03
傍聴席の前列に座っていた男が起立する。前髪がくるりと巻かれた、七三に頭を分けてある不思議な髪型の青年である。証言台に着席するのを見計らって海馬が立ち上がった。
「証人、名前と部活を」
「相葉英輝(あいばひでき)。探偵部でのコードネームはHIDEと呼ばれているのでここでもそう呼んでいただきたい。二年生、探偵部所属。ちなみに、次席です」
「異議あり。佐藤先輩は首席じゃけん、次席はひっこめや」
カン、と木槌が乾いた音をたてる。聖が静かに言った。
「次席も首席も関係ありません」
「ねえさん次席だからその話題は禁物だよ」
八月朔日が首席というのも信じられない話ではあるが。HIDEはかまわず続ける。
「私は世の中にはふたつの人種がいると思っていた。利用できる奴とできない奴。しかしもう一種類あることに気づいたんだ。邪魔な奴! 佐藤甲斐さえいなければ私が首席なのに!」
「異議あり、いきなり逆うらみでしかありゃぁせん」
「話は最後まで聞きたまえ。たしかに私は、佐藤くんに恨みがある。だから自分の目が歪んだ視点で佐藤を見ているのかもしれない。それを念頭に置いて次の話を聞いていただきたい」
そう前置きをしてからHIDEは話し始める。
「当然、私は今日のために揚足をとれないか色々と探っていた。しかし首席としての佐藤はまったくもって完璧な男でして、隙のない男でした! だから私は探偵部の掟をやぶってフレンドリィに友人として近づき友人として佐藤に探りをいれたのです」
「異議あり、最低な奴じゃ。そがな奴の話は証人として当てにならん、特に髪型」
「髪型の話をするな! これは近くのおしゃれ美容室で実験台にされただけだ! 『おしゃれ美容室CandyCandy』と書いてあるのに全然オシャレじゃないじゃないかっ!」
少々の金をケチったばっかりにとんでもない髪型にされてしまった。看板にこれみよがしに"おしゃれ"なんて書いてあるところは信用してはならない。
「案の定! この髪型のおかげで顔は一発で覚えてもらえるようになりました! 髪の毛の話でさんざん盛り上がりましたよね、佐藤くん! 昔親戚のおねえちゃんに髪の毛千切られたとか、母にマッシュルームカットにされて泣いてバリカン握った経験とか! シャンプーにオキシドールを間違えて入れちゃって、大惨事になったことも! おかげで自分の髪の毛は薄いってそれって髪の色が薄いとは普通思わないよ! 君がヅラの真似事したとき、僕は本気でびっくりしたよ。君の生え際、突風の日にはハラハラしましたよ!」
「異議あり! だから事故だ。HIDEの髪型が事故ならば俺のだって事故なんだ! 全部事故だ!」
必死で自分の髪が薄いという言い分に事故だと主張する佐藤。
聖が「そういえばそんなこともあったわねぇ…」と遠い目をしている。森下は思い出したくなかった。佐藤の髪の毛を引き千切った姉と悲鳴をあげる従兄弟の惨劇。幼心に大きなトラウマである。あの日を境に自分は姉には逆らわなくなった。
空乃が立ち上がる。
「異議あり! んなの、可愛らしいアットホームなメモリーじゃ! わしだってクラスメイトの髪の毛を図工用カッターで切り裂いたことあるわい!」
「空乃、それってどうなのよ?」
陸がおそろしいものでも見るかのような目で空乃を見た。
「わしはおさげが欲しかったんじゃ」
「だからっておさげを切るのはどうかと思うけど」
「ちなみに今使っているシャンプーはHerbal Essencesだそうですが、自分はPANTENE派だと強く主張してましたよね?」
「そういうお前はアジエンス派だろ!」
愛用しているシャンプーにまでいちゃもんつけられたらたまったものではない。佐藤が憤慨する。八月朔日も負けじと乱入した。
「君たち、mod's hairもお奨めだよ!」
「彦那はVIDAL SASOONが好きだな!」
「キモイ……」
男衆がそろってシャンプー談義している姿を見て陸が正直な感想を述べた。
聖が木槌をカン、と振り下ろす。
「証人、髪の毛の話はそこまでにしてください。ちなみにうちの家はLUXですが文句ありますか?」
