海賊ヴァッフェンロース号

流れ着いた東の孤島

 今までののあらすじ。
  アレンを見つけるために出航したマルガリーテスとダンテは、途中でクローセルとディランを仲間にして順調に漕ぎ出し約一年が経とうとしていた。
  岩場で歌っていた魔女……通称貴婦人の来襲により、よく分からない孤島へと流れ着いた一行の船。貴婦人のせいで船の中の食べ物は尽きており、ここは地図の端だとクローセルは言っている。
  ここはどこだろう? それを調べなければ出航できない。

「――というのが今の会議で分かったな?」
「それにしてもこの街、金髪が多いなあ。俺ら浮いてねぇ? クローセルもリタも船長も黒いし。俺なんて銀髪だし」
「ディランまだ気にしてるの?子供に指差されて『白髪』って言われたこと」
「たしかにここ、金髪の美人が多……グオッ」
  美人と言ったところで、マルガリーテスの掌底が顎にヒットし、ダンテは言い直した。
「もとい、若者が多い。まるで俺がおっさんのようだ」
「やーい、おっさーん」
「リタもおばさんに見える」
  今度はコンボで掌から拳へと変わった。
  マルガリーテスはあたりを見渡しながら言った。
「それにしても、女ばかりだねぇ。ちょっと、そこの人。ここに男いないのかい?」
「男ですか? リタのところに行ってみれば? 若い夫がいるわよ。あとリタのお父様と」
  いきなり捕まえられた近くの女がマルガリーテスにリタ、マルガリーテスのことではない女性の家を、どこにあるか教えてくれた。
「リタだってよ。凶暴な奴じゃなけりゃあいいけどな」
「あたしのどこらへんが凶暴なんだい、え? 女海賊でドレス着てきゃぴきゃぴ言ってるほうが気持ち悪いだろうが」
「たしかに。あ、でもクローセルは論外な」
「私キャピキャピなんてしてないわ」
  ディランの言葉にクローセルが頬を膨らませる。
  ダンテが先ほどのディープブルーの髪の魔女を思い出しながら言った。
「たしかに貴婦人みたいなのが海賊やっていたら気持ち悪いとおりこして怖いな」
「あれは海賊だよ。船を乗っ取る海賊だよ。あれを乗っけると海賊寿命縮むって言うけどね」
「俺たちどれぐらい縮んだんだろう…」
  ダンテとマルガリーテスはこの若そうな面子の中で明らかに老け面だった。まさに呪いのせいかもしれない。
「貴婦人が消えたから言わせてもらうけどね、貴婦人には色んな噂があって、ともかく後々の人生を大きく左右されるんだよ。強い海賊がいきなり弱くなったり、弱かった海賊がいきなり昇進したり、海賊から坊さんになったり、記憶なくしたりね」
「ひええ。アレンはよく無事だったな」
  貴婦人に向かって「おばさん、邪魔」と言った彼が今は行方知れずである。はたしてそれは無事と言えるのだろうか。はたまたマルガリーテスの父親も帰ってこなかった。
「貴婦人の話はとりあえずやめようぜ。いちおうまだ同じ島にいるんだし、会う確率だってある。とりあえず俺とリタはそのリタって奴の家に行ってみようぜ。リタとリタじゃ紛らわしいな。お前は一時的にマルガリだ」
「マルガリって呼ぶな!」
  どん、とダンテの鳩尾に掌が突き出て、ダンテは坂道を転げ砂浜までごろごろと転がっていった。
  それを遠目に見ながら、マルガリーテスは言った。
「ふん、嫌なことを思い出しちまったよ。オリバーめ」
  昔自分のことをマルガリといびってきた幼馴染を思い出しマルガリーテスは鼻で荒々しい息をした。
「ともかく、クローセルは海図と現在地の確認をして、ディランは食料を調達。あたしはそのリタとかいう女の家に行ってみるよ。ここは女が多すぎる、なんかおかしい。男に会ってみなきゃあね」

