「人を殺したことがあるか?」
そんな遠い昔聞いた言葉をマルガリーテスはふと思い出した。
今ごろになってなんでそんなことを思い出したのかはわからなかったが、航海はそんなこととは無関係のように平和だった。あまりにも暇だったのでマルガリーテスはスミスにいちゃもんをつけることにした。
「スミス、あんた人を殺したことはあるかい?」
「あるっすよ! じっちゃん殺したの俺だし」
思わぬ返答にマルガリーテスは「へぇ、意外だね」と口笛を吹いた。スミスはどこか悲しそうな顔をしながら続ける。
「じいちゃん、俺に『水を汲んできてくれ』って言って、俺が戻ったときには息を引きとってたんす。俺がもっと早く水を汲んできていれば……」
「そりゃあおじいさんの寿命だろう。スミス」
呆れたように林檎を食べていたディランがつっこんだ。マルガリーテスは更にいちゃもんをつける。
「それにしたって海賊ならば人を殺して財宝を奪うのが常だね。ちょうどいいや、あんたちょっくらあそこに浮かんでいる海賊船沈めてきな」
「おい、リタ……」
また難癖つけているマルガリーテスにダンテがうめく。
「いくらなんでも海賊は船を沈めない。乗っ取るんだ」
「訂正するだけかい」
レーラアも呆れたようにふたりのやりとりを見る。スミスは俄然やる気である。
「船くらい俺だって沈められるっすよ! いいっすか? 見ていてください。沈めぇーっ!」
船室から見えた船目掛けてびしっと指差しスミスは叫んだ。
が、その瞬間大きな水柱が立って本当に海賊船は顛覆した。
ぽかん、とそこにいた一同が、もちろんスミスも呆気にとられた。
「スミス、今のどうやったんだ!?」
「もっかいやってー、もっかい!」
テンペストとチナが乗り出して目をきらきらとさせた。
スミスは指差したままの人差し指を震わせながら首を左右に振った。
「うそだ、こんなの。ただのまぐれっすよ、俺超能力なんてないし!」
「そうだそんなミストラルのような真似されてたまるか!」
ダンテが窓に近づいて外を入念に見た。幻覚だったらよかったのに、それは本当に起きたできごとだった。クローセルががたん、と立ち上がると外へ出た。風の方向や潮の流れを見るためだ。
「ねぇ、本当に顛覆してるみたいよ? 乗っている人たち、大丈夫かしら」
「海賊船に乗っているのは海賊だけだよ。どうせ泳げるに決まってるさ」
案の定、こちらに泳いでくるひとつの影があった。
冬場の凍てつく海を泳いできたのはマルガリーテスの知っている人物、幼馴染のオリバーだった。なぜか乗る船乗る船が沈没するため海賊の中で疎まれている彼だが、毛布にくるまりがたがたと震えていた。寒いからか、先ほどのミストラルめいた力のせいかはわからなかったが。
「またお前か、マルガリ……」
「マルガリって呼ぶな! んで、あんたあんなところでひとりで何やってたんだい? 釣りにしちゃあ沖まで来てたようだけど」
「お前らヴァッフェンロース号を待っていたんだよ、マルガリ」
「マルガリーテスって名前があるって言ってるだろ! んで、あたしたちに何のようだい?」
「マルガリ……お前は頭を丸刈りにしたほうがいい。長(おさ)から連絡だ」
何度も自分のことをマルガリと連呼するオリバーにはもういちいちつっこまないことにした。
がたがたと震える指で懐から取り出された手紙は海水でよれよれになっていたが、かろうじて読めた。
「ちゃお♪愛しい孫娘。
お爺危篤。すぐ帰って来い」
大海賊リーフ
「元気そうじゃあないかい、お爺のやつ」
「この前のブラック・パール号とチナとテンペスト号の話、今人魚の砦ではもちきりだぜ? あの乱暴者のマルガリが子供の世話なんてしてるってさ」
「マジでー!? さいあくー」
思わず素に戻って悪態をついてしまった。オリバーはこくこくと頷きながらスミスを指差す。
「長はこのスミスっていう奴の話を聞いて連れてこいって。だから早く帰れ、すぐ帰れ。どうせお前の明日の運命は海賊たちの嘲笑の的だ。俺も早く暖かい暖炉にあたりたい」
そう言うときゅっと毛布の中へと丸まった。どうやら海は余程冷たいらしい。
緊急的に決まった帰港だった。
人魚の砦に帰ると、たくさんの懐かしい顔ぶれがそろっていた。
