海賊ヴァッフェンロース号

色々投げちゃった

  その日は久々の嵐で、強い雨の中、帰港地ぺティオールに留まっていたヴァッフェンロース号は揺れていた。
「船長、あの神出鬼没のスミスとかいう奴どうにかしてくださいよ」
  ディランがクローセルとエールの飲み比べをしながら酔っ払った調子でぼろっと零した。
「あれはリタがだな……勝手に約束したことだし」
「あたしゃ立派な海の男になるまで乗っけるなんて言ってないよ。乗っけたのはあんただろう? 船長」
「あ? そうだったか」
  船が出発しなければ冒険もなにもあったものではない。
  船室で酒を飲んでみんな酔っ払っていた。
「でもいいんじゃない? あのスミスくんのお陰で、あのボロ船が今ではぴっかぴかだし」
  と、潰れかけのディランをおいてマイペースに樽を空けようとしているクローセルが言った。
  たしかに、船はみちがえるほどきれいになっていた。
「あー! 大人ってずるい。俺に黙ってみんなで酒飲んでっ!」
  噂をすればなんとやら、ディープブルーの髪の毛に赤いターバンを巻いたスミスが船底から戻ってきて甲高いボーイソプラノで叫んだ。
「俺も、俺も酒飲みたい」
「お馬鹿。お子様は酒飲んじゃあダメだよ」
「先生! 俺もう十五だぜ、十五歳。東の国ではもう大人らしいぜ?」
「十五だって?」
  レーラアが鼻で笑い飛ばした。
「まだ子供じゃあないか」
「そういう先生はおばさんだけどな!」
「ああ、おばさんで結構だよ」
  長い赤茶色の髪の毛をゆらしてレーラアが笑う。ダンテがその髪を見て言った。
「北じゃあどうか知らねぇがな……俺のいた南の地方じゃ、長い髪の女は陸に残すと決まってんだ」
「私は迷信は信じない性質なんだよ。それに、クローセルだって髪の毛が長いじゃあないか」
「あら、私これでも前よりは少し短くしたのよ。腰まであったんだから」
  なおもエールを飲みつづけようとするクローセルからディランがそっと樽を離した。
「ともかく、腰より長くする奴は罰金だ。髪の毛の長い女は面倒くさいんだ、髪の毛がぱさつくから風呂入りたいだの、髪の毛が潮風で痛むだの、仕舞いには航海中にスイカが食べたいとかカキ氷が食べたいとか……」
「なんすか、そのわがままな女」
  全部貴婦人のことだったが、スミスの疑問は暗黙のうちに黙殺された。
「それはともかく、そろそろ雑用以外も覚えて貰わなきゃね」
  マルガリーテスが船室の一番端にあるチョークで描いた的を指差して言った。
「あれはあたしがガキの頃にお爺に練習させられた的だよ。ちなみにここにいる奴らはみんな的へ命中させられなきゃ乗っちゃいけない決まりになってるんだよ。もちろん、当てれなきゃあ降りるんだよ」
  初耳だった。というより今マルガリーテスの独断で決められたようだった。どうもこのスミスを置いていきたくてしかたがないらしい。
  レーラアが柱を見てにやっと笑った。
「どおりで一本だけぼろい柱だと思ったら、リタのナイフ投げの的だったのか。そうだね、海賊たるもの、ナイフの一本や二本や三本や四本同時に投げれなきゃね」
「ちょっと待て、俺、投げられな――」
「船長がお手本を見せてくれるからね」
  女性陣の独断と偏見により、ナイフ投げ大会が始まった。

「待てよぉ、俺まだ酔ってるんだけど」
「私なんて持ったこともないわ」
  ディランとクローセルが弱音を吐く。
  かろうじてお手本と言えそうなナイフ投げをダンテが見せたあと、マルガリーテスが的の真ん中近くに当てた。
「本当は斧でやりたいところなんだけどね。どうもナイフってのは苦手だよ」
  恐ろしい女だ。その場にいたみんなが震撼とした。
  次はレーラアの番だった。レーラアはナイフではなく、懐からメスを取り出すとそれを音もなく下から上へと投げた。真っ直ぐ地面と平行に飛んでそれはマルガリーテスの当てたナイフのど真ん中に的中した。そのまま連続で投げるとそれは並んでその横へと連なっていく。
「フッ……水平線スペシャルよ。医学生のときにやらされたね」
「やるじゃあないかい、レーラア」
  このふたりの若い頃の生活というのはどんなものだったのだろう。マルガリーテスのさらに上をいくレーラアのあとには、クローセルが投げた。
「そいやっ」
  その掛け声と共に大きく弧を描いて、的の一番下のほうへヒットした。
「うーん、一番点が低い」
「いいよ。外さなかったんだから、偉い」
「いいよ。一番かわいかったから」
  男性陣に励まされながら、次はディランの番である。
「あのーすんません。俺、酔ってて自信がないんで、ちょっとハンデくれませんか?」
  そう言うと、的の真ん中に魚をぶら下げ、戻ってきてそこ目がけてナイフを連続で投げつけた。
「はっ、はっ、はっ!」
  縦一列に魚が刺身のようにおろされ、ディランが汗を拭った。
