海賊ヴァッフェンロース号

子供海賊団!

  港は既に夕暮れ時だった。オリバーが全員そろったのを確認すると大声で指示を出した。
「今日から明日にかけて、黒猫海賊団って船を見つけろ。この季節なら人魚の砦の周辺にいるはずだ。黒猫髑髏の旗が目印だ」
「あのー、黒猫海賊団って聞くからにして黒そうで夜見つけにくそうなんですけど……朝探したほうがいいんじゃあないでしょうか?」
  新人クルーの質問にオリバーが答える。
「まあ、日の出ている間に見つけられることもあるが、夜のほうが出没しやすいんだ。言っとくが、かなり泳いで探すから体力に自信のない奴はリタイアだ。先に集まった俺以外の五人を合格とする。帰りも泳ぎだから覚悟しとけ。先行くぞー」
  そう言うとオリバーは海へと飛び込んだ。真冬の海へ新人クルーがわらわらと飛び込むのにあわせてスミスたちも飛び込んだ。寒中水泳の始まりである。

 オリバーは冷たい海から体を乗り出すと、手馴れた動作で黒猫海賊団の甲板に下りた。
  太陽はもう沈んで夜だった。ぶるっと冷えた体が震える。
「寒っ。というか俺をひとりにしないで、誰か早く来い」
「試験官より先についた場合は失格なのか?」
  背後からいきなり声をかけられてオリバーは間抜けな悲鳴をあげた。
「ギル……お前、いつの間に着たんだ?」
「俺は龍だ、空を飛んできた。鱗が駄目になっちまう」
「要はカナヅチなわけね。失格、東の果てまで帰れ」
「ああそう。ま、この船お前以外誰もいないみたいだし、帰るか」
「待て。やっぱ帰るな」
  オリバーがギルバートのブラジャーのような服を掴んで止めた。ふと霧が漂ってきて、生きたように船が動き出した。
「意地悪な試験官だな。霧が出てきたぜ、誰もいないのに動く船、この寒さでこの霧じゃあ俺ら朝までふたりっきりだな。いや……生身の人間がふたりなだけ、か」
「ああそうだよ。だから黒猫海賊“団”なんだ」
  ふたりの間に気配が濃密に漂った。
「幽霊船だかなんだか知らねぇが、これじゃあ視姦状態だな」
「お前はいちいち言うことが恥ずかしいんだよ! 何かしてみろ? 海に投げ込んでやる!」
「大丈夫だオリバー、お前は好みじゃあない。俺はあの……マルガリーテスとかいう女を男に性転換させたようなのが好みだ」
「マルガリを男にするなんて……様になりすぎて困る。どういう基準だよ!?」
「ねじられるのが好きなんだ。まあねじるのも嫌いじゃあないがな」
「早く誰かきてぇ!」
  オリバーの悲鳴が虚しく海に木霊した。と、その時、船の底に何かがぶつかる音がした。
「兄貴ぃ、勝ちました!」
「くそー、眼鏡に負けた!」
  ミルトンとスミスの声だった。
  船の側面に垂らしてあったロープをのぼってミルトンとスミス、そしてチナとテンペストも現われた。
「お前ら……服は濡れてるな。さっきのゴンって音、なんの音だ?」
「ミルトンの奴がイカダをビートバンの代わりに使っていたっす。半分のところでオールに持ち替えました」
「へえ。この距離をガキが泳げるとは飛んでて思えなかったがな」
  ギルバートが口笛を吹いた。ミルトンが言った。
「違います。バンダナ野郎は浮き輪三つ繋げて子供を引っ張ってきました。子供は泳いでません、失格ですよね?」
「いやもう何だっていいよ。この距離泳げるだけで大したもんだ。ミルトン、他のクルーはどうなった?」
「途中でほとんど引き返しました。残った奴は僕がオールで殴って沈めてきましたから、あとはこのスミスとかいう奴だけです」
  敵意を剥き出しにされ、スミスは憤慨したようにミルトンを指差すとチナとテンペストに命令した。
「チナとテンペスト号、やっちゃえ!」
  体力が有り余っているらしい子供たちが独楽とバトンを手にミルトンににじり寄る。オリバーはため息をついた。
「はいはいはい、一時休戦。ミルトン罰として見張り、チナちゃんとテンペストくんは毛布探してこい。スミスはそのかじかんだ手、なんとかしろ。鼻水でてんぞ」
「オリバーも鼻水でてるって……わぁ! ギルさん、先に着いてたんすか!? 俺たち二着だと思ってたのに」
「クックック……。1着俺、二着オリバー、お前たちは四着だ」
「俺を抜かすといちおうこれで五人ってことになるのかな。とりあえず船室に入るぞ。この霧じゃあ帰るのは無理だ。ミルトン、見張りよろしく」
「わかりました。失格者を海に沈めるんですね?」
「違う! 救助だ救助。まだ泳いでくる奴がいたらの話だがな」
  スミスが寒空の下で大きくくしゃみをした。

