03

 翌日、ノートに細々とした殺人の履歴やら容疑者のリストを作ったギーが警察署へと姿を現すと、チェスターが声をかけてきた。
「そっち、順調か?」
「まあまあですね」
「お前はそう言っていつでも完璧なレポートを提出するんだろ」
「今回は実践ですよ? そう簡単にいくとは思いません」
「たしかにそうだけどさ」
  チェスターは唇をぶぅとアヒルの形にして、手元の資料をギーに見せ付けてきた。
「なあ……これ、犯人誰が怪しい?」
「はあ?」
「参考だよ! 別にお前の頭のよさを利用しようとか、これっぽっちも思っていないからな!」
  チェスターの言葉に苦笑しながらギーは資料に目を通した。巷を騒がせている猟奇殺人の資料だった。
「何故僕が普通の事件で、チェスターがこんな難しい事件なんですか?」
「逆だよ。俺は黙って突っ立ってたって、先輩のプロファイラーたちがあっちこっちから資料持ってきて報告書あっという間にできちゃうの。なあ、癪だから俺の活躍の場を作って、お願い!」
「画家が怪しいです」
「画家か! 俺もそう思っていたところだ。さすが俺、ギーと同じ読みをするとはさすが俺。そんじゃ!」
  都合のいいことを口走りながらチェスターは姿を消していった。
  シカゴ市警察で扱っている事件はひとつではない。もちろん、警察の人数だって事件を解決するのに十分なだけいるわけだが、それにしたって事件の数は年々増えていき、だんだんただならぬ域の事件に発展しているのだ。
(まあ日本みたいに戦後がいちばん荒れてて今は大したことないのに、マスメディアが「キレる子供」とか騒いでいるため真実が伝わっていない国もありますけどね……)
  アメリカはそうではない。日に日に凶悪な殺人は増えている。
「サムさん、容疑者リスト作ってきました」
  休憩室で珈琲を飲んでいるサムを見つけて声をかけた。
  彼は片手を挙げて合図をすると、ギーの資料を受け取って目を通す。
「こっちのほうでひとつずつ洗うから、そしたらまた絞込み頼むな?」
「はい。がんばります」
「それまでお前暇だから、家帰ってていいぞ」
「え……お暇をくれるんですか?」
「昨日寝てないだろ? このノート作るのに」
「……はい」
「じゃ」
  サムは軽く手を挙げると、ノートを持って仕事場へと戻っていった。
「あっけない……」
  気合を入れすぎたのだろうか。普通プロファイリングってのはもっと時間のかかる作業だと思っていた。しかし簡単に終わってしまった。
「あ、でも……また数日後には容疑者しぼるのに呼ばれるのか」
  それまでの少しの休暇というわけだろう。
  なんだ、自分が役立たずだからサムに追い出されたわけではなかったのか、と少し安心した。
  折角もらった休暇だ、有効利用をしなくてはいけない。お菓子作りでもしてみようか。

 スーパーに立ち寄って、材料を買った。
  アーモンドパウダー、粉砂糖、板ゼラチン、クーベルチュール、生クリーム、バジル。
  久々に作ろうと決めたメニューはショコラ・バジリコだ。
  バジルをケーキに使うというのはあまり聞かないが、チョコレートとの相性は最高なのだ。
「さあ、お菓子作るぞ」
  スーパーを出て、大きな紙袋を持ってよたよたと歩いていると、後ろから気配が近づいてくる気がした。
気のせいか? そう思って電車に乗る。気配は遠のいた。追いはぎか何かだったに違いない、そう思って最寄の駅で改札を降りると、しばらくしてまた気配がついてきた。
  自分は荷物を持っているし、この犯人は自分を標的に選んで、どこまでもついてくるつもりだ。
  どうする? どこかでやり過ごすにしても執念深そうだ。自宅に帰るところまでついてこられたら厄介だ。
  そうしている間にも、足音はどんどん近づいてくる。
  ギーは意を決して、立ち止まった。
  足音の主はそのままギーの後ろを通り過ぎ、前方へと消えて行くように思えた。
  バチッ、と紫電が走る。
  身体から力が抜けて、ギーは倒れた。
(スタンガン……)
  しかも随分と強化してあるようだった。コツコツコツと足音が近づいてくる。前髪を掴んで顔を持ち上げられた。
  髭面の……三十代の男。どこかで見たことのある顔だった。
  バチッ、と再び電流が身体に流れ、ギーは意識を手放す。

 次に目を覚ましたときは夜になっていた。
  ギーは自分の身体にできた火傷の痕を撫でながら、あたりを見渡す。画家のアトリエ……のようだった。
  だが、それよりも自分の首についているものに驚愕する。首に皮の首輪がついており、そこから鉄の鎖が伸びているのだ。鎖をたどると、それは手前の男の足元に繋がれているようだった。
