214事件

06

◆◇◆◇
  かわいた音をたてて引き戸が動いた。
「戸浪ー、遅いじゃないのよぉ〜」
  パソコンから顔を上げて海馬が言った。
「すみません。少し取り込んだ話をしていて遅れました」
  戸浪に招きいれられて入ってきたのは鈴木と加藤だった。鈴木はぺこりと頭を下げて
「お忙しいところすみません」
「あら、鈴木会長良くぞおいでくださいました。その、ハーゲンダッツでもいかがです?」
  ハーゲンダッツを食べるのに忙しかった河野も顔をあげる。食べかけのハーゲンダッツなんて普通いらない。
  海馬と森下が厭とばかりに顔をしかめる。
「ちょっと、なんで鈴木くんと加藤くんと帰って来たわけ?」
「悪いけど、僕は加藤くんと西園寺くんの弁護は絶対しないからね」
  既に招かれざる客扱いで鈴木は正直居心地悪かった。
  加藤は隣で食べかけのハーゲンダッツをご相伴に与かろうとしている。戸浪が言った。
「加藤くん、採血してから食べたほうがいいですよ」
「そんなに大して変わらないって。で?誰が俺の代わりに尿検してくれるわけ?」
  そうだ。血液検査に来たんだ。でもなんだか自分の都合ばかりで申し訳ない気がする。加藤だけ採血してもらって自分は尿検にまわろうかと思った矢先、戸浪が口を開いた。
「実は、ここにはまだ来ていませんが、うちの部員の二名は既に検査を受けているんです。全員血液検査で大丈夫ですよ。二個余計にストックしていたんです」
「そうだったんですか!?」
「その分、しわ寄せが他の部活にいくってわけですか。哀れ二名ほど尿検になるわけですね?」
「社会はそうやって回っているんですね! 私たちはその犠牲を無駄にしてはいけません、きっちり採血しましょう!」
  一年生三人が口々にそう言った。
  戸浪が持ってきた針と小型血糖計測器をならべる。しっかり人数分あることを確認すると戸浪と松山が説明書を見て手順を把握する。
「では、採血しますので、ひっく、指だし、ヒッ、てくだヒッ……」
  松山が針を持って痙攣しているのを見て周囲が青ざめる。
「松山先輩、いくらあまり痛くない針でも危険すぎヨ!」
「そうですよ。そんなの戸浪に任せておけば万事丸くおさまります」
「松山先輩がしゃっくりさえなければあなたが注射の達人だって誰だって知っています! さあ、針を戸浪先輩におとなしく渡したまえ!」
  必死で説得している面々に割り込んで加藤が松山の指を見た。
「俺、部外者だからよくわかんないけど、注射で人を仕留めるのと、針で人を一発で仕留めるのは違う。指先が震えているぞ、そんなんじゃ、痛いだけだ!」
「話をややこしくするなよ! 可哀想じゃあないか!」
「そーだそーだ!」
  山住と五十嵐が加藤に抗議した。
「あはは。どこもこんな感じなんですね」
  鈴木は力なく笑った。
  話がまったく進まないこの雰囲気、中高生はお箸が落ちただけれでも大爆笑だ。みんなひとつひとつの出来事に嬉しそうだった。これを青春と言うには何か違うものを感じるが。
  戸浪が淡々と計測器の準備をしながらぼそぼそと言った。
「みんなノリがいいですね。では針を」
「ううう、ひっく、別に達人っじゃないですよ。ごめんなさい、私がおもしろいくらいしゃっくりが出るからしわ寄せは全部戸浪くんに回って。新部長になってまですみませんん」
「何言ってるんですか。最初から部長とか先輩とか後輩とかあまり関係ない部活じゃあないですか。自分はもうこれでいいんです」
  言いながらも順々に測りながら、ぼそぼそと気にしていない様子で淡々と作業していく背中に鈴木の胸は打たれた。
「お、劣……」
  その姿はなんだか西園寺を彷彿とさせた。
  鈴木は思い当たることがあったらしく、携帯を取り出して西園寺宛にメールを送った。
――議長なのにゴメンな。お前は丁稚じゃないよ、勝だよ!
  と。
  一方裁判部の血糖値は河野がぶっちぎりで、他は話にならなかった。
「おめでとうございます! これでベスト10の仲間入りですね!」
「ちょちょちょちょっと、この桁、ベスト1じゃない?」
  のんきに喜ぶ太田と慌てる河野。
「河野先輩このままじゃ容疑者になっちゃいますよ!?」
「大丈夫、僕たちが全員証人になるから。旧裁判長はハーゲンダッツを食べていただけだって。それより河野先輩やっぱり糖尿病だったんですか?」
  五十嵐と山住が値を見ながら言った。河野は頭をガリガリと掻いた。
「あちゃーこれで私も病弱少女の仲間入り? まっつんこれから病弱同士仲良く大学ライフだよ」
「それ本当だったら笑う場面じゃないですよ!」
「では。本物の加藤くんの血糖値を測ります」
  山住のツッコミは無視して、戸浪が次の針をとりながら言った。加藤は首をふって言った。
「ビッグイベントは最後だ。まず鈴木から頼むわ」
  現在ベスト1は河野里枝、ベスト2が偽加藤竜弥である。渋る加藤に五十嵐と太田がインタビューした。
「加藤選手、ベスト1をねらっていたご様子ですが、既に河野選手の全校的な記録が出ています。ちょっと厳しい戦いになりそうですね。審査員の太田さん、どうなるでしょう?」
「一位の座を狙うのも手ですが、ライバルの偽者を三位へと突き落とすのが彼の目的じゃあないでしょうか?」」
  加藤は笑いながら五十嵐と太田に言った。
「おまえら、もし予想的中だった場合、弁護はお前らどちらかにしてもらうから」
  加藤の弁護はしたくない。限りなく怪しいとバッシングもくるだろうし。
  五十嵐と太田が挙手して言った。
「自分は河野先輩と同じ数値でベスト1を賭けます」
「私、その下のベスト2に賭けます」
「五十嵐、逃げたつもりか? 俺が訴えられたら問答無用でお前が弁護士だ」
「あの、加藤くん。なんで最初から捕まる気満々でいるの? どっちにしろ、偽者と近い数字はヤバイんじゃ……」
  五十嵐と加藤の間に割り行って鈴木が言った。
「変な意地はるのはやめろ、フォローするほうの身がもたない」
  フォローして疲れた事件を思い出した海馬は言った。
「それにしても、また偽物なんて……。鈴木くんと須々木くんみたいにそっくりだったら見分けつかないわよね?」
「徹底的に根本が違えばわかるんじゃあないかな?」
「例えばなんでしょうかね? とても善人とか、とても賢そうで真面目そうだとか?」
  森下と山住の発言を鈴木は鼻で笑い飛ばした。加藤のそっくりさんは実在する。加藤の父親だ。最初見分けるのは本当に苦労したが今はなんとなくわかってしまう。
「あははは。似てるかどうかなんて関係ないよオーラでヤバイってわかれば……ッ……」
  針が指にふれてぷっくりと赤い玉が指先にできる。
  ピッと測定がはじまり数値が出る。
「正常値です。では加藤くん、指出してください」
「ああ、もうまわってきたの? 受ける前にさ、一言。戸浪先輩、血液型も調べる気だろ?もし採る気だったなら、俺の許可得てしてくんねぇ?」
  血液を採取しようとした戸浪の動きが止まる。
「もちろん、証拠になりますし……」
「調べる手間省く意味で言うけど、市販のじゃエラーがおこると思うよ? 超マレな血液型らしいから」
「そうですか。では、レアものを拝見させていただきましょうか」
  針から、血が落ちる。五十嵐がまじまじと凝視して、呟く。
「なんか、あんまりありがたみがある興味深い色でもなんでもない普通の血ですね。触れると溶けたり痒くなるとかあるんでしょうか?」
加藤はゾンビの真似をしながら五十嵐の顔に血をなすりつける。
「キシャ〜灰になるぅぅ〜!」
「ぎゃはは! 死ねーい! 妖怪!」
  妖怪ごっこをしている二人をよそに加藤の数値に皆がどよめく。
「あ、ありえない」
「アンビリーバボ! ってこの時のためにある言葉ですよね?」
「流石ね。レアなだけあるわ……」
  みんな楽しそうにはしゃいでいるのに、一人だけ鈴木の顔が青ざめているのを見て、加藤は数値を覗き込んだ。そこには河野と同じ血糖値がしめされていた。
  加藤と五十嵐はまだ騒いでいる。
「わーい、あっちょんぶりけ! よろしく五十嵐弁護士。お前の余命カウントダウン入ったぞ」
「うわーん、あっちょんぶりけ! なんか鼻の下に汗が! 痒い!」