「森下LUXだったんだ」
海馬がぼそりと呟く。どうりで髪の毛がさらさらしていると思った。なめらか、しなやか、広がらない。自分もTESSERAからLUXに乗りかえるべきだろうか。
「すみません。髪の毛のことになるとつい」
髪型に異様な執着を見せる痛々しい人だなと周囲は思った。HIDEは続けた。
「まぁ、そんなわけでまんまと心を開いてくれたわけですが。次に驚かされたのが、彼の食生活です」
「異議あり、食生活になんか致命的なもんがあるとするならバナナオレとやきそばパンぐらいじゃ!」
「フン、そんなの、別々に食べれば瑣細な問題だ!」
「なんじゃと!?」
「なんですって!?」
空乃と陸がHIDEの言葉に思わず反応する。HIDEは佐藤を指差して言った。
「彼は夏場にお汁粉とアンパンとタイヤキを食べてたんだ! なんかの我慢大会かと思ってやめろと忠告したにもかかわらず、次は大福食べて喉が乾いたからって宇治金時! お前が吐く前に私が吐いたのは覚えているか! 佐藤!」
「そがーなの、ワレが甘いものが嫌いなだけじゃろうに! 佐藤先輩はただの甘党で餡子が好きなだけじゃ」
「そうだ! 私はエスプレッソしか飲まないし、アイスは必ずバニラやミルク系しか食べない、面白味のない男ですよ! お汁粉の缶の小豆を残さず食べる方法を教えてもらったって、正月にだってお汁粉食べないし、お汁粉が食べたいからって昼休みに遠くのコンビニまでお汁粉を買いに行く神経なんてわかりませんよ! まぁそこらへん、冬場にハーゲンダッツ買いに行く心理に似てますが! 負けますよ、完敗ですよ、次席ですよ!」
ヒート気味のHIDEのハーゲンダッツの部分に河野が反応する。くるりと丸くなった前髪を指に巻きつけて払いのけながらHIDEは言った。
「まあ、世間一般的に、考え方の違いというか、そんなの人それぞれです。たとえ、珈琲専門店に連れて行っても、こいつはメロンソーダを頼んで、私のフレッシュミルクを掻っ攫ってクリームソーダに混入してしまう大胆かつ人がなし得難いことを平気でできる人でも、成績が良けりゃ首席だしね! もう眼鏡に皹が入る思いでいつも成績表見てたよ! なんでこいつ首席なの!?」
さすがの空乃もメロンソーダにフレッシュミルクをいれるという行為には絶句したらしい。
聖がそこまでの主張を聞いて、瞼を閉じるとしみじみと言った。
「なんでこいつ首席なの…その気持ちは、分かりたくありませんが、同意です」
「聖ちゃん! 俺はメロンソーダをクリームソーダにしたりしないよ!」
慌てて自分の弁護をする八月朔日。森下は心の端で「黙れ、ホヅミン」と念えた。
「百歩譲っても足りないからついでに首席も譲る勢いでお前がお茶目だと仮定してもだ! ネタだとしてもだ! 私に対する嫌がらせだとしてもだ! 仮にも友達に対してやっていいことと悪いことの判別くらい、備えてほしいものだ! 今までのこと、全部、勿論、冗談だったんだろ? ええ、どうなんだ! 佐藤、もし本気なら絶交だ!」
「なんでそういう究極の選択を迫るんだよ、HIDE」
佐藤にとってはこれは究極なのか。
すべて事実だと認めれば、HIDEとはお別れできる。しかしそれを認めるのはあまりに痛い。しかし、全部嘘だと言ったらまだこいつ自分の友達のつもりでいる気なんだろうか。
海馬がすかさず立ち上がった。
「佐藤先輩を証言台に召喚したいと思います」
「汚い真似しおって、かいばぁー!」
空乃の声が法廷に響いた。こめかみのあたりを痛そうに指で押しながら、佐藤は証言台につく。海馬は聞いた。
「ずばり、嘘ですか? 本当ですか? それだけでいいわ」
「全部嘘です」
「証言は終わりです! ちくしょー取り付く島もないわ!」
「すみません。脳内だけでチェスの駒動かせる友達ってこいつくらいしかいなくって、舞い上がっていたんです。あ、そうそう」
証言台から聖のことをちらりと見て佐藤は言った。
「昔親戚のおねえちゃんに髪を引き千切られて十円ハゲができたのは事実です。以上です」
佐藤は淡々と言ってまた着席した。
