっている小生意気な少年だ。
  中性的な顔立ちのため、一瞬見ただけだと女と間違えてしまうくらいだが、れっきとした男……ということを知っているのは自分ことジミーだけであって、ミノタウロスにしてみれば、男とわかったと同時に八つ裂きの対象だろう。
  ジミーは環の名前のところを指でなぞってみた。
  文字は金色に光り出し、書物とジミーの間に走馬灯のようなヴィジョンを作り出す。

 ラビリンスの悪夢。その中で環は今、迷宮の中でミノタウロスに取り押さえられているところだった。
「やめろ、やめっ……う、ぁ、ぁあ……っ!」
  びりびりに服を破られて這いつくばらされ、膝をついた状態で起立した猛々しいものを挿入……されそうになってるところで思わず時間を止めてしまった。
「ケダモノめ。見た目が可憐なら男でも構わないのか、お前は」
  ヴィジョンの中に指をつっこみ、ミノタウロスを引き離す。やたら扇情的な格好で涙を浮べている環に人形よろしく服を着せてやる。
  このまま環だけを引っ張り出せば問題ないはず。
「ジミー、私の秘蔵の同人誌どこに行ったか知らない?」
  いきなり姉のアメリーが扉を開けたものだから、ジミーは心臓が飛び出しそうになった。思わず勢い良くリストを閉じた。
「姉上……お仕事のほうはもう終わったのですか?」
「終わったも何も。私は今日は原稿タイムだからラーイにやらせてるわ」
「女男爵様。魔界は時間に融通がきくのだからお仕事しやがりください」
「やあねえ。私が仕事しなくたって優秀な弟がやってくれるわよ」
  アメリーが手をひらひらとさせて開き直る。これはひどい姉だ。そう思いながら、そっと夢魔のリストを隠そうとした。
「ねえ、ジミー。その隠そうとしているリスト、私の同人誌が隠してあるんでしょ?」
「そんなことありません。これは私の書類しか入っていません」
「じゃあなんで隠すのよ、貸しなさい」
  あ、と声を上げるまでもなく、アメリーの手の中に夢魔のリストがぴったりと収まった。
  アメリーはそのリストをぱらりと開いた。
「きゃああああああああああああああ! めぐるん、めぐるん、めぐるんが大変なことになってる! かわいそかわいい!」
  美顔で顔芸をして、イエローボイスを上げる姉にジミーは頭を抱えたくなった。
「ねえ、ねえ、これどうなるの? もちろん続きやらせちゃっていいんでしょう。ねえ?」
「いや、あの、そいつはシャルアンティレーゼの部下の友達なのでなんというかそういうことは……」
「あーら、シャルアンティレーゼに嫌われちゃうのが怖いの? 彼女の魂を魔界に持ってくるどころか魂ごと骨抜きにされた弟くん」
  アメリーはふふんと笑って黒いドレスの腰に手をあてた。
  小脇に抱えたリストを返してもらおうと手を伸ばすが、ひょい、と避けられる。
「そうねえ。どうしようかしらー? 私はめぐるん受けのミノタウロス攻めが見たいんだけど」
「どう考えてもそれ攻めっていうより責めですから。同人誌じゃないんですよ、環にこんな魔物のデカブツ突っ込んだら壊れますから」
「うふふふふ、夢じゃダメージ受けるのは精神からだからしばらくは遊べるわね」
「死んじゃう! めぐるん死んじゃいますよ姉上!」
「美しいわね……」
  アメリーが恍惚とした表情でそう呟いたが、ジミーにはまったく理解できない萌えだった。
「仕方がないわね。私はミノタウロス獣姦ネタ以上の萌えを用意してくれるならめぐるん陵辱をやめてあげてもいいのよ」
  きた。まるで千一夜物語の試練のような姉の試練が。
「ミノタウロス?めぐるんより萌えるアナザーストーリーを用意したら私はそっちにシナリオを変えてあげる」
  わかったわね? アメリーは確認をとったが、ジミーの返事を待たずに帰ってしまった。
  ぽかーんとしたまま、ジミーはミノタウロスよりツボな展開を考えようとした。ローレンス? ローレンスに助けてもらえるヒロインめぐるんの甘々ストーリー。
「殺伐萌えの姉上がそんなの受け付けるわけがない」
  ローめぐはボツだ。切ないローめぐストーリーなんてミノタウロス獣姦ネタの前にはちり紙のように存在感がない。
  しかしこんなネタ、シャルアンティレーゼに相談することもできない。彼女ならばローレンスに環の救出を命じるかもしれないが、それじゃあまりに大道芸すぎてアメリーに失笑を買ってしまう。
  アメリーの手にかかれば、どんな悪夢だって、陵辱だって、やりたいほうだいなのだ。
  環を助けるつもりがアメリーの煩悩の道具にされたらたまらない。
  ジミーはよろりと椅子の背もたれに体重を預けた。
  午後はナイマンズガーデンでシャルアンティレーゼが待っていてくれるというのに、まったくそれどころの気分じゃあない。
  ジミーは手近にあった紙を手に取り、万年筆を走らせた。

――逃げなきゃ。逃げなきゃ。
  白いラビリンスはどこに向かっても、壁、壁、壁。後ろから聞こえる怒号に焦りだけが募っていく。
  環を追いかけてきた獣は、厳密には獣ではなかった。
  バッファローのような顔をしているが、首から下は毛むくじゃらで、さらに手は人のような形をしており、侵入者を殺すためとおぼしき斧を持っていた。
  號、と猛る声がラビリンスにこだまする。
  環はもうだめだと思って目を閉じた。そのまま真っ二つにされる覚悟をした。
  ところがミノタウロスは環を力任せに引き倒しただけだった。
  斧が降ってきたのを避けられずにいると、それは環の服をつらぬいて固定しただけだった。
  荒い息でまたがってきたミノタウロスが環の服に手をかける。
  このケダモノが何をしようとしているのか察しがついて、同時にぞっとした。
「いやだ……」
  思わず涙ぐんだ声で呟くが、ミノタウロスには届かない。

 

「『助けて、ローレンスっ!』っと」
  そこまであまりにお粗末な三つ巴を書ききり、ジミーはそれを紙飛行機にした。
「ローレンスまでこの意識が届きますように」
  そう言って、紙飛行機に魔力を乗せて、放つ。
  やがて紙飛行機は黄色く光りながら、願いを乗せて消えていった。
  聞き届けられたようだ。いずれローレンスは何らかの兆候を受け取るだろう。
「ああもう……」
  あとは知らないとばかりにローレンスに押し付けて終わりにしようとしていた。
  どこかでそれだけじゃ済まないぞという警鐘が聞こえている。
「俺は自分のことで精一杯だ」
  目の端にはさっき丸めた詩片が存在を主張している。

 

 君のために詩を書こうとした。
  何も浮かばなかった。
  詩のかわりに浮かんだのは恥ずかしさだった。
  長く生きれば生きるほど、君に近づける気がしていた。
  長く生きれば生きるほど、君から遠くなっていく自分がいた。

 君になりたくて。
  君にあいたくて。

 

 丸めた紙片を広げて、詩片の最後に数行付け足した。

 君にはなれないけれど、
  君を愛せたら。そう感じている。
  うまくいかないことばかりだよ。
  それでもうまくいくと思いたい。

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