人魚の砦の酒場は異様なくらい盛宴だった。
新人クルーと先輩クルー、両者が各々ラム酒やエールを注文して盛り上がっている。
その空気にテンペストとチナだけでなく、スミスもわくわくした。
しばらくすると飲んだくれのエンデと呼ばれる男が大声で怒鳴った。
「野郎どもぉ! そろそろルールの説明をするぞ。まず最初は筆記試験! ここですべった奴らはみんな海賊になる前に羅針盤の読み方覚えてきな。次に腕相撲! ちなみにギネス記録は知ってのとおりリタだ。三番目がチェス! これは新しく競技に決まったが、俺はよくしらねぇ。そして盛り上がるのがなんといっても腕試し! 俺がてきとうに対戦相手を決めたから楽しみにしておけ。最後は遠征だ! 遠征は俺の管轄じゃねぇからそっちのほうは後ほど。長い説明になっちまったが進行はこの俺エンデだ。盛り上がれー!」
一気にクルーが熱狂した。
口々に「死ねー、ヴァッフェンロースクルー」とか「リタの記録を塗り替えるんだ」とか叫んでいる。
チナが気おされたように呟いた。
「だ、大人気だ、な……私たち」
「みんなリタの悪口言ってる。なんでだ?」
不思議そうにテンペストが聞いてくるのをスミスは笑って流した。とんでもないところに来てしまったようだ。が、宝刀を手に入れるためにもなんとか好成績を残したかった。
何はともあれ、腕試し大会の始まりである。
最初の筆記試験は読み書きそろばん、羅針盤の読み方から横断歩道の渡り方まで色々と書かれていた。問題の方向性がしつこく躾に傾いていたのはジェントルマンな海賊を作るためらしい。これはスミスがトップで合格した。チナとテンペストもまずまずな点数をおさめた。
次の腕相撲はスミスはボロ負け、テンペストもあえなく敗退、チナだけがメイスを持っていたせいか勝ち上がった。
三番目のチェスはテンペストとスミスが勝ち、チナが負けた。
「いよいよ腕試しだ! リタに骨を折られたクルーたちよ、今こそヴァッフェンロースに復讐するときが来た! 腕は折っていいが命を取るのはご法度なのは今までのルールとかわらねぇ。じゃあ各々対戦相手を表にしてあるから見てくれ!」
わらわらと表の前に人だかりができた。
あまりにも人が多かったのでスミスはテンペストとチナを交互に肩車してやることになった。
「テーン、俺の名前も探してくれよ。俺の身長じゃ見えねぇんだ」
「えーと……あ、あった。ミルトンって書いてある」
「強い奴じゃあありませんように。テンは誰だ?」
「オリバーって書いてある。あれ? これさっきのおじさんだよな?」
「おい、おじさんはねぇだろう。まだ若いんだぞ、リタと同じくらいだ」
「おじさんだよ、そんなの」
子供の強制力に負けてスミスは話題をチナに振った。
「チナは誰と戦うんだ?」
「私はギルとだぞ」
「うげぇ、さっきの変態じゃねぇか。チナ、変なところ触られたら泣くんだぞ? とりあえず泣けば終わる。テンも覚えとけ」
「そんなガキのカラダなんて誰が触るか」
声はギルバートのものだった。向こうからオリバー、と見知らぬ金髪眼鏡の少年がオリバーの腕に抱きついてやってきた。
「ギル、お前なんでここにいるんだよ? 空賊だろ、お前」
「お前こそどうしてここにいるんだ? オリバー、お前新人クルーじゃあないだろう」
「俺は新人じゃあねぇけど、今所属している船がないから強制参加だ。お前、マルガリのほうの用事はどうした?」
「俺も空賊はやめだ。あの女の用事なら捨て置いた、弱い者いじめは楽しくないんでね。今度こそクルーになってやる、クックック……。強い猛者のいるところに所属する恰好の機会だ」
含み笑いをするギルバートに隣りの眼鏡少年が話し掛けた。
「いい男ですね! 乳首のピアスなんに使うんですか?」
「これか、これは引っ張ると痛いんだ。痛くて気持ちがイイ」
「こういう奴だから。近づくなよ、ミルトン」
「んもう♪ オリバーの兄貴ったら妬いてるんですか? 兄貴もいい男ですよぅ」
やたらオリバーにべたべたしているこの少年がミルトンというらしい。見たところスミスより年下、チナより年上といった感じだ。 そういえば筆記試験の“読み書き”の部分で点数がだんとつだったような気もする。インテリ海賊というのはこういうのを言うのだろうか。スミスはきっと睨むと言ってやった。
「俺が大海賊になる予定のスミスだ!」
「誰? 僕知らないよ」
「スミス! 西で一番多い苗字なんだから覚えろよ」
「知らないったら知らない」