「佐藤先輩。あがぁなんを友達にしておくんは考え物じゃ」
「いや、あいつの成績コンプレックスは会った頃からあるもので、今に始まったことじゃあないし、野心が見えているというのはある意味安全なんだよ。『絶交だ』なんて言われるのも今に始まったことじゃあないし、それに出したネタも当たり障りないし」
あれで当たり障りがないということは、佐藤はもっと致命的なネタを隠し持っているということかと、空乃は思った。
「そら、抱え込んで絶対にばらさんようにしておかないけませんね」
「だろ?」
佐藤は肩を竦めて笑った。堅苦しい生き方の中でHIDEと話しているときくらいしか馬鹿ができないというのも本音のひとつだったが。
聖が木槌を鳴らした。
「では、次の証人です」
すっと一年生が立ち上がって証言台へと座った。それと替わるように戸浪が立ち上がる。
「証人、名前と、所属部をお願いします」
「渡辺恭平(わたなべきょうへい)。広報部で部活特集の裁判部と探偵部と風紀委員を担当しています」
「風紀委員は部活ではありませんが。では真実のみを語ることを生徒手帳に誓ってください」
「それは無理です。なんせゴシップ担当なので」
「では嘘を挿まないと誓ってください」
「うーん、わかりました。目に見えたままで言います」
戸浪の詭弁に翻弄されて生徒手帳に誓いをたてさせられる渡辺。陸を見て歯並びの悪い口で笑顔を向けた。
「自分、陸さんのファンです。机へこむほど叩くあたりとか」
「叩いてないわよ! そんなに」
「なので陸さんの揚足をとりたいと思います」
「異議あり、なんか矛盾してるわ!」
「勿論、陸さん! 自分あなたに夢中ですから!」
「キモイ……」
渡辺と陸の会話を聞いて森下が呟いた。
そういえば陸が以前に「このごろ私をつけて来る人がいるみたいなの。ストーカーかしら」と言っていたのを思い出した。てっきり陸の自意識過剰が産みだした妄想だと思っていたが、どうやらこの渡辺が原因のようだ。
「待った! あんたぁ陸ちゃんのスカートを下のアングルから撮ろうとしおった陸上部担当のカメラマン! いつから裁判部にのりかえたんか?」
「はぁああああ?」
空乃の言葉に森下が思わず声に出して渡辺と陸を交互に見た。
「お前、あんなの撮ってどうするの?」
「すみません。スカート丈を測ってたんです。下から」
「あんたこの裁判が終わったら個人的に訴えてやる! 森下、弁護頼むわよ!」
「陸の弁護をするのも渡辺の弁護をするのも拒否する」
両手で×印をつくりながら森下は拒否した。渡辺は自慢げに鼻息荒くも語った。
「ふふふ、森下くん。実は自分は陸さんの弁護士をしたという君のこともつけまわしたことがあります。君の煙草の銘柄はマイルドセブン! 吸殻についた唾液成分で体液が何型かも知っています」
「訴えてやる!」
森下も思わず腹を立てた。戸浪が「そろそろいいでしょうか?」と脱線しはじめた話をもとに戻した。
「では渡辺くん、質問しますが……」
「陸さんはー」
何も聞かないうちから渡辺は話し始める。
「足が速いんですけど、それは彼女の足が蹄でできているからです」
「このやろう!」
陸が机をバン、と叩いて腹を立てる。海馬と空乃が笑っている。
「証拠物件Aとして陸さんが体操着に着替えているところの写真を提出します」
「異議あり! 明らかに私のプライベート侵害です」
「異議あり。そんなもんスクリーンにアップしてみろ、猥褻物陳列罪と危険物取締法によって検挙するよ?」
「森下私のどこが猥褻物だったり危険物だったりするのよ!?」
「むしろ汚染物質」
聖が木槌を鳴らして「そこまで」と言った。
「証人の写真は証拠物件として提示しかねるので他の証拠を用意してください」
「わかりました。仕方がありませんね……じゃあ裁判部へ移ったときのお話でも…陸さんの会話に出てくるパターンを分析してみたんですけれど、このように……」
スクリーンに円グラフが映し出された。それはT.Mと書かれたところに85%と記入されていて、残りの1割ちょっとが細かく分かれているようなグラフだった。
「このようにイニシャルT.Mくんの悪口が大半を占めています」
