02

 食堂で昼食のカレーを食べながら、レポートに使うための資料に目を通した。資料にはバラバラ殺人のピンナップがついており、カレーを食べるときに見るものではないなあと我ながら思った。
「ギー、カレー食べながらバラバラ殺人見るのやめろよ」
  隣からクラスメイトのチェスター=クラークが注意する。その手にもやはり資料らしきものが握られている。
「あなたこそミートソース食べつつ猟奇殺人読むのやめたらどうですか?」
「時間ねえんだよ。教授がどんどん宿題つくるから」
  シカゴにきて四年の月日、毎日殺人事件の記事ばかりを新聞紙で読んだ。
  警察学校では猟奇的事件や強姦殺人、そんな内容ばかりを研究している。ギーが目指しているのは犯罪者プロファイラーだ。
  今年で卒業なのだが、毎日狂った資料ばかりを目にしていると、どうしても頭が痛くなってくる。
「僕この仕事向いていないのかなあ……」
「あ?」
「だって、資料見ていてわくわくしたことないんだもの。いつも『うわあ、怖いなあ』って思いながら勉強しているから」
「常識あることけっこうじゃねぇか。ただの犯罪マニアに犯罪心理学者は務まらねえ」
  ミートソースの飛沫を飛ばしながらパスタを啜り、チェスターは言った。
「だいたいお前、クラスの中じゃあ優等生だろ?」
「そうでしたっけ?」
「毎回五番までに名前入ってるじゃねえか」
「Aしか貰ったことありませんから」
「自慢かよ」
  チェスターが呻くように言って、資料のページをめくる。半歩遅れて、ギーも次の資料に目を通す。
  後ろから人間の切断部のアップ写真を見た仲間がヌードルを噴出していたが、気にしない。
「卒業したらチェスターはシカゴ市警察に入るんですか?」
「まあな。お前は故郷に帰るのか?」
「アメリカの食事はともかく不味いんですよ。僕はイタリアとフランスが懐かしくて仕方ありません」
「食べ物のことしか基本考えていないよな。お前って」
「そうですね。食べ物は大切です、文化ですから」
  フランスとイタリアが懐かしいと言いつつ食べているのはチキンカレーだ。インドも英語圏だったなあ、などと考えながら口に運ぶ。
「最後の年って実際に警察の人と提携して卒業論文書くんですよね?」
「ああ。生の死体見ることになるかもな」
「拷問された死体、悪魔崇拝、バラバラ死体、どれも見たいとは思いませんね」
  カレーを一口口に運ぶ。この話をしながらカレーを美味しいと感じる自分は少し何かが麻痺しているのかもしれない。
  なんにせよ、卒業に向けての一年が始まる。

 チェスターとは違う班になってしまったのは残念なことだった。
  実際に先輩のプロファイラーがひとりずつついて仕事の手本を見せてくれるらしいのだが、ギーの場合は警察の人間がいっしょに仕事をすることになった。
「サムです。よろしく」
  自分と同い年くらいの、若い男だった。
  おそらく高校を卒業してすぐに警察の仕事に就いたのだろう、がっしりした肉体と精悍な顔つきは、もう学生のそれではなかった。
「ギーです、よろしくお願いします」
  簡単に握手をすませる。
「それで、担当の事件ってどんなのですか?」
「安心しておけよ。まだ学校も卒業していないような奴に凶悪な事件とかは任せられたりしないから」
「はあ」
  派手な事件のほうが考察は書きやすいのだが。そう考えながらサムについていく。
  パトカーに乗って現場に向かいながら、渡された資料を確認する。
  川べりで見つかった水死体。死体は損傷していないことから溺死と思われる。女性、中年、現在近しい人間を調べ中。霊感のある占い師が発見した。
「霊感のある占い師?」
  聞きなれない単語に首をかしげる。
「死体に呼ばれたとか言ってたぜ」
「被害者との関係は?」
「まったくないみたいだけど。お客というわけでもないみたいだ」
「本当に霊感のある方なんでしょうか?」
「さあなあ。公には認めていないが、実際に霊能者が事件解決に関わったことはけっこうある」
「まあ僕もプロファイリングが全能だなんて思っていませんが」
  霊感のある占い師と聞くとついつい、話のセオリーで偽者という結論にいきそうな気がした。

 川べりは歩きにくいサイズの大小さまざまな石が転がっており、車を道路に止めるとサムとギーは白いチョークのあるところまで歩いた。
「死体に損傷は見られなかったと?」
「ああ。死んで時間が経ってないから傷んでもいなかったんだ」
「でもここ、人気がある場所じゃあないですよね? こんなところで偶然溺れることもないだろうし、偶然見つけることも考えづらい」
「つーと占い師が怪しいか」
「ですねぇ」
  川上のほうを眺めて、住宅がいくつかあるのを確認した。
「占い師さんは川の近辺の人ですか?」
「いいや、ここから車で三十分は距離あるぞ」
「じゃあどうして容疑者じゃあないんですか?」
「車の免許がないんだ。死体を運ぶことが出来ない」
「車で三十分ある距離を死体に呼ばれてはるばる歩いてきたんですね」
「実際はタクシーでここを指定して来たらしい。タクシーに死体は積めないだろ?」
「川上の聞き込みのほうは?」
「目撃情報0だ」
「夜は治安が悪いんでしょうか」
「というよりも街灯が少ないから暗くて危ないんだろ」
  ギーは溜息をついた。
「とりあえず、その占い師に会う必要がありそうですね」