ミルトンとスミスに挟まれたオリバーがふたりを「まあまあ」と諌める。そんなオリバーの右頬には大きな手形がついていた。不思議に思ってスミスは聞いた。
「オリバー、その手形、何?」
「これか?」
左頬をさすりながらオリバーは解説をした。
「これはマルガリの手形だ。これでも薄くなったほうなんだぜ? あまりにもはっきり痕がついたもんだから女はこれを見るとことごとく俺をびんたしてきやがる。なんで左手ばっかなんだよ、普通右手だろ? この手形のせいで“左手のオリバー”なんて呼ぶ奴もいるし」
「それはいつまでも右腕になれそうもない通り名っすね」
「この手形は俺がマルガリのことをマルガリと呼んだからついたわけじゃあないぞ? マルハゲと間違えて呼んだときについたんだ」
それは致命的すぎるミスだとスミスは思った。オリバーは続ける。
「右腕にはなれそうもないが、俺は新人クルーじゃあねぇ。人も何人か殺したこともある。そっちのテンペストとかいう子供、何が武器なんだ?」
「俺、独楽!」
元気にテンペストが言った。オリバーは笑った。
「怪我させたくなかったら何かほかにも武器を持たせたほうがいい」
オリバーの親切なアドバイスにスミスは手近なところから果物ナイフを持ってきた。
「いいか、テン。これも使っていいからな?」
「使ったことないけど、もらっとく」
テンペストはナイフをぶんぶんと振り回した。軽く人間凶器である。ギルバートも隣りから口を挟んだ。
「俺も人は殺したことがあるし、かなり強いと思う。このチナってガキ、武器はなんだ?」
「私の武器はバトンだ」
「持ち替えさせたほうがいい。なんかこう、せめて尖っていぼいぼした……そう、まるでメイスのようなもの」
「メイスはいらない。私の武器はバトンだ」
「チナもメイスに持ち替えておけよ。あれがあればお前は最凶だ」
チナはぺティオールの噴水で貰ったバトンが気に入ったらしく、スミスの言葉に首をいやいやと横に振る。本人がそう言っているのだから止められなかった。
「ほら、そろそろ始まるぞ。ミルトン、いい加減離れろ!」
「いやん。兄貴の照れ屋さん♪」
オリバーが強制的にミルトンを引き離したところでエンデの声が響いた。
「対戦相手の確認はとれたか? じゃあ始めるぞ、叩き折れー!」
それが合図だった。
オリバーは手馴れた動作でサーベルを構えた。人は何人も殺したことがあったが、腕試しでは折ってもいいが奪ってはいけない、ましてや相手は7歳の子供だった。
サーベルでは腕は折れない。てきとうに相手をしてやって、キリのいいところで泣いてもらって勝負をつけよう、それがいい、そう決めた。
テンペストはくだものナイフを操り果敢に挑んでくる。相手の武器が果物ナイフだったことも経験にはなかった。これが獲物が小さく、テンペストに怪我をさせないようにサーベルを操るがどうもうまくいかない。
「ああもう、泣けよ!」
オリバーはしびれを切らしてテンペストの胴体を蹴り上げた。
後ろに吹っ飛ぶ瞬間、テンペストの左手が独楽を持ち、器用に投げてきた。オリバーは片足だったため軸が揺らいだが、すんでのところで独楽をよけた。よたよたと後ろを見ると、独楽が背後のクルーの頭の上ですさまじい勢いでスクリューして、ミステリーサークルをつくるのを見てオリバーは青ざめて両手を万歳した。
「お、俺の負け」
同時にテンペストがわんわん泣き始めた。引き分けである。
スミスはミルトンと向き合ったまま動かなかった。このミルトンは何か言動がさっきから怪しい。何か危険なものを感じていた。
ミルトンは眼鏡を光らせると低い声で笑いながら独り言を呟いた。
「ふっふっふ、僕はこの腕試し大会で優勝して黒猫海賊団に乗るんだ。あそこの船長にあんなことやこんなことをしてもらんだ。にゃんにゃんするんだ」
新人クルーの腕試しに優勝はない。
言っている内容はスミスにとっては意味不明だった。だが、反射的に強がってみる。
「俺こそ優勝してリーフのじいさんに宝刀を貰うんだってばよ。ぜってぇ負けねぇ!」
しつこいようだが、優勝はない。ミルトンが悪辣に笑う。
「ほえ面かくなよ、スミス!」
スミスが両手にダガー、ミルトンがシミターを鞘から抜いた。
もやしっこ同士のへなちょこな剣の交差する音が響いた。ふたりとも無駄に動きが大きく、肩で息をしながら悪戦を続けた。
「はぁはぁ、スミスめ……やるな」
「あんたこそやるっすね、ミルトンめ。ここは男らしく拳で勝負だ!」
