海賊ヴァッフェンロース号

港のアルバイター

  前回までのあらすじ。
  ソールズベリでスミスを仲間にした一行は、嵐の夜に子供を拾った。
  樽の中に押し込められていた子供をどうするか話し合ったが、大人はまったく頼りなかったのにはさすがのスミスもため息をついた。
「まったく大人ってのはなんて馬鹿なんだろう、子供は親がいなくたって育つのに」
  そんなスミスの思考は露知らず、暫く一行は帰港地ぺティオールに錨を下ろす羽目となったのだ。

「――というのが今回の会議で分かったな?」
「またそれかい!」
  ダンテの言葉に静かに聞いていたマルガリーテスがつっこんだ。
  まことに不本意ながら、子育てというのは本当に大変で、スミスのほうが呑み込みが早かった。
  このテンペストという子供が、衰弱から元気を取り戻すにつれてしだいに生意気な子供へとなっていって、手がかかった。特におしめがとれないこと。
  おしめ代も馬鹿にならない。貧乏海賊団は本当に情けないことに、スミスが海賊になるために秘かにアルバイトしながら貯めていたお金をすり減らしながらテンペストの世話をした。
  もうこれはスミスを船に乗せる乗せないの話ではない。これに関してはスミスに頭が上がらなかった。
  それでもお金が尽きると、スミスをアルバイトに行かせ、それでも足りなくなると、いよいよマルガリーテスとダンテは力仕事、ディランは皿洗い、クローセルはティッシュ配り、レーラアは往診に出かけた。
  子供なんて大嫌い、みんながそう思った。
「スミス、お前がこんなに出来る奴だとはさすがの俺は思わなかった。ただのボンボンだと思ってた」
「何言ってるんすか船長、たかがマグロ漁船でマグロの一本釣りをやってきただけじゃあないすか。褒めてくれればいいのに、謝らないでくださいよ! 別に俺、嫌でやってるわけじゃあないんすから。素敵じゃあないすか、子供を育てられる海賊なんて早々いませんよ、俺途中まで捨てられたかと思ってましたから!」
  その予想はあながち間違いではなかった。
  このマグロ漁船というのが妙に儲かるようで、スミスが一番の稼ぎ手だった。次が医者のレーラア、次が傭兵となったマルガリーテス、荷物運びのダンテ、コックのディランは最近店長にしつこく正社員を勧められているらしい。ティッシュ配りのクローセルが別のアルバイトを探し始める始末である。
「ダンテ、陸の山賊ってのはどうしてこうも弱いんだろうね。うじゃうじゃいる割には骨の折れる奴がいない」
  むしろ骨は折ってきたんだろうと思われるマルガリーテスが金貨をじゃらっと机の前にばら撒いた。
「お前、陸で山賊いじめてるほうが稼ぎあるんじゃねぇのか?」
「うっさいね。陸の奴はスリルがないんだよ、夜盗がなんだい」
「リタ姉、マグロ漁船乗る?」
「そんな小さな船乗れるかい!」
「カジキなんてすげーぜ? 俺さすがに手を出せねぇんだ。リタがいると心強いんだけど」
「あのノコギリ鼻かい? あんなの後ろにぐいっとひっぱりゃ簡単におっ死ぬだろうが」
「追いつけばの話だろ? いて、」
  そろそろ海賊なんだかなんなのか分からなくなってきた一行だった。特にクローセルが。
  スミスが深刻な顔で聞いてきた。
「ところでテンペストの進路ってどうなってんの? 幼稚園行かせるの?」
「行くわけないだろ!」
「じゃあ誰が読み書きそろばん、羅針盤の読み方教えるんだよ?」
「ティッシュ配りのクローセルに任せればいいだろ。先生だって空いてる日あるんだから」
  クローセルは航海士からティッシュ配りに格下げされていた。
  雑学の宝庫ならばクローセル、専門知識ならばレーラアで足りる。しかしスミスは言った。
「でも、さすがにテンペストに必要なものがないっすよ。それを調達しましょうよ」
「なんだいそれは? また金のかかるやつはごめんだよ」
「違います。公園デビューっす」
「ぶっ……」
  夕飯を作っていたディランが吹いた。隣で手伝っていたクローセルが「きたない」と呟く。
  マルガリーテスが真顔でダンテに聞いた。
「公園デビューってなんだいダンテ? またスミスが専門用語使っているけど」
