07/08

――プロファイラーってのは一番犯人に近い存在じゃあないのか?
  そんなはずはない、とギーは答えた。医者が患者にいくら近しい存在だからといって、家族より近い存在になるはずがない。同様に多くのサンプルを知っているプロファイラーが犯罪者に近いところにいるなんていうのは馬鹿げている。
――お前には犯人の気持ちが理解できるはずだ。
  まるでアランのことをギーだけが理解してくれたかのような言い草。自分はまったく何もしていない。もしあのログハウスで、気紛れに誕生日をいっしょに祝ったりしていなければ、今のような事態にはなっていなかったのだろうか。アランに憎しみの目だけを向けて、やさしさの片鱗も見せずにいれば彼はプロファイラーが自分の理解者だなんて勘違いをしなかったのだろうか。
「それは違いますよ」
  お向かいの席で食後の紅茶を飲んでいたレインマンが口を挟んできた。彼の体調もまだかんばしくない。もしレインマンがポールの遺品に触れることができれば、プロファイルよりも完璧な情報が読み取れるはずなのに。
「僕はそんなものに触りたくありません。あなたと違ってそういうものに興味があるわけではないので」
  レインマンはギーの思考を読み取ってきっぱりと断った。まあ、たしかにそうだろう。この分野に足を突っ込んだのは自分だ。友達まで必要以上に巻き込むのはよくない。
「さっきの話に戻りますが、アランが勘違いしているのは『プロファイラーが犯罪者に一番近しい人間』というものではありません。ギーくんが、アランに、一番近い人間だと思っているということです」
「その誤解ってどうして生まれたと思いますか?」
「あなたが子犬みたいにあいつに尻尾振るのが問題なんですよ。あいつきっと可愛いもの大好きですよ。子供とか絶対に殺せないタイプです」
「当たっています」
「あなたの曇りのない目や犯罪者ですら尊重して話す態度が、犯罪者全般に向けられたものではなく、自分に向けられた好意だと勘違いしているんですよ。哀れな男ですよね、今までだってあいつに好意をもった女性は何人かいたはずだろうに、よりによってギーくんの中途半端なやさしさに感化されたんですから」
「僕ってやさしいですか? そんなことないと思いますけど」
「あなたがやさしいかどうかはあなたが決める問題ではありません。周囲があなたを見ていてやさしいと感じるか、弱いと感じるか、それだけの差です。僕だって別にやさしくもなんともない冷徹人間のつもりですが、ギーくんから見ればやさしい人に見えたんでしょう?」
「ええまあ、やさしさ二割、我侭八割くらいに」
「百分率に収まる程度の我侭と認識されていることに安心しました。とりあえずアランの言った言葉をいちいち分析するのはおやめなさい。何がどうなって今の展開になったかはさておき、あいつはあなたに執着していて、そしてあいつは危険な男だという認識は変わらないわけなのだから。近づかないに越したことはありませんよ」
「わかっていますよ」
  自分の紅茶を啜ってギーは呟く。あいつには必要以上に近づいてはいけない。わかっているはずなのに近づくのはどうしてか。それはきっと自分がアランならば自分の言葉をわかってくれるはずだという、期待があるからだ。相手の願望と自分の願望が摩り替わっている、たしかにレインマンの言うとおりラカンの心理学が適用できそうな気がする。
  レインマンの言うとおり、アランの言葉を咀嚼するのはやめることにした。かわりに昨日見てきた資料について考えることにした。
  カロルを殺すのが目的だとしたら犯人はポールだが、もしカロルを殺すのが目的でなかったとしたら、たとえばカロルが何かを目撃して殺されたのだとしたら、もしその目撃されたものが殺人事件だったとしたら、そしたらふたつの事件に関連性がないようにする必要がある。
(アランが人を殺したあとに感じるのは昂揚感だけでなく「恐怖」といったのは正解ですね)
  隠蔽しようとする行為は、恐怖から始まるものだ。
  警察署に行って、その日起きた別の事件の資料も見せてもらうことにした。

 殺人事件はその日一件のみ。
  別の犯罪を見てみると、強盗が一件、盗難が五件、事故が三件。パリ市だけで考えてみたとしても、この数は少ないほうだろう。
「殺人事件は一件のみかあ……」
  案外いい線いったアイディアだと思ったのに、と落胆のため息をついた。しかしふと、もう一度資料に目を落とす。強盗事件一件……そこに目が止まった。
  強盗犯が仲間割れしているのを見かけたとしたら?
  ポールとカロルが同じ日に殺されたとしたら?
  ポールが強盗犯だとしたら?
  だったらオリアーヌの母親は本当に母親なのだろうか。
「オリアーヌが危ない!」
  可能性は十分にある。何故って自分がオリアーヌの家庭教師をやっていた間、一度だってジュゼに会ったことはないのだ。
「刑事さん、オリアーヌの保護とジュゼの身元調査をお願いします!」
  資料が盗まれぬようギーを見張っていた刑事がなんのことだかよくわからず首を傾げる。
「あの人はポールの奥さんではないかもしれません。強盗犯と殺人犯とデュピュイトラン夫人は同一人物の可能性があります」
  そこまで言って事態を把握した刑事がギーといっしょにデュピュイトラン家まで向かった。

 呼び鈴を何度か鳴らす。まだ引っ越していなければよいのだが。
  しばらくして、ジュゼが顔を出した。
「あら、ワロキエ先生じゃあありませんか」
「こんにちは、デュピュイトランさん。実は聞きたいことがあってお邪魔したんです」
「私たちもう荷物を運び終わって、今から移動する予定ですから、手短にお願いしますね」
  背後のほうからオリアーヌがこちらを見ている。気づいて、という視線だ。
「実は聞きたいことはオリアーヌのことなんですよ」
「まあ。ならばオリアーヌに聞いたほうがよくないかしら」
「いいえ、あなたに聞く必要があるんです。簡単な質問です、答えてください。オリアーヌの生年月日はいつですか?」
  ジュゼは目に見えて動揺はしなかったが、しばらく沈黙して「いつだったかしら」と呟いた。
「それが何か関係があるんですか?」
「あなたは本当に、ジュゼ=デュピュイトランなんですか? 身分証明書を見せてください」
「なんなんですか、いきなり」
  ジュゼが不愉快そうに顔を顰める。
「身分証明書ですね。ちょっと待っていてくださいな」
  ジュゼは部屋の中へと消えていった。オリアーヌはわっとギーに駆け寄って叫んだ。
「あいつ私のお母さんじゃあない!」
「裏口から逃げるかもしれません。刑事さん、回ってください」
  刑事が裏口の方角へ走る。オリアーヌがしがみついているためにギーは動けなかったが、やがてジュゼはつかまった。

 真相はこんなところである。
  会社をクビになったポールは、インターネットで見ず知らずの犯罪者と強盗を企画する。銀行強盗をするところまではうまくいったが、山分けの話をする段になって約束と違うということから口論、そして殺害された。それをたまたま見たカロル=コタヴォもその場で殺害される。
  ふたつの殺人の関連性がないように見せかけるために、カロルの死体を猟奇殺人のように仕立て上げ、ポールは車でデュピュイトラン家まで運ぶ。部屋に遺書と自殺に見立てた工作をしたあとは、エアコンで死後硬直を遅らせて、三日後に死体を発見した風を装う。
  その間、実娘のオリアーヌは自分の監視下に置いて学校に一切行かせない。引越しが完了したらオリアーヌを始末して金を持って消える予定だった、というわけである。