 リタの家は、孤島のはずれの離れにあるらしい。
  ダンテとマルガリーテスは、砂浜の上を歩きながら、リタの家へと向かった。先に坂道を登っているマルガリーテスに後ろからダンテが声をかけた。
「おい、待てよ。お前の拳が痛すぎてうまく歩けねぇ」
「ああそうかい。先行ってるよ」
「この、マルガリ!」
  マルガリと呼ばれて返ってきたのは返事でなく、近くにあった少し大き目の珊瑚の死骸だった。ごろごろと転がってくるいぼいぼの石を避けて、ダンテはため息をついた。
「それもこれもリタとかいう名前の女がよくねぇ……ん?」
  マルガリーテスは先に進んで置いてきぼりを食らったが、そのかわりリタの家の裏手に船が見えた。
「なんか、ヴァッフェンロー……いや、ブラック・パール号に似てるな。特にぼろくて改装されてねぇみたいだし……やっぱ座礁してるし。ん? カバジード・デ・マール号……たつのおとしご?」
  よく見ると丁寧にも先端にたつのおとしごのような水竜の木彫りがされている。口のでっぱりがなんともかわいらしい。
「これ、どこかで見たことあるぞ。おいおいおい、冗談じゃねぇぞ、リタに知らせなきゃ」
  そこにあったのはマルガリーテスのジェントルマンな父親の船だった。

 リタの家につくとマルガリーテスは扉をノックした。
  しばらくすると、そこから金髪色の髪の毛の、褐色の娘が姿を現した。
「あら、お客さん?」
「どうも。リタってあんたかい?」
「ええそう、私がリタ」
  そのリタという娘はよく見ると、マルガリーテスと同じように人魚を表わす文様が刻まれていた。マルガリーテスが黒なのと対照的に、褐色の肌に白抜きである。
「あんたの家に男がいるって聞いてね、訪ねて来たんだよ」
「ふぅん。まあいいわ、男って珍しいしね。でもうちの旦那なんだから手は出さないでちょうだいね。といっても、いまお父様しかいないんだけど……」
「お父様でいいよ。会わせてもらってもいいかい?」
「おとうさーん、お客様よ」
「おーう」
  家の二階から声がした。聞いたことのある声である。だが遥か昔に聞いた声で誰だか思い出せない。
  ギシ、ギシ、と板を軋ませながら階段を下りてきて、リタのお父様のご登場である。
  しかし、マルガリーテスはその姿を見るやいなや、大声で怒鳴った。
「あんた!」
  そう叫んでからは早かった。
  リタが止める間もなく部屋の中にあがりこむと、お父様の頬を拳で殴りつけた。
「てめーマール、クソ親父!」
「……は? なんで俺の名前を」
「あんたの娘のマルガリーテスだよ! こんなあたしと同い年の娘と結婚してるなんて! やっぱり現地妻がいやがったね」
「ちょっと待ってくれ、リタは俺の娘だ」
「余計悪いよ! あたしと同い年くらいの娘にあたしと同じ名前つけやがって」
「ちょっとおとうさん、それどういうことよ!? おとうさん浮気してたの!? こんな私と同じくらいの娘がいるなんて」
「知らん知らん知らん」
  マールが必死に首を振る。ふたりのリタが同時に詰め寄った。
「「どっちが先に生まれたの!?」」
「……っちょと待て、今計算する。そもそも…リタ、お前成長早いんだよ! あと、そっちの、黒いマルガリーテスさん? 人違いじゃないんですか?」
「人違い……」
  そうだ。マールがこんなに若いはずがない。子供の頃遊んでくれてた父親とまったく顔も年齢も同じである。生きていればもっと歳をとっているはずだ。
  手に籠っていた力が抜けていく。
  マールは安心したように言った。
「ほら、リタ。マルガリーテスさんの人違いだよ。とうさんが母さん以外と結婚してたなんて、とうさん知らなかった」
「はぁ? とうさん、島の外での記憶がないじゃない、マルガリーテスさんが娘ってことも可能性にあるわよ」
「記憶をなくしている?」
  マルガリーテスが鸚鵡返しに聞き返した。リタは頷いて説明する。
「よくわからないけれども私だけが島のみんなと違うの。ほら、こんな変な刺青彫っているせいかと思ったんだけど、歳はみんなより早くとっちゃうし、肌は黒いし、それにこの島に来ると男はみんな外部での記憶をなくしていっちゃうらしいの。だから外部から入ってきた男はなるべく早く追っ払ってるんだけど……おかあさんは私とアレンを結婚させちゃったのよ」
「アレン?」
  またまた聞きなれた名前にマルガリーテスは顔をしかめる。
「まさかとは思うけど、そいつ一年前くらいにここに来た?」
「ええ、よく知ってるわね」
  大変だ。これはダンテに知らせないとと思った瞬間、勢い良くダンテが駆けつけてきた。
「リター! 違う、マルガリーテス。裏に出てみろ、たつのおとしご号があるぞ! あれお前の父親のじゃなかったっけ?」
「ダンテ、それよりアレンが……」
「アレンがどうかしたって?」