 予想していたが、いざ目の前にこの数値見ると眩暈がした。どうしよう、爆弾をふたつも抱えてしまった。
  加藤が白だろうが黒だろうが、なんか殴りたい気分だ。
  そんな時、携帯のコール音が聞こえはじめた。

 

◆◇◆◇
「予想外に、大混乱ね……」
  冬姫は通告書に目を通しながら呟いた。
  自分がとった行動がどれだけの影響を及ぼしたのか。吉とでるか凶とでるか正しい選択ではないことはわかっていたが、犯人を捕まえられたら万事が解決ではない。
  この事件で色々な人が不快な思いをしている。生徒会はこちらのほうに重点置くべきかもしれない。
「結局、私が選んだ行動って、疑いの幅を増やしただけで、犯人逮捕を複雑にしただけじゃないかしら。効率が悪すぎたことと疑いがかかった方たちに何とお詫びすればいいやら」
  落ち込み気味の冬姫を見て生徒会の面々が慌ててフォローする。
「で、でも 普通の学校じゃこうも大胆に調べる機会なんてないですわ! ね! 月崎そうでしょう!?」
「そうですよ! 滅多な体験じゃないと思います!」
「そうね。チョコの紛失でここまでやる副会長は私ぐらいね」
  開き直りはじめた冬姫を煽るように李樹が言った。
「そうや姫様! この学校で生き残るにはそれぐらい派手にぶちかまさんと! だって前の世代の副会長は灯油切れに困った時期に、生徒会室だけ南国気分を味わっていたらしいで。水着で過ごしてたって広報部が!」
  李樹の肩をぽん、と叩いて深沢は静かに言った。
「川島くん、それはデマです。ゴシップです」
「いいえ、千早ならやりかねないですわ。むしろ佐藤生徒会長はストーブの上で餅を焼いていたって探偵部の部長さんが情報を無料提供してくれましたわ」
「少なくとも姫副会長はマリーアントワネット思想で動いていないじゃあないですか!」
「そういう問題じゃあないわ」
  冬姫はぴしゃりと言うと、楽観的で愉快すぎる仲間たちを見て、鈴木によくにたため息がもれた。
  加藤や西園寺や華奈がいなくても緊張感のないこの空間。
  そうか。生徒会室に餅つき機やしちりんがあったのは加藤の持ち込みじゃあなかったのか。
「……そう言えば、劣は?」
  さっさと忘れてた議長の存在が、ふっ、と戻ってきたので深沢に聞いてみた。
「それなら、先ほど風紀委員から連絡が。どうやら会長が早く釈放するように頼み込んだそうですよ? 一時的に釈放でこちらに向かえているそうです。華奈ちゃんと更に見張りがついているらしいので、逃げられないと思います」
「そう。風紀委員が直々に来るならば話しは早いわ」
  全体の現状でも聞かせてもらおうと思った。それよりも、冬姫は鈴木が今どうしているかが気になって仕方がなかった。
  その時――扉が開きハイテンションな西園寺と華奈が雪崩れ込んできた。
「あひゃ! ただいまん!」
「ただいま戻りましたーたいちょっ!」
  やたらゲラゲラ笑う二人の後方に男子生徒が血を流しながら倒れている。誰が突っ込むべきかお互いが目配せをした。誰も動く気配がなかったので冬姫は西園寺に近寄った。
「お帰りなさい。劣、これなんだかわかる?」
  右手をあげて指を一本ずつ立てていく。それに合わせて西園寺は
「こゆび、くすりゆび、なかゆび、ひとさしゆび、おやゆび、全部で五本だっひゃっ!」
「そう、良くできました」
  冬姫はにっこり笑って西園寺の頬にめがけて思い切り平手打ちをした。ごきりと首が後方に向かってゆがんだ。
  よろめきながら西園寺が抗議する。
「痛い! ぶった! 殴った! 首折れた!きさんは俺の両親か!? 何様だ! みんなして僕を踏んだりけったりして……なんか吐き気が……」
「おかえり劣、さっさと自分の椅子に腰を下ろしなさい。山田さん、あなたも指数えますか?」
「俺ッチ正気ッス、問題ないッス」
  意識があっちの世界に飛び込んでいたふたりを飯島家療法で引き戻すと鼻血の男をちらりと見て、冬姫は聞いた。
「誰がやらかしたの?」
「劣ッス!」
「劣が?」
  確認をとるように西園寺の顔を見た。西園寺は頭を下げた。
「つい、かっとなって…」
  西園寺は顔面蒼白になった。鼻血がまだダクダク流れて、意識が戻らない衛を見おろして、鼻血ってこんなに止まらないものだろうか、と水緒の顔がゆがむ。
「彼、風紀委員でしょ? 何やってんのあんた!?」
「つい。じゃねーよ! 俺だって、ついかっとなって誰か殺すほど切れたことないよ!」
「別容疑かかってどうするんですか!?」
  次々に責められて西園寺はさらに動揺し取り乱しはじめた。チョコ容疑だけでも生徒会に敵をつくってしまったかもしれないのに、今度は人に怪我を負わせてしまった。
  どんどん周りから疑惑の目を向けられる。
  西園寺は叫んだ。
「僕はもうお終いだー!」
  深沢が静かに言った。
「落ち着いてください。落ち着いて処理すれば些細な事故です」
  それを受けて水緒は素早く横の二人に命令した。
「そうね! 剛、川島! シャベルとスコップ!」
「待ってくださーい! まだ死んだとは限らないじゃあないですか! 埋めちゃだめですよ」
「そうだ! 勝手に僕を殺人者にするな!」
  ギャーギャー喚いている人たちを無視して冬姫は倒れている生徒に近寄った。意識があるか確かめたあと、できる範囲で調べてみる。
「軽い、脳震盪を起こしているだけみたい。外傷は引きずられてできたかすり傷と、鼻からの出血、それと頭に軽いこぶ。死にはしないでしょうけど少し冷やして休ませるか何かしたほうがいいわね」
