214事件

07

◆◇◆◇
  しかしここまでが前哨戦なのであって、これから法廷なのである。
  戸浪裁判長はみっちりと法廷に偽怪盗バレンタイン、怪しい怪盗バレンタイン、本物の怪盗バレンタインと詰まっているので取材はテープにとることにして報道陣一切を追い出した。
「これにて開廷です。陸さん冒頭弁論をよろしくお願いします」
「今回の時間は本当にばかばかしいわ。学校中のチョコが全部なくなるなんて」
「けっこうです。それでは容疑者でもある河野先輩、必死に弁護してください」
「わ、私はただHIDEさんにハーゲンダッツを渡したくって!」
「しかしどうしてか食べてしまったんですね?」
  そういう戸浪に河野は首を振った。
「ちゃんと、ちゃんと今も冷凍庫にあります」
「自分も裁判部なので確認するまでも……あれ?」
  戸浪が言いかけて、沈黙した。五十嵐が両手を万歳して叫んだ
「河野先輩がHIDE先輩に告った!」
「どうでもいいことです」
  戸浪は冷徹だった。
「あとは自分たちだけでどうにかしてください。無罪。あと裁判部から冷凍庫を捨てます」
「そんな! 戸浪くん、私からハーゲンダッツを取り上げるというの!?」
「あと一ヶ月で卒業じゃあないですか。いりませんよ」
  戸浪は冷徹だった。
「さて次に進みましょう。太田さんの集団犯行につきましては」
「私、食べてませんよ?」
「いや太田さんが食べたかどうだかはこの際どうでもいいんです。正直に話してください。彼らはチョコを食べましたか?」
「食べたそうです!」
「ならば有罪ですね。便所掃除を任せます。太田さんはもうちょっと依頼人を守ってみましょうね。次にまいります。五十嵐くん、やけに怯えているようですが大丈夫ですか?」
  戸浪に聞かれても冷や汗流しつつにっこり笑った。
「加藤くんは実は砂糖舐め妖怪カトウダーなんですよ。普段から甘いものをたくさん食べてて、よくお菓子も食べてて、それをきらしたところから今回の事件に」
「有罪」
  戸浪にあっさり面白くないと烙印を押された。
「五十嵐、今のは面白くない。うたさんの座布団全部とりなさい」
  加藤はご立腹だった。五十嵐がふと気になったことを聞く。
「あれ、そういえば処罰はないんですか? 裁判長」
「五十嵐の言い分だと有罪ですが、犯人を躍起になって捜したり、今回はお手柄もある。だから形ばかりの有罪としました。次、空乃さん」
「こいつらぁチョコなんぞ食っちょらん言うてるで。ありゃぁ岩石じゃ。みんなそういっとるんじゃ」
「岩を食べさせられたらたまったもんじゃあありませんね。無罪」
  どんどんとやけっぱちになってきたのか戸浪の木槌を叩くテンポが速まりはじめた。
「次、山住」
「えっと……チョコが食べたかったんだそうです」
「それで?」
「ちょうどバレンタインだし、怪盗バレンタインで騒いでいるから今ならチャンスかなって、乙女のスイートはいただいた! ってあの紙、カラーコピーして、置いて周ったの彼ららしいです」
「有……」
  言いかけて戸浪はまた止まった。陸がバン、と机を叩いたからだ。
「ということはあなたたちは怪盗バレンタインに濡れ衣をきせて好き勝手にしていたということですか?」
「うわー、陸先輩痛いところをつつかないでください」
「そうなの? 実際の怪盗バレンタインの食べたチョコの量ってもっと少しだったんじゃあない?」
  腹立たしい。腕を組んで凛々しく立つ陸の隣で失神しそうな松山が言った。
「証人に藍井亜衣を」
  亜衣は証言台につき、指差しながら言った。
「私が食したチョコレートは、あれです」
包装されているチョコがうずたかく積み上げてある。冬姫はそこに自分のチョコレートがあるのを確認した。鈴木のチョコレートも入っているのに気づく。
「間違いありませんか?」
「はい。特に会長と副会長のチョコは間違いなく私が食べました」
「異議あり! 俺の包装紙がみあたらないみたいだけど!」
  加藤が異議を唱えたが藍井は首を傾げて言った。