◆◇◆◇
「お客さん、早く決めてください」
  店員に急かされてディランははっと気づいた。
「すみませんすみません。食材のことで忘れたことはなかったのに、何買いにきたか分かんなくなっちまって……」
「そう云う時はにんにくよ、海賊さん。にんにくにんにくと唱えるといいのよ」
「え? にんにく? にんにくはあまり使わな。っておおおお奥様ー!?」
  後ろから声をかけられてディランは振り返りざまに記憶が戻ってきた。それくらいこのミストラル……貴婦人はショックの強いものだった。
「もう、こんなところで男の方がひとりで買い物なんてしちゃあ駄目よ? 食べられちゃうわ」
「奥様こそ、船は見つかりましたか?」
「それがねー、みんな欠航しちゃってて。あ、でも友達にはちゃんと会えたの。ほら」
「友達に会うためにこちらに寄られたんですか」
  後ろから白衣を着た女がミストラルの頭を小突いた。
「友達なんて言わないでちょうだい。ちょっくら行ってくるであたしを十二年もここに置き去りにしやがって……この、この、この。おばさん!」
「やーん、おばさんなんてヒドイ。レーラアだっておばさんじゃない、あなただけ歳とってないなんて、ずるい」
「あんただって歳とってないじゃない。海賊さんだっけ? あたしはレーラア、先生とも呼ばれているけどね。助産婦として雇われてここに置いてきぼりにされた女医だよ。早いところ出航してくれないかい?」
  ミストラルよりもう少し年齢が上そうな、そのレーラアという女がディランに言った。 ディランは「はぁ、」と曖昧な返事を返し、ぞっとした。まさか貴婦人をもう一度船に乗せるのか、と。
「あ、すみませーん。これと、これと、これと……あとこれとこれとこれと、あ、そうそう、この果物食べたかったの! もうこれだけのために帰ってきたようなものですもの」
「私はどうなったんだい?」
「うふ、ごめん。天然で忘れてたわ」
  レーラアとミストラルがやりとりしている間にディランは逃げようとしたが、あっさり捕まった。
「ちょっと、あんた男だろ? ここをひとりで歩いてると危ないよ」
「え? どういう意味ですか」
  そう言いながら、今この状況がそういう意味なんだろうとディランは勝手に確信していた。だがレーラアから思わぬ反応が返ってきた。
「ここは常若の国ティル・ナ・ノグ。女しかいない島さ。男はここに来ると次第に昔の記憶を失ってここの住人になっちまう。ここの住人になったら最後、次に別の島に足をつけたら、灰と化す……もとい、歳をとってしまうってことさ。だから早く出発しなきゃあいけない」
「あの、言ってる意味がよくわかんないんですけど」
「つべこべ言わずに買い物したらすぐ出航。ソールズベリに帰れないよ?」
「今ここソールズベリあたりね。潮の香いでわかるわ。この島、時空間を歪めて移動するの」
「なんだって?」
「だから、時空を曲げちゃうんだから。船長さんたちは?」