「私、救急箱をもってきますね」
  深沢が棚に向かうのを見て、水緒は鼻息荒くまた命令口調で言った。
「ほら、剛、川島、劣、けが人をソファーまで運ぶ!」
  それにかちんときたのか西園寺と李樹が言い返す。
「お前は偉そうに指示しているけど、手ぇ動かせや!」
「そうだ! 冷たいお茶でも汲んで来い!」
「お茶じゃあなくて冷やすための水汲んできてくださーい」
「じゃ、俺っちは手のあいてそうな保健委員呼んでくるッス!」
  華奈が廊下に飛び出ようとしたときに何かが前に立ちはだかった。
「む、何者! 退けッス! 人命かかってるッス!!」
「東雲高校の事件あるところにこの人あり。探偵部、亘裕太!」
「見た目も中身もそのまんま、探偵部、立部良郎」
「フォーリンラブキュート! 広報部、井上園子!」
「ぎゃー! いらないのが来たー! 最悪トリプルパンチワケワカメ」
  西園寺が叫んだ。ワケワカメが死語かどうかは知らないが、古風でわかりやすい。
  本当に最悪なのが最悪のタイミングで来た。
  皆の動きがぎこちなく衛を隠すように盾になる。
  華奈はそっと扉を閉めようと手を伸ばすのを冬姫に背後から呼び止められた。
「およしなさい。ごらんのとおりの光景ですけど。なにか?」
「怪しい血痕が生徒会室まで続いてまして……ご存知ですか? 飯島副会長」
「どうやらそのようね。どこらへんから続いていましたか?」
「東館と中央館の北側渡り廊下から、ここまでくっきりと残っているでござるよ!」
「後ろに倒れている人がまさに被害者ですね!?」
  嬉しそうに井上まで便乗してくる。それには答えず、冬姫は西園寺たちを振り返った。
「劣、山田さん、今のに間違いはある?」
「間違いは多分ないと思うが、そいつらが思っているような出来事は起こしていない!」
「俺っちも反論は無いッス。でも! なんか違うっス!」
  冬姫は探偵たちのほうを向いて早口でこう言った。
「余計な事で時間は割きたくないのですが、でまかせで人騒がせなご報告をされるとこちらも困りますので手短に推理なさって。……なんか文句ある?」
  冬姫が言いたいことはこうだ、うせろ。
「む。聞き捨てならんでござる。拙者嘘つかないでござるよ!」
「隠そうとしたって無駄です。怪盗バレンタインはこの中にいる!」
  冬姫の目じりがつりあがる。
  もし、生徒会内にも怪盗もどきが存在したら?
  自分のチョコレートをそいつにとられたとしたら? 先ほどから挙動不審なのが何人かいる。いやしかし、副生徒会長として全権をまかされ、先端に立って指示している自分が、身内までも疑ってどうする?
だが……心に引っかかる疑問は断ち切らねば。冬姫は立部に聞いた。
「何を根拠にこの中に限定するんですか?」
「僕の推理が正しければ怪盗バレンタインはチョコ奪還が目的とは思いません。ただの余興、ただの目くらましなのです」
「ああそう、だとすれば腹立たしいわね」
  チョコが目当てでない、だとするとこれはテロやデモのような革命活動なのだろうか。鈴木生徒会長を引きずり落とそうという陰謀、そんなところだろうか。
  だが目の前の立部はそんなに頭が良さそうには見えなかった。
「情報によりますと、鈴木生徒会長の暗殺が真の目的! ズバリ、あなただ! 西園寺勝!」
「間違いないでござる!」
  立部の言葉に亘が頷く。生徒会室に沈黙が訪れた。西園寺が怒りやら呆れやらを凝縮して低い声で言った。
「……きさん、殴っていいか?」
「劣が殴る価値もないッス」
「そうや引っ込め! 会長を殺すってどれだけ強敵まわす気や!」
「馬鹿も大概にしてくださーい!」
「阿呆らしい」と片付ければ早いものだが、どんな些細でアホな事もスルーせずにレシーブするのが東雲高校だ。鈴木のブルセラ事件、次は214事件。いい加減切れそうだ。真っ二つに。
「そのいい加減な情報はどこから仕入れてきたんですか?」
  冬姫は淡々と聞いた。井上が後ろからVサインをしているのが見える。
「井上さん、今回もまた何のつもりで騒ぎを大きくするんですか?」
「西園寺くんは鈴木くんを愛するあまり……なーんて事、言うと思いましたか? 違います。あれは西園寺くんじゃありません! もっと、こう、スレンダーですべらかに機敏な動きができる人です! そいつが鈴木くんと加藤くんの周りをウロチョロしてました! 実際に加藤くんに化けてました。あれは絶対狙っています、鈴木くんを!」
  どこまでも出てくる彼女の妄想に生徒会メンバーは呆れつつあった。
「よくもまぁ、そんな陳腐なハッタリかませますわね」
  水緒が怒り心頭と呟いた。
「劣くんには全然関係なさそうじゃあないですか。しかも暗殺計画なんて……探偵部も良く信じてあげましたね」
  はあ、と剛がため息をつく。
「さて……本気で生徒会(うち)の者を怪盗バレンタインとして疑うつもりですか?」
  冬姫にキリッとにらまれて心なしか控えめに立部は言った。
「え? まぁそのつもりでしたが……まぁバレンタインに襲撃された被害者を偶然にもそちらの係りの者が保護して、手当てをしているというところでしょうか?」
  後ろの方深沢が衛の鼻にティッシュをUの字型にねじ込んで、傷の手当てをしている。
「はぁ、いけません。顔面の傷が目立ちますね。伊藤さんファンデーション貸してくださる?」
  水緒は「まるで死に化粧だ。オカマのようにならなければいいのだが」と、思いながら深沢にファンデーションを渡した。