「お前には一生関係ない、通り過ぎたものだ」
  そもそも人魚の砦に公園があるなんて話は聞いたこともない。ダンテは迷いに迷って、
「そうだな……人魚の砦では、あれだ、あれ。新人クルー同士の腕自慢? あれだ、お前が十人の骨を折ったとか折らなかったとか」
「ああ、あれかい。あれがこの歳で? ちょっと早いんじゃあないかい? もうちょっと骨を太くしないと」
「ややや。まともに受け止めるなよ。そうだ、今度スミスとお前、行ってこい。保護者ってやつだ」
「保護者ってなんだい?」
「お爺だよ」
「ああ、お爺。あたしゃひとりで行ったけどね」
  こんな野蛮な保護者を連れて行くよりはひとりで行ったほうがテンペストのためなのだろうか。しかし、マルガリーテスにも保護者としての自覚を持ってもらいたい感じもした。
「船長、俺も保護者の保護者としてついていきましょうか?」
  スミスまでそう言いはじめる始末だった。
「大丈夫っす。俺こう見えても公園デビューのお子様を自然誘導するスペシャリストっす」
「お前が遊びそうで任せられるか」
  ダンテがスミスを小突いてそう言った。しかしスミスの言うように年頃の子供が遊び相手もいないようではマルガリーテスのようになりかねない。
「なぁスミス、海賊になれそうな将来有望な子供を連れてこい」
「ああ。それなら、簡単っすね」
「ちなみにそいつ、どんな奴だ?」
「強いっす。棍棒を振り回します。いまだ俺の手に余るじゃじゃ馬っす。子供何人も泣かせてます」
「泣かせちゃあ困る」
「や。かわいいし、いい奴っすよ? チナって言うんですけど」
  名前だけは妙に可愛らしい響きだった。それを言ったらマルガリーテスも名前の響きだけは可愛かったが。
「そのチナって奴、船に雇うぞ」
「雇えるだけの金あるんすか!? 無理しなくてもなんとかなりますよ。チナは俺の子分みたいなもんっす。手に余る右腕です。さながらテンペストは手に余る左腕ってところっすか?」
  たしかに手に余る右腕には覚えがあったが、ダンテは「はいはい」と小さく言った。
  どうやらまた子供が増えそうである。

 チナという子供はスミスに似た藍色の髪の毛に水色の目をした、八歳の子供だった。
  予想していたことだったが、みんなの肩から力が脱けた。
「ま、八歳か。テンがだいたい五歳くらいだし、つり合いはとれるんじゃねぇ? いい姉貴分になってくれるだろう」
「やっ、子供ってのはわからないものっすから。俺は心配っす」
「自信もって紹介しておいて今さらなんだよ、スミス」
  悪くないと思ったんだけどな、とディランが呟く。今年十八歳のスミスが深刻そうに言った。
「今まで色々な子供の仲をとりもってきましたけど、このチナは棍棒で殴り癖がありまして」
「ダメじゃん!」
「だって船長が、将来海賊になれそうな子って……」
「たしかにすぐ棍棒で人を殴るとはリタみたいな奴だ。なぜその殴り癖を早く直してやらないんだスミス!」
「だって船長、殴られると痛いんすよ! 俺女の子に弱いんですッ! ムキになって泣いちゃったらどうするんすか!? 俺はムキになって泣いちゃったけど」
  どこまでも頼れるんだか情けないのかわからない奴だった。
  隣から無言で聞いていたチナが、ごんっとスミスの足を持っていた棍棒で殴りつけた。
「なかなかいい音が出たな。まるで真物の鉛が入っているメイスのようだ」
「いや、あれ真物のメイス……」
  ディランが後ろのほうから言いかけて言いよどんだ。これは天性の素質としてマルガリーテスに通じるものがある。こそこそとダンテに耳打ちした。
「船長。テンに会わせる前にあのメイスどうにかしましょうぜ」
「よし。任せとけ、スミスちょっと来い」
  スミスにぼそぼそと耳打ちすると、ダンテは公園の中央にあった噴水へとスミスを突き落とした。
  そしてチナへと言った。
「チナ、ここはな……とても霊験あらたかな噴水でな、メイスを落とすといいことがあるらしい」
「本当?」
  ぱちくりと水色の目を輝かせてチナはダンテに聞き返した。
「ああ、本当さ」
「違ったらお仕置きだぞ」
  チナの言葉に乾いた笑いをしながらダンテは失敗したときに備えて逃げる準備をした。