「異議あり、その計算絶対間違えている。私そんなに森下の悪口言ってない。どういう計算でそういうことになったのよ!?」
「自分、愛の力でそれがわかったんですよ」
「嘘くさっ!」
「部屋に盗聴器つけたんです」
「それ本当でしょ!」
「ついでに陸さんが体育の授業行っている間に教室にあった携帯の履歴も漁ってみました!」
「このやろう! 地獄に落ちろ」
陸が怒れば怒るほど、渡辺は喜んでいる。「ああ、憧れの陸さんと会話している」といった幸せに満ち溢れている。
「T.Mくんとのメールのやりとりなんですが、『馬鹿 間抜け ウスラトンカチ 虚仮 ちんどんや すかぽんたん スットコドッコイ バナナオレ 301位 シスコン 先生僕お腹痛いんで保健室いってきます』と送ったのに対して『寸胴』と一言返信が返ってくるようなパターンが一日に十通くらいやっています。どれも同じ内容でした! しかもどの返信も一言『寸胴』としか返ってきていません。陸さんは寸胴じゃあないやい! ふくよか系なんだい!」
「余計な御世話よ!」
白熱した渡辺と陸の会話に口を挟めずにいる戸浪だった。やっと一言。
「すみません、話が進まないので証人を証言台からおろしていいですか?」
「認めます。体育委員、退場させてください」
聖の手を鳴らす合図と共に体育委員が渡辺を法廷から引っ張って行って、そのまま風紀委員のところへと連れて行った。
戸浪はまとめに入った。
「自分の調べによると、陸さんは友達と賭け事をやるとき、けっこう周囲に迷惑のかかることをしています」
「ハン、例えば何やったってのよ?」
「海馬くんに本館の外壁を登って職員室の先生に燃焼系アミノ式の真似をしてこいと言っていました。職員室まで登るはまだ分かるような気がしますがアミノ式は海馬くんでも無理です」
「そうなのよ! 陸ったらヒドイのよ!」
海馬が戸浪の言葉に乗じて言った。戸浪はそのまま淡々と続ける。
「他にも同じクラスの木下杏稀のことを『アンタはボールが転がった方向に感情が動く、下等生物ね』と言ったことがあるそうです。これも本人に承諾をとってあります。友人に対してこの口の聞き方は感心できません。また、陸さんが裁判部に入ってきて、物がよく壊れます」
戸浪は顔を上げて陸を見た。
「今までの発言に違っている点はありますか?」
「……事実です」
「毒舌家というのをウリにするのはかまいませんが、生徒会を担っていく人間に具えるべき人格を具えてから生徒会に立候補すべきじゃあありませんか? 陸さんのことは嫌いじゃあありませんが、外交の多い生徒会において、陸さんの毒舌は致命的だと思います。親しい間柄での毒の吐きあいならば信用が損なわれることもないでしょうが、初対面の相手があなたのその発言を聞いたらどう思うと思いますか?」
戸浪にそう言われて陸は何か反論しようとしたが、何も思いつかなかった。なぜならどれも事実だからだ。
戸浪は「以上です」と言って自分の席へと着席した。
「次、彦那の出番でぇーす」
まだしゃべり足りないのかとそこの全員が唖然とした。戸浪がぼそっと言う。
「異議あり、先ほど海馬くんがしゃべりました」
「佐藤くんの揚足とれないまま終わっちゃったじゃない。あれは海馬くんが話したことで彦那プランじゃあないもん」
引き下がらない玉木に聖がため息をつく。
「ではひとつだけ、発言を認めます」
「裁判長どうしよう、彦那ひとつにしぼれな〜い」
「しぼってください」
聖は玉木にしゃべってほしくないようだ。玉木は指先を動かしながら
「だーれーにーしーよーうーかー、な!」
指先が陸を向いた。というよりずっと陸を指差していた。
「陸さん、私知っているのよ。会長になった暁には潰したい部活があるんでしょう」
その言葉に傍聴席がざわつく。玉木は言った。
「具体的に言うと、まず盗聴部、お天気予想部、コスプレ部とか、家庭科部とか……ともかく弱小な部活を潰して大きな部活に部費が回せるようにしたいんでしょう? たとえば…裁判部とか」
「異議あり! 言いがかりだわ」
