言いたいことは作品で語る

 根拠があるわけではない。
  勝手に「モノカキは言いたいことは作品で語るものだ」と思っている。
  日記とかブログとか、そういうものがあるとついつい語っちゃうし、私は語りたがり屋である。
  釈明は見苦しいなんて発想ははっきり言って、ない。どんどん釈明しなさい。言いたいことは言ったほうがいい。

 しかしそういうのとは別に、日記で語りつくして、それで作品で語れないようなら、その人はモノカキとしてどうなんだろうなと感じるときがある。
  頭をからっぽにしたいときに読むストーリーとかもあっていいと思う。全部が考えさせられる話ばかりじゃあ疲れる。だけど何も感じ取れるものがない話を理想と掲げる人もそういないような気がする。

 言いたいことは作品がつまらない、筆を折れってことではない。
  中には、モノカキとしてのツールが小説じゃあないほうが実力を発揮する人もいるんじゃあないか思うだけだ。
  エッセイや詩、散文、日記、ネタ系のテキスト、ただの文章でもいっぱい表現方法はある。選び放題だ。
  私の場合、各ツールで書きたい内容は全部バラバラで、表現したいものも、表現形態も違っている。
  だけど小説も日記もエッセイも詩もネタもみんな書くけれど、その中で私が何か選ぶとしたらやっぱり小説なのだ。
  空想癖だからではなく、一番それが私の書きたいものだ。

 モノカキというのは、そういう意味で何か自分の「衝動」に突き動かされる生き物だと思っている。
  趣味で書いているんだという人から、プロで書く人もいれば、私のように本能で書く奴もいると思う。
  情熱の重さを計りになんてかけないけれども、でもみんな何かを「書きたい」と思うし、何かを「表現したい」と思って、そのツールに「文章」を選んだんだと思う。

 だから、私は言いたいことは作品で語る、それがモノカキだと思っている。