「気づいたようだね」
  男は笑った。なるべくギーを怖がらせないように細心の注意を払っているようにも見える。
「……あなたは?」
「最近、巷で有名な猟奇殺人の犯人?」
  男は首を傾げて、疑問系で言ってくる。
「じゃなくて、名前です」
「まあ教えてやってもいいかな。アランだよ」
「アラン……」
  ギーは口の中で一度反芻するように呟く。
「君の名前はなんというのかね? チョコレートのようにスイートな声の持ち主の坊や」
  ギーが買ってきたクーベルチュールチョコレートを齧りながら、アランは言った。甘い声と言われてそうだったか? と思いながら「ギーです」と答えた。
「あまり似合う名前じゃあないね。君にはもっと繊細な名前のほうが似合う」
「たとえば?」
「エミールとか、セザールとかかな。ギーという名前、フランスの出身だろう?」
「ええ。そうです」
「非常に優雅な国だ。フランスのどのあたりに住んでいたのかね?」
「パリです」
「美しい音楽の街だね。Tu n'as pas faim?(ところで君、お腹は空いていないかね?)」
「Non,Je n'ai pas faim.(いいえ、お腹は空いていません)」
  フランス語を突っかかることなくすらすらと話したアランを見て、字が読める人間――しかもけっこう頭のいい男のようだと推察した。IQは少なくとも105以上あるだろう。
  計画的な犯行かどうかはまだわからないが、面識のない自分を狙ったこと、被害者を物として扱わず人間として見、意図的な会話をすること。被害者に服従を要求する、拘束具を使う、などのことから秩序型の殺人犯と見て間違いない。
  秩序型の犯人の特徴は社会性があり、熟練を要する職業についていること。性的能力は正常に機能し、兄弟の中では年長者の場合が多い。犯行中は感情をコントロールしている場合が多く、犯行時には飲酒をしている場合などがほとんどだ。
  アランは歩いてギーの寝ていたベッドサイドまでやってきた。口に咥えたチョコレートをぱきり、と折ってギーに差し出す。
「食べなさい。美味しいチョコレートだ」
「ありがとうございます」
  秩序型の人間は会話を楽しむ傾向があり、相手を服従させることに快感を感じる。なるべく刺激しないことが一番だ。
  チョコレートを受け取って、齧った。
「君の目は青いんだね」
「はい」
「実に美しい色だ。こんなに鮮やかな青い目、初めて見るよ」
  アランは手を伸ばし、ギーの瞼に指で触れた。
  思わず目を閉じようとした瞬間、「閉じないで」と言われる。
「ちょっとだけ、君の眼球に触らせてくれ」
  男の指が、水晶体の上に触れた。ギーは背中から足の先までぞくっとした。
  アランの喉がこくり、と鳴る。目に欲が滲み、傷つけたいと凶暴に赫いている。
「美しいね」
  そう呟き、指が離れた。眼球が少し痛かったのでまばたきをする。
「あの……」
  ギーは思い切って、自分から話しかけた。
「なんだね?」
「何故、僕を攫って、生かしているんですか?」
「おかしな子だね。死にたいわけじゃあないだろう?」
  アランが笑った。
「話し相手が欲しいんだよ。前々から犯罪心理学に興味があってね。私は異常なのか、それとも普通の人でも条件が揃えば犯罪を犯すものなのか……どうやって犯人を捕まえるのか、どうやって犯人を更生させるのか、色々聞きたかったんだよ。すべて聞き終わるまでは、君は私の友達だ。安心しなさい、傷つけやしないよ」
  すべて聞き終わるまでは、と念押しをするあたりが狡猾な男だと思った。なるべく話を小刻みにし、たくさんの情報を与えなければいけない。しかし情報を与えすぎるとこの男はさらに知恵をつけて犯行を重ねるのだろう。
  自分の命と、この先の被害者の数が増えることと、どっちをとるべきか。
  単純なことだった。ギーは自分の命を選択する。
「犯罪心理学に興味があるんですか? あなたはきっと頭がいい秩序型と呼ばれる犯人像です」
「秩序型というのはどういうのか、教えてもらってもいいかね?」
「お酒を飲んでいませんか? 秩序型というのは酔っているときに犯行をするケースが一番多いんです。状況的にストレスを抱えていて、ある程度地位のある職業の場合が多いです。結婚している場合もありますね」
「なるほど。他にどういうのがあるのかね?」
「無秩序型というものもあります。知能が低く、性的能力に乏しく、感情が不安定で行動に一貫性がなく、現場はほとんどの場合混沌としています。被害者を物のように扱うケースが一般的です」
「もう少し詳しく説明してくれないかな?」