  チナがメイスをぶんっと振って噴水の中に落とす。意外と深いらしく、なかなかスミスは上がってこなかった。
  ざばぁ…
  スミスはバンダナをヴェールのように頭から目深に被り、その上に安物のおもちゃのティアラをつけ、胸に貝殻水着をつけて両手にはたきとバトンを持って現われた。
「あなたが落としたのはこのはたきですか? それともこちらのバトンですか?」
  打ち合わせどおりでなかった。ダンテがチナの背後からスミスに「違う違う」とジェスチャーを送るが、スミスはバンダナが目に張りついて見えない。続行である。
「私はメイスを落としたの。メイス、メイスちょうだい」
「正直なあなたにはふたつともあげましょう。大切にしなさい」
  そう言うとチナにバトンとはたきを押し付け、鼻をつまみ後ろへと倒れ沈んでいった。
  チナはしばらく沈黙して、ダンテを振り返った。
「これがいいこと?」
「そ、そうだよ」
  スミスあとで覚えてろ。そう思いながらダンテは引きつり笑いをした。
「うそつき!」
  ばきっとダンテははたきで殴られて、はたきは真ん中からふたつに折れた。
ぽいっと、それを噴水に投げる。
「メイス返せ」
  ざばぁ……っと代わりに上がってきたのは新品のモップである。
「わあ、新しい!」
  これはいいのか。子供というのは不思議である。ダンテははたきで殴られた首筋を撫でながら笑った。
「な、なかなかいいもの貰ったじゃねぇか」
「うん! ところでおじさんが新しいお友達?」
「ややや。俺は船長」
「園長?」
「船長。とりあえず向こうへ行ってお話しようか、ソーダを奢ってやろう」
「本当!?」
  早くしないとスミスの息が続かない。
  ディランがパーラーに無言でテンペストを座らせた。マルガリーテスが様子を窺いながら噴水の中でひとり我慢しているスミスを引きずり出した。
「し、死ぬかと思った。メイスが頭から降ってきたんだもん」
  はぁはぁと肩で息をするスミスを無言でまた噴水へと静めた。
「静かにおし、チナに気づかれるよ」
「ヒドイ格好、ヒドイ格好」
  ぷぷっとクローセルが貝殻水着で噴水に浮かんでいるスミスを見て笑った。
  レーラアだけが淡々と「ミストラルに似ていてなんか厭」と言った。

 結局女性陣と子供の扱いに慣れているスミスがいない状態でゴングが鳴った。
「えーと、君の名前は?」
  ディランが持ち前の爽やかな笑みでチナに聞いた。
  ソーダをずずっと啜りながらチナは上機嫌に答えた。
「チナって言うぞ。得意なのは、メイスだ」
「そうか。ほら、お前も挨拶だ」
「うんこ!」
  いきなりチナを怒らせそうなテンペストの口を慌ててディランは塞いだ。「そうかテン、トイレはあとだ」などと言いつつ。
  チナは動じずに手をすちゃっと挙げた。
「よろしく、うんこ」
「違う。こいつの名前はテンペストって言ってな、今トイレに行きたいんだよ」
「ダメだなあ。トイレは先にしてから手を洗って食べないとだめなんだぞ?」
  今度はスミスが公園の端のほうからダンテにジェスチャーで「レディになんてことを言わせるんだ」と送ったが、これも見えなかったので、続行である。
「テンペストの趣味はなんだ?」
「独楽。俺、独楽が得意」
  まるで子供のままごとお見合いのようなパーラーで、互いの父母のようにディランとダンテが「ははは」と朗らかに笑い声をあげる。
  スミスが折り紙に何やらがりがりと書き込むと、ふざけた貝殻水着着用のままそれを紙飛行機の形に折り、ダンテの海賊帽に突き刺さるように投げてきた。が、ダンテの目に突き刺さる。
  チナとテンペスト、おまけにディランまでが吹いた。
  スミスが遠くから「よし、笑いがとれた」とガッツポーズをとるが後ろの女三人組に殴られた。
  ダンテは折り紙を無言で開くとそこに書かれたのたくり文字を読んだ。

 こどもお見合いにおける三か条。
1.話が弾まないときには大人が自然にリードする。バトンを渡すように
2.子供は飽きるのが早いが、遊ぶのが大好きである。共通点を見つけるべし
3.そして、いい感じになったら、距離を置いて大人は遠巻きに応援する

 なんのこっちゃ?