「望むところだ、唸れ僕の猫撫でパンチ!」
両者共に武器を投げ捨てると床でもみくちゃになりながらポカポカと殴りあった。髪の毛を引っ張ったり往復ビンタもくりだした。
「お前顔のダメージ低いからって服剥ごうとしてきただろ! どこ触ってんだよ!?」
「お前のようなもやしっこの服なんか剥ぐか! 僕は剥がれるほうが好きなんだ」
「この服オニューなんだぞ! 引き裂かれてたまるか、みっともねぇ!」
むしろ服を剥ぐほうも好きそうなミルトンにスミスが怒鳴った。と、そのとき……スミスの首にかかっていた鮫の牙のお守りをミルトンが引っ張った。
「なにするんだ、よ!」
思わずスミスが鼻フックをしようとして、ミスして眼鏡フックとなった。ぷらーんとスミスの指に眼鏡がぶら下がった。だが、相手にはそれさえ見えないくらい衝撃的な事故だったらしい。
「わ、眼鏡。目がー目がー! 眼鏡返せよ、馬鹿ッ」
先に泣き止んだテンペストがスミスを指差して「いじめっこ」と言った。オリバーが「あいつ眼鏡が弱点なのか」と逃走経路を確保したようだった。
スミスは慌てて眼鏡をすっと戻してやった。その親切心があだとなった。
「おら、死ね。ヴァッフェンロース!」
「スミスだってばよ。もう手加減なんかしてやんね!」
ふたりはまた眼鏡と鮫の牙以外を狙って攻撃を再開した。口々に「お前のバンダナダサい」だの「お前の服安物」だの言い合いながら延々と戦い続け、口論となり、ほとんどの試合が終了したのちまで続いたためエンデに引き分けを言い渡された。ここまで盛り上がった低レベルな因縁も珍しかったのでギネスに載った。
そんな隣りの小競り合いの一部始終を見ていたのが三組目のチナとギルバートだった。
ようやく周りが静まった頃、ギルバートが口を開いた。
「終ったらしい。いいチラリズムだった。なあ、チナ」
「あんまりリズムはよくなかったぞ」
「まあそろそろ俺たちも始めようじゃあないか」
「三秒だ」
チナが指をみっつ突き出して宣言した。
「お嬢ちゃん、三秒はないだろ。せめて十秒……」
「命乞いはなしだ。1、2、3……はい、ギルの負けだ」
「審判、今のなしだから」
「は? なんの話だ?」
エンデが酒を飲みつつ間抜けな返事をした。どうやら見ていなかったようだ。
ギルバートはすっと空を掴んだ。するとそこにいきなり大きな刃のついた槍が現れた。
「む、なんだ今の。もっかい!」
「もっかい見たかったら棄権しろ」
「やだ」
「とりあえずこの槍はすごいんだぞ。何がすごいってマジですごいんだ。岩が斬れるくらいの風が起こるんだ。下手したら死ぬから――」
「死んだらお前が失格だ」
「死ぬんだぞ? 死んだら勝てないからな」
「死んだらお前が失格だ」
二度繰り返した。脅しが効かないとみて、今度は別の作戦に出た。
「よし、銀貨やるから、帰れ」
「タダじゃあ帰らない」
「だから金やるって言ってるだろ! ああもういいよ、ガキは嫌いだ。棄権する」
「嘗めるのも大概にしろ! 尋常に勝負だ」
言うやいなや、チナは鉄砲玉のように突っ込んできた。さすがに槍を使うわけにもいかず、ギルバートは脚でなぎ払おうとした瞬間逆に脚に飛びつかれた。
「俺のカラダに触っていいのは強い男だけだ。離れろ!」
「やだ」
がぶっと脚に噛みつかれ、ギルバートが思わず槍を横に振った。その瞬間、周りの人間が吹き飛んだ。酒が駄目になったエンデが立腹し、ふたり仲良く失格となった。
「まあ、なんだ? 色々あったが……最後は遠征だ。こっからは俺の管轄じゃあねぇ。酔ってる状態で泳げるかよー。ということで、ここからは……いつでも新人の左手のオリバーが試験官だ」
「その通り名で呼ぶな!」
怒鳴るオリバーにエンデは耳をほじくりながら新人クルーに説明した。
「あの右頬に手形がついているやつがオリバーだ。自分の乗ってる船にあいつが来たら要注意だ。先日も沈んだらしい」
「いらん説明つけるな! 年々雇ってくれるところが減ってるんだよ。こんな副業まで始めなきゃいけないくらいな!」
「オリバー、あんた覆面試験官だったんすか!?」
スミスが驚いたように言った。
「あたりめぇだろうが。いくらなんでもこの歳で新人同様はごめんだ。飲んだくれのエンデだけに任せるなんてできるかよ! 長の命令だ」
「兄貴かーっこいい!」
「離れろ、ミルトン!」
抱きついてくるミルトンを引き離しながらオリバーは怒鳴った。
「とりあえず港に移動だ。二次だ、そんなに軽くないから覚悟しやがれ野郎ども!」