「秩序型の犯人として有名なのはイギリスのテッド・バンディだと思います。元法学部の学生でハンサムで話術に長けている、まるであなたような人ですね。彼は自分好みの女性を選んでは言葉巧みに車に誘い込み、そのあと相手を気絶させて肛門性交を中心とした性行為を行ったあとに殺害しています。車を使用した広範囲の移動距離をベースとした……あ、秩序型の犯人は車を持っている場合が多いんです。ともかく、殺害後に死体を高速道路を利用して遠くまで運び……時には100キロ離れたところまで運搬し、切断して捨てていました。典型的なサディスト型のレイプ犯でもあり、車内にはレイプ用の七つの道具を用意して十以上の州で三十五人から六十人の女性を殺害したと言われています。このように秩序型の犯人というのは犯行を計画的に行える人間で、殺害後に自分の根城にしているところを転居することもままあり――」
「無秩序型は?」
  さえぎるようにアランが言った。
  しびれを切らしたというよりも、だいたいどういうものが秩序型なのかわかったのだろう。
  次の説明に移る。
「無秩序型で有名なのは、リチャード・T・チェイスです。統合失調症の犯人で、六名を殺害しました」
「先ほどよりも人数が極端に少ないね」
「犯行現場に遺留品が残っている場合が多いのが無秩序型の特徴です。彼は毒によって自分の体内の血液が粉に変わるという妄想にとりつかれていました。そのため自分が生きながらえるためには人間の血液が必要だという妄想をもち、たまたま選んだ鍵のかかっていない隣人宅に押し入っては、家の人間を射殺して死体を解体して被害者の血を飲む犯行を繰り返したのです。逮捕後精神病院にいれられましたが、そこでも兎や鳥の血を飲んだり、自分に注射したりして、一九八〇年に隠し持っていた抗鬱剤を大量摂取して死亡しています」
「憫れな犯人だね」
「そうでしょうか? 殺された被害者のほうが可哀想です」
「憫れだよ。自分が生き残る方法が人の血を啜ることならば、君だって人殺しになるに違いない」
  否定はできない。沈黙していると、アランは
「そういう妄想は普通に起こるものなのか」
  と聞いてきた。
「自分の煩悩のことを『妄想』と言う人はけっこういますが、心理学的な視点で見た場合の妄想とはいかなる手段を用いても修正できないもののことを言います。頑固な人でもない限り、自分の意見が違うものだったとわかれば訂正をすると思いますが、たとえば僕がフランス出身であるという事実を否定されたとしても、僕は『フランスで育ちました』と言うと思うんです。そういうものです、本人にとってゆるぎのないもの……それが妄想です」
「妄想の定義はわかった。もうちょっと詳しく聞こうか?」
「妄想には先ほど話したチェイスの場合のように統合失調症などによって引き起こされる奇異な妄想と、奇異ではない妄想があります。奇異ではない妄想は、たとえば手術をしたときに異物を中に挿入された、などです。実際にメスが体内から見つかった事例などもありますし、ないと言えますか?」
「ないとは言えないね」
「ともかく、この奇異ではない妄想というのが色々分類があるんです。一番有名なのは『被害妄想』。一番頻度が高いもので、自分は迫害されているとか、被害者だという思いを強く抱くものです。次によく聞くと念われるのは『誇大妄想』。誇大妄想は現実にそぐわない高い自己評価や万能感を抱いていて、実際にはない能力や財産をもっていると思い込むものです。『身体妄想』というのは先ほどの異物を体内に入れられたとか、自分の身体に異常が生じていると思い込むものですね。『嫉妬妄想』は自分の奥さんや恋人が浮気をしていると信じこむものです。逆に『恋愛妄想』というのは自分と相手は特別な関係にあると思うもので、ストーカーに多い妄想です。妄想について簡単に説明できるのはここらへんまでですね」
  アランはギーを見つめたまま、満足げに頷いた。
「君は実に聡明な子だ。私を刺激しないようにしながら、私の知的欲求を満足させるだけの知識を持っている」
「ありがとうございます」
「少し喉が渇いたね。お茶をいれてあげよう」
  アランは立ち上がって、キッチンルームのほうへと歩いていった。
  ギーは周囲を見渡す。窓ひとつない。ここはどこなのだろう、という考えが頭を横切るが、アランが秩序型である以上、人気のあるところではないのは確かだ。大声を出したところで助けがくるわけもなく、自分の寿命を短くするだけだろう。
(お菓子作りたいなあ……)
  場にはそぐわぬ、どうでもいいことが頭の中に浮かんだ。
  僕ってどうなるの? なんてことを考えても仕方がないと思ったとたん、食べ物に頭がシフトしていた。
  自分はプロファイラーよりもパティシエになるべきかもしれない。