◆◇◆◇
「おお。来たか、ここだ! 酷い髪!」
  巨体の海堂と久保田はすぐに目に入った。あちらもおかしな髪型の先輩に気がつくと手を振って合図してきた。そしてHIDEの第一声。
「髪の毛は関係ない!」
「こんにちは! 広報部の井上園子です!」
  髪の毛についてはにべもなく流された。海堂が汚物を見るような目で園子を見る。
「あの破廉恥広報部2号か? K様くんをあんな前髪ぼさぼさ野郎とくっつけて! 汚らわしい! 書くなら俺様とK様くんの純愛にしろ!」
「K様先輩は海堂先輩と純愛関係なんですか?」
「………いや、特には」
  久保田があっさり否定した。井上はにっこり頬笑む。
「嘘は書けませんね」
「普段ゴシップ書きまくってていけしゃあしゃあと!」
  食ってかかる海堂に井上はずい、と体を前に出して言った。
「今日はこの事件の真相を記事に書きたくて来たんです!」
「腐っても広報部なわけだな。まあいい、巨人兵、鈴木と加藤と接触しているな?」
  HIDEが情報の正誤の確認をとると、久保田が口を開いた。
「加藤は、犯人じゃあない……と思う」
  HIDEは片眉をぴっくりと動かす。
「……で? 根拠は?」
「根拠なんて必要ない。見ればわかる、あの子の目が全てを語る」
「わけわからないが、話によると加藤のデータがあるのに本人は否定しているそうだな?」
「前データは偽者らしいです」
「なんで偽者だと思うんですか? 本人が嘘ついているという可能性は?」
  メモを片手に詰め寄る井上に動じず久保田は言った。
「可能性はなんとでもとれる。かなり怪しい人物には違いない。だが、ひとつ言えることがある」
「なんだ?」
  HIDEは偉そうにふんぞり返ったまま聞いた。
「調べによると入学当時に正式に鑑定された加藤竜弥の血液型は特殊型だが……この最初に採取されたという、血液型はAだったということだ」
「なるほど。加藤ではなく、装った側に徹底的な判別できるものがあるんだな?」
「あ、あの……血糖値のセンサーって血液型までわかるんですか? 海堂さん」
「いや、血糖値用の測定器にはそんなものはないが、怪しい人物を刺した針は別の部活に回して徹底的に分析しろって、ふざけた上司から先ほど命令が……」
「ふーん、血液検査もできるんですね。で、本物の加藤くんはどうだったんですか?」
「無論、ちゃんと再検査させただろうな? 針とデータを見せてもらおうか?」
「検査はされたようですけど、データはこちらにはない。パソコンで通知がきたくらいだ」
「誰だ!? そんなすっとぼけた適当な対処したのは!? 担当員は?」
「あ、分かりました! 尿検査されたんですね? たしかストックが切れてまだ尿検査しかうけられない生徒さん多いみたいだし、そうかー尿検査じゃまた話は違いますものね」
  血尿でもないかぎり、血液型はわからないということだ。しかし、久保田がかぶりを振った。
「……いや、実は。裁判部に血液センサーを横流ししている最中にタイミングよく来られたんで、裁判部に任せた」
「探偵部、貴重な資材を横流し……と」
  井上がとったメモを強引に破り捨ててHIDEが怒る。
「なんでお前、付き添っていかなかったんだ! お前の目は節穴か!? 加藤見張らずお前何してた!?」
「ちょい待ちな! K様くんは俺といっしょに特別任務をしていたんだ。なんか文句あるか!」
海堂に怒鳴られたりしたくらいじゃ引き下がれない。HIDEは井上の服の裾を掴んで言った。
「その内容のによるな。もしふざけた任務だったりしてみろ、K様を井上の腐れゴシップ記事でトップに飾るぞ! さぁ井上さん、何か思い切ったフレーズをひとこと」
「はぁ?」
「なんかきついの。背骨折れるような」
「えーと。…………『ミルキーはK様の味』?」
  井上も含めた全員が唸った。違う理由か同じ理由かはさておき。
「いまいちだな、そのタイトルセンス」
「……。メイク部でメイク用の覆面が盗まれたそうだ。まあ、特殊メイクのマスクと言うべきか」
久保田の発言にHIDEがよろめいた。
「メイク部。あったな。めちゃくちゃ金のかかる派手な部活が……コスプレ部と仲いい、あの部活か。そういえば怪しげな薬品横領の問題になったことが昔あったよな? 中古で髪の毛洗濯機とか無許可購入とか、碌な部活じゃない!」
「へー、腕はいいのに?」
「井上園子もそこでお世話になっているのか?」
「まあ、人並みには…」
久保田の質問に当然のたしなみよ、とばかりに言う園子。HIDEがかんばしくない表情をする。
「あまり薦めないな。無許可で人の体をいじくりまわす奴等は。化粧水に毒性反応が出たらしいぞ。それは置いておいて何か情報つかめたか?」
「マスクはひとつあれば何パターンにでも改造できる新兵器だそうです。しかしメイクの練習台としてまだ試用段階らしい。さらに無許可で購入したばかりに被害届けも出せなかったそうですが……今回の事件の家宅捜査でぼろっと出てきたわけです」
「で? いくらぐらいするんだね? その品は」
  久保田はHIDEの前に手で数字を書く。顔面蒼白するHIDEと井上。
「そ……んなに……するんですか?」
「メイク部の自腹らしいが、その仮面も欠陥品で相場より安く手に入れたらしい。犯人がそれを所持しているとしたなら早く取り上げるのが得策だと思うね」
「なぜですか?」
「人間が長時間つけていると、かぶれとシミが将来いっぱいできるそうだ」
  井上はぶるっと震えた。受験よりも子供ニキビが気になった日々……ビフナイトは水でこすってもなかなか落ちずに苛々した。
「女としては笑える話ではありませんね」
「なるほど、化粧下地はそのためのものだったのか」
「化粧下地とパック、どちらを使ってやっと肌が守られると聞きましたか?」
  HIDEは久保田から話を聞きたいのに、邪魔な質問んをしてくる井上をどこかにやりたかった。
  しかし、邪険にするにはあまりに危険すぎる人物だ。
「まあ、長時間つけていられないのが特徴だ。三時間はやせ我慢できても、鼻が痒くなって目がしょぼしょぼするらしい」
「本当に欠陥だな。だがチャンスだ。怪しい奴は全員ひっとらえて三時間目を光らせていればいいんだから」
「じゃあ怪しい人捕まえにいかないと。加藤くんはふたりいるんでしょう?」
「ああ、まずは裁判部をあたってっみるか。K様、残り三人集めて加藤竜弥を捕まえろ。海堂、お前は放送部から暇な奴のために加藤を指名手配しろ。ともかく奴はすばしっこいからな、バリケードは強化しろ」
「本物のほうはそう問題じゃあないですよ」
「私も協力します! 手分けしたほうが早いし!」
  井上が協力すると言い出した。人使いの荒い旧部長に何か言いたそうな顔をして、結局久保田は
「……わかりました」
と呟き、シャリーンに電話した。
「シャリーン、現在加藤竜弥が2人いるらしい。片方は怪盗バレンタインだろう」
――はあ? あっそ。だから?
「……」
――さっさと言え。木偶の坊
「部長からの命令だ。加藤をふたりとも捕まえろと言われた」
――ちょっとアンタ、いつから部長になってんの? 命令だ? いいご身分だね。幽霊部員!
いきなりののしられた。なぜかシャリーンは自分に食ってかかる。なるべく短くないセンテンスで話しかけるよう心がけることにした。
「そういう意味で言ったわけじゃあないんだが、あー……偽物を捕まえた者には部長の座を部長に譲るって、違う捕まえた者に部長の座を譲ると部長が言ってたぞ」
――あんた何言ってるのかまったく意味わかんないけど部長はこの私よ。で、その情報当てになるの?
「どっちの?」
  たしかにHIDEはこの事件について部長の座を譲るとは言ってない。むしろ久保田に押し付けていったのだが、久保田は部長になんてなりたくない。この際だからシャリーンに犯人を捕まえてもらえればいいなあ……などという甘い考えだったが、しかしその情報がバレンタインの話なのか部長の座の話なのかわからない。
――加藤がふたりのところよ。風紀委員をとおしてあんたがサボってないか確かめてて、情報は筒抜けだけど、三時間弱よね? タイムリミットって加藤偽者だと思われる前者は四時間前に目撃されていて血液検査を受けている。と、すれば……もう加藤の変装はしていない可能性が高いんじゃない?
「そうだな。その可能性も否定しない。だが、俺は加藤竜弥のマークにまわる」
――それからもうひとつ、部長さんに伝えて。三年生のひとりがまだ検査してないわ。藍井亜衣、県大会まで上り詰めた新体操部。いまだ足取りが掴めない。加藤くんより黒い存在だわ。メイク部にも顔が利いているし
「長谷川……」
――な、何よ?
「ありがとう」
――に、偽物の情報流されているみたいだから忠告しただけよ! 加藤でも追ってれば?
  ぷつりと音信が途絶えた。
「……おい、切るな。まだ伝えてない事があるんだが」
  下の後輩ふたりにはシャリーンから連絡をしてほしかった。久保田は後輩と馴染めない。尊敬されない部長ほどやりづらいものはない。
  シャリーンとマリーンとはなんとかコミュニケーションがとれていたが後輩ふたりとはどうしても距離を感じる。例えるなら歳が10歳ほど離れている従兄弟なみに扱いにくい。親戚の結婚式と葬式にしか顔を会わせないというこの扱いにくさ。「昇くんめんどう見ててね」と親たちだけどこか行きやがって、最近流行っている歌の話で全然噛合わないのとどこか似ている。
意を決して、平仮名順に立部にコールした。
「コードネームK、部長命令だ。加藤竜弥を拘束せよ」
――こちら名探偵立部良郎、井上さんと共に今から生徒会に乗り込むところですが。
「井上? 広報部の井上か?」
――あいや! 待たれい!
  会話が途中で途切れる。女の子の声も聞こえる。
「む、何者! 退けっす! 人命かかってるっす!」
「東雲高校の事件のあるところにこの人あり。探偵部亘裕太!」
「見た目も中身もそのまま。探偵部、立部良郎!」
「フォーリンラブキュート! 広報部、井上園子!」
  ぷつっと携帯は中途半端なところで切られた。
  どうやら自分には単独行動が性に合うらしい。携帯を閉まって裁判部に向かおうとしたとき、先ほどのシャリーンの言葉を思い出した。
  目の前にいる、もうひとりの井上に声をかける。
「井上さん、一緒に裁判部へ行きませんか? いいものが見れますよ」
「はぁい」
  いつものようにネタ帳を抱えた井上と久保田は裁判部へと向かった。
  この井上から目を離してはいけない気がする。