「だってさー、はっきり言ってさぁ、いらない部活多いもんね。でも大手も潰しちゃいそうな勢いだよねー、広報部とかさ」
「そんなことしないわよ」
「でも彦那さっきの渡辺くんから情報買っているもん。携帯のメールで『ストーカーのいる広報部なんて』って愚痴っていたこと。ストーカーは単独なのにわざわざ広報部って名指ししているんですもの。きっと部活ごと潰しちゃうんじゃあないかしら? あと、彦那のいる部活も絶対潰すよね? 信じられない、少数派だからって潰すなんて」
「しないって言っているじゃない!」
しかし玉木が、陸が広報部を潰すと言ったことによって広報部の不公平な世論は一気に玉木へと傾いた。陸はただひとり、自分はそんなことはしないと主張することしかできなかった。
パンパンパン、と手を鳴らす音が聞こえる。拍手したのは八月朔日だ。
「相変わらず破壊力の強い被害妄想だ。玉ちゃん、もとい、玉くん」
玉木は八月朔日を睨んだ。まだこいつが残っていたか、と。
「被害妄想?」
「そうだよ。よくもまあ、それだけ可愛い後輩をいじめられるものだなあ、びっくりした。……さて、君は誰に雇われている?」
「彦那を雇えるのは彦那だけだよ?」
「うーん、よくわかんないけれどもさ、君は別に会長になりたくてここに来たわけじゃあないだろう? 君がさっきからやっていることは掻き回すことだけ。邪魔な人間を優先的に攻撃して、自分が意図した人が当選するようにしているんだ」
玉木は首をかしげて笑った。
「彦那万偏無く攻撃しているはずなのになぁ。あ、忘れてた。秋野さん、あなた主張が薄いから彦那の目に入らなかったな。アウトオブ眼中ってやつ? そうだなあ、彼女の揚足とれって言われたらとるけれど?」
「聖ちゃんがひとつだけと言ったからそれはしなくていいよ。つまり、君はちぃちゃんを攻撃するつもりはなかったってことだ。俺のところの佐々木も攻撃していないね。佐々木を攻撃しないのはなんでかな?」
「もちろん彦那プランには佐々木先輩も攻撃する手はずも整っていたんだけどぉー、さっき八月朔日先輩に邪魔されちゃって攻撃し損ねたっていうかぁー、寧ろ自爆してくれたっていうの? だってそんなみんなの攻撃が集中するようなこと言うと思わなかったもの。経済部を潰すなんて言ったらヤバイなんて彦那だってわかるもん。で、佐藤くんは海馬が勝手に攻撃してくれたから、あれで十分やったかなぁって思ってー、あとは恐怖の豚蹄に沈んでもらおうかと思ってぇー、むしろこれ以上何しろっていうの?」
「そのとおり、君の仕事は終わった。だからとっとと座りな尻軽オカマちゃん。学校まで商売や娯楽の道具にすることは許さない」
「そんな私が売国奴みたいな言い方しないでよぉー。座ればいいんでしょう、座れば」
ドスのきいた声で玉木に着席を呼びかける八月朔日に従い玉木がしぶしぶ座る。
こんな真面目に腹を立てている八月朔日を見たのは裁判部のメンバーにとっても初めてのことだった。八月朔日は最後に言った。
「揚足裁判は、正しいことをやろうとしている人が正当に評価されるものではない。俺の目からは誰がこの茶番を計画したのかわからないが、佐々木は何年かけてでもこの学校の改革をするぞ。それがこいつにとっての正義だからだ」
長い沈黙が法廷を支配した。
戸浪はまずいと思った。佐々木が生徒会長になった場合は、千早は生徒会のメンバーに入れないだろう。なにせ、千早が外部からの回し者であることを八月朔日は疑ってかかっているようだ。こちらをじっと見てくる八月朔日から視線をずらしてうつ向いた。こっちを見ないでほしい、人の視線というのが怖い。自分が八月朔日に糾弾されているような気持ちになった。
聖はしばらくして、口を開いた。
「各人主張が終わったようなので――」
「待った!」
聖が締めに入ろうとしたところを空乃が割り込んだ。
「わしぁ玉木を証言台に召喚したいゆぅて思いますけぇの」
「佐藤の代理人はまだ発言していませんでしたね。認めます」
「立てー尻軽! 楽しくお話しようじゃあないの」
「彦那尻重いから動けなぁい」
