「僕の将来の夢は海賊になることです。海賊になって、財宝を探したり、人間を殺したり、殺したり、殺したり、船を襲ったりして、立派な海の男になりたいです。たくさんの船を沈めます。海の藻屑へと消えさせたいです」
朗々とした声でペールギュントがその作文を読んだ。
お向かいには兄のカタストロフ、左手に静かに座っているのはヴァン、そして右手に父親のウェザーが顔を引き攣らせながら拳をわなわなとさせていた。
「つまり……その作文で面接試験をパスできなかったんだね?」
静かにカタストロフがヴァンに聞いた。ヴァンはしゅんとしたままこくりと頷く。
だん、とテーブルを叩いてウェザーが立ち上がった。
「何を考えているんだヴァン! お前が海の男にこだわるから、海軍養成学校への面接試験を許してやったというのに」
「父さん、お言葉ですがヴァンの意思を無視して父上が勝手に進めた話。当然の結果だと思います」
「だぁまっとれ、カタストロフ! お前なんて勝手に進路を決めたくせに。売れない詩人が何を言ってるか」
「売れないんじゃあありません。意図して売ってないんです。編集者が官能小説やボーイズなんとかを書けとうるさいんです。これは今ボイコット中なんです」
「お前を耽美小説家にさせたつもりはないぞカタストロフ。そんなヤクザな商売やめてしまえ!」
「自分は責任もって自分のしたい仕事をしているのであって、それに責任をもっています。父上になんくせつけられる筋合いはありません。ちゃんと稼いでいるんですから」
「まぁまぁ、親父、兄貴。今はヴァンの進路だろ? ヴァン、お前いくらなんでもひどいだろ? 僕もたいがいちゃらちゃらしてるけどこれはちゃらちゃら通り越してふざけるのもいいかげんにしろってやつで、何がしたかったの?」
ペールギュントがカタストロフとウェザーの間に仲裁に入り、そしてヴァンへと話題を振った。ヴァンは小さな声で言った。
「僕、おじいさんみたいな海の男になりたいんだもん」
「あんな海賊のこと忘れてしまえ。一族の恥だ」
「おい聞いたかよ? 僕たちみんなじっちゃんの血ぃ引いてるから十把一絡げに恥だとさ。は、これだから親父は脳みそが固いっていうかなんというか。っていうかなんで母さんと結婚したの? それこそヤクザだろ」
「マリンがどうかしたのか?」
「親父の奴、まだあれがマリンだと思っているみたいだぜ? 兄貴」
「黙っとけ。父上は薄々気付いているが認めたくないだけだ。あれは一種の魔法のようなもので……あ、これ次の小説にでも使おう」
などと言いながらカタストロフがネタ帳にさらさらと書き込みをしているのをウェザーが取り上げた。
「家族会議中にネタ帳は禁止だとあれほど言っているだろうが!」
「母上がいない間に家族会議も何も、ないでしょう」
「何言ってんの、兄貴。お袋が昨日戻ってきたからこうやって緊急会議になったんじゃあないか。そういやかあさんは?」
「近所に挨拶だ。ヴァンが海の踊り子になるって予告している」
「ヴァン、海の踊り子についてはどうよ?」
ヴァンは答えなかった。たしかに小さい頃、母親が自分に歌や踊りを教えてくれていたのは今だ覚えている。いや、覚えているというより思い出すと恐ろしくなるから心の奥底に仕舞っているのだが。
「踊りは好きだけど、僕、船乗りになりたいの」
「だ・か・ら、海軍養成学校に入れようとしたんだろうが! それとも漁師にでもなるつもりか、マグロ漁船か、え!?」
「あ、それ向いてるかも。あれもヴァンが今日捕まえて来たんだよな?」
キッチンのほうでびちびち動いている大きな鯛を顎でしゃくってペールギュントが言った。
「でも言うに事欠いて海賊はねぇだろ。お前を雇ってくれるような人手不足な海賊船なんてあると思ってんのかよー、ヴァン」
ペールギュントにそう聞かれてヴァンはきゅっと半ズボンを握る指に力が篭った。
「僕、でも僕……海賊になりたい。海賊になって、海の男になるんだ!」
「「無理無理無理」」
三人の声が重なった。