売春婦たちがディランやダンテを宿に引っ張ろうとするのを、さらに強い強制力でクローセルがふたりの耳たぶを掴んで連れてくる。スミスに声をかける売春婦は誰もいない。 テンペストとチナは初めて見る人魚の砦に興味津々のご様子だった。
漸く家に帰り着くと、マルガリーテスはオリバーに言われたとおりにスミスをリーフに見せた。
そのディープブルーの髪の毛とフェニキア紫の瞳を見ながらリーフは言った。
「ふぅむ。間違いない、こいつはミストラルの息子だろう」
「なんだって!? こんな役立たずがあの暴風といっしょなのかい!」
「この青髪赤目はミストラルじゃろう。ミストラルはブレスの娘でな、ブレスとわしは昔同じ船のクルーじゃった。若い頃によく似ておる」
「じいちゃんのこと知ってんの!? じいちゃん巷じゃあボケてるって馬鹿にされてたけど」
目をきらきらとさせて乗り出すヴァンの肩を押さえながら言った。
「ブレスはな、癇癪もちだったが気性は大人しかった。ミストラルみたいな娘が生まれるなんて誰も思いもしなかったが……あの娘はミストラルの名に相応しい暴風だな。はっはっは……二度と来るなと言っておけ」
「俺の母さんの名前ならマリンだけど?」
「ほら違うじゃあないかい!」
「あれ、おかしいのぉう。そう言われてみると似てないかもしれんのう」
「貴婦人の子供かどうかはともかくとして、そいつは風見鶏の血を引いてるのは確実だろうな。長……」
ふと背後のほうから聞きなれぬ声がした。振り返るとそこには黒ビキニにコートだけで眼帯をつけた、見たこともない、知り合いたくもない男が立っていた。
レーラアとクローセルが悲鳴に近い声をあげた。
「誰だ、お前。怪しい通り越して、変態! 不審者!」
「チナー、そんなにマジマジと見るな!」
ディランがチナの目を隠した。テンペストが自分の頭と同じ高さを指差して聞いた。
「お兄さんパンツちいさいよ。そこどうなってんの?」
「剃ってるんだよ。見る?」
「見せるな!」
ダンテが慌てて男を突き飛ばした。が、男はひらりと後ろに蹴って間合いを空けた。
「弱ぇ奴が気安く俺のカラダに触るんじゃあない」
「んな!?」
ダンテが弱いと言われて愕然とした。色々な意味で屈辱的だった。マルガリーテスは冷めた目でリーフを見た。
「お爺、いくら寂しいからってその歳でそっちに目覚めるなんて、見損なったよ」
「誰があいつなんかと! あれは男娼ではない、空賊じゃ」
「風俗?」
「空賊だよ空賊。空飛ぶ賊だよ。まあ西のほうじゃあ知られてなくて当然か」
あまり聞きなれない響きだった。クローセルがたじろきながらも果敢に男に挑んだ。
「空賊って竜使いの荒くれ者でしょう? 滅んだはずじゃあない」
「そっちは竜を捕り尽くしているかもしれねぇが東ではまだ龍ってのがいる。まあ俺は元々龍の血を引いてるから龍を捕る必要はなかったがな。その龍を乗りこなすのに何年、だからといってめでたく空賊になったって空にはサンタと魔族。海を渡ろうとすればミストラルだ。そのガキは間違いなく東のはずれの孤島の踊り子の血を引いている」
「の」をたくさん挟んだ説明文だった。男は続ける。
「空賊は強くないとなれねぇ。だが、獲物がいなきゃあそれまでよ。OK? 転職だ」
「――ということでどこぞの馬鹿海賊が拾ってきた空賊のギルバートじゃ」
「ギルでいい。で、こちらさん? 雇ってくれる海賊船ってのは」
「「拒否!!」」
大人全員の声が重なった。ギルバートは手を万歳とした。
「おっと冗談だ。保母さん海賊は願い下げ、あと女の多い船も不可だ、あと俺より弱い奴しか乗ってない船も不可だ。ということで、お前らの船は全部に当てはまっている」
「なんだって!?」
「リタ、落ち着け。ギルだっけか? お前もそんなこと言ってると誰も船に乗せてくれねぇぞ」
ダンテがマルガリーテスを諌めながらギルバートへ言った。ギルバートは笑って言った。
「まあそんなこんなで俺はここに滞在してえいるわけだが、七五隻の船に冗談で聞いて断られた」
やっぱり。誰もがそう思った。ディランが近くの箪笥からブーツカットのパンツを取り出し、ギルバートに渡した。
「船に乗ろうとする前にお前はその服装をどうにかするべきだ。切り殺されるぞ」
「ああ、服装がいけなかったのか。なんだよーみんなしてうるせぇなあ。ちゃんとコート羽織ったのに。上着てるだろ?」