  ダンテは首を傾げた。とりあえずバトンを渡せばいいんだな、とダンテはチナのバトンを取り上げてくるくると回すとチナに渡した。
「むぅ、園長なかなかやるな」
「船長だよ」
「ごっこ遊びか?じゃあ私も船長」
  チナがにやっと笑った。
  ディランが慌ててテンペストの背中を叩いた。
「じゃあテン、お前は海賊じゃあ何役?」
「せ……副船長」
  船長と言おうとしたところを、すんでのところで何かさとったらしい、途中で副をつけた。
「船長を狙っている奴がたくさんいる。俺も船長になりたい」
  遠くでスミスが呟いたがそれも大きく無視された。
「そうか、チナが船長じゃあ俺は船長になれねぇなあ。しかたねぇ…船になるか」
「船長……子供の話なのに。じゃあ俺、コックで」
「お前は金貨を持つだけの雑用だ」
「「あ、それスミス?」」
  子供の中で認識が間違っている。見事なまでに重なったテンペストとチナのスミスという名の役職。
  スミスが遠くから「俺もしかしてたかられてた?」と首をかしげた。
「リタの姉貴、向こうがごっこ遊びを始めました。作戦を変更です。ごっこ遊びを始めたら一組じゃつまらないっす。こちらも手を打ちましょう」
「何をやる気だい?」
「海賊ごっこ」
「じゃああたしが船長だよ」
「じゃあ私副船長」
「じゃあ私裏船長」
  船長大人気である。スミスが自分の役職を考えながらかぶりを振った。
「じゃあ俺、海賊船っす」
「名前はブラック・パール号だよ」
  こんなはずでは……。実は自分が船長になるつもりだったスミスは、まだつけていた貝殻水着をはずして先頭に立った。次に船長のマルガリーテス、副船長のレーラア、裏船長のクローセルと連なった。スミスがロープで輪をつくるとはい、と三人に渡す。
「何の真似だい? スミス」
「何って、ブラック・パール号っす! 貧乏海賊の船なんてロープで充分っす」
「なんだって!? 向こうはダンテとディランがふたり騎馬戦やってるってのにこっちはロープかい?」
「三人の船長なんて重たくて俺が沈みます。さあさあさあ、やっつけちゃダメっすよ? こっちは悪役で、やっつけられなきゃいけないんす」
「なんで!?」
「これだから大人は。大人だからムキになっちゃダメっすからね?」
  その言葉に「ぐっ」と三人は唸った。思いきり暴れたかったのに、と。

「やいやいやい、海賊船ブラック・パール号だぞぅ。どうぞー」
「え?やあやあやあ、こちらはヴァッフェンロ――」
「チナとテンペスト号だぞ。どうぞー」
  いきなり向こうから輪に入った4人組が現われて慌てふためくふたりに対してチナとテンペストはいつもどおりである。いきなり船長の座もヴァッフェンロース号も乗っ取られてダンテは押し黙った。スミスは小声でダンテに言った
「ここでは船長も船長じゃないんす。チナとテンペスト号なんす。そして俺はブラック・パール号……俺のほうがなんか格好いいっすね」
  言い知れぬ敗北感だったがロープと騎馬戦だったら騎馬戦のほうが格好いいに決まっている。
  マルガリーテスが棒立ちのままスミスに聞いた。
「……で? これからどうすればいいんだい、スミス」
「船長、普通船に話しかけますか? 俺スミスじゃあなくてブラック・パール号っすから! 船長無駄に三人もいるんだから自分たちで決めてください」
「子供の世界って厳しいのねぇ」
  裏船長が呟いた。しかしマルガリーテスたちが動く前に向こうが動いた。
「船を乗っ取るぞー」