ヴァンはわっと泣いて外へと飛び出していった。
残されたメンツで顔を見合わせる。
「少々厳しくしすぎじゃあないですか? 父上」
「でも兄貴、あいつ雇ってくれるような海賊船あると思うか?」
カタストロフは「さぁ……」と肩を竦める。
「ま、そういう殊勝な海賊がいれば、話は別さ」
◆◇◆◇
ヴァンは港をとぼとぼとひとりで歩いていた。
首に下げていたものをはずしてみる。大きな鮫の牙に、金の飾りがついた、ヴァンの宝物だった。
一度だけ家に帰ってきた、ヴァンのおじいさんがくれた鮫の牙を見る。
こんなものに執着しているからいつまでたっても海賊に憧れるのかもしれない。
「こんなもの……」
と、それを海へ投げ捨てようとするも、勇気がなかった。鮫の牙を捨てる勇気すらないこんな小心者の自分はきっと海賊になれない。
そんな折、風がぶわっと吹いた。
ヴァンのディープブルーの髪の毛が風に靡いて揺れる。
ふと、目の前を何かが掠めていって、ヴァンはそれを反射的にキャッチしていた。
「おお、坊主。すまねぇな、それは俺のだ」
向こうのほうから大声で呼ぶ男の声。そちらを振り返ると立派な提督服を着た男がこちらに走ってきた。
自分が手にとったものを見るとそれは海賊帽だった。
それを海賊らしき男に返してヴァンは聞いた。
「おじさん海賊?」
「おじ……お兄さんは海賊だ。ダンテ船長って言うんだぜ? 坊主の名前は?」
「僕、ヴァン=スミス。船長!? ってことは、船持ってるの?」
ヴァンの名前にダンテは少しばかりひるんだ顔をした。
「そのディープブルーの髪……もしかしてお前の母さん、ミストラルとかいう名前だったりしないか?」
「ミストラル? 僕のお母様はマリンって名前だよ」
「そ、そうか。他人の空似だったか」
ダンテがほっと胸を撫で下ろし、ニカッと笑う。ふと、ヴァンの手に握られている鮫の牙を見てにやっと笑った。
「いいもん持ってるじゃねぇか。お前の父ちゃん海賊か?」
「僕のお父様は貴族だよ。これはおじいさまが僕にくれたんだ。僕のおじいさまは海賊だったってお父様が言ってた」
「ほぉう、そりゃあ格好いいや。よし、丁度いい。俺様が今までにした航海の話をしてやろう」
そう言うとダンテは港の木箱の上に腰を下ろし、ヴァンに水竜に会った話や嵐に遭った話、常若の国についた話など、色々な冒険談をしてくれた。
ヴァンの目にはこのダンテが妙に格好よく見えた。そしてこのお話の中にちらほら出てくるリタという女の人が少し怖かった。
いつしかヴァンはダンテのことを「船長」と呼んでいた。
「船長、僕……海賊になりたい。海賊になって、たくさんの人間を怖がらせたいんだ」
「海賊になんかならなくたってな、ヴァン。海にはたくさん怖いものがあるんだぜ?」
「たとえばリタとか?」
「リタか。リタもまあ、怖いけど本当はいい奴だぜ。俺の右腕だ。もっと怖いものはたくさんある。貴婦人とかな」
「貴婦人?」
「ダンテ!」
貴婦人の話をしようとしたとき、ダンテを大声で呼ぶ低い女の声がした。
肩までの黒髪に褐色の肌、全身に刺青を入れた大きな女である。そっちのほうを見てダンテが手を振った。
「おう、リタ」
「こんなところで子供相手に何戯れてるんだよ、大変だよ。風が強すぎて舵がおかしくなっちまった」
「仕方ねぇな。俺様の手腕を振るうときがきたようだぜ」
ダンテがよっこらせと声をかけて立ち上がる。その様子は少しじじむさかった。
「あの、あの……船長!」
「ん?」
振り返るダンテにヴァンは敬礼をした。
「僕をクルーに雇ってください。掃除も洗濯も雑用もジャガイモの皮むきもなんでもやります、僕海賊になりたいんです!」
「船長、誰だい? このガキ」
「ヴァ……スミスっていうんだ。俺の冒険談に惚れ込んじまったらしい」
「へぇ。でもねぇ」
マルガリーテスはスミスの白くてふにゃふにゃな二の腕をじろじろ見てからかぶりを振った。
「駄目駄目、こんなお子様。使い物にならないよ、第一、チビだし」