「下も着るんだよ!」
ディランに言われて器用に足の指でパンツを摘み上げるとギルバートは足だけでそれを履いた。少し見れた格好になった。
「ま、こっちで風見鶏の親戚を見るなんてことがあるなんて思いもしなかったな」
「ふぅむ。ギルバート、やはりこやつは風見鶏の血を引いておるのか。ブレスは修行に耐え切れず脱走してわしの船に乗ってきたがそれでもいい風を運んできてくれたぞ。ダンテ、どうだ?」
「船が一艘スクリューしながら沈んだが、まあ怪我人死人はでなかったぜ」
「やはりミストラルの血を引いていそうな気がせんでもないが、これもなんかの縁じゃろう。スミスくん、お前にこれをやろう。ブレスがわしにくれた宝刀じゃ」
リーフは重い腰を持ち上げると、近くの棚で埃をかぶっていた、それでも宝石が勿体無いくらいついた見事な曲刀を取り出してきた。
その装飾を見てスミスが「あっ」と呟く。
「じっちゃんが昔なくしたって言ってた曲刀にそっくりだ」
「なぁに!? もう一本のほうをなくしたのか。友情の証とかぬかしおってブレスめ」
元は二本あったようだ。
「どうじゃ? スミス欲しかったら新人クルーの腕試し大会に出場してみんかの?」
「出る!」
「即答!? こいつ投げ飛ばしたって泣くような奴だよ。お爺の言う腕試し大会ってあたしが十人の骨折ったあれだろう? このもやしっこには無理だよ!」
「ん。じゃから、インテリ海賊どもからクレーム来たんじゃ。肉弾戦に傾きすぎじゃからもっと知的にクールな知能戦も入れた総合評価にするべきだと」
「――で?」
「今年から始まるんじゃが、お前に骨を折られた先輩クルーどもが新人クルーを使ってヴァッフェンロース号に報復がしたいらしい。ということで、いい機会じゃからスミスに出てもらおうかと思っての」
「生贄じゃあないかい」
呆れたようにマルガリーテスはうめいた。そんな事情が分かっているかどうかはわからなかったが、スミスはやる気だった。
「リタ嘗めんじゃねぇよ。俺もう数え歳で十九だぜ? 人のひとりも殺しておかなきゃ立派な海賊にはなれねぇよ」
「ただし、殺しちゃあだめじゃ。クルー同士で険悪になられたら困るんでな、昔からの決まりなんじゃ。リタ、ダンテ……新人クルー以外はちょっと別用を頼みたい。オリバー」
「へい。じゃあスミスと、そっちのガキは無理か」
「チナは立派な海賊だぞ!」
「俺だって海賊だ!」
テンペストとチナが口々に叫んだ。
オリバーは片手で耳を塞ぎながら片手で書類を三人に渡した。
「これにサインするんだ。骨折られても文句言いませんってな」
三人がサインし終えるとそれを回収してオリバーは三人を酒場へと案内した。
それを見送ってからリーフは本題に入った。
「まあ戦力にならん子供たちはこれで追っ払えた。ここからはシビアな話じゃ」
戦力という言葉にこれから始まる話は戦いの話だということが分かった。
「実はゴールドリーフのはるか北のほうからきた海賊に少々困っておる。わしたちがパイレーツと呼ばれるように、向こうはバイキングと呼ばれている海賊じゃ」
「北と言えばクローセルだね」
「私は北といってもまだ豊かなほうよ。バイキングの住む地方はね、氷しかないの」
「それぐらいあたしだって知ってるよ。あれだろ、主食氷だろ?」
「違うわ。氷の大地に穴を空けて、そこからアザラシや小魚を捕るの。でも寒すぎて火がつかないから生肉のままバリバリムシャムシャ食べちゃうの」
クローセルが得意の雑学を披露した。リーフがその補足説明をする。
「かの地はとても過酷な環境でな、ともかく土地が貧しいのじゃ。国とかそんなものは存在しない。飢えているときは死んだ人間の肉も食べるそうじゃ。それも死してなおも土に還れなかった哀れな死体よ……彼らは常に飢えておる。わしらは港に入れば一時休戦と言ってられるが奴らは港にいる船も襲う。そして言葉が通じん。長い間国交というものもなかったからのぅ」
「言葉の壁って厚いもんだね」
マルガリーテスは苦々しく呟いた。たしかにそんな環境では一時休戦なんて暢気なことは言ってられないだろう。
「そこで、お前を呼んだ。他のクルーたちはもう討伐に向かっている。お前たちも近辺のバイキングを討ち取って来い。奴隷とは言わん、確実に仕留めてこい。お前の腕なら可能なはずじゃ」