いけしゃあしゃあと言ってのける彦那を海馬がずるずると証言台に引っ張っていった。
空乃が自分の席を離れ、証言台へとどすんばたんと大きな足音をたてつつ近づき玉木に眼つけながら言った。
「真実のみを語ることを生徒手帳に誓え!」
「はぁい、誓いまぁす! あ、ごめん。生徒手帳なくしちゃった。だってあの手帳私の性別マークがMになっているんだもん」
「知るか! 性別にオカマのマークはないんじゃボケ! ちゃきちゃき尋問するけぇの」
「いやーん、性格ブスのいのししに睨まれている気分だわ。鼻息かけないで」
「玉木、お前の相方どうしておる?」
「相方? しらなぁい」
「家庭科部の林の妖精じゃ!」
林の妖精……それは家庭科部に所属している生徒だ。苗字に木の文字が入る玉木の友達で、ふたり合わせて林。可愛いから妖精。そう名乗っているのである。
空乃は証言台を叩いて言った。
「知らんで当然じゃ。わしが一週間ほど重要参考人として隔離しとるんじゃけぇな! 裁判長、無理言ってえろうすまんが、三木勢十郎(みきせいじゅうろう)を召喚したいゆぅて思います」
「認めます」
隣の控え室から男子生徒の服を着た、少女のような顔だちの生徒が法廷へと入ってきた。証言台の玉木の隣へと立つと生徒手帳をぽんと出して、
「真実を述べることを生徒手帳に誓います。自分の性別を偽ったりも誤魔化したりもしません」
その台詞がいやにひややかに聞こえる。玉木は少しむっとしたような表情だ。
「三木、げに偽らんか心配じゃのぉ。ためしに自分と玉木の自己紹介してみぃや」
「ちっ……家庭科部、一年、性別男。玉木は俺の中学のときからの先輩で、今年の春オカマになりました。理由は簡単です、男同士で比べたら俺のほうが玉木よりかわいいからです」
「ほら嘘言うとる! みんなー、この三人の中で一番可愛いなぁ誰だ? 空乃だと思う人ー」
傍聴席で少数派が手を挙げた。
「彦那だと思う人ぉー」
これもまた少数派というより、玉木しか手を挙げなかった。
「男でも俺が可愛いと思う人ー」
先ほどのふたりよりはちらほらと手が挙がった。三木はハハ、と笑って。
「今三人に手ぇ挙げた人たちみんなイカレているよ。残りの手を挙げなかった人、正解。まぁ、順番的にならべると…三木、空乃………ずーっとずーっと、ずーーーーーーっと…バックして、ようやく彦那が赤い旗振ってるのが見えたくらいかな」
「どっちかゆぅたら白旗のほうが潔い感じがするんじゃね」
「ちょっとあんたたち〜、いつからそんなに仲好くなったの? 低レベルな性格の悪さはお似合いですけど」
三方からばちばちと火花が飛ぶのが見えた。
「空乃はすべっているけど玉木はかなりの勢いでワーアボーン」
「すみません、ワーアボーンって何?」
広島弁に続き、オタク用語もわからない聖が聞いたが、誰も答えようがない。その知識を共有している人が少ないから。三人は裁判長を無視して続ける。
「聞き返しますけど、お前ら二人は何時から仲悪くなったんじゃ? 前までお前ら林はよってたかって人に嫌がらせする、器の小さい野郎供で有名じゃッたろう?」
「そんなに勘違い雌豚ソラノンモエぇを相手にした覚えないよ?」
「ネタ切れして悲惨なトークショー放送に花を咲かせるために参加してやろうかと聞いただけじゃん?」
「物凄い、迷惑じゃ」
このメンツでのトークショーは見たくないとその場にいた全員が思った。
――ピンポンパンポーン
専門用語の使いすぎなので、
以下は共通語でお楽しみください。 by放送部
――ピンポンパンポーン
「玉木と俺がどっちのほうが可愛いか決着つけるために、賭けをしたんです」
そんな三木の発言から証言はスタートした。空乃が聞く。
「どのような賭けですか?」
「可愛いなら街中を歩いていて雑誌に載るのは当り前なので、雑誌のトップ記事を飾ることを条件にどっちが本物か競い合ったんですけれど、当然私が勝ちました。三木はそれが気に食わなかったので、今大喧嘩中です。しくしく、彦那は可愛さを買われただけなのに」
彦那の発言に三木が憤慨したように立ち上がった。