◆◇◆◇
  マルガリーテスとリタに説明されて、ダンテはアレンと会った。
  精悍な体も顔もすべて離れ離れになったあの嵐の夜と変わらない。しかし記憶がなかった。
「えーと、その……ダンテさんって言ったっけ? 僕、本当に海賊だったんですか?」
「…………」
  ダンテは答えなかった。マルガリーテスが代わりに答えた。
「ああそうだよ、あたしに剣を向けてきたのは間違いなくあんただ」
「でも、僕まったく覚えてませんし、今は所帯も持ってしまって……海賊になれって言われても、今さらなれませんよ?」
「……ニカは?」
「は?」
「モニカはどうするんだよ!?」
  ダンテはアレンの胸倉に掴みかかった。
「モニカはな、お前の帰りをずっと待ってるんだよ!」
「やめなダンテ、アレンじゃないアレンを連れ帰ったってモニカとかいう女は喜ばないよ! あたしだってこんな親父、もう親父でもなんでもない!」
  マルガリーテスがダンテとアレンの間に割って入った。
  ダンテは肩で荒々しく息をすると言った。
「お前が、お前がモニカを幸せにするって言ったから、祝福したんだ。それをこんな……モニカは俺が貰うぞ、いいのか?」
「ああ、そのモニカって女を幸せにしてやってくれ」
  その言葉に相当腹が立ったらしく、ダンテはアレンの頬を思いきり拳で殴りつけた。よろよろと鼻血を出しながらアレンがよろける。
  提督服を翻すとダンテは背中越しに言った。
「お前はアレンじゃねぇ。俺たちの中のアレンは……もういねぇ」
「ちょっとダンテ、お待ちよ!」
「マルガリーテスさん!」
  どかどかと外へ出ていったダンテを追いかけようとしたマルガリーテスをリタが止めた。その掌には銀色の指輪が鎮座していた。
「その、アレンが最初に持っていたものなの。モニカさんには、アレンは死んだって……そう伝えてくれる? 待つのは、辛いだろうから」
  待つのは辛い。それはマルガリーテスの母親がマールを待ちながらひとり淋しく死んでいったのを知っているマルガリーテスにはよく分かっていた。
  マルガリーテスはリタから銀の指輪を受け取って、無言でそのまま去った。
  これでいいんだ、そう心の中で言い聞かせながら。

 先に帰っていたクローセルとディラン、そして新たなお客のミストラルとレーラアを乗せてヴァッフェンロース号は出航した。
  ミストラルがついている限り、この船は時空の影響もなく、ソールズベリへとつくだろう。
  甲板で呆けているダンテにマルガリーテスが声をかけた。
「目的がなくなっちまったって顔してるね。ソールズベリについたら陸へ上がる気かい?」
「いや、俺は海を行くぜ?」
  ダンテは風に煽られながら鼻をこすった。
「俺は生粋の海育ちだ。海賊以外なれそうもねぇ」
「ふぅん」
  マルガリーテスは意味深にうなった。掌の上の銀色の指輪を見せて
「じゃあコレはいらないね」
「あ! それは」
「そ。アレンの形見だよ。これをモニカさんに渡すんだろ? アレンは死んだって」
「にわかに信じられないよな。生きてるんだし、あんな腑抜けになるなんて。お前の親父さんもさ、」
「親父は失踪したまんまだよ。そうじゃないとお袋が、哀しすぎる」
  ふたりの間に長い沈黙が訪れた。しばらく風にあたりながら水平線を見ていると、向こうのほうに陸が見えてきた。
「あれがソールズベリかい?」
「そういやリタは人魚の砦から出たことがないんだったよな。あそこの酒は美味い。ハバナクラブっていうラム酒が特に」
「へぇ、そうかい」
  潮風に吹かれながら、マルガリーテスがダンテに聞いた。
「なあ船長。あたしゃいつまでダンテの嫌がっても右腕、否定してもいい仲でいられるんだろうね?」
  ダンテはすこしむず痒そうにリタに返した。
「さぁなあ……」
  うみねこの声が聞こえる。そろそろ陸が近かった。
  ふと海を見下ろすと、そこをうみねこの影のように素早く泳ぐ何かがあった。ディープブルーの髪の毛がゆらゆらとしながら船のスピードも真っ青な速さで陸へと泳いでいく。
「あれが本当に人魚だったらいいのにね」
「もう人間じゃねぇよ」
「ちょっとミストラル! また私のことを置いて行きやがって」
  怒声と共にレーラアが甲板から乗り出して叫んでいた。
「私はこれからどこで食っていきゃあいいんだよ!?」
  その声に、ダンテはレーラアを見やりながら言った。
「貴婦人に怒鳴れる女なんて初めて見たよ。なあリタ、あの先生とか言う奴、仲間にできないか?」
「そうだねえ。アレンの席が空いたままだしね」
「医者は必要だしな」
  ふたりは同時にため息をついた。
  どうやら、海賊のメンバーが増えそうである。