腐乱裁判

01

 並木道のイチョウがきれいな黄金色になっていた。心なしか空気が冷たく、森下は無意識のうちにポケットの中に手を突っ込んでいた。
「おはよう、森下」
  イチョウを眺めていた森下に登校してきた陸が話しかけた。森下はゆるく陸のほうを見て、もう一度イチョウを眺める。

「イチョウをずっと眺めているのよ、どうしちゃったの? 森下は」
  陸は昼休みに空乃と弁当を食べながらそのことについて話した。
「秋は〜、森下くんもアンニュイになるんですよぉ」
「あいつがナーバスになることはあったとしても、アンニュイになることなんてありえるの?」
「でも森下くんってぇ、たぶんひとりでいるとすぐに憂鬱モードに入るタイプですよぉ。だって根暗な性格してますしぃ」
「ああ、そりゃ言えてる」
  陸は笑いながらシュガートーストを齧った。
  と、そのとき、クラスメイトの女子数名が陸と空乃のところにやってきた。
「ねぇねぇ、空乃さんと陸さんって森下くんと友達だよね?」
「ちがいますよー」
「いや、ぜんぜん」
  瞬間、いやな空気が流れる。女の子のひとりが気を取り直して、こう質問してきた。
「ええと、同じ部活だよね?」
「はい〜、そうですねぇ」
「森下くんって、部活内で付き合ってる人とかいるの?」
「は?」
  陸が怪訝な表情をして、食べていたシュガートーストを飲み込む。
「あいつ、友達もいないのに彼女とかいると思うの?」
「いや、でもさあ……森下くんって格好いいよね?」
「うん、なんかちょっと悪ぶっててでもやさしそうだよね」
  陸と空乃が顔を見合わせて、不思議なものを見るかのようにもう一度女子たちを見た。
「それ、一般的な認識?」
「割と一般的な認識だけど?」
「知らなかった。あいつのこと格好いいと認識する人たちがいたなんて」
「海馬くんも格好いいよね」
「うん。オネエ言葉だけれども顔はすごくきれいだし」
「理想のオネエサマって感じよね」
「その認識は認めるけど……」
  陸はきっぱりと言い切った。
「森下が格好いいなんておかしい!」
「そうですよぉ。あれはへたれって言うんですよぉ」
  森下に完璧な駄目出しをする裁判部女子の二人組に、クラスメイトの女子たちは顔を見合わせて、聞く。
「じゃあ……森下くん、付き合ってる人、いないのね?」
「いないいない」
「あいつに付き合ってる人なんているわけないないわよ」
  けらけらと笑うふたりを見て、散っていく女子を見たあと、陸は空乃にひそひそと聞いた。
「森下って格好いいの?」
「そういう認識は当方はしておりませ〜ん」
「というかあいつ付き合ってる奴いるのかな?」
「そういう認識も当方はしておりませ〜ん」
「確かめてみようか。空乃」
「面白そうですね、是非確認してみましょ〜」