「はぁはぁ、師匠やりました! まさか料理学生だったときのかくし芸がこんなところで活かされるなんて……」
「ディラン、悪い。俺、今までお前のことを少し嘗めてかかっていたようだ」
  意外な才能を発揮したディランにダンテが拍手した。
「ふぅ。一時は誰かひとりでも外したらどうしようかと思ったけど、なんだいみんなやればできるじゃあないかい。さあ、スミス、あんたの番だよ」
  スミスはそこにあったフォークを手に取り、ためしにそれを的に向かって思いきり投げてみた。
  スコーンという景気のいい音と共に魚のおかしらにそれは当った。
  一瞬全員が沈黙した。まぐれだ、まぐれに違いない。そう誰もが思った。
「ふぅ。俺、フットボールのレギュラーだったから」
「まぐれだよ! あたしなんか、ウマギョンを的に練習させられたこともあるんだからね!」
  マルガリーテスが生簀から海ウナギを取り出すと、それを五寸釘で的に固定した。
「さぁ、当ててみやがれ」
「リタ大人げない!」
「これはさすがに俺も無理だ」
  ディランもお手上げだと両手を万歳した。 レーラアも生きているものは苦手らしい。ばたばたとのた打ち回っているうなぎにむかってスミスが顔を赤くしたり青くしたりしながら何度もナイフを投げつけた。
「たぁたぁ、やぁ、たぁ!」
  ほぼ悲鳴のようなその声と共に、びちびちとウナギがのた打ち回り、うまく避ける。が、そのうちその行動の幅は周囲のナイフによって狭められていく。
「はぁはぁ、やった!」
「『やった!』じゃないよ。一本も当ってないじゃあないか」
「やーでもまったく身動きとれねぇみたいだぜ?」
「窒息死したんだろ!」
「認めようぜ、これは芸達者だ。少なくとも、俺にはできねぇ」
「わーい、船長のお墨付き。俺船にいていいんですね?」
「だが、断る」
  ダンテに断られてスミスが頬を膨らます。
「なんでー、畜生。俺ちょっと荷物室の掃除に行ってきます。ぜってぇ認めてもらうんだ」
  階段を下りて倉庫室へと消えていくスミスを見送ってからダンテが聞いた。
「だからなんで荷物倉庫なんだ? あいつ倉庫室好きだよな、これだからガキは……ってぇ!? あいつまた隠れるつもりか? 冗談じゃあねぇぞ、探すの一苦労なんだから」
「嵐が明けたら出航だよ!? 目的地は人魚の砦なんだからね。あんなの連れていったら恥ずかしくてお爺に会えないよ」
  と、その時である。船底から少年の泣き声が聞こえてきた。スミスがとうとう泣いた、と誰もが思った。マルガリーテスが下に向かって怒鳴る。
「うるさいよ! スミス」
「リタ、俺は後ろ」
「どこから現われたんだいあんた!?」
  通風孔からいきなり姿を現した痩身に驚きながらマルガリーテスはふと気になった。
「ん? ってことは……この泣き声は?」
「俺が下りてったのは東側、声が聞こえるのは北側」
「ってことは誰かまだ乗ってるってことか?」
「ディラン、あんた何回樽に子供を押し込めば気が済むんだい? その癖どうにかしな」
「人をしまっちゃうおじさんみたいに言うなよ。覚えないっすよ」
「覚えがないくらい昔にしまったなら早いところ見つけてやらねぇとな」
  ダンテが腰を上げると、船底へと下りて行った。
  しばらくして、ダンテがダンダンダンと重いブーツを鳴らして駆け上がってきた。
「ディラーン、お前とんでもねぇ奴だな! こんなところに隠し子だなんて」
  樽の中から拾ってきたらしい。ダンテの腕の中には歩けるようになって間もないくらいの子供が抱かれていた。
  女性陣の冷たい眼差しに耐えながらディランが両手をぶんぶんと振った。
「や、知らねぇ。知らないっすよ! そっち調理場じゃあないし。クローセル、なんか言ってやれ」
「知らない。最低」
「だそうだ。最低」
「これだから男ってのは……」
「本当、これだから男ってのは」
「あんたも男だろ、スミス! というよりあんたが持ち込んだんじゃあないだろうね?」
  マルガリーテスに耳を引っ張られながら、スミスが首を振った。
「違うもん。ダンテ船長だもん、船長港でその樽に座ってたじゃん!」
「自分の子供の上に座るか馬鹿野郎!」
「じゃあ何、持ち込んだのあんたかい? 船長」
  レーラアが睨みながらダンテから子供をひったくった。
「はーい、よしよしよし。うーん、この大きさだと生後三歳ってところかな……父親には……」
  と、ディランとダンテ、いちおうスミスも見て、その子供の黄緑色の髪と目を見てからレーラアは言った。
「とりあえず血は繋がってなさそうだね。ちょっと衰弱してるみたいだね。なんか母乳かなんか……もう飲まないか」
「私たちのほう確認したでしょう先生」
「レーラア、三歳じゃあ母乳どころか離乳食も食べてないよ。なんかこう、子供の好きそうな……」