「私は家庭科部から目標をしぼりこんでとってきたの。鈴木くんと、三木くんのみよ。だいたい私あなたのチョコってどのチョコだかわかんないし……」
「やけに目立つのがあっただろう! その時あったかなかったかはっきりしろ!」
「そういやあったかもね、なんだか独創的なものが色々あってわかんなかったけど。もしかして鈴木くんの真横にあった、土人形?」
「チョコだよ! 俺を模したチョコだ。ゴーグルつけてただろ!?」
  カンカンと木槌が鳴る。
「静粛に。加藤くんのチョコがあったかどうかは山住くんに答えてもらいましょう。土人形はありましたか?」
「すみません、加藤くんのものかどうかはゴーグルがないのでわかりませんが首がもげてて溶けかかったお地蔵様ならありました」
「ん〜! まちがいない。加藤くんのです」
  と答えた五十嵐の鼻に加藤のちょきが入る。
「何故鈴木くんと三木くんのを奪いながら、家庭科部の木村くんのチョコはどうして奪われなかったのでしょう?」
  陸の素朴な疑問である。
「私クッキー嫌いなの」
  亜衣はあっさりそう言った。身も蓋もない。どうやら木村はクッキーを焼いたらしい。
「ともかく!」
  戸浪にしては大声を張り上げた。
「騒ぎを大きくした罪は重いです。あなたたちはどれだけの人の幸せの時間を奪ったんですか? あなたがたは掃除やゴミ掃除ではなく人をひとりでも、そうたったひとりでいい。幸せにしてきなさい」
  海馬は「おお、」と法廷にどよめきがかかっている中ひとり考え事をした。西園寺のチョコを食べた罪はたしかにある。岩だった作戦はすでに空乃が使っている。どっちのチョコが硬かったか勝負しても意味は無い。
  切り札はある。だが……
「次、森下」
  戸浪はそんな海馬をよそに次の審議に入った。森下が立ち上がる。
「チョコレートを奪った。それはその人の想いを踏みにじる行為です。この場合はあそこにうず高く積み上げられたチョコレートの中にどれだけの悲しみが凝縮しているのでしょう……しかし、また彼女の中にも悲しみがある。新体操で県大会まで進んだ彼女は間食のチョコレートの味さえもう忘れてしまっていました。クラスはチョコの話で持ちきり、しかし彼女にはあげる相手ももらえる相手もいない。なぜなら幼少の頃から新体操のみの生活だったからです。もう充分じゃあないですか、鈴木生徒会長は罰よりも謝罪も求めているはずだ! 鈴木生徒会長を召喚します」
  陸があっけにとられたように口半開き。ぺらぺらとよどみなく出てくる歯の浮くような言葉の数々に彼女が言えた言葉は「正気か? 森下」だった。
  森下は証言台に立った鈴木に聞いた。
「君が本当にしてほしいことは?」
「個人的に俺には罰を求める気も謝罪の言葉を求める気はない。藍井先輩、俺のチョコは美味しかったですか?」
「え……ええ」
「ならいいんです」
  森下が意外だとばかりに口半開きにした。「生徒会長、正気か?」といわんばかりに。
  鈴木は自分の席に戻ると冬姫に言った。
「帰りに薔薇の花を一輪買おう。知ってる? チョコは日本の行事だってこと。形に表してといわれると難しいけれども俺は君を愛しているという証明がどれだけだってできるよ?」
  今度こそ近くにいた全員の口が半開きになった。東雲高校の生徒会長様は愛に満ち溢れている。
  戸浪が最初に我にかえった。
「では、問題解決ですね。さあ最後になりましたが……西園寺くん、心の準備はできたでしょうか?」
「毎度毎度同じだが、ぼかぁ無実だ! 海馬! 何か言ってやれ! すごいの言ってやれ! 僕が許す。なんでもいいから言ってやれ!」
  西園寺は今までの流れからして自分は絶対有罪だと確信していた。だが最後の悪あがきくらいしたかった。醜かったとしても。
  海馬は切り札の紙っぺらを取り出すとふるふると震える手でマイクを手にしてカセットデッキのスタートを押した。
  唐突に中島みゆきの「あの娘」が流れ始め…海馬が歌う。