「僕もう十二歳です。もうすぐ大人になります! チビなのは、毎日牛乳飲んで身長伸ばします。だからリタ姉さん、僕を船に乗せてください」
大きなフェニキア紫の瞳でこちらを見られ、マルガリーテスが困ったように頭をがしがしと掻いた。
近くにあった張り紙をべりっとはがすと腰からペンを取り出し、さらさらと何かを書いた。それをヴァンに渡す。
「この海賊許可証に親のサイン貰ってきな。そしたら見習いクルーとして雇ってやってもいい」
「本当!?」
「おい、リタ」
ダンテが少し慌てたように言った。マルガリーテスは続ける。
「ただし、サインがなかった場合は不許可だ。自分でサインしようとしたって駄目だからね。ちゃんと、親のサインもらってくるんだよ?」
「うん、うん。分かった! ありがとう、リタ姉」
許可証を受け取るとヴァンは急いで家へと走り帰った。その後姿を見ながらダンテが聞いた。
「なあ、いいのかよ? あんな約束して」
「あたしやあんたの親じゃあないんだよ。普通の親が海賊の許可証なんかにサインすると思うかい?」
「それもそうだな。あいつの話じゃあ海軍養成学校に入れようとしているような親だ、海賊なんてもってのほかだろう」
「わかったらあぶら売ってないで船に帰るよ」
黄昏の港に猫が魚を求めて横切った。
ヴァンは家に帰って、すぐには海賊許可証のことを話せずにいた。なんとなく、先ほど家族に反対されたことを思い出したからだ。
認めてくれないかもしれない。そんな迷いがあった。しかし、言ってみなければ話は先に進まない。夕食の時間、ヴァンは思い切って火蓋を切った。
「あの……お父様、お母様、お話が……」
「ヴァン、食事の時間は静かに食べ――」
「どぉかしたのぉ? ヴァンは今お話がしたいの?」
ウェザーの話を遮ったのは母親のマリンである。ウェザーがざくっとテーブルにフォークを刺して怒鳴った。
「だぁー! 言ってるそばから話を妨害するな! 静かに食べろー!」
「あら、ダーリン。私お話の妨害を? ごめんなさぁい、でもダーリンのほうがうるさくてよ?」
「父上、一番静かじゃあありませんよ。フォークがテーブルに刺さってます」
「あの……」
「でもよぉ兄貴、人は生きていく上で音を立てないのは無理だよ」
「僕……」
一気に喋りはじめる家族の中で掻き消えそうな声を必死に張り上げてヴァンは言った。
「やっぱり海賊になる」
そして一気に喋る声は収まった。
ヴァンは恐る恐る聞いてみる。
「ダメ、かな?」
「そんな――」
「まぁ! ヴァンってばとても素敵だと思うわぁん」
「海賊? まだそんなこと言ってんのか?いいんじゃねぇの、夢があってさ」
「――なって」
「好きにすればいいさ。お前の人生だし」
「いいわけが――」
散々言いたい言葉が邪魔されて、ウェザーが小さい声で「ねぇだろう……」といじけたように呟いた。それを聞いてマリンがペールギュントに聞いた。
「何て言ったのかしら?」
「さぁ、『ねぇだろう』ってなんだろうね」
「そんなものになっていいわけがねぇだろう……だったような気が」
カタストロフが横から解説を入れる。結局のところ、いいのだろうか、悪いのだろうか。そこがヴァンは気になった。
胃腸薬と水を用意して話は再開された。
ウェザーが忙しなく指でテーブルを叩きながらヴァンに聞いた。
「でだ。なぁーんでまた、海賊になりたいのか、ちゃんとした理由を言ってもらえるかな?」
それはウェザーのできる最大の譲歩の部分だった。ヴァンは両手の人差し指と人差し指をくっつけながらもじもじと言った。
「なんでって……なんとなく!」
ぴしっと水をついでたグラスに力が篭りウェザーはテーブルをひっくり返して怒鳴った。
「ならーん! そんなてきとうな理由で悪職に就くなんて、断じて許さーんっ!」
「素晴らしいわ、ヴァン!」
隣りからマリンが乗り出すと、ウェザーを殴り飛ばし、ヴァンと同じフェニキア紫の目をきらきらとさせながら言った。
「『なんとなく』そうよ、理想の職業なんてなんとなく良いと思って決まるものなのよ。ヴァン、迷う必要はないわ。今すぐ海賊よん♪」