「はぁ? 死ね! こいつ汚い手を使ったんです。しかもさらに汚いことしたんです。だからブスでも誠実な空乃についたんです」
「二人ともあとで死んでもらいます。具体的に何をしたんですか? 詳しくお願いします」
空乃にブスと言うことができる猛者などこの林の妖精しか存在しないだろう。三木は雑誌を取り出した。
「これがその雑誌なんですけど…」
証拠物件Bと証拠物件Cが提示された。
片方はスポーツ雑誌に三木が無理矢理飛び込んだ写真……世界陸上選手の感動的ゴールインの瞬間の後ろにペプシマンの全身タイツで「三木勢十郎」と書いてあるタスキを選挙立候補者のようにかけて追いかけてきている姿だ。
もう片方はメンズファッション雑誌に2ショットで玉木と美男子が載っている。
「ほら、どう考えても私の勝ちです」
自慢げに言う玉木。空乃はキャッチコピーを指差して言った。
「私は三木の潔さに賞をあげたいです。キャッチコピーのところにも『ペプシマンをも追い抜く速さでゴールイン』って書いてあるし」
「澤選手にペプシコーラ渡してきたんだよ? 自慢話では俺の勝ちだと思いませんか、みなさん!」
「ネタに走っているだけじゃない。可愛さウリなのに、違うでしょ?」
「で、だから何?」
要領を得ない言い合いに空乃が苛々気味に聞いた。三木も苛々しながら言った。
「まだわかんないの? 頭悪いな! 玉木は売ったんですよ、色々とこの男に! 恥を知れ!」
「だーかーらー、そういう事してないもん! 純情派に傷がつくこと言わないでよ! デリカシー無いな! 君ってホントに! だからウンコ握れるんだ!」
「うんこー!」
三木が排泄物を触ったと思われる手を空乃になすりつけた。
「汚いな! うんこ!」
今度はその手を空乃が玉木に擦り付ける。
「うんこー! うんこー!」
「うんこー」
「クソクソクソクソ」
その様子を見ながら残りの裁判部は頭を抱える。
「うんこ好きね。アンタたち」
「空乃……」
「汚い……」
「ばっちぃなあ」
カン、と木槌が鳴り響いた。
「排泄物の話はトイレでしてください。秩序がないので以上」
「いやいやいや、待ってください裁判長。俺が言いたいのはそんなことじゃあありません」
慌てて三木が挙手をする。それを空乃が後ろから背中をばしんと叩いて言った。
「ほら、言ってやれ!」
「こいつはその男を追いかけて、『生徒会に立候補する!』とか言い始めたんです。俺は学校が腐るからやめろと言ったんですが、『当選して勝つつもりはない』とか『裁判ではしゃぎたいの!』とか、言い出す有様。こいつはただの娯楽でこれに参加したんです。だから空乃と『ぶっ潰す!』って誓ったんです」
「違うもん!」
唐突に放送部の翻訳が打ち切られた。玉木は放送部のマイクを無理やり奪い取ってしゃべりはじめる。
「彦那は、彦那は……」
言いよどんで目をうるうるとさせはじめた。
「彦那は女の子だもん。女の子だから男の子に恋だってするもん。生徒会に入ればまた会えると思った……んだ……わああああああん! 三木の馬鹿」
泣きはじめる玉木にひるむことなく三木が食って掛かる。
「それ絶対嘘だ。嘘泣きだ! お前の涙は都合がいいよな! 三秒で泣けるもんね! 玉木は女の子じゃあないし、恋するのはお金だけだろ! かまととぶるんじゃあない!」
「嘘じゃあないもん! 嘘じゃあないもん!」
「玉木は男だったときのほうが断然光っていたよ! なんで女になる必要があるんだ!? 玉木の馬鹿!」
パシン、と乾いた音がして三木が玉木の頬を叩いた。
玉木は自分の頬をおさえると涙に濡れた声で言った。
「痛い!」
「馬鹿野郎! 叩かれるより、叩くほうが痛い時だってあるんだぁー! もう、知らない、勝手におっちね!」
三木も泣きながら法廷を出て行った。
圧倒されて誰も口を挟めなかったが、ようやく空乃が口を開いた。
「……予想外に収集がつかなくなったの。たちまち、玉木は痴話喧嘩で当て付けで裁判荒らしたばっかしじゃ」
その結論を聞くだけのためには時間を随分浪費したような気がする。
「では、これにて閉廷」
聖はどんな裁判があっても冷静に木槌を振り下ろすだけだった。