「この船なんだか妙に寒いっすね。空気がなんとも気持ち悪いというか……風邪でしょうか」
  スミスががたがた袖を絞りながらオリバーに聞いた。
「え? ああ、風邪なんじゃない?」
  扉についた丸い窓から甲板のミルトンが見える。誰かとしゃべっているようだ。誰かがあがってきたわけではない、「船長」と呼んでるのが聞こえた。
「風見鶏が風邪をひいたりもするんだな」
「ギル、俺風見鶏とかそんなんじゃないっすよ。俺超能力ないし」
「じゃあ自覚症状なしか……風が可哀想だな。だから風邪なんてひくんだよ」
  ギルバートが低く笑った。チナとテンペストが毛布を持って部屋に入ってきた。
「スミスー、この船ボロイし足音いっぱいするんだぞ」
「スミス、幽霊船ってなんだ? こういうの?」
「ははははは。チナ、テンペスト、よりによって試験に幽霊船を使うことなんてねぇよ。いくらボロイからってさ」
「物が勝手に動くだけだ。舵はきかねぇ神出鬼没な船だが害はねぇよ」
「立派な幽霊船じゃあないっすか! 試験官なにするんだよ、俺幽霊駄目なんっす。トイレひとりで行けない!」
「じゃあ漏らせ」
  ギルバートがにやにやと悪辣な笑みを浮かべた。と、そこへミルトンが勢いよく扉を開け入ってきた。
「兄貴ぃ、大変です!」
「どうしたミルトン、物が飛んでるくらいだったら見慣れたぞ?」
「幽霊は怖くありません。それよりもっと怖いものが横にいます。これはヤバイです」
  怪訝に思いながらオリバーは甲板へと出た。
  霧が消えかけて満月がのぼっているのが見えた。と、船が近くに何艘もあった。よく見てみると、それは最近噂のバイキングの船だった。
  オリバーは心の中で毒突いて船室に戻った。
「悪い知らせだ。バイキング船の群れに当っちまった。霧を隠れ蓑にしていたってわけか…運悪く霧が晴れかけてきている」
「バイキング? 幽霊の親戚っすか?」
「まあ性質の悪さじゃあ五分五分かな。落ち着け、こっちのメンバーは子供も含めて六人、あっちは沢山。勝ち目はない、逃げるぞ」
「逃げるって舵もきかないってのにどうするんすか。また泳ぐんですか?」
「舵きかなくたって帆はあるんだ。スミス、ちょっくら風見鶏の踊りを踊ればいいんだ」
「母さんの踊りしか知らないっすよ」
「充分だ。踊れ」
  スミスが甲板に出て母親に教えられた舞を踊り始めた。風の精霊を祭る踊りがすぐさま風をつくりだし、バイキング船さえ横倒しにしそうな強風が帆を凪いだ。霧は風で取り払われ、黒猫海賊団は姿を現す。

「いいぞ……少しずつ引き離している」
  船の後方に回ってオリバーが呟いた。しかし風は海にいる船すべてにひとしく吹いていた。
「やべ……バイキング船までいっしょに付いてきやがった。砦まで付いてこられたらやっかいだな」
「ああ、それなら……おい、チビふたり…ちょっくら下行ってなんかいいものないか探してこい」
  ギルバートは船内へチナとテンペストを追いやると、扉をミルトンに任せて、船の後方へともう一度回った。
  無言で槍を取り出すと、それを左から右に薙いだ。その瞬間、無数の龍のような落雷がバイキング船の群れを呑み込み、一瞬にして塵と化した。
  ギルバートは呆気にとられたオリバーにはかまわず、目を眇めて言った。
「ちょっと派手にやりすぎたか。灰になっちまった。なかったことにしてくれ」
「お前、そういう芸が出来るなら最初からやってくれりゃあいいのに……」
「俺前まで空賊だったんで、いきなり海賊になって空気読めってのが無理だろう。基本的に弱い者いじめは嫌いだ、海賊向いてないのかもしれない」
「その割りには無慈悲な一撃だったが?」
「まあガキどもには船は消えたって言っておこう。そのほうが幽霊船のおまけっぽくておもしろいかもしれない。現実を知ってるのなんて大人だけで充分だろ? オリバー」
「リーフにはこのことは伝えるからな?」
「お好きに。どうせ乗せてくれる海賊船はないんだから、ちょっくら西の大陸のほうでも見てくるさ。海賊は終わりだ、割と楽しかったぜ? 試験官様様。 おい、スミス。いくらなんでも飛ばしすぎだ。幽霊船が沈むぞ」
  顔を真っ青にしながら女のステップを踏むスミスは無心で踊り続けて聞いてはいなかった。船底から戻ってきたチナとテンペストが「なにもなかった」とつまんなそうに言ったのを聞いてギルバートは「そうか」と低い声で笑って頭を撫でてやった。