 

◆◇◆◇
「う〜ん、う〜〜ん……チョコ、チョコ怖い」
  衛が夢でうなされながら同じ言葉を繰り返す。
  それをテープで録音しながら立部が分析する。
「間違ってない。バレンタインに襲撃されたんだ! 証拠にチョコを怖がっている!」
「んなアホな」
  思わず李樹が呆れる。深沢が隣で頬笑みながら振り子を取り出した。
「チョコに嫌な思い出でもあるんじゃあないでしょうか? 私が催眠療法で聞きだしましょうか?」
「余計なことをしなくていから。探偵部さん、少し協力していただきたいんですが」
  冬姫が言いかかったところを水緒が止める。
「やめましょうよ。この人たちに協力を求めるのは命取りですわ」
「フッ! お任せください。この名探偵立部良郎が10分で真実を編み出してみせましょう」
「編み出すってなんかこじつけみたいですね」
「真実は行き当たりばったりでござるよ!」
冬姫はこれ以上西園寺と華奈の起こした流血沙汰に触れないように別の餌をちらつかせた。
「実は私のチョコも怪盗バレンタインに盗まれたんですが……まだ被害届けも事情聴取もろくに受けていません。ついでに現場を検証していただけませんか?」
「なんですとぉおお!? そんな馬鹿な」
  その話を聞いた瞬間立部は驚愕の声と共にあとずさった。
「姫がチョコを!?」
「受け取る側じゃないんですか!?」
  探偵部のふたりに冬姫が何か言おうとした瞬間、先に生徒会の女子が腹を立てた。
「常々失礼な奴ッスね!」
「副会長も女よ!」
「会長が副会長にチョコを上げる行為のほうがキワドイんですのよ」
  便乗して西園寺も叫ぶ。
「そうだ! 鈴木キモ!」
「え? 鈴木ホモ?」
  井上がさらに事態をかきまぜる。
  冬姫はドスのきいた低い声で言った。
「作ったら悪い? 一緒に作るのを提案したのは私よ。文句ある? 鈴木に文句があるなら受けて立つわよ? さぁ、構えなさい!」
「姫、木刀なら会長に没収されたばかりじゃ……」
  剛の一言に冬姫はしばし沈黙して
「だから、さっさと事情聴取しなさい!」
  誤魔化すようにそう叫んだ。やがて冬姫の命令でわらわらと持ち場につく生徒たち。
  まとまりのない集団を無理矢理力でまとめ上げた。

