国会議事堂の台座

 政治のお話をここでどうこう議論するつもりはない。
  ただ、頑張っている政治家のことよりもスキャンダルのほうが話題になりやすい、そういうマスコミとスキャンダルが大好きな国民性をたまに残念に思う。
  政治家も、教師も、宗教家も、みんな最初は志があったのだと思う。一切そういうものを持たずに、その職業を志す人間はほとんどいないと思うのだ。
  ただ組織の維持や、自分の生活を保障してもらうことに流される……そういう残念さは人間や組織にはつきもので、残念だけど、仕方がないことなのかもしれない。
  だけどそれでいいというわけでもないのだろう。

 だから私はちょっと視点を変えてみることにした。テレビで
「国会議事堂の四つの台座の最後のひとつに銅像がないのはなぜでしょう?」
  という問題があった。何故でしょう? 私はわからなかった。
  誰かが銅像を盗み出した? そんな馬鹿な答えすら浮かんだ。

 答えは「政治に完成はない」という意味をこめているかららしい。
  ちょっぴりじーんとした。政治家のみなさんにがんばってくださいとエールを送りたくなった。