 やっさしい名前をつけた子は
  チョコをもらえると言うけれど〜
  僕がチョコをもらうには〜
  改名しないともらえない

 よくある名前をつけた子は〜
  義理でも貰えるというけれど〜
  僕に義理が届くには〜
  頭を下げなきゃもらえない

 ゆうこあいこりょうこけいこまちこかずみきこまゆみ
  みんなにチョコをくばり歩くのに
  僕にはない〜の?

 きれいで
  かれんで
  すなおで
  比べりゃあの子が天使〜

 妬いても泣いても
  あの子にゃなれない
  僕にはゴディバ〜

 

 呆然となって静かな法廷に海馬の声が響く。熱唱してたらしく小指も立っている。
  さらに2番があった。

 

 あの子のルックスを真似たなら〜
  僕を見ていてくれますか?
  あの子の口調を真似たなら〜
  僕に声をかけてくれますか?
  あの子の笑顔を真似たなら〜
  僕に微笑んでくれますか?

 たとえば僕が整形しても
  誰にも気づいちゃもらえない

 ゆうこあいこりょうこけいこまちこかずみきこまゆみ
  みんなにチョコをくばり歩くのに
  僕にはない〜の?

 きれいで
  かれんで
  すなおで
  比べりゃあの子が天使〜

 妬いても泣いても
  あの子にゃなれない
  僕にはなみだ〜

 

「続いてさんばん!」
  カンカンカン!
「静粛に! 弁護人、歌で訴えかけるのはよしなさい。西園寺無罪」
「なによ、まだ黒いジャージャー麺のところ歌ってないのに!」
「やかましい。誰も鈴木をうらやましいとか思っとらんわい! それ以上歌うな!」
  みじめな気分になる歌を熱唱されて西園寺が半ギレで叫んだ。
「被告人もそう言ってますので、これにて閉廷」
前半あれだけ長かったくせに裁判はあっさりと終わった。

 それぞれがそれぞれの持ち場に戻ってその後も何事もなかったように毎日がすぎていっている。きっと海馬のあの歌が教えてくれたのだ。
  チョコはパンと水より重要なものだということを。

◆◇◆◇
それから一ヵ月後
「さすがにホワイトデーに怪人はでてこなかったわね」
「姫、そもそも怪人でなくて怪盗だった気がするんですが」
「怪人ってあれだわ。森なぎ倒しながら歩くんですのよね?」
「馬鹿者、それは怪物だ」
その日も馬鹿馬鹿しい会話が生徒会室でされていた。そのとき、扉の向こうから声がした。
「おーい、ちょっとドア開けてくれないかな?」
  鈴木の声である。
  近くにいた西園寺が無視したので李樹が扉を開ける。華奈が歓喜の声をあげる。
「大きいチョコレートケーキ!」
「ホワイトデーだし、みんなで食べようと思ってさ」
  机を寄せたり拭いたりしながら場所をあけてケーキ皿をならべる。
「ん〜絶品ですわ!」
「会長パティシエになるべきや」
  鈴木お手製のケーキを食べながらみんな幸せそうだった。西園寺が一人だけ意地を張って食べないので、深沢が近寄って言った。
「美味しいですよ? 一口いかが?」
「ふん、鈴木の作ったケーキなんぞ食わん」
「そう言わずにどうぞ一口、ここに劣さんのケーキ、置いておきますわよ?」
  ことん、とテーブルにケーキが置かれた。見事にデコレートされたケーキが「勝がんばったね。ご褒美だよ」と言っているようだった。一口くらいなら食べてやらんでもない。そう思って一口、食べる。
「ふごおおおおおお!」
「劣、泣きながらケーキに顔つっこみつつ食べるのやめろ!」
  喉を詰まらせた西園寺に、鈴木が慌ててお茶を持っていく。
  ふと剛が気づいた。
「会長、最初から1ピースだけ切り取られていたみたいですが、それは?」
「ああ。味見もせずに出せないだろ? 味が変じゃないか確かめたんだ」
「なるほど」
  あっさり納得して再び剛は舌鼓を打った。

◆◇◆◇
「それにしても〜あれですねー、ホワイトデーに裁判部の男子は何もくれないんですかぁ?」
  不満たらたらの空乃に海馬が噛み付く。
「アンタたちだってバレンタインのときにチョコくれなかったじゃない!」
「あれは怪盗バレンタインが――」
「陸、無理な嘘をつくのはやめろ。お前はチョコなど作れない」
「いや、だから部活用に買ったんだけどね、くえっくえっくえチョコボールのあれ」
  森下と陸のやりとりを聞きながら、山住は太田を見た。
「裕子ちゃんはちゃんと作ってたみたいだけど……」
「はい、だけど怪盗バレンタインからチョコを守るためにとっさに食べちゃいました」
「だだだだだだ誰にあげるチョコだったんですか!?」
「机に乗り上がるな山住、見苦しい」
  がっつく山住に森下が呆れたように言った。
「女の子の友達と交換して食べようと思ってたんですけれど、死守しようとして各々が各々のチョコを食べちゃったみたいです」
  どうやら友チョコだったようだ。安心したんだか、がっかりしたんだかわからない山住だった。
「そういや河野先輩とHIDE先輩とどうなったんだろう」
「河野先輩とHIDE先輩がどうなったかは知らないけれど、HIDE先輩の前髪がまともになっていたよ」
「「えーーー!?」」
  森下のニュースにみんなが愕然した。
「あの先輩から前髪をとったら何が残るというのですか!?」
「普通のうるさい人です」
「ほら」
  暴言を吐く一年生たちに佐藤から送られてきたメールを見せる。二年生も覗き込んだ。
「誰ですか〜? これ、眼鏡もつけてなければ前髪もない」
「イメチェンしてまっとうな人になっちゃったのね」
  海馬と空乃が顔を寄せて携帯を見ている。森下は補足した。
「いや、普通に美容院変えて、コンタクトにしたらしい」
「やっぱり藍井亜衣の一言がよくなかったのかしらねえ」
「ああ、巷で大流行でしたね。『大事にしている毛ははげて前髪だけしか残らない』」
  陸の言葉に思い出したように戸浪がぼそっと呟く。まさに呪いである。五十嵐がぼんやりと呟いた。
「本当、藍井先輩、今頃何しているんだろうなあ……」

◆◇◆◇
同じ時間の頃
  卒業した亜衣は学校から匿名で招待状をもらった。学校に来ると自分の下駄箱だった場所に、ボックスに入ったチョコレートケーキが置いてあった。
  差出人の名前は書いてなかったけれど誰なのかはなんとなくわかった。
  指でひと掬いデコレートされているクリームを食べてみた。
  チョコレートの味がした――

(了)