 シカゴ市中央のはずれにあるそのアパルトメントを訪ねると、中から長身の男が出てきた。
  黒髪に少し金色を思わせる色素の薄い目。占い師とは言っていたが、美しい男だった。
  ギーの身長はたった164センチしかない。背の低い男は言うことがお洒落でモテるのだと自分に暗示をかけているが、この歳になるまで女性にモテたためしはない。それどころか、女顔でキーも高いため、女々しいとからかわれることが多いのだ。
(こういうすらーっとした体型に、俳優みたいに綺麗な顔で生まれた人の人生ってどんなのなんだろう)
  そんなことをぼんやりと考えている横で、サムが挨拶をしている。
「シカゴ市警察のサムだ」
「初めまして。助手のギーです」
「ああ、よくぞいらっしゃいました」
  占い師はやさしく頬笑み、ふたりを中に通してくれた。
部屋の中はシンプルなモノトーンのインテリアで、赤い薔薇と絵画がアクセントになっていた。
  彼はポットで紅茶を入れてくれて、ふたりの前にマシマロの皿といっしょに出した。
  随分律儀な人だなあ、とギーは思った。お茶とお菓子を出すのがマナーの国もあるらしいが、アメリカにはそんな風習はない。突然訪れた警察にここまでしてくれるということは、もしかしたら育ちがいいのかもしれない。
「先にいちおう名乗っておきますね。占い師のレインマン、本名はエミール=ボードレールです」
「フランスの方ですか?」
「ええ。こちらに来て八年になります」
  物腰のやわらかい男だと思った。レインマンは紅茶を一啜りした。
「ああ、お茶は僕が飲みたかったので、ご一緒しようと思っただけですよ。どうぞ構わず飲んでください」
「ありがとうございます」
「それで、ご用件のほうは?」
  サムはお茶に一口だけ口をつけて、本題に入った。
「発見したときの状況を教えていただきたい」
「サムさんでしたっけ? 困りましたね、ご説明は何度もさせていただきましたが」
「もう一度お願いします」
「それが警察のやり方なら致し方ありませんね。夜中に女の人に呼ばれる声がして目覚めました。早朝に電車に乗って声に案内されるがままに駅について、そこからタクシーで山道を走って見つけたんです」
  何度も同じ説明をしているらしく、シンプルなものだった。
「何か質問は?」
「ええと……死体に呼ばれたのは今回が初めてですか?」
  ギーの質問にレインマンは首を傾げた。
「過去に数回あったとしたらどうなんです?」
  と聞き返してくる。
「僕の能力の証明になるのか、逆に容疑が強まるのか」
「いえ、こういうことが立て続けにあると気が滅入るんじゃあないかと思って」
「警察の方は毎日見ているでしょう。別段気が滅入ることではありません」
「はあ……」
  ポリグラフにかけたわけではないので正確な情報ではないが、嘘をついているようには見えなかった。
「そうそう」
  レインマンはマシマロを口に咥え、美味しそうに噛み、咀嚼しながら言った。
「ギーくん、君はこの事件から降りたほうがいいですよ」
「え?」
「と言っても、あなたは止めないでしょうけど」
  レインマンはやんわりと頬笑むとあとは紅茶を啜るだけだった。

「今のところは地理的な分析が精一杯ですね。死体に性的ファンタジーが表現されていない場合はFBIのプロファイリングは無効なので」
  車に乗ったあと、ギーはサムにそう告げた。
「地理的プロファイリングと言っても、連続犯でないと難しいだろう?」
「そうですね。溺死だけでなく類似するような犯行があったか、まずは資料との戦いになりそうです」
「資料嫌いなんだけどなあ」
  サムが心底嫌だ、といった顔をした。
「お前さ、さっき『立て続けにこういうことがあると気が滅入る』とか言ったよな?」
「え? はい」
「そういうことで気が滅入る奴はプロファイラーになれるのか?」
「……さあ」
「さあって。辞めるなら今のうちじゃあないのか?」
  意地悪を言っているというよりは、経験上そう言っているのだろうと思った。
  答えはわからない。

 自宅に帰ると昨日焼いたカトルカールが半分残っていた。
  それを口に咥えて珈琲をいれると、警察署でコピーした資料に目を通す。
「お菓子……最近作ってないなあ」
  といっても、昨日はカトルカールを焼いたわけだから、まったく作っていないかといえばそういうわけでもないのだが。
「夏野菜のモンブラン、バナーヌのミルフィーユ、メープルプティング、レモンクリームたっぷりのマカロン……作りたいなあ」
  口にしてみると、なおさら作りたくなってくる。
  いい加減、近くのパティスリーで買ってくるだけでは満足しなくなってきた。
  とはいえ、レポートそっちのけでお菓子作りをするわけにもいかない。とりあえずこの卒業論文が完成するまではお菓子作りは簡単なものだけにしておこう。