「話は分かったがお爺、ヴァッフェンロースは非武装なんだ。俺やリタはともかく、他の奴らは戦えねぇよ」
ダンテがクローセルやディランを見て言った。レーラアは無言だった。
「それに、リタはたしかに腕はたつ。だがな、人間に手を出したことがねぇんだよ。半殺しにできたとしてもとどめが刺せるかどうか心配だ。ぶっちゃけ俺以外人を殺したことはないと思う」
「それなら問題ないんじゃね? お前を含めてふたりだよ、確実に人殺してるのが。東出身だろ? レーラアさん」
服を着終わったギルバートの言葉を聞きレーラアに視線が集まった。ダンテは首を横に振った。
「医学に携わる者は命と密接だ。産婆に立ち会って死ぬ母親や赤子を見ることもあれば手術で命を救えないこともある」
「医学ねぇ……まあ、最初は医学生だって聞いたことはあるけど。まあ、俺がいなくたってなんとかなるだろう」
そう言ってギルバートは踵を返す。リーフが止めるように言った。
「おいギルバート、お前がいないと戦力が……」
「お孫さん嘗めすぎでしょう。女はこわやこわや。それに俺、今日海賊に転職したばっかなんで右も左も分かりません。つーわけで、俺は腕試し大会に出る。命賭けて食料集めてる雑魚には興味ねぇ。それに俺は、“海賊”としてはまだ新人だぜ。先輩たちこわーい」
棒読みでそう言うとひらひらと手を振ってギルバートは部屋を出ようとした。すれ違いざまにレーラアがギルバートに聞いた。
「あんたものらりくらりと転職ばかりね」
「就職難なんだよ。あんたは女医になれて良かったな」
「皮余ってるんでしょ? 上から下まで剥いであげましょうか?」
「さすが海賊。人の財産まで狙うとは」
ギルバートが部屋をあとにしてからリーフはため息をついた。
「やれやれ、何しにきたのじゃあの男。さっきまで『次で落とす』と乗り気だったくせに。まあレーラアの名前で思い出したぞい。この十余年噂を聞いていなかったが東で皮を剥ぐ女がいたと聞いたことがある。もし生きているとしたらもっと歳を食っているはずじゃが、思ったより若いのぅ。お前さんがいれば心強い」
「東洋のものを価値の高いもののように言うのは西洋の悪い癖ね。レーラアの名前は師匠の名前なの。殺したついでにいただいただけよ」
「師匠ぶった切るたあ何が気に食わなかったんだ?」
ダンテが聞くとレーラアはさもどうでもいいと言わんばかりに「髪の毛」と答えた。
リーフは顎の髭をいじりながらため息をついた。
「まあいい。そっちのふたりも何かてきとうに持っていけ。武器庫のあるところは知ってるな? 船はヴァッフェンロース号ではなく一般船を使っておびき寄せ作戦に出る」
リーフが最後に「お前はもう人を殺していると思った」と言った言葉がマルガリーテスの中で暗く木霊した。
武器庫の中でクローセルは古いクロスボウを手に取った。これなら軽い上に弧を描くように撃てばクローセルでも標的に当てられるだろう。ディランはでれ助火縄銃に目をつけた。
作戦というのはいたってシンプルなもので、沖のほうまで一般船で漕ぎ出し待機する……向こうが勝手に襲ってくるのを待てばいいというものだった。
案の定暫く待っているとバイキングの船は現れた。こちらに乗っているのが海賊とも知らず、ロープを振り子のように揺らすとわらわらと乗り込んできた。全員が乗ってきたのを確認すると、クローセルがよく狙って、クロスボウの引き金を引いた。古びた弦が間抜けな音をたてながら矢は後方を歩いてきたひとりのバイキングに当たった。
「当たった、やっちゃった。意外とあっけないわね」
クローセルがおっとりとした口調で言った。レーラアが甘いと指摘した。
「頚動脈狙わなきゃだめ。まだ生きてるじゃあない、可哀想」
矢が刺さった状態で苦しそうにもがくバイキングを見ながらレーラアは続ける。
「私が行ってとどめを刺してきてあげる」
「おい待てよ、先生」
「当てないでよね? 援護の人」
ディランの制止も聞かずにレーラアは単身で甲板へと飛び出した。
いきなり現れた彼女の姿に戸惑うバイキングたちだったが、前方を歩いていたバイキングがふと頚動脈を切られたのに目の色を変えた。シャワーのように鮮血が首から溢れ出し、レーラアの白衣を朱に染める。赤茶色の髪の毛が血に濡れてぬらりと艶を帯びた。