 帰港して六人はまっすぐリーフのもとへと向かった。
  リーフはオリバーとエンデ双方の話を聞いて、満足そうに頷いた。
「スミス、よくやった。約束どおりブレスの宝刀だ。チナとテンペストは正式にクルーおよび入港許可」
「やった! じっちゃんの宝刀」
「わーい、新人賞受賞」
「一人前! 一人前!」
  スミスとチナとテンペストがガッツポーズをとったり万歳をしたりした。
「そしてミルトン、再度確認するが……本当に黒猫海賊団の船を乗っ取る気か?」
「なに言ってるんですか♪ 黒猫海賊団の一員になるだけですよぅ」
  くねっと体を曲げてミルトンが言った。リーフはにわかに信じられないといった顔をしてギルバートを見た。
「お前は海賊になりたかったんではなかったのか?」
「ならねぇよ、めんどくせえ。それより短期アルバイト募集だ、職探さないと」
「じゃあオリバーの副職としてつかせていた手紙を届ける仕事をまかされてくれないかのう。オリバーは次の副職だ」
「手紙届けるのだって大変だったんだぜ? 乗ったら最後沈められるって貴婦人みたいに嫌われてるんだから」
「じゃあしばらく陸のほうに行ってくれんかのう。お前の言ってたほれ……トスカニールの岩塩をとってきてほしい。海の塩と違って腰痛に効くらしいから風呂に入れたい。あとトスカまんじゅうとかトスカサブレとかが食べてみたいんじゃ」
「また長のパシリかよ」
「山賊には気をつけるんじゃぞ? あそこらへんは昔盗賊髑髏団という陸の髑髏があっての、お前は薄幸そうじゃから……」
「オリバー、俺の分も買ってこい。俺より強そうな男がいたら紹介してくれ」
「そんな山賊に遭ったら死んじまう!」
  ギルバートの言葉にオリバーがぎょっとした。続けて「お前は不幸そうだから大不幸は訪れない」とも言った。どうやらここに拠点を構えるつもりらしい。
  リーフは腰をさすりながらまとめにかかった。
「まあ、無事帰ってこれたんじゃ。よかったのぅ。今晩はゆっくりと自慢話でもするがよかろう。そうじゃスミス、ブレスは最期にどうやって死んだのか、最後に教えてくれんかのう」
「じいちゃんは『水をくれ』って言って死んで逝きました」
  リーフは満足げに頷くと「生水は海では命じゃからな」と呟いた。

「チナ、テンペスト、おかえり。見ろ、今日はご馳走だぞ?」
「本当だ、肉があるー。お祝い?」
「肉だ!魚じゃあないぞ」
  手ごねハンバーグをこしらえているディランの横でチナとテンペストが騒いだ。
  スミスは妙に静かな大人たちを不思議そうに見た。レーラアの白衣が新しくなっているのも疑問だった。
  マルガリーテスがスミスに聞いた。
「腕試しには勝ったのかい?」
「三人とも引き分けっす。二次で幽霊船の軍団に遭遇しました。リタたちはどこに行ってたんすか?」
「それは……」
「宝探しだ」
  言いよどむマルガリーテスにダンテが優しい嘘の助け舟を出した。スミスの目が大きく輝く。
「海賊っぽいっす。冒険談聞かせてください!!」
  そうして大人の本当のような嘘と、子供の嘘のようで本当な冒険談が互いに話し合われ、朝を迎えた。

 本当のことは海だけが全部知っていた。