「好きそうなって何? 好きそうなって。まず栄養でしょう。ディラン流動食、子供が吐きそうなのはだめだよ」
「わかんないよそんなこと言われても!」
  ディランが困ったように悲鳴をあげた。
  レーラアはいつまでも泣きやまない子供を近くにいたスミスに押し付けるとディランの腕をつかんで調理室のほうへと消えていった。
  嵐の夜はまだまだ続く。

 さつまいもとリンゴを煮崩れるまで煮たものを、ディランが子供にひとすくい、ひとすくい、食べさせた。意外と簡単に食べてくれて、泣きやんだ子供を尻目に大人会議のスタートである。が、スミスはディランといっしょにお守である。
「なんで女性が子供の近くにいないんだ?」
「何言ってんの、こういうことは女性がしっかり決めなきゃいけないのさ」
  やたら自信をもってレーラアが言い切った。賛同するようにマルガリーテスが頷く。
「あたしゃ子供が苦手でね、だいたい誰もあたしに子供渡そうとしなかったろ?」
「愛の欠片もねぇ奴らだな、お前ら。クローセルはどう思うよ?」
「へぇ? そんなの食べさせていく人と面倒見る責任感の強い人たちで決めることでしょう?」
「お前は責任感なさそうだな、クローセル」
  ダンテはげんなりとしてため息をついた。
「まず、なんで樽に入ってたか……だ。これがその樽なんだが……」
  ダンテが下から持ってきた樽を女性陣の前に突き出した。子供が入っても、まだ余裕がありそうだった。
「身元が証明できそうなものは何一つ入ってないわね」
「布は入ってるみたいだけど、服もないし……そうだ、私が作ってあげましょうか?」
「やめとけやめとけ、クローセルはやめとけ」
  向こうで食事をやっていたディランが茶々を入れる。クローセルは頬を膨らませた。
「あなたが服を破いたときに直してあげたのは誰だと思ってるのよ?」
「あれは傑作だったな」
「ああ、傑作だったね」
  マルガリーテスとダンテが交互に頷いた。
  破れたところに豚なのか熊なのかわからない猫さんのアップリケをつけられ、しかも前後がいっしょに縫い付けられたその服を見て、ディランが泣く泣くお気に入りを切り裂いて臍だしスタイルになったのは、彼なりの意地なのかもしれない。
「まったくもう、失礼しちゃうわね」
「でも波縫いでダマをつくっちまうのはよくないと思うのよ。って、話をもとに戻すけどさ、私は孤児院に預けるのがベストだと思う」
  レーラアが子供のほうを向いて
「ついでにスミスも」
「ややや。スミスは良家の子供で、預かりものだから」
  ダンテが慌てて否定する。マルガリーテスが思いついたように顔を上げた。
「この際スミスに押し付けて陸に帰すってのどうだい? 子供の面倒は難しいよ、海の男になるよりもね」
「何言ってるんだリタ!? 正気か」
  血も涙もないマルガリーテスの発言にダンテが非難の声をあげる。
「クローセル、お前はどう思うんだ?」
  この中で一番母性本能という言葉が使えそうなクローセルに話題をふってみた。
「孤児院って意外と手続き面倒だし、あとけっこう過酷な環境で育てられるのよね。里子に出すっていうのも、お金を渡すんだけどお金目当てに里親になって、子供にひもじい思いをさせるケースも珍しくないんですって。この際スミスくんに試練として渡したほうが……だってこの船の中で一番懐きが早かったじゃない」
「お前それもてきとうだな……」
  至極まっとうな意見だったが、言っているのがクローセルだったため、いまいち責任感が感じられない。
  後ろではスミスが歌を歌っている。どこかで聞いたことがあるような異国の歌だ。子守唄なのか魔法にかかったように子供はすやすやとスミスの腕の中でお休み中である。
  ダンテは悩んだ。悩みに悩んだ。そしてある決断を下した。
「スミスに任せるのも不安だ。しかたない、うちでしばらく様子見だ」
「また子供が増えるのかい!? 悪いけど、あの歳じゃあ航海は無理だよ」
「リタ、お前誰か知り合いはいねぇのかよ?」
「あたしのいた島で育った子供はみんな海賊になるんだよ、いいのかい?」
「お前の島で海賊になるくらいならここで海賊に育てたほうがいいな」
「はぁ?」
  マルガリーテスの顔が歪む。ダンテは思いついたように言った。
「名前は……強くて格好いいのがいい。そうだな……嵐の夜に見つけたんだし、テンペストってのはどうだ?」
「名前なんてつけちゃっていいのかしら。あとで『その子うちの子なんですー』みたいなことになっちゃったら……」
「何を言ってるんだい。それが一番丸く収まるってもんだろう? しばらくここで親を探すしかないみたいだね」
「レーラアまで何言い始めるんだい!?」
  また欠航だ。
  今度の欠航はかなり長く続きそうである。
嵐の向こうで轟く雷が、テンペストと命名された子供の子守唄のようだった。