「さあ、皮余ってるんでしょ?」
バイキングたちは言葉こそ理解してなかったが、それが戦いの火蓋であることは理解した。レーラアはまっすぐゆっくりと歩いていき、邪魔になる者の頚動脈を正確に切り裂いていった。
レーラアが防御をしないため、ダンテが飛び出していき、レーラアに斬りかかるバイキングを斬り殺した。マルガリーテスもそのあとを追い、ディランとクローセルが後ろから確実にひとりひとり、仕留めていく。
マルガリーテスは近づいてきたバイキングの胴体を蹴飛ばすと海に落とした。次に斬りかかってきた者は胴体を薙いだ。なおも斬りかかってきたので腕を切り落とした。憎々しそうにこちらを見てくる目が気に食わず左足を刺した。しかし、バイキングは死なずに苦しそうにのた打ち回っている。
マルガリーテスはどうしていいか一瞬分からなくなった。
おおかたレーラアが片付けたため残った敵にとどめを刺してダンテが戻ってきた。
「リタ。そいつはもうじき死ぬ」
「だって船長、だってこいつが抵抗してくるからっ!」
「とどめを刺せ。楽にしてやるんだ!」
ダンテに怒鳴られてマルガリーテスは黙り込んだ。意を決したように、無言でバイキングの首に大刀を振り下ろす。
先ほどマルガリーテスが海に蹴落としたバイキングにパン、と火縄銃が音を立て、最後の敵が死んだ。
死体のごろごろ転がった船で帰港するわけにもいかず、バイキングたちの乗っていた船へと全員が乗り換えると、ディランが懐からなにやら取り出した。
「なんだそれ?」
「でれ助火薬ですよ。最近錬金術師と協力して水をかけるとさらに燃え上がる火薬を作ったらしいんです。あのまま死体を乗せて浮かべとくのも可哀想だし、船ごと葬送してやろうと思って」
「おう。やってやれよ」
ディランはダンテに頷いて、紙筒に詰まった火薬に火をつけると、それを一般船のほうへと放った。
静かに火が広がっていき、肉の焦げる臭いがするのを感じつつ船はバイキングたちを置いたまま静かに帰港に向かった。
「あー怖かった。私たち、本当に海賊だったのね」
クローセルがクロスボウの弦を調節しながらディランに言った。
「俺も銃なんて初めて使ったよ。思うんだけど俺たち一発一発が遅いと思うんだ。装填と発射の時間をもっと縮めなきゃ。いつも船長たちが近くにいるわけじゃあねぇし、自分の身を守るためには先にやるしかないだろ?」
ディランが至極真面目な顔をして言ったのでクローセルは目をぱちくりとまたたかせた。
「ディランったらもうすっかり海賊ね」
「お前もだろ、クローセル」
そんな後方射撃組みの会話を聞きつつマルガリーテスはぼんやりと先ほどの船を見ていた。間接的に殺すのと接近して殺すのでは殺した感覚が違う。
昔のマルガリーテスならば迷わず殺していただろう。いつからこんなにぬるくなったのかとため息をついた。
「なあ船長、人を殺すってどういうことだい? あたしゃさっきあんたの足を引っ張っちまったよ」
ダンテが舵を切りながらそのまま答えた。
「その次から同じってことだ。その次も、その次も……俺たちは海賊だからな。だがなリタ、俺は昔言ったと思うが人を殺さなきゃ海賊になれないのかというのが常々の疑問で、お前は俺とヴァッフェンロースの右腕だ。足なんて引っ張ってない」
蓮っ葉な口調だったがそこはかとないいたわりの気持ちがこもっていそうだった。
レーラアが船内を見てきて甲板へと戻ってきた。浮かない顔のマルガリーテスの横に来ると言った。
「殺していけばどんどん慣れてくるよ。最初はみんなそんなものさ。それより船長、船底にけっこう財宝が積んであったんだけど、あれリーフ老に交渉してヴァッフェンロースのものにできないかしらね。私のこの白衣は汚くて買い換えたいんだけど」
白衣を脱ぐとぽいっ、と海へ捨てた。こちらはいつでも現金である。
人魚の砦に戻るとリーフは「財宝は全部ヴァッフェンロースのものにしていい」と言って、レーラアが喜んだ。しかしマルガリーテスの気持ちは曇り空のままだった。思い出すのは二十歳のとき、初めて酒場でダンテと話したときのこと。
「人を殺したことがあるか?」そう聞いてきた男の、心の迷いと、今のマルガリーテスの迷いはきっと同じだった。