「うん。ここに海賊許可証ってのがあってね、これに親がサインしてくれればクルーにしてくれるって、船長が」
正確には右腕のマルガリーテスだったが、そんなことは都合よく脳内で改竄されている。
ペールギュントが許可証を見ながら、
「おお、準備いいな。つーかお前を雇ってくれる海賊がいるんだな」
と呟いた。マリンは気絶しているウェザーの右腕をぷらん、と持ち上げると
「保護者のサインね。さっそくサインしましょう!」
そうしてさらさらと「許可する。ウェザー=スミス」とウェザーの右手を巧みに操って書いた。
「ヴァン、おめでとう♪ これであなたも立派な海賊よーん。ママってば嬉しい」
「おめでとう……」
「よっ! この悪党」
口々にヴァンを誉める声の中でウェザーが復活した。
「パパは許さんぞー! 何勝手にサインして――」
その瞬間、マリンが近くにあったリュートでウェザーの首を殴った。そしてひらひらとヴァンに手を振った。
「ヴァン! やっとつかんだあなたの夢よ! さっさと夢に向かって行ってらっしゃい!」
「うん! 行ってくるよ、お母様」
「母さん! 折れた! 折れちゃったよ!?」
僕のリュートととうさんの首が、とペールギュントが騒ぐ。
元気よく飛び出していくヴァンを見送り、静かにカタストロフが聞いた。
「母上……なぜヴァンに海賊を?」
「あら、わからなーい?」
折れたリュートを放り投げてマリンは言った。
「だってあの子ったら、本当に楽しそうに笑うから、ついね。理由なんてそんなもんでいいんじゃなくて? わたくしもなんとなーくで踊り子やってたし」
カタストロフは少し沈黙したが、切り替えした。
「海賊になって暴れまわっているヴァンが見たいんじゃなくて、ですか?」
「それも、あるわ。だってねー見たいじゃない? 息子の活躍は親の誇りよ? あの子が初めて自分でやりたいと選んだ道なんだから、応援してあげなきゃ」
◆◇◆◇
「ぅおい、リタ……」
ダンテが苦々しく呟いた。
まさか、本当に本当に、こんな馬鹿げたものにサインする親がいるなんて思っていなかったからだ。
「どうするんだよ? リタ」
「持ってきたぞ! 約束守ってくだ……くれよ、船長!」
少し意識して、強気な荒々しい口調にしてみたヴァンだった。
マルガリーテスが少し困ったような表情をした。
「あんた、スミスとか言ったっけ?」
「そ、そうさ! リタ姉」
「ここに、モップがある。これで毎日港の床を磨くんだ。あとこれが釣りの道具。これで食料を捕るんだ。あと牛乳を飲んで、しっかり身長を伸ばすこと」
「うん、うん! ……で、いつ出港するんだ?」
「出港は今日。だけどあんたは港でお留守番だよ」
「えー、なんで。ケチ」
子供にも容赦なくマルガリーテスの拳は降った。頭のてっぺんを殴られて涙目になりながら、これが船長の言っていたリタの鉄拳か、と我慢した。
「いいかい、海の男は強くなけりゃいけない。これは、船に乗るまでのあんたの修行だよ!」
「修行!? ちゃんとやったら船に乗っけてくれる?」
「ああ、乗っけてやるさ。だから、今日のところは船から降りるんだよ。どうしても耐えられなかったらお屋敷にでも帰るこったね」
「そんなことねぇよ。ちゃんとできるってば! ほえ面かくなよ、リター!」
モップと釣具を持って板の上を走って港に降りると、ヴァンは手を振った。
「行ってらっしゃい! 僕……俺、ちゃんといい子にしてるよ!」
「何してんだい船長、出港!」
板が取り外され、錨を持ち上げるとヴァッフェンロース号はソールズベリの港を離れた。
次第と小さくなるスミスの姿を見ながらダンテはマルガリーテスに聞いた。
「いいのか? あれ」
「どうせすぐにべそかいて帰るに決まってるさ」
しかし、これ以降、ソールズベリの港に寄るたびに少しずつ身長を伸ばしていくスミスがある日船室の荷物置きに隠れてディランを驚かせるなんてことがあるのは、まだまだ先の話である。
今日はここまで。