冬姫の証言
  私が朝来た時には、既に例の事件で騒がれていたので、できるだけチョコレートは所持して行動していました。
  出席をとって鈴木と西園寺がいないことを確認しました。チョコもそのときは私の目の届くところに置いておきました。
  鈴木は家庭科部で先に事情聴取を受けていました。加藤もその時は一緒だったらしいのですが、その後は別行動になったらしいです。
  その後鈴木は真っ直ぐに生徒会室に来ました。
  西園寺はその時音信不通でしたが、西園寺にメールを送ったので履歴を見れば時刻ははっきりすると思います。
  議長の西園寺を抜いた状態で暫く事件の話をしました。
  鈴木の携帯から西園寺が身柄拘束されたという情報が入りました。
  月崎と部活と委員会に書類を命じて、山田に西園寺の立会人として向かわせました。
  その後、記者会見の放送が入りましたので、生徒会室(チョコ)の見張り役に川島を指名し、深沢、伊藤、私、鈴木で体育館へと向かいました
  帰ってきたらチョコは消えてました。部屋にいたのは月崎剛と川島李樹です。
  その時は深く追求しませんでした。やらなくてはいけないことがあったので。

「そうですか。では皆のアリバイを聞きましょう」
  立部が嬉しそうなのが冬姫の癇に障る。
「では西園寺くんから。おぬしだろ!」
「オイ待て。お前らが僕をとっ捕まえて連行したんだろうが! 今の今まで風紀委員に拉致られたのは僕だぞ! 身元はお前らが証明している。一番可能性低いだろうが!」
「……。一番手短に終わる人から消去法でござるよ!」
「あれ? じゃあ、このぶっ倒れている風紀委員はずっと一緒だったって事ですか? 怪盗バレンタインと接触したんですか? あなた方?」
「いや、だからその……」
「待ちや!」
  ごちゃごちゃした会話を李樹が横からさえぎった。
「この中で一番怪しいのはどう考えても俺だろうが! 余計な時間割くのはこちらとしても迷惑や」
「十分! はい、犯人発見、解決!」
「では、お縄頂戴」
  亘が李樹に縄をくくりつけた。ぎょっとした顔で李樹は叫ぶ。
「ま…待てつーの! 証言! 俺は疑わしいが俺じゃない!」
  李樹はとっさに口を滑らせた。
「俺はたしかに見張り役として居残った。せやけど、途中で用をたしたくなって見張りを交代してもらったんや!」
  水緒が思わず立ち上がった。
「まー部外者入れたなら最初からそう言いなさいよ!」
「かばってらしたんですか? 部外者を」
「ぶ、部外者ちゃう」
  一瞬しん、となった。井上がメモを取り出して聞いた。
「生徒会メンバー以外で出入りの激しい人といったら、加藤くん? ここにも変装したバレンタインが!?」
  しかし今の生徒会にとって、井上の妄想なんて右から左だ。
  冬姫は最初から川島李樹が犯人という可能性は低いと考えていた。あのチョコ騒ぎでピリピリしている生徒会室で、しかもあの飯島冬姫のチョコレートを奪うなんて真似できない。
  しかしチョコがなくなってから一番ソワソワしていたのはたしかだ。
「かばうもなにもない! 単にあの時のあいつはけったいな感じやったし、慎重に分析して考えて吟味していただけや。言い出すタイミング逃しまくっただけや! 白状するから堪忍して!」
  気がつかないうちに次第と周囲が白い目で李樹を見ていた。
  李樹は人差し指で勢いよく月崎剛を指差した。
「こいつや! こいつがすぐ帰って来たんや! せやから四〜五分トイレに出たわい。ホンマです!」
「えー!? 僕ですか? 違います。僕違います、犯人ともバレンタインとも関係ありません!」
  顔をぶんぶん振って否定する剛だが、血糖値が高いのは気になる部分である。
「先輩、お言葉ですが、僕じゃありませ〜ん。見張り役も僕じゃありませ〜んそれに、それに、それに、これといったアリバイが僕にはありません!」
「姫副会長、埒あかないっス。こいつらまとめてひっとらえてもらいましょう」
  冬姫はなんだかとてつもなく無駄なことに時間を浪費したような気がした。
  李樹も剛も犯人でないのはわかっていたが、何がどうなってこうなったのか分からなくなっていた。
  こういう時は無駄に混ぜずに落ち着いてお茶を飲んで気を休めたいところだ。
「深沢先輩、ハーブティー分けていただけるかしら?」
「はい。少々お待ちください。今暗示を終了させますから」
  深沢に何をされたのか、治安衛はぶつぶつと「チョコはお友達〜チョコは餌じゃない〜」と呟き始めていた。

「ちょっこれいと、ちょっこれいと、ちょこれいとはーめ〜いじ……」
  周囲のペースについていけず西園寺はぶつぶつ歌いはじめた。もうやってられない。
  ブランコに乗りたい気持ちでいっぱい、おなかいっぱい、アタマいっぱい。
  半ば呆れて話に参加するのを放棄した西園寺は手持ち無沙汰に携帯をいじった。
  鈴木からのEメールが届いており、そこに書いてある内容があまりにもふざけた内容だったので一言何か言ってやろうと鈴木に電話をかけた。
――はい、鈴木です
「ぎ・ちょ・うの勝ですが? なんか文句あるか! か・い・ちょ・う、馬鹿王子」
――冬姫どうしている?
「いきなり女の名前が来るか! 少しは生徒会長らしく、学校の状況とか気にしたらどうだ? 大体なんだあのふざけた謝罪文は? どうせなら僕をもっと称えろ、崇めろ! 腹立たしいことにきさんがいないとちっとも話が進行しないんだけどな!」
――すまん、俺のワガママで。でも……
  話を進行させるはずの議長が今の今までいなかったのも事実である。
――それより苦しい状況になった。加藤の血糖値がベスト1、加藤の弁護士は五十嵐がやってくれるみたいだけど、西園寺の弁護士は……」
  誰もやりたがらないんだ。と続く言葉を遮って西園寺は言った。
「海馬にでもしておけ。それよりさっさとこっちに戻ってこい! 風紀委員はぶっ倒れるし、探偵部と井上園子が押しかけてきて荒らされて仕事が進まないんだが?」
「あー……じゃあ、いったんそっちに……」
  そこで会話がいったん中断される。電話越しになにやら口論のようなものが聞こえてくる」。
「もし、もしもし? もしもしもーし? 鈴木ー? 馬鹿王子ー?」
「何しているの?」
  いくらか頭がクリアになった冬姫が話しかけてきた。
「馬鹿王子からだ。って返せよ! 自分でかけなおせよ!」
  冬姫は西園寺から携帯をもぎ取り耳を添えた。