「ぶぶー、乗っ取れません。命が欲しけりゃレースだ! byブラック・パール号より!」
  スミスの言葉にレーラアが「厳しいね」と呟いた。つまり、四人で繋がって走るのと、二人で担いで走るレースだ。
  チナとテンペストがごにょごにょと話し合う。スミスが小声でマルガリーテスに言った。
「むこう順調そうっす」
「わかったぞ。チキンランで勝負だ」
「何ぃ!?」
「分かった、受けて立とう」
「「リター!」」
  マルガリーテス以外の大人が声をそろえて非難した。
「何が悪いんだい? チキンランくらい知ってるよ」
「むっふっふ。チナはこう見えてもチキンランの天才だぞ」
「いや、あいつは本気で単体でつっこんで来るから。でも今回は船長たちが船だし、小回りが利きそうだ。いざとなったら俺たちが横倒しになればいいんだ」
  ぼそぼそと自分に言い聞かせるスミスにチナが追い討ちをかける。
「今回は特別に、場所は港の波止場。どっちか先に落ちるか、止まるかしたら負けだぞ」
「マジでぇ!? ま、いいや。みんな泳げるだろ?」
「ブラック・パール号は沈まないよ」
「そうよそうよー」
「……だ、そうよ?」
  えらく挑戦的な大人陣を乗っけてしまったブラック・パール号スミス。どっちに転んでも痛い目を見そうである。
  頼みの綱のダンテに声をかけた。
「えーとチナとテンペスト号、船のほう。覚悟はできたっすか?」
「覚悟も何もねぇだろ……」
  とりあえずテンペストがトイレに行きたそうだったのでいったん用を足しに解散している間に、雑用スミスの係を申し付けられたディランがチナにバトンでべしべし叩かれるのを遠巻きに見つつ三人の女船長は話し合った。
「だから、同時に止まる」
「だめよ、どっちか勝たせないと」
「何言ってるんだい、一度走り出したら止まらない。ぶっちぎるよ、ブラック・パール号」
「止まってくれよ、落ちてもいいんだけどさ……」
「嫌よ落ちるの。寒いし」
「だいたいどこだと思っているんだい?」
「私達に大恥かけっての? スミス」
「あんたら海の女依然に大人っすか!? いいじゃあないっすか、勝たせてやりましょうよ」
  そうこうしているうちにテンペストとダンテが帰ってきた。
  いくら休戦状態を約束されているかといっても、さっきから海賊のギャラリーが増えている。マルガリーテスとしては負けたら恥なのだ。むしろこの遊びそのものが恥だったが。
「あたしゃ火がついちゃったんだよ。たかがごっこでも、相手は海賊だ!」
「あーダメだ。しばらく海賊やってなかったからいらんところで火がついちゃったよ」
  スミスがぶーたれながら覚悟を決める。
「よし、派手に負けよう」
「ダメよそんなの。さっき聞いちゃったの、他のクルーの人たちがこのチキンランの賭けやってるみたいなの」
「クローセルそれマジぃ!?」
「うん、けっこうこっちも賭けられてたみたいだから。ブラック・パール号大人気よ。がんばろうね、ふぁいとー」
「いっぱーつ」
  クローセルとレーラアが棒読みでファイトを交わした。
  マルガリーテスはひとり「あたし、この戦いで負けたらお爺と会わない」とぶつぶつ呟いていた。

 何はともあれ、波止場は大賑わいだった。
  ブラック・パール号とチナとテンペスト号は並ぶと、近くの別のクルーに合図を任せた。
  旗を振り下ろされると同時に両チームいっせいに出航(?)である。
「いけー、ブラック・パール号!」
