人間、何に怒るかだ

 許せることは多いほうがいいと思う。
  ぶっちゃけた言い方をするならば、こだわりが多いよりもどうでもいいことが多いほうがいい。
  こだわりの多い人生も素敵だが、どうでもいいことが多いほうがたぶん楽だと思う。
  というよりも、そんなにこだわらなきゃいけないことなんて、人生にはないと思うのだ。
  逆を返せば、何にこだわっているかが自分のキャラを表している。

 許せないものが、その人が何に対して怒るか、それがその人の人生を物語っている。
  極論するならそう言ってもいい。
「許せない」と感じる人がいる一方、「どうでもいい」と感じる人もいる。
  ひとりひとり突っかかる部分は違うし、大多数が突っかかることは共感が得られやすいけれども、少数派でいつも浮く人はやりづらいだろう。

 だけど人間怒る部分や許せない部分だけはどうにも変更が効きにくい。
  たとえば私は軍服が好きで「ナチス格好いい」という人がどうしても駄目だ。お友達でもそれは言わないでほしいと思ってしまう。
  許せること、どうでもいいことが多いほうがいいと思っている私だけれど、それだけはよくないと感じてしまう。
  だけどそんなことどうだっていいと感じる人もいっぱいいるはずだ。
  もっと違うことが許せないという人もいっぱいいるだろう。

 だから何に怒るかが、その人の人生や価値観を物語っているのだ。
  誰かが怒ったときに「それくらいで……」と言うよりも、その人が何を言いたいかに耳を傾けたい。
  その人が何に怒っているかは、その人が何を大切にしているかを、すごく表している。