◆◇◆◇
その頃の馬鹿王子は
「はい、鈴木です」
――ぎ・ちょ・うの勝ですが? なんか文句あるか!か・い・ちょ・う、馬鹿王子!
  電話に出るなり、第一声はそれだった。けんか腰の西園寺の声が聞こえた。
  ああ、そうさ。自分は大真面目に馬鹿な行動をとっている。会長なのに反射的に飛び出して、彼女に全部本来の仕事を押し付けているのだから。
「冬姫どうしてる?」
――いきなり女の名前が来るか! 少しは生徒会長らしく、学校の状況とか気にしたらどうだ?大体なんだあのふざけた謝罪文は? どうせなら僕をもっと称えろ、崇めろ! 腹立たしいことにきさんがいないとちっとも話が進行しないんだけどな!
西園寺は怒り心頭である。鈴木は謝った。
「すまん、俺のわがままで。でも……」
  一番お留守にしていたのは西園寺だ。
「それより苦しい状況になった。加藤の血糖値がベスト1にランクインした。加藤は五十嵐に弁護任せるみたいだけど、西園寺の弁護士なんだけど……」
  誰も西園寺の弁護をやりたくないということをどうすればソフトに彼のナイーブな心を傷つけずに伝えることができるだろうと考えあぐねているうちに西園寺が言った。
――海馬にでもしておけ。それよりさっさとこっちに戻ってこい! 風紀委員はぶっ倒れるし、探偵部と井上園子が押しかけてきて荒らされて仕事が進まないんだが?
  加藤は手錠で繋がっているししっかり自分が見張っていれば加藤の証人にもなるし、これ以上騒ぎを大きくしてはならない。加藤も自分自身も犯人を捕まえる気満々だが、やはりここはひとつ生徒会に戻って体勢を立て直した方がよさそうだ。
  そして、これ以上会長としての役目をおろそかにしてはいけない。
「あー……じゃあ、いったんそっちに……」
  加藤が背中をつついてくるので言いかけてたことをいったんやめた。
「待てよ、鈴木。俺さぁー今生徒会に行くとなんか損しそうな気がするんだけど?」
  そういえば井上が乗り込んできたとか言っていた。確かにこの手錠でつながれている状態は誤解を招く。何を書かれるかわかったものじゃあない。
「確かに、井上が生徒会室で待ち伏せしているみたいだけど、いいかげん俺は生徒代表としてやるべき事は果たさないといけないんだ。 井上にびびって生徒会長が務まる?」
「鈴木、俺は正式な生徒会員じゃない上に役職は『加藤』だ。それにここが加藤探知機(第六感)がピッコンッピッコン鳴っているんだ。犯人が近い位置に来ているんだよ!」
  自分が犯人をふん縛るイマジネーションに酔いしれている加藤に後ろから森下がぼそっと言った。
「どうでもいいけど、井上と探偵部がお前を捕まえに来たぞ?」
  今まで井上井上と連呼してたから呼び寄せたのか、なにか大きな矛盾した光景があった。
  HIDEと久保田とそして、井上園子が入口に立っていた。
  鈴木は声をひそめてたしかめた。
「西園寺、そこに井上……いるか?」
「代わりました。冬姫よ。井上さんなら加藤に変装したバレンタインが鈴木暗殺計画がどうたらとかで掻き回してくれているけど?」
  鈴木はこの根拠のない妄想癖は井上と確信した。目の前にいるのが偽物だ。
  静かに周囲に合図を送ろうと思ったがどう伝えればいいのだろうか。
  HIDEの来訪に河野が嬉々としてハーゲンダッツを差し出す。
「い、いらっしゃい! ハーゲンダッツどうです? 英輝さん」
「いえ、仕事中ですので。そんなことより、加藤竜弥! ふたつばかり答えてもらおうか?」
「いやー待ってたよ! 待ちに待ったこの瞬間! 君こそがスイートチョコモンスター!」
  加藤は後光(夕日)が差す中、HIDEの後ろにいる井上に歩み寄る。
  鈴木は片手に携帯を持った状態で手錠のついているもう片方にひっぱられながらついていく。
  HIDEもただならぬふたりに圧倒されて二歩下がる、最初から最後まで次席だから三歩は下がらない。
「な、なんだね君は!?」
「俺か? 俺は学園アイドル加藤竜弥。怪盗バレンタイン! お前の変装は全部パリッとベリッとバリッと月の裏までお見通しだ!」
「誰が怪盗だ! 私は追う側だ!」
「愛の聖人と崇められる聖バレンチヌスの名前を名乗るとは恥知らずもいいとこどっこいしょ。バレンチヌスにかわって〜お仕置きだぁ!」
  加藤は懐からリボンを取り出し二つ折にして鞭の如くパーンとはじく。
「いや、私には決してそのような趣味はない!」
「話が噛合ってない上に犯人逃げてるわよ、二人とも!」
  海馬の台詞にHIDEははっとした。変身モノでメイクアップ中に身動きが取れない法則は破られ、井上に変装していた怪盗は既に走り出していた。その後ろから無言で久保田が先に追いかけているのを海馬が指差している。
「何!? あれ犯人? それを言え!」
  HIDEが走り出す。前髪も振る方向にあわせてシャランラと揺れる。
「鈴木! 新記録打ち出すぞ!」
  ぐん、とスピードをあげて走りだす加藤に鈴木はよろめきながらもついていく。
「冬姫! 犯人だ! 井上園子の姿をしていて西館南に向かって逃走――ぅおぉぉ!」
「ちょっと、ボサっと立っていないで追うのよ! 一年生トリオ。日頃のパシリののろさを見せてきなさい!」
  加藤に引っ張られて嵐のように去って行った五人を指差し、海馬が一年生に指示をだす。
「アイアイサー」
「イエッサー」
「エッサカホイサー」
  山住と太田と五十嵐がノタノタと走り出す。

◆◇◆◇
  海馬はフン、と鼻息を荒くして見送った。やっと静かになった。
  そんなところで、森下が書類に目を通しながら言った。
「じゃ、陸も空乃もいないし、残りの三人もいない今のうちに不公平な弁護の組み合わせは考えるか。西園寺は、海馬。と」
「ちょっと! なんでいつも劣ばっかアタシに回すのよ!? じゃ、アンタは偽井上よ」
  決定の判をお互いうたせまいと抵抗したが、楽をしようとして押し付けあったはずなのになぜだろう、こんなやりにくい相手の弁護にあたってしまったのは。
「まぁ、いつものことですけど、今回は久しぶりに河野先輩や松山先輩に真っ当に裁判に参加していただきたかったのですが」
戸浪は先ほどの河野里枝の血糖値にちらっと目を移して、河野を見た。
「先輩には自分の弁護と比較的扱いやすい重要参考人(雑魚)をつけます」
「そそそ、そんな! チョコはチョコでもハーゲンダッツよ!? 血糖値が一位だからって、酷い」
「大丈夫です。血糖値検査で引っかかった人たちの代表で弁護してもらうだけですから」
「わわわ私は?」
「松山先輩は検事にまわってください。いつ倒れてもいいように隣に保健委員としゃっくりが止まるといわれる砂糖水を用意しておきます。相方は、そうですね。誰にしましょうか、たくましそうな陸さんでいいですね」
「なんだよその、『いいですね』って」
「陸さんでいいや、て意味ですよ」
  森下の質問に投げやりに戸浪は答えた。
「えーじゃあ、空乃は?」
「最近空乃さんの横暴が激しいので不利な人間を何人もつけておきましょう」
「残りの三人は?」
「五十嵐くんはすでに加藤くんにマークされているからご希望に応えて五十嵐」
「ですね。五十嵐で」
森下の言葉につられ、呼び捨てにして決定の判を押した。戸浪は相当投げやりだ。
「ちょちょちょいいの? あんなうるさそうなの裁判中にくっつけたら騒ぎそうじゃない?」
「では太田さんは当たり障りのない人でもつけておきましょう。山住くんは少し強化目的でその他大勢もろもろをつけておきましょう。これだけの数そろえれば、あの悪い癖も使えないでしょうし」
「なんだか戸浪くんえらく適当になったわね」
  河野に言われて静かに書類を仕舞いながら戸浪はぼそぼそ言った。
「いいんです、これで。いちおう平等に不平等な配置にしましたので」