「負けるなチナとテンペスト号!」
  両チームを叱咤激励する海賊たち。でも走っているのはいい歳した大人たちだった。
「スミス、あんた飛ばしすぎだよ!」
  レーラアがはぁはぁと息を切らしながら叫んだ。
「嫌なら降りな、レーラア。あたしは走るよ」
  無茶苦茶なことをマルガリーテスが叫ぶ。 スミスも止まらない。走り始めたら止まらない、こちらも火がついたようである。
  ダンテとディランはチナとテンペストに頭を馬を鞭で急かすように叩かれながら必死に走っていた。前も見えずに走っている。
  それを横目に見ながら、クローセルは覚悟した。
  これは、落ちる。
「だぁーっっ!」
「退けよチナとテンペスト号!」
  隣を走るダンテにマルガリーテスの拳が唸った。しかし、チナとテンペストがそれにむっとした。
「沈めー、ブラック・パール号!」
「食らえ、唸れでれ助銃!」
  テンペストの独楽攻撃を食らってスミスがよたよたと傾いた。
  その時、ダンテがマルガリーテスを蹴飛ばした。
「もうお前、いい加減にしろ! 沈めー」
「あんたも沈みな、船長!」
  両者が同時に胴体を蹴飛ばした。つられて、みんなが同時になぎ倒され、両サイドの海へと落ちた。
  海賊たちがわらわらと沈んだブラック・パール号とチナとテンペスト号を見てから笑った。
「これはどっちだ? 両方落ちたけど」
「両者失格だろう、こりゃ。いやそれにしてもいい勝負だったな!」
「いいもん見せてくれてありがとよ!」
「今度やるときもよろしく」
  おひねりが落ちてきてマルガリーテスの頭に当った。
「いらないよ、あっち行きな!」
「リーフの爺さんによろしく言っておくぜー」
「さいあくー、げほっ」
  胴体に入った蹴りが意外と重かったらしく、マルガリーテスは咽せた。
  クローセルは重たいロングスカートをぐっしょりと海水で濡らしながら桟橋の上へと上がった。レーラアも白衣が重そうである。スミスは慣れたように桟橋の上に散らばったおひねりを集めて、今日の稼ぎにしていた。
ディランはチナとテンペストを探すように水面に顔をつけて、
「みつからねぇ! スミス、落としちゃダメだろう」
「リタが悪いんすよ、リタが!」
「スミス、あんたも探しておいで」
  マルガリーテスがスミスの尻を蹴って海へ落とした。
  そのタイミングと同時くらいに、ダンテが向こうからチナとテンペストを両肩に担いでがははと豪快に笑いながら歩いてきた。
「俺たちの勝利なりー。チナとテンペスト号、最強!」
「端っこまで行ってきた」
  テンペストが楽しそうに笑った。チナが笑いながらダンテをバトンで殴りながら言った。
「船長ー、船長ー。私も、海賊になる!」
「はぁ!?」
「はは、コブがふたつになっちゃったっすね」
「みっつだよ、馬鹿」
  海から顔を出したスミスにディランがぼそっと呟く。
「それにしてもいつまでここでアルバイトしてるつもりですか? 仲間も増えたことだし、そろそろ人魚の砦とかいうところに俺も行ってみたいっす」
「このタイミングでいきたかないね」
「リタ姉、俺もう十八歳っすよ! いい加減リタの言う修行っていつ終わるんすか!?」
「あ……その件については考えておくよ。そのあとね、人魚の砦」
  すっかり修行のことは忘れていた。
  追っ払い損ねたスミスと、思わぬ仲間入りをしたテンペストとチナを仲間にして、止まり木に泊まっていた海賊ヴァッフェンロース号は再び現実という波に漂うのである。