 その日、窓辺のノートパソコンの前に座っている森下に、陸と空乃は話しかけた。
「森下く〜ん、今日聞きましたぁ。森下くんって世間では格好いいと認識されるらしいですねぇ」
「そして付き合ってる人いるのかって聞かれたのよ。彼女いるの? 教えなさいよ」
  森下は話を半分聞いていたのかいなかったのか、よく見てみるとパソコンのディスプレイには何も画面が開かれていない。森下は窓の外のイチョウを見ているのだ。
「森下がとち狂った!」
  陸が思わず叫び、それに五十嵐が反応した。
「森下先輩、あのイチョウの木の下に死体を埋めたんですね! それが栄養になってあれだけきれいなイチョウが生えたんですね!」
「桜の木じゃあないんだから。ねえ、森下どうしたの?」
「え、あ……」
  陸にゆっさゆっさと揺すられて我にかえった森下が、一言。
「僕さ、東雲高校に入ってから、イチョウの木をまじまじと見たことなかったなって」
「そりゃ私だってそうよ。どうしたの?」
「きれいだよね。イチョウの木」
「どうしちゃったの!?」
「あまりに忙しいと、季節を楽しむ余裕もなかったのかな、って思った」
  みんなの中に森下への新しいあだ名が閃いた。
  ポエマー・森下。
「森下くんって、そんな季節を憂うような心があったんですねぇ」
「なんか意外すぎてびっくり」
「でも先輩たち、本当に最近イチョウの木とか見ていませんでしたよね。たしかにきれいかも」
  そうして、森下と並んでひまわりの花のようにイチョウの木を全員が眺めているところに、海馬が入ってきたのである。
「……何があったの?」
「「イチョウってきれいだなって」」
「暇でとち狂ったのね、あんたたち……」
  生徒会長衣類窃盗事件にケリがついて、それから軒並み続いたリサイクル部の余罪も追及し終わって、やれやれ一安心と思ったら、急に安心しすぎて心が放心してしまった裁判部のメンバーたちに海馬がため息をついた。
「それよりあんたたち、進路の紙提出した? アタシ理系文系どっちにしようか迷ってるんだけど」
「みゅ〜はぁ、理系ですぅ」
「私は文系」
「森下は聞くまでもなく理系、と。アタシも理系にしようかしら」
「じゃあ私、だけ? 文系進むの」
  陸が面白くなさそうにそう言うと、森下が「戸浪も文系だよ」と言った。
「戸浪ぃ!? あいつそういや何位なのよ? あんま頭よさそうに見えないけれども」
「少なくとも、陸よりは頭がいいってことだけ教えておいてあげる」
  森下が減らず口をたたくので、陸はその両頬をぐにーっと引っ張った。
「文系進んで何になる気なのよ? あいつ」
「僕が知ってると思うの?」
「なんとなく知ってそうだから聞いてるんでしょ」
「本人に聞きなよ。僕でなくてさ」
  伸ばされた頬を撫でながら、森下は憮然と言った。
「だって……」
  陸が言いよどむ。
「戸浪に最近、話しかけづらいんだもん」
  裁判部四天王が顔を見合わせる。たしかに今年の揚足裁判以降、戸浪に話しかけづらい空気が流れていた。その中でマイペースに戸浪に話しかけているのが森下。だからできることなら戸浪に接触せずに森下から情報を聞き出せればよかったのだが……
「あのね、」
  森下は少し困ったような顔をして、陸に言った。
「戸浪は悪い奴じゃあないよ?」
「わかってるわよ」
「でも一度できちゃった関係の溝はなかなか直らないもんですからね」
  何かわかりきったように五十嵐が隣から口を挟む。
  たしかに悪い奴ではないのだが、どうすれば関係の修正が効くのか誰にもわからないのである。
  すべりの悪い引き戸を開けて部長の河野が入ってきた。
「みなさん、この学校は腐敗しております!」
  彼女は第一声そう言った。
「ついに学校の腐敗の一部を取り除く大掛かりな裁判が任されることになりました。心してかかってください」
「何よ何よ? 教師の汚職でも洗い出すの?」
「それとも生徒の横領についてですかぁ?」
  どちらも腐った事件だとは思ったが、河野の口にした事件はさらに衝撃的だった。
「加藤くんが井上園子相手に名誉毀損の民事訴訟を起こしました!」
  少ない部員たちが一斉にどよめく。
「井上を!? しかも加藤くんが!?」
「井上さんを!? しかも加藤くんが」
「いの…」
「一年生たち、同じリアクションを三度繰り返さない」
  山住が何か言う前に部長にぴしゃりと止められた。
  そんな部長の後ろから、がらがらと荷台を押す音が聞こえたかと思うと、山のように薄い本を積み上げた戸浪が入ってきた。
「資料持って来ました」
「ご苦労、戸浪。これは井上さんおよび、同人部の女性たちが書いた同人誌の数々です」
「ちょっ……」
「ジャンルは薔薇から百合、版権オリジナルナマモノすべてあります」
「待ってください部長」
「資料は十分あります。問題は被害者もたくさんいますが、この同人部から部誌を買っている女子が案外多く存在することなのです。納得のいかない結論を裁判部が出した場合、廃部も覚悟してください!」
「そんな!」
「さあ、みなさん。目が腐るほど同人誌を読みあさって納得のいく結論をみんなで出しましょう」
  河野は早口でそうまくし立てると部室の電気をつけて、資料を広げはじめた。
  仕方がないと判断していち早く自分の席についたのは海馬、続いて空乃、森下と陸、一年生も自分の席に座る。
  戸浪が資料を机の上に広げおわったのに全員が戸惑いながら手を伸ばした。
  五分後、五十嵐と山住がギブアップした。
「山住ってさー、けっこう無理して読んでお腹壊すタイプだよね」
「胃腸が弱そうですからねぇ」
  陸と空乃が眉をひくひく動かしながら同人誌に目を通す。海馬と森下も黙々と目を通すが、太田は何か面白い同人誌を見つけたらしくひとりくすくす笑っている。
「ひととおりみなさん、同人誌というものがなんたるかわかっていただけましたか?」
「はい、部長。わかりました」
「では、結論を聞きましょう。滅べと思う方は挙手してください」
  陸、海馬、森下、山住、五十嵐が挙手した。
「では、これはこれでありかもと思う方、挙手してください」
  空乃、松山、太田、戸浪が挙手した。
「戸浪! これありでいいの!?」
  陸が信じられないといわんばかりに言った。
「日本の憲法は個人の表現の自由を尊重すると定めていますので」
「もうちょっとゲイに優しい学校でもいいと思いますぅ〜」
  空乃も隣から口を挟んだ。河野は眉をきりきりと吊り上げて、「反対派の意見は?」と聞いた。
「うん、なんつーの? 生理的嫌悪?」
「自分自身をキャラレイプされたかのような錯覚?」
  珍しく陸と森下の意見が完璧に重なった。
「でも、面白いのもありましたよね」
「裕香ちゃんが毒されてる!」
  五十嵐がショックを受けたように叫んだ。
  河野はてきとうにうんうん、と頷いた。
「意見はほぼ半々ですね」
「部長は面白いかもと思ったんですね」
  森下が嫌悪するような目でじっと見た。
「森下、私を汚いものを見るような目で見ないように。ともかく、裁判部の意見は半々に割れたということで、やはり納得のいく裁判をする必要がありそうです。この裁判は、四天王にやってもらうことにします」
「え……ちょっと待って」
  陸は四天王のメンバーと、さっき挙手した人間を考えた。あきらかに肯定派にひとり足りないのだ。
「あっち側に誰かひとり行かなきゃいけないみたいよ?」
  海馬がぼそっと言った。
「裁判を公正なものにするため、男女一名ずつで構成します。海馬、森下、いますぐじゃんけんしなさい」
  森下と海馬は顔をひくつかせて、思わず天の神と学校の守護神シノノメ様にお祈りをしながら、拳を振った。
「じゃん、けん、」
「ぽい」
  勝負はあっさり、森下の勝ちで決まった。
  ほっとしたような表情をした森下に、河野が言う。
「森下が勝ったので、森下が肯定派」
「ちょっ、なんでそうなるんですか!?」
「うるさい。あなたと陸さんをくっつけておくと喧嘩しかしないのが目に見えてるからです」
  こんなときにまでそんな事情を挟まれてとんでもないところに回されてしまった森下だった。