◆◇◆◇
  鈴木が加藤にひきずられるようにして走る。
――現在重要参考人として加藤竜弥を探しております。犯人逮捕のためにご協力ください。
「情報が古い! 井上園子だと書き換えて来い。誰だ!? 加藤を探して来いと言ったのは」
  HIDEがそう命令したのを自分で言いながら思い出した。
「結局自分か。くそー」
  そういえば今までの流れ、偽井上の手の上で踊っていただけのようにも思える。前髪ふりみだしながら廊下を走った。
  一方鈴木はもとより走るのが得意ではなかったが、それでも根性でついていった。
  しかしそれも限界が近く、先を走る加藤に息も切れ切れに言った。
「か、……とう、も、もうダ……メ」
「もう駄目か。お前なまむぎなまごめなまたまごって今言えるか?」
「な、なまおみなまもめなまなまこ」
  言えるわけがない。
「あれ言いにくいんだよね。なまぐりなまごめなまたまご」
  後ろからのろのろ走る三人が追いつきかけながらしゃべっている。
「ぷち流行でテニス部員は全員腹筋しながらなまむぎなまごめなまたまごを言わないといけないんだけど失敗すると背骨折れそうな体勢で武具馬具武具馬具三武具馬具、あわせて武具馬具六武具馬具を三回復唱やらされるんです! 鍛え抜かれて言えるようになった言葉!」
「でも言えちゃえば新しい厳しい早口言葉が追加されるんですよね」
「ああ! 馬鹿に時間費やしてスッゲェ距離付けられた! 鈴木が一秒以内に答えないせいだ! 何時ものブチキレアスリートダッシュはどうしたわけぇ?」
  苛々ぎみに加藤が鈴木を振り返る。
「悪かったな! もともと二百メートル走で女子に負けるような体質だったよ俺は! お先にどうぞ! 本気で走り回った次の日は、必ず激しい腰痛で体育休むんで、クラスメイトに『生理痛か?』と笑われる幼少時代、ぐわああああ! 一発蹴り飛ばしてくれたろかぁあぁー! オラオラオラ!」
  そこで少しやる気が出たのか昔の屈辱的な記憶からか、走りの歩幅がぐん、と広がる。
  腰痛の原因は走り方の問題からだろう。足のリーチを生かした美しい形状で颯爽と早口言葉を呪文のように唱えつつスピードをあげていく。
「わー……乙女走りだー意外と早いもんですね? 海馬先輩もああやって走ればもっと味出ると思うのに」
「X脚って言うんだよ!やっぱり鈴木会長やや内股だったの誤魔化していたんですね…」
「森下先輩もああやれば、克服できるんでしょうか?」
  裁判部一年生たちは敵が走った方角へ走る。
  放送が流れた。
――現在重要参考人として加藤竜弥を探しております。犯人逮捕のためにご協力ください。
  鈴木が舌打ちした。
「まずいよ加藤、みんなお前を追っている」
「ああ? そんなまずくねぇよ。楽しいじゃん、犯人みたいで」
  加藤と鈴木を繋ぐ手錠がするりと抜ける。どんな手品を使ったのか、にやっと笑った顔を最後に、猛スピードで加速していった。

 後ろでそんな馬鹿な話があっている最中も、久保田は井上を端まで追い込む。ようやく廊下の端に閉じ込められた井上と久保田。そしてHIDEが息を切らしながらにらみあった。
「っち、この格好をしていれば誰も寄ってこないと思ったのに」
  偽井上は言う。たしかに井上には誰も近づきたがらない。
「さあ、怪盗バレンタイン、観念しろ。甘ったるい茶番劇はここまでだ」
  さらりと前髪を掻き上げHIDEは決まった、と思った。たぶん決まっていたのだろう。変な前髪さえなければ。
  偽井上は息を荒くしながらびしっとHIDEを指差すと言った。
「なによっ、かたっぽだけに髪が寄りすぎなのよ! 普通大事にしている髪のほうからハゲていくけど、アンタの場合その変な前髪だけが残るのよ!」
「な、なん――」
  HIDEが言いかけた瞬間偽井上は跳躍だけで久保田の両肩に手をついて、頭上で回転すると飛び降り、ターン、ターン、空中スクリューと大技を繰り出しつつ、どんどんとHIDEに近づいてきた。
  圧倒されたHIDEの頭を飛び越えて彼女は鳥のように窓から飛び立ち、渡り廊下の上へと逃げた。
  しかしそんな偽井上の前に立ちはだかる人物がいた。
「よぉ? 勝負だ怪盗バレンタイン。夢に見てたぜ、お前にピンクのリボンをつけて家庭科部の女子に差し出すのを…」
  加藤だ。偽井上はじりじりと後ずさりながら逃げ場所を探した。そろそろ肌が痒い。いったん出直さなければ。
  その時ひとりの生徒が叫んだ。
「いたぞ! 加藤竜弥だ」
「なんだって!?」
  わらわらと渡り廊下の上に我先にと犯人逮捕に躍起な風紀委員たちが飛び降りてくる。
  偽井上は手で『新体操部全国制覇』と書いた旗のロープを手繰り寄せる。次の瞬間それに捕まりダイブした。加藤もつられてダイブした。加藤を捕まえようとしていた人たちもダイブした。
  無論のこと、ロープは加重に耐え切れずずるずると、地面まで土に埋まったらっかせいのように落ちた。
  偽井上が顔を掻きながらトイレに走る。
  すっぴんになりたい。
  トイレに走りこんで特殊メイクを剥がす瞬間、コメカミに銃のようなものが突きつけられた。
「ゲームオーバーよ、藍井亜衣」
  